60. 交差する風の噂
ゴォン……
再び鐘の音が鳴る。その低い響きと共に、巨獣はゆっくりと歩みを止めた。
ドシンと大地に足が沈む振動が、背中越しに伝わってくる。
「止まった?」
私は手すりに掴まりながらそっと身を乗り出して、前方を覗き込む。
視界の先には、大きな街が広がっていた。
石造りの建物が整然と並び、淡い陽光を受けて白く輝いている。
その合間を、大小さまざまな魔物たちが行き交い、絶えずひとの流れを作っていた。
空は高く、雲ひとつない青。
真昼の光が、街のすべてを余すことなく照らし出している。
風に揺れる色とりどりの布に、屋根から吊るされた看板。
遠くからでも、その街の活気が伝わって来た。
「ユグレア市の停留所ですね」
私の隣でサーペントさんが同じように覗きこみながら、静かに言った。
「このあたりでは比較的大きな中継都市です」
陽の下でも、彼の深い紫の瞳は光を吸い込むかのように、変わらず静かで落ち着いている。
その視線はすでに、街の奥を捉えていた。
「ここで一度、休憩を挟みましょうか」
「ん、降りるの?」
「ええ。昼食も兼ねて、少し歩きましょう」
そう言って、サーペントさんはするりと立ち上がった。
とぐろを巻かれていた身体が解けるようにほどけ、滑らかに動き出す彼。
その動きは相変わらず静かで、無駄がない。
「昼食……って、さっきあれだけ食べてたのに?」
「嫌ですねメイちゃん。さっきのは『軽食』ですよ」
舌をシュルシュルと動かしながらいつものスマイル。
さすが全長十五メートル(自称)の蛇。スケールが違う。
(ヘビさん、昔より大食いになってない……?)
そんなことを考えている間に、彼は迷いなくバスの出口へと向かっていく。
私はその尻尾に軽く腕を引かれながら、慌てて後を追った。
◆ ◆ ◆
外に出た瞬間、熱と匂いが一気に押し寄せてきた。
陽の光を浴びた石畳の、じんわりとした温もり。
鼻をくすぐる香辛料の刺激。
焼けた肉や油の、食欲をそそる匂い。
「わあ……」
思わず声が漏れる。
視界に広がる、昼のユグレア市。
屋台がずらっと並び、通りは様々な種族の魔物で溢れている。
そして、そこに交ざる、人間達の姿。
呼び込みの声、交渉の声、笑い声。
すべてが混ざり合って、賑やかな空気を作っていた。
「このあたりは、交易の要所です」
隣でサーペントさんがずるずると歩きながら言う。
「北の王都ヴァーレイン市へ向かう流れと、南のノース国へ向かう流れ。その両方が集まり、溶け込む場所です」
彼の視線は忙しなく動いていた。
周囲のひとの流れや、会話の断片を……すべて拾い上げるように、観察している。
商蛇。
彼の姿に、その言葉がふと頭をよぎった。
「行きつけのおみせがあります。昼食はそちらへ行きましょう」
そう言うと、彼は迷いなく人混みの中をずるずると滑り込んでいく。
人と人の隙間を縫うように進む動きは、ヘビという生き物の美しさを感じられた。
「ちょ、待って……!」
私は尻尾に手を引かれながら後を追う。
ぎゅっと尻尾を握る。……たぶん、はぐれたら一生会えない。
◆ ◆ ◆
「こちらです」
そう言って、彼が立ち止まったのは一軒の店。
私は屋根に掲げられた看板を見上げる。
【Dining&Bar Grand Perch】
「……ヘビさん、もしかして」
Perchの意味は分からなかったけど、Barの意味は分かった。
「……もしかして、飲むの?」
私の言葉に、サーペントさんの紫色の瞳が細められる。
……それは、肯定だった。
「こういう場所は、情報が集まります」
さらりとした口調。
でもその裏にある『本音』は、明らかに別のように思えた。
(絶対、それだけじゃない……)
そんなことを思う私を尻目に、彼は扉を開けて、一足先に中へと入っていった。
薄暗い、隠れ家のような空間。
炭火の上で肉が焼かれ、脂の弾ける音とともに、香ばしい煙が立ち上る。
『らっしゃい!』
私たちが店に入ると、店主の魔物が、威勢よく声を上げた。
ウェアウルフ。クレイグより筋肉質な、大人のひとだ。
『……ん?』
鼻がひくひくと動く。
次の瞬間、店主は満面の笑みを浮かべた。
『おお! ヘビッコじゃねえか!』
『ご無沙汰しております』
サーペントさんは丁寧に頭を下げる。
……完全に顔見知りだった。
『見てたぞお前! 大会優勝してたじゃねえか!!』
『ええ、運がよかったです』
ガハハと豪快に笑ってサーペントさんの肩をバンバンと叩く店主。
いや、肩じゃないか。パーカーの肩の部分も彼の首だ。
(ヘビさん、どこ行っても知り合いいる……)
私はその様子を見て、『行商蛇サーペントさん』の実力を改めて思い知らされた。
『そっちの人間の子も、決勝でコイツと戦ってたヤツだろ? 凄えな、今年の大会のツートップがウチの店に来たのかよ』
『ど、どうも……』
店主の人狼は尻尾を振りながら私に視線を向ける。
私は手を組みながらのお辞儀、エリノア流の挨拶で返した。
『んで、ヘビッコ。今日は何にする?』
『では、こちらと、それから――』
サーペントさんは、メニューを開きながら尻尾で注文を重ねていく。
肉串に卵、小動物の丸焼きに卵。そしてデザートに卵。
『……あと、この蒸留酒を』
『昼間っからか?』
店主がニヤリと笑う。
『ええ。少量で構いませんよ』
変わらず穏やかな表情で、堂々と昼間から酒盛りをしようとするサーペントさん。
『メイちゃんは?』
『あ、じゃあ……軽めのやつで』
私は木の実サラダと甘い果物のジュースを頼んだ。
さっきバスで焼き肉串を食べちゃったから……少しセーブしておいた。
『お待ちどう』
やがて、次々と料理が運ばれて来る。
(やっぱり多い……)
シュルシュルと舌を出す彼の前には、焼き色のついた肉塊と山盛りの卵。
相変わらず、量がおかしい。
彼は静かに、酒に舌を付けた。
『…………』
ほんのわずかに、目が細くなる。
(ヘビさん、ほんとお酒好きだよね……)
彼は昔から、私の実家『フェリシア商店』で父としょっちゅう酒盛りをしていた。
彼は酔ってもあまり性格が変わらない。ただ静かに……物理的な『包容力』が上がるだけだ。
『……んで?』
そう言って、店主がカウンターから身を乗り出す。
『今日はどうした?』
途端、空気が少しだけ変わった。
『最近、ノース国で変わった動きはありませんか』
サーペントさんの声は、相変わらず穏やかだった。
だが、その奥に、『ベリミア』としての静かな探りがある。
『変わった動き、ねえ……』
店主は食器を洗いながら、少し考える。
『そういや西の方の街で、人間が何人かやられたって話は聞いたな』
(…………!)
その一言に、私の胸が強く打った。
『……やられた、とは?』
『詳しくは知らんが、風で切り裂かれたとかなんとか』
風。
……その単語だけで、頭の中にあの時の映像が蘇る。
震える翼。
無防備な人間に放たれる、見えない刃。
『……鎌鼬、ですか?』
サーペントさんが静かに言う。
『さあな。ただ、魔物の仕業なんじゃないかって、人間達が騒いでるらしい。……嫌だよな、せっかく共存し始めたのによ』
ぞくり、と背中が冷えた。
「……カノンちゃん」
気付けば、名前が零れていた。
『なるほど、ありがとうございます』
彼は表情を変えずに店主に礼を言うと、こちらに視線を向ける。
「……確かな情報ではありませんよ、メイちゃん」
サーペントさんは淡々と返す。
「ただの噂です。あまり、信じすぎるのも良くないです」
「で、でも……これって……」
声が少しだけかすれる。
「カノンちゃん、だよね……?」
「…………」
サーペントさんは、スッと私の手に尻尾を添わせた。
「断定は、できませんよ」
彼は紫色の瞳を私に向ける。
その声は、どこか優しかった。
「……ですが、無視できる情報でもありません」
その言葉は冷静で。
でも、私を支えてくれるような、力強さがあった。
「……行こう、カノンちゃんのところに」
私は小さく呟く。
怖い。私の追う、真実が。
でも、それでも……確かめなきゃいけない。
「……ええ」
私の言葉に、サーペントさんはほんのわずかに目を細めた。
遠くで、再び鐘の音が鳴る。
ゴォン…… ゴォン……
巨獣のバスが、間もなく出発を告げている。
私たちは店を出て、並んで歩き出した。
昼の喧騒の中を抜けて、再び巨獣の背の上へと。
まだ見ぬ真実へと続く道を。
今度は、不安と、少しだけ重い気持ちを抱えながら。
――それでも、前へ進むために。




