59. バス(魔物)
「メイちゃん。アナタはいつこちらにいらしたのですか?」
長椅子に腰を掛ける私に、サーペントさんが声を掛ける。
現在私たちは、魔王城を出てすぐの大通りにある『停留所』にいた。
石造りの簡素な屋根に、石の長椅子がいくつか並ぶ。
サーペントさんが「ここで待ちましょう」と言って並び始めた頃には、既に荷物を抱えた魔物たちがいて、みな思い思いに腰を掛けていた。
「三日前だよ。シカのフィーネさんと一緒にリートゥース市に行ったあと、王都に来たの」
三日前。こんなに最近なのに、この国にやってきたのがずっと昔のことのように思えた。
「では、大会に出られてそのまま直帰……弾丸ですね」
「へへ、そうだね」
軽く笑いながらも、何処か現実感が薄い。
たった三日間の出来事なのに、エリノア国で、色々ありすぎた。
「……でもね。ユキちゃんと五年ぶりにゆっくり話せて、嬉しかったんだ」
そう口にして、私の心の奥がほっと温かくなった。
「……そうですね。魔王様はアナタのことを、五年間ずっと心配されておりましたから。メイちゃんに会えて、魔王様も嬉しかったと思いますよ」
「そうだったの?」
「ええ、そうですよ。ワタシは魔王様の工作員。これまでも指示を仰ぎに、何度も魔王城を訪れておりましたが」
彼は小さく首を振る。
「魔王様は口を開けば、二言目にはあの子は元気でやっているか、寂しがっていないかと、メイちゃんのことばかりでしたよ」
その言葉に、また少し、目の奥が熱くなる。
ユキちゃんも、この五年間、ずっと私のことを思っていてくれたんだ。
「だからワタシも、メイちゃんのことをたびたび魔王様にご報告していたのです。気づいたら片方の爪が無くなってたとか」
「……それ去年の奴じゃん。あのピンクの。気に入ってたネイルチップで今でもショックなんだよ」
「それを報告したらですね、魔王様がこう言ったのです」
「なんて?」
「同じものを『へびのとぐろ堂』に置きなさい」
思わずふふっと笑ってしまった。
「だからワタシは一時期、人間の国のお店のネイルコーナーにいる怪しいヘビさんでした」
「うける」
私のことを思ってくれるのは嬉しいけど、無理があるよユキちゃん。あのチップ限定品なのに。
――その時だった。
ドシッ…… ドシッ……
低く、重い振動が、足元の石畳から伝わってきた。
空気が揺れる。私は、目の前の光景を見上げながら言った。
「……ほんとに、これに乗るの?」
それは――生き物だった。
地を震わせるような足音とともに、目の前に停止した巨大な四足獣。
体高は二階建ての家ほど。背中には鞍のような構造物と、客席がいくつも並んでいる。
「おや、メイちゃんは初めてですか? グランド交通のバス」
サーペントさんは、いつも通りの穏やかな口調で言った。
「エリノア国内の路線バスです」
「……バスなの、これ?」
眉を顰める。
どう見てもバスじゃないよこれ。生き物じゃん。
「概念としては、似たようなものですよ」
……言うほど似てるのかな。
巨獣は、停留所の前でゆっくりと膝を折った。
ドシンと地面が低く揺れる。
すると、その背に取り付けられた階段が、ガコン、と音を立てて下りてきた。
『おお、来た来た』
『まだ座れるか?』
周囲の魔物たちが、慣れた様子で動き出す。
この光景に馴染みがないのは私だけらしい。
「行きましょう、メイちゃん」
「う、うん……」
私は少しだけ躊躇いながらも、サーペントさんの後について階段を上った。
――高い。
階段を上り、地面が遠ざかるにつれて、少しだけ怖くなった。
でも、背中に足を乗せた瞬間、
「あ……」
思っていたよりも、ずっと安定していた。
革の貼られた座席。荷物を括り付けるための縄やフックもある。
屋根はないが、代わりに日差しを遮る大きな布が張られていた。
「思ったより良いかも……」
「長距離移動用のバスですからね。快適さも考慮されています」
サーペントさんはそう言いながら、器用に身体を丸めて席の一角に収まる。
長い身体が、くるくると巻かれてコンパクトに収まる様子は、何度見ても少し不思議だった。
「ヘビさん、とぐろ巻くのってさ」
「はい?」
言いながら、彼の様子をじっと見る。
「やっぱり、なんか窮屈そうに見えちゃうんだよね。苦しくないの?」
「窮屈……かもしれませんが。こちらの方が、逆に安心できるのですよ」
そう言って、少しだけ目を細める。
「昔に聞きましたが、人間の方は布団から足を出して寝ると怖いと言います」
「え、めっちゃ分かる」
「それと同じです」
「それと同じなの……?」
分かるような、分からないような。
そのようなやり取りをしていると、やがて低い鐘の音が鳴った。
ゴォン……
次の瞬間、巨獣がゆっくりと立ち上がる。
「うわっ……!」
ふわっと浮くような感覚。
一瞬の浮遊感の後、それはすぐに、断続的な揺れへと変わった。
ドシッ…… ドシッ……
――走り出した。
巨獣が地面を踏むたびに、規則的な振動が伝わってくる。
でも、ふさふさの毛並が衝撃を吸収し、それは不思議と心地よかった。
「すごいね。このバス」
振り返ると、王都ヴァーレイン市が、少しずつ遠ざかっていく。
白い建物と緑の帯が、少しずつ小さくなっていく。
「ええ。国内で長距離を移動するには、便利な方法の一つです。魔物タクシーは高いですからね」
サーペントさんは、外の景色を眺めながら言う。
「商蛇としても、よく利用するの?」
「そうですね。荷も運べますし、人の流れもありますので」
その言葉に、少しだけ納得する。
まるで移動する市場みたいだ。荷物の多い商人などは、重宝することだろう。
「だけど、ヘビさんって荷物、あんまり持ってないよね」
「そうですか?」
「うん。だってポーチだけじゃん。いつも多くの商品、どうやって運んでるの?」
「呑み込……」
「……企業秘密です」
「呑み込んでるの!?」
思わず身を乗り出してツッコむ。
まさかの新事実。ベリミア・エルダの正体と同じくらいの衝撃。
「それ、溶けちゃわないの!?」
「ワタシほどの商蛇となると、消化も自由自在なのですよ」
彼は胸を張って応える。
……サーペントさん、どこまで本気で言ってるのか分からない。
ぐぅぅ……
「あ……」
しばらくして、私のお腹が鳴った。
消化みたいな話をしていた直後で、これは恥ずかしい。
私は顔を伏せる。……赤くなってるかもしれない。
「……何か、食べますか? ワタシの商品でよければ、ありますよ」
でも、彼はそう言って、静かに尋ねてくる。
優しくされると、余計に恥ずかしい。
……でも。
「それってもしかして、ヘビさんの『企業秘密』の場所から出てくる?」
そう言うと、彼はいつも通りの微笑みを浮かべた。
「……ちゃんと拭きますよ?」
「いや無理!!」
思い出した。
初めて会った時、頭を撫でて、お菓子をくれた時のことを。
……あのお菓子、どこから出したんだろう。
数分後。
『――すみません、このバスで軽食は購入可能でしょうか』
通路を歩いていた添乗員の魔物に声をかけるサーペントさん。
『はい、ご利用いただけますよ。焼き肉串と干し肉、干し草など』
干し草、という言葉に、文化の違いを感じた。
『卵は』
『卵は取り扱っておりませんね』
それを聞いて、サーペントさんは少し残念そうに目を伏せた。
『では、これと、これと……』
やがて、彼は注文を重ねていく。
『ありがとうございます』
係のひとはそう言って、サーペントさんの前にプレートを置き、火の魔術を使ってその場でお肉を焼き始めた。
置かれたプレートの上に、一本、また一本。
ジュウっと香ばしく焼けたお肉の匂いが、ふわっと広がる。
「え、ちょ、ヘビさん?」
一本、また一本。
更に一本。
気づけば、プレート上は『山』になっていた。
「か、買いすぎじゃない……?」
「適量ですよ。メイちゃんもこれくらい食べるでしょう?」
「親戚のおばちゃん!?」
それからしばらくの間。
「…………」
「…………」
サーペントさんは、静かに、しかし確実に――
呑み込み続けていた。
一本、また一本。
肉の串を、淡々と。
「……ヘビさんってさ。今お肉食べてるけど、お腹の中の商品って、どうなってるの……?」
ふと気になってしまう。あれだけ商品を『収納』している筈なのに、どういう構造をしているんだろう。
「…………」
一瞬だけ、串を運ぶ尻尾が止まった。
彼の深い紫色の瞳が、私を捉える。
「企業秘密です」
「また!?」
知ってた。
「……ふぅ」
やがて、最後の一本が彼のお腹に消えると、小さく息をついた。
「……ヘビさん、今ちょっとだけ幸せそうだった」
「ええ、幸せですよ」
その声はわずかに柔らかい。
「食事は良いものです。生きている実感を得られる」
ぽつりと、そんなことを言う。
「……そっか」
私は、小さく頷いた。
(……やっぱり、ヘビさんはヘビさんだ……)
怖い時もあった。
でもやっぱり、彼は私のよく知る、サーペントさんだ。
当たり前のことなのに、なぜかすごくほっとした。
巨獣は、変わらぬ歩みで進み続ける。
その背の上で、一人の少女と一匹の蛇は、同じ景色を眺めていた。
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