53. ベリミア・エルダの毒②
『ローミア様を出せよ!! なんで出てこないんだよ!!』
『あの蛇、ひとを殺したなら失格だろ!!』
依然、観客席はざわついていた。
罵声は止まらない。守護魔術を失敗した玄武ローミアへの罵声、さらには殺しをした蛇に対する罵声まで。
その時、アリーナ全体に、澄んだ声が響き渡った。
『――静まりなさい』
声に、空気が凍りついた。
白鱗の麒麟が、闘技場へ上空から舞い降りる。
『あなた方の怒りは理解いたします。ですが――』
『ローミアを侮辱する行為は、許しません』
その声音は丁寧でありながら、刃のように鋭かった。
薄紫色の鬣が淡く光り、会場の誰もが息を呑む。
『ローミアは、かつての人魔戦争の頃よりあなた方の命を守るため、守護魔術で支えてきた存在です。その彼女を誹謗し、暴言を浴びせるなど……恥を知りなさい』
誰も反論できない。
魔王ミゼルの声は静かだが、圧倒的な威厳を帯びていた。
『此度の件は事故です。ローミアは真摯に務めていました。彼女や、対戦相手を責めることは、筋違いです』
ミゼルは一度だけ深く息を吐き、視線を巡らせた。
『……これ以上、ローミアを傷つける行為を続けるのであれば――』
彼女の深い紫色の瞳が細められる。
『その時は、私があなた方を許しません』
◆ ◆ ◆
『魔王様、申し訳ございません。我々のために』
裏手に戻ったミゼルを、玄武二名……霊亀ローミアと、霊蛇ベリミアが出迎える。
『いえ……ベルに指示を出したのは、この私です。本来あなた達に頭を下げねばならぬのは、この私でしょう』
ミゼルはそう言ってかぶりを振った。
『……それで、魔王様。最後の試合、どうされますか。……まさか相手が、メイちゃんになるとは思いませんでしたが……』
若草色の大蛇は、外套の奥で深紫色の瞳を曇らせる。
ベリミアはこれまですべての試合間、観客席から抜け出しては、ミゼルに指示を仰いでいた。次の試合、勝つのか負けるのか。どれほどの接戦を演じるのか。
――そして、相手を殺すのか。
『メイ……』
白鱗の麒麟は視線を落とす。
寵愛する少女。彼女が、まさかここまで勝ち上がるとは思わなかった。
『……勝ってください。ベリミア。圧倒し、ただし決して殺さずに』
ミゼルは命じる。
これ以上、メイを目立たせるわけにはいかなかった。
優勝すれば象徴となる。
『人間が頂点を獲った』――そんなこと、反人派が見逃す筈がない。
『……よいの、ですね?』
『ええ。あの子の為なら……仕方ありません』
『分かりました、それでは三分で終わらせますよ。……なるべくメイちゃんは、傷付けずに』
◆ ◆ ◆
ナイトホーンは、ベッドの上で尻尾を揺らしながら、じっと私を見ていた。
『ナイトホーン……教えてよ。……ヘビさんは。何を、考えてるの……?』
ナイトホーンはしばらく黙っていた。
やがて、はぁと低く息をつくと、静かに言った。
『知らないよ。あいつの考えてることなんて』
『え……?』
『あいつは原初だ。我らとは、背負ってるものが違う。我が知ってるのは……あいつがただ、お前のことを大事にしてるってこと。……それだけだよ』
メイはぎゅっと唇を噛み締める。
『じゃあ……なんで……』
『直接聞いてこいよ』
ナイトホーンは、突き放すように言った。
『直接……?』
『あいつは逃げる奴じゃないよ。責任からも、罪からも、……それに、お前からも。聞きたいことがあんならさ。……我じゃなく、あいつに聞けよ』
『そん、なの……』
そんなの、怖いに決まってる。
行きたくない。でも、行かなきゃいけない。
その二つが胸の中でぶつかって、ぐるぐると駆け巡る。
『…………』
飛竜は何も言わなかった。ただ、黄金色の瞳で私を見つめる。
その目には……私が逃げようとする弱さが、全部見透かされている気がした。
『……分かった。ありがと、ナイトホーン』
決意を固める。私はクレイグの腕を掴んだ。
立ち上がって、『え、何』と動揺するクレイグと共に医務室の出口へと歩く。
足が震える。でも、逃げない。……目は、真っすぐ外を見据えていた。
◆ ◆ ◆
『ほら、いたよ。蛇の兄ちゃん』
クレイグに匂いを追わせ、参加者用の控室へと入る。
うっすらとした簡易照明の明かりの下、外套を脱いだ若草色の大蛇が、ひとり佇んでいた。
(ヘビ、さん……)
背中越しでも分かる。あれは、サーペントさんだ。
歩み寄る。
彼と話さなきゃ。……それなのに、足が止まる。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
怖い。
でも――私が、聞かなきゃ。私が、確かめなきゃ。
「……ヘビさん」
声が震えた。
ゆっくりと、大蛇が振り向く。
深紫色の瞳が、静かにこちらを捉えた。
「……今は、来てはいけませんでしたよ。メイちゃん」
いつもと同じ。その声は、穏やかで。
優しいサーペントさん。その事実に、胸が締め付けられる。
「どう、して……」
「試合前です。余計な動揺は、邪魔になってしまいます」
しゅるしゅると舌を出す。
いつもと変わらない彼の声。……それが、ただ怖かった。
「さあ、早く皆さんのもとへ――」
「……ベリミア」
「………………」
沈黙。
会場の歓声が、遠く聞こえる。
「ねえ、どうして……殺し、たの」
言ってしまった。
顔を伏せる。彼と、目を合わせられない。
「あなたが危なかったからです」
「え……?」
思わず顔を上げる。
彼は、私から目を逸らさない。
「決勝で、奴と当たる可能性がありましたから」
「それ……だけ?」
「それだけです」
あまりにも迷いがない。
それが、余計に怖かった。
「でも……他に、方法だって……」
「ええ。あったでしょう」
彼は、表情を変えずに言った。
「ですが、失敗すれば決勝でアナタが瀕死の重傷を負う危険性もあった」
ただ、淡々と。
「だから、ワタシは独断で彼を殺しました」
……冷たい。
優しい声なのに、その言葉はどこまでも冷たかった。
「……メイちゃん。この『ベリミア』が、怖いのですよね」
言い当てられて、私は息が止まる。
「……う、ん」
嘘はつけなかった。
大好きだった彼に対して、嘘をつきたくなかったから。
「だから今はまだ、会うべきではなかった。……申し訳、ありません」
彼は、初めて私から目線を逸らす。
その目は深い葛藤に沈んでいた。
「そんな……なんで、私に」
なんで私に、貴方が謝るの。
「クレイグさん」
「はいっ?」
気まずい雰囲気。
ナイトホーンから教わった隠密の力で、場の空気から存在を消そうとしていたクレイグは、突然振られて声が裏返っていた。
「先に言っておきます」
爬虫類の魔物に多い、淡々とした言葉遣いだった。
「決勝では、あのとき使ったワタシの『毒』を、アナタ方には使いません」
「え、毒……?」
「だからクレイグさん。それだけは、安心してください」
「毒で……あいつを、殺したって言うんすか……?」
「……ええ。ワタシは、毒大蛇ですから」
その問いに、サーペントさんは一瞬、舌の動きが止まった。
嘘だ。私には、それが分かった。
ローミアさんの守護魔術が、すべての毒を無効化している。
……十二回戦の奈落蛇ヴァルダーンさん。彼の致死性の瘴気が無力化されたのを、私は身をもって知ってるのだから。
「メイちゃん、クレイグさん。ですが、ワタシは次の試合、手加減ができません」
彼の瞳が、ゆっくりと私を捉える。
その声は穏やかで、それでも、逃げ場のない迫力を帯びていた。
「……たとえアナタ方であっても、容赦なく叩き潰し、絞め落とし、頭から呑み込むしかないのです」
その言葉に合わせるように、彼の瞳孔がわずかに開く。
それは、戦う者の目だった。
優しい『サーペントさん』ではなく……原初の魔物、ベリミアの顔。
「……だから、できれば……アナタとは戦いたくなかった」
それでも……最後の一言だけが、かすかに揺れていた。
それは偽りなどではなく、彼自身の本心――願いのように聞こえた。
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