39. Day2.7:00
『魔王様ったら、酷いですよ……直前でいなくなるなんて』
霊山ガルデニア、洞窟の奥深く。
薄い光も届かぬ闇の中、ファーシルがぽつりと呟いた。
本気の怒りのつもりではない。その目は、どこか彼女の行動もやむ無しというように、気の毒そうに沈んでいた。
『だが、私は……』
洞窟の壁に反響する、力強く気高い女性の声。
だがその声は、吹けば消えてしまいそうなほど弱々しく、暗闇に吸い込まれていく。
『……魔王様のお気持ちも分かります。アナタが関わることで、……また、あの悲劇が繰り返されるのを恐れていらっしゃるのですよね』
あの人間――メアリー・フェリシアは、我が子ミゼルの寵児。
その子の人生を、私が関わることで……壊したくはない。
彼女の沈黙は、そう語っていた。
『ですが……私は、アナタの力が「呪い」だとは思いません。だって、アナタのその力のお陰で、私もこうして生を得られたのですから』
だが、彼女の……『黒龍の力』は、決して呪いなどではない。
それは、彼女の子であるファーシルが、一番よく知っていた。
『……人間は難しいものです。環境しだいで、どうにでも変わってしまう』
ファーシルは静かに続けた。
『ですが、少なくともメアリーさんは、大丈夫だと思いますよ。アナタがそこまで、心配なさる必要もないほどに』
昨日、ヴァンパイアバットの子と話した。メイと一緒に、危機を乗り越えてきたこと。自分のまだ知らない人間の国の、文化やスイーツの耳より情報を教えて貰ったこと。
『ミゼル様のためとはいえ、あれはアナタの意思だったのです。アナタも、考え方が変わられて来ているよう、私には見えますよ』
『……そうなの、だろうか……』
魔王はひとり自問する。
その声は洞内に消え、答えが返ってくることは無かった。
◆ ◆ ◆
午前七時。
石像鬼の衛兵さんのモーニングコールにより、私は清々しい朝を迎えた。昨日の重い気持ちがまだ胸の奥に残っていたけれど、朝の空気が少しだけそれを薄めてくれた。
ちなみに今日はCraig W.のスタンプ爆撃は無し。何故なら二日目は試合前の来場登録が無く、長ったらしく受付に並ぶ必要が無いためだ。
Maery F.【おはよー】
打倒フォールターナ部に返信をする。ヤツらは既に起きていて、『こういうタイプの敵ならこうする』と作戦会議のようなものをしていた。
Schaffner L.【おはようございます】
Craig W.【お、メイ】
Craig W.【今日は優勝しようぜ】
Craig W.【スタンプ:ワン】
クレイグは犬のスタンプを多用する。その勢いに少し笑ってしまった。
彼のやる気に負けないように、私も頑張らなきゃ。そう思った。
Sephiria N.【メイ、昨日はなんかごめんな】
Sephiria N.【変なこと言っちゃったよ】
Maery F.【ううん、謝らないでよ】
Maery F.【ナイトホーンの言う通りだと思った】
Maery F.【もう私も、人間だけが悪いとか思ったりしてないよ】
視野が狭くなっていた。すべての原因は私達人間なのだと。
でも、昨日のナイトホーンの言葉で、ハッと気づかされたんだ。
Sephiria N.【魔物の我がそれを言うのも変な話だよね】
Sephiria N.【先代様のすぐ下で働いてたから、ついね】
Craig W.【でも、俺をクビにしやがった肉屋の店主はどう考えてもアイツが悪ィぞ】
Craig W.【ちょっと食っただけじゃねえか】
Craig W.【スタンプ:がおーん】
Maery F.【それはあんたが悪いっしょ……】
クレイグの言葉に苦笑いをする。
だが、私はその何気ないやり取りで、不思議と胸のつかえがフッと軽くなったのを感じていた。
◆ ◆ ◆
今日の朝食はパンと小さなサラダ、豆乳、腸詰めに目玉焼きだった。朝食を摂ると、私は今日もそのまま会場へと向かう。魔王城前の『ペガエク』のロータリーは、昨日とは打って変わってずっと静かだった。大会初日の昨日と比べて、進出者が百分の一ほどにまで減っているのだ。乗客が減るのも当然だろう。
ペガエクの配馬は、五分と待たずに済んだ。昨日とは違うペガサスのひとに乗り込み、会場までの数分間、今日の試合に備えて、気持ちを整える。
『よう』
会場に着いたことをトークスで連絡すると、クレイグが匂いを探知してすぐにやってきた。ヤツは今日の準備運動がてら、アリーナの外周を十数キロ走ってきたところらしい。『メイ、お前も走るか?』と言われてしまったが、その申し出は辞退しておいた。私だと十キロも走った時点で今日一日動けなくなるわ。
『シャフとナイトホーンは?』
『まだ来てないぞ』
時刻は七時半。ペガエクに並ばなかったこともあって、どうやら早く来すぎてしまったようだ。辺りは出店の準備を整えるひと、一足先に準備を終えてライバルより先に客引きを行うひと、そして混みあう前に祭りを楽しもうと目論むひと達で既に活気づいていた。
『……あ』
そんな折、地面にシートを拡げたフリーマーケットの要領で、品物を並べる若草色の大蛇が目に入った。
『ヘビさん』
商蛇のサーペントさんだ。
話し掛けると、彼はいつもの裏がありそうな行商スマイルで首を上げる。
「おやメイちゃん、昨日ぶりですね」
『ヘビさん、また人語になってる』
『ああ、これは失礼』
サーペントさんと会話を始めてしまった私を見て、クレイグは準備運動が足りなかったのか『もうちょっと走ってくるわ』と言い残し、その場を去って行った。
私は彼を見送ると、サーペントさんに視線を戻す。
『ヘビさん、昨日は最後まで勝てた? 挨拶できなくてごめんね』
『いえ、こちらこそ……私はなんとか残りましたよ。メイちゃんは?』
『私も残れたよ。ギリギリだったよ』
『おお、それは凄い』
彼はゆらゆらと尻尾を揺らす。
だが、その後に今まで作っていた行商スマイルを崩して、彼は声を潜めて耳打ちをした。
『ですが……昨日もお伝えした通り、無茶だけはしないで下さいね。かつて、力を持つ上位種の魔物ほど……人間達との共存に、反対していたものですから』
その言葉に、私は昨日のことを思い出した。人間を嫌っていた深緑色の鷲獅子。そして映像の中、惨たらしい様子で対戦相手を叩き潰していた、あの魔物――
『あの、ベヒーモスのひととか……』
私は呟いた。
昨日の第六回戦。昨年優勝者を倒した【41番】のヴェルサス・ディンバーは、これまでの対戦相手をすべて瀕死にしてきたと会場がザワついていたのを思い出す。
そしてサーペントさんは、……ヤツがかつての人魔戦争で、力の誇示の為だけに、快楽的に殺人を繰り返していたと言っていた。
『……ヴェルサスは順当に勝ち上がって行けば、メイちゃんや私よりも先に、あのダークワイバーンのセフィリアさんと当たると思います。先代魔王直属の彼ならきっと、負けないでしょうが』
ナイトホーンの話になったと同時に、私のスマホがピロンと通知を鳴らす。まさにそのナイトホーンが、トークスで連絡を寄越して来たのだ。
Sephiria N.【シャフと会場着いたよ】
Sephiria N.【どこいる?】
Maery F.【会場の前。サーペントさんのお店んとこにいるよ】
Sephiria N.【分からん。誰だっけそれ】
Maery F.【昨日隣に居たでしょ。へびのとぐろ堂の】
Sephiria N.【ああ】
Sephiria N.【分かった、捜すね】
Maery F.【クレイグも戻って来て】
Craig W.【分かった】
深呼吸。魔物たちのざわめきの中、私は気合いを入れ直す。
また、新しい戦いが幕を開ける。
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