34. Day1.17:00 R7『初日最終戦 Eyrie’s Pain』
『キミ……人間?』
『いやァ……俺ライカンスロープなんだぜ』
『そう』
もう何度目かも分からない問答を、対戦相手の魔物と繰り返す。
『よかった。わたし、人間が嫌いだから』
初日の最終戦。対戦相手は、大きな深緑色の毛並を持つ鷲獅子だった。
背中から生える翼は厚く、その爪は岩をも砕きそうな荒々しい鋭さを帯びている。体長はおそらく六~七メートルほどであろうか。
そんな猛々しい見た目の威容とは裏腹に、その声はどこか女性的で、控えめな響きを持っていた。
『……なんで人間が嫌いなんだ?』
『友達が殺されたの』
短くそれだけ言うと、彼女は静かに目を伏せた。
猛禽特有の鋭い眼光が、今は地面へと落とされている。
『そっか……悪いことを聞いたな』
『ううん、大丈夫』
彼女は私を人狼だと思っている。
だから私は、平静を装って言葉を返した。
でも、胸の奥では……、私も彼女のその言葉に、深く心を痛めていた。
反人派……人間を恨む魔物もいる。そのこと自体は知っていた。
でも……三馬鹿の件も同じだ。魔物が人間を嫌う理由は、結局すべて人間側にある。……本当に悪いのは、結局いつも私たち人間なんじゃないか。
『……できれば』
『うん』
『人間の姿じゃなく、元の姿に戻って戦ってもらうことはできる?』
『まあ……気にしちまうよな』
『うん。……それにね』
彼女はそう言うと、伏せていた瞳がこちらを向く。
『――その姿だと、やりすぎちゃうかもしれないから』
一瞬、鋭い殺意が走った。
ゾッと背筋が冷たくなる。魔物と人間の間にある深い溝。お前たち人間と本当の意味での共存はできない――不意に、ナイトホーンの言葉が脳裏をよぎった。
……ユキちゃんの目指す、人と魔物の共存を望む世界は。
はたしてこの彼女の抱える痛みごと、共に歩める世界になるのだろうか。
『あー、その。なんだ。コイツは隅の方に行って貰うし、戦わねえからさ。気にしねえで貰えるか?』
ポンと肩を叩かれた。
様子を見かねたクレイグが、横からフォローを入れてくれたのだ。
『ん、そうだったの。ごめんね』
グリフォンは深い藍色の瞳を私に向ける。
その瞳からは、先ほど一瞬だけ浮かんだ敵意の色が消えていた。
『じゃああぶないから、隅の方で待っててね』
『あ、ああ……分かった』
私は彼女に促され、闘技場の隅に逃げるように退避する。その途中、シード姿のクレイグにチラリと視線をやると、まるで『なにも心配するな』と言わんばかりの様子で、親指を立てられた。
『それでは第七回戦……始め!!』
ビュウッ……!!
「うおっ……!?」
審判員の試合開始の合図と同時に、グリフォンは魔術を行使する。
鎌鼬。風属性の魔術だ。
放たれた風の刃を、クレイグは慌てて横に跳んで回避する。
「ビックリさせやがって」
『…………』
「だがな」
クレイグは依然として放たれる鎌鼬を避け続けると、機を見て一息に踏み込み、彼女に接近を始めた。
「避けられねえ速さじゃねえんだよ……!」
最初の攻撃では意表を突かれた。だが、それは身体強化された人狼に回避できぬものではなかった。クレイグは風の魔術を次々と避けて、相手の魔力を消耗させ続けながらも、グリフォンのもとへ接近を続ける。
そして、大きく跳躍した。
(よし、捉えた──!)
ブシュゥッ……!
『…………!』
クレイグの斧槍が、力任せにグリフォンの翼を引き裂く。
鷲獅子の強靭な翼も、底上げされたクレイグの力の前には無意味だった。羽毛を抜けて背中にまで大きく及んだ斬撃は、彼女の深緑色の体毛に大きな赤のコントラストを生み出す。
『っ痛……!』
グリフォンが初めて顔を歪める。この試合で、初めて『焦り』の感情を覚えたのだろう。
『トカゲビトにしては、速すぎるよ、キミ……』
グリフォンは腕を振るって対抗する。だが、強化されたクレイグの速さの前に、彼女の爪が届くことはなかった。クレイグは敢えて大きく動き回って相手をかく乱しながら、斧槍で着実にダメージを与えているのだ。このような体格差のある敵の場合、相手に狙いの的を絞らせないことが最も大事なのだろう。やはりこの試合でも、ライカンスロープとしての戦闘センスは健在だった。
クレイグの槍が次々と相手の身体に赤黒い染みを重ねていく。
このまま第七戦も押し切れる――
……そう思っていた私の推測は、直後に大きく覆されることとなった。
パァン……!!
「え……?」
大きな打撃音。
クレイグは声を挙げることもなく、横方へと大きく吹き飛んでいた。
ドシャッ……
翠鱗のトカゲビトは受け身も取らず、頭から激しく地面に激突する。
……クレイグは、グリフォンの払った強靭な腕に張り飛ばされたのだ。
「シード……!!」
私は叫ぶ。
グリフォンは二位種の魔物だ。一位種のナイトホーンほどではないが、そもそもの話、彼女とクレイグとでは体格やパワーに差がありすぎる。
如何にクレイグの力が私の魔術で強化されていようとも、その丸太のような腕から繰り出される地力の差は、小手先で到底埋めきれる物ではない。
攻撃の当たる直前、グリフォンは傷だらけの翼を広げていた。
飛ぶわけではない翼の展開。おそらく上から吹き降ろす風圧でクレイグを地面に縫い付け、回避を制限させていたのだろう。
「シード、大丈夫!?」
私はたまらず駆け寄る。
俯せに倒れたクレイグは、その問い掛けにも微動だにしない。
あまりに不気味すぎる沈黙だった。
気絶している。
あの腕のたったひと振りで、クレイグは倒されてしまったのだ。
……彼の頭部の辺りからは、真っ赤な血溜まりが広がっていた。
『……危ないよ、キミ。どいて』
グリフォンは荒い息を整えながらも、ゆっくりと歩み寄ってくる。
その声は今までのような静かな声であったが、……私を睨むその目は、手負いの猛獣が見せる本能的な殺意を含んでいた。
『キミは戦わないって言ったでしょ。……それとも、キミごと吹っ飛ばしていいの?』
グリフォンが尋ねてくる。
彼女も大きく消耗していた。誰の目から見ても試合展開はクレイグの優勢であったし、現に彼女の身体も大きく傷付いている。だが、あの一撃だけで、試合のすべてをひっくり返されてしまったのだ。
『…………』
言葉が喉で固まった。
勝ち目なんて、もうどこにもない。身体強化をした人狼ですら勝てなかったのだから。……今更、ただの人間が一人立ち向かったところで、敵う筈がないじゃないか。
私はせめてクレイグを守るようにと震える腕を広げて立ち塞がると、真っ直ぐと彼女の目を見据えた。
『……な、なあ。お前』
これ以上クレイグを傷つけるわけにはいかない。
勝負から逃げるわけじゃない。これ以上試合を長引かせて、クレイグを苦しませたくないだけなんだ。
『……なに?』
『あ、あのよ。こいつはもう気絶してる。もう戦えねえんだ。だからもう、攻撃は止めてくれねえ、か』
闘技大会の戦闘中、相手に攻撃の中止を訴える。なんとも的外れな要求だった。
ここまでの試合、クレイグがただひとり戦っている間、私は見ていただけだった。だからせめて、彼が戦えなくなった今だけは、私が彼を守らなきゃ。そう思った。
『……じゃあ、私が勝ちでいいってこと?』
藍色の瞳が刺すように私を睨む。
……そうだ、もう試合は負けで良い。それよりも、クレイグの安否の方が大事だ。
公園で私の強化魔術を初めて受けて、明日優勝できるかもと子供のようにはしゃいでいたクレイグの顔を思い出す。ごめんね……こんな、役立たずのパートナーで。せめて、私も一緒に戦えていたら。
……いや、私も彼の強化や魔物の知識という形で貢献してきたんだ。出来る限りの役割は全うした。だからもう、心残りなんて――――
『や……やっぱ、さ……』
自分の声が、無様に震えているのが分かった。
『俺とも……。し、勝負してくれねえか……?』
それなのに、私の口からは……思考と真逆の言葉が飛び出していた。
『…………』
私のその言葉に、グリフォンが殺意の籠った鋭い視線で私を睨んだ。
自分でもなぜそう言ったのかは分からない。チームとしての責任のつもりだったのだろうか。彼ひとりに戦わせたことへの贖罪のつもりだったのだろうか。
『……キミ、やっぱり戦えるの?』
『……ああ。戦わせて、く、くれ』
無意識に足が震え始める。だが、私は目を逸らさなかった。
そんな私の様子に、根負けしたグリフォンは私から目を逸らし、少しだけ考える素振りを見せた。
『……まあ、最初から二対一で来られてたらもっと不利だったから。それくらいは飲むけれど』
『……ありがと』
『で、君は人狼? 接近戦の得意な種族だよね。でもそれじゃあ、こっちのトカゲビトの子と同じように、たぶん私には及ばないよ』
『いや……魔術勝負。で、頼む』
『魔術……』
魔術という言葉を聞いた途端、彼女がピクリと反応し、私の顔に視線を戻す。
『ダメ、か……?』
『……ううん、大丈夫』
そう言う彼女の声色は、これまでと変わっていた。
表情からは今まで溢れ出ていた敵意が収まっていて、目の色も穏やかさが垣間見えた。
『……ごめんね。今の今まで、どこかでまだキミを人間だと思ってたみたい。でも、魔術を使うってことは、キミはやっぱり人間じゃなかったんだね』
『……ライカンスロープだって言ってんだろ』
『うん、そうだよね。……分かった。じゃあ魔術勝負、しようか』
私への疑念が晴れたのだろう。
そう言うグリフォンの声は、穏やかなものに変わっていた。
『じゃあ……いくよ』
グリフォンは風の刃……鎌鼬の魔術を放つ。
それに合わせて、私も魔晶石に強く祈った。
ビシュゥッ……!!
クレイグへの強化魔術を使った後でも、それは発動した。
今日の七つの試合中、ずっと練習をしてきた。身体強化の魔術でも魔力を使い切らないような、魔力の調整を。
『…………!』
放たれた光の矢は綺麗な直線を描き、グリフォンに向かって飛んでいく。
彼女は目を見開き、風の障壁で防御する。
だが、それは大きな誤算だった。
ドォォォン!!
『ああぁっ!!』
風で光は曲がらない。
それはつまり――彼女がどんなに強い風の魔術を使っても、光の直進を妨げられないと言うこと。
私は全力で横に跳ぶ。着地の事など考えない。
鎌鼬の正体は真空状態。その軌道は直線的だ。魔術の発動後に、方向を変えることはできない。
ブシュッ……!!
『っ……!』
しょせんは人間の反応速度、回避などできる筈もない。
服の裾が簡単に裂け、腕や脇腹が抉れて真っ赤な鮮血が噴き出す。
視界が揺れる。でも、倒れてやるものか。
最後に立ち上がってさえいれば、それでいいんだ。
『……すごいね。キミの魔術』
巨大なグリフォンが地に伏す。彼女は初めて私に微笑んだ。
『私の負け、かな』
ぽつりと呟く。クレイグと私、ふたりの力でもぎ取った勝利だった。
『勝者、【Crawling Nightmare】!』
審判員が高らかに宣言する。
私達の第七戦が、幕を閉じた。
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