オマケ ノアが人間の世界で初めて体験する日常
戦いの余韻が消え、平和が少しずつ日常へと溶け込み始めた頃。 ノアが人間として、そして仲間として歩み出した「最初の一歩」を描きます。
幕間:鋼の心に灯る「味」と「涙」
「……カイ。この物体は、爆発物か?」
復興の進む港町。市場の軒先で、ノアは真剣な表情で一つの果実――真っ赤に熟した「リンゴ」を指差していた。かつて細胞レベルで最適化された彼は、未知の物体を見るとまず「危険度」を演算する癖が抜けていない。
「爆発しねえよ。それは『食べる』もんだ。ほら」
カイは呆れ顔でリンゴを一つ買い、ノアに放り投げた。ノアは超人的な反射神経でそれをキャッチすると、まじまじと観察し、おそるおそる齧り付いた。
「……! 糖分、水分、ビタミン……そして、脳に走るこの奇妙な電気信号は……」 「それを『美味い』って言うんだよ、バカ」
カイが笑いながらノアの肩を叩く。ノアは驚いたように目を丸くし、それから大切そうに、残りのリンゴを咀嚼した。
感情の「バグ」
その日の午後、三人はセレスが愛した丘の上にある小さなカフェにいた。 リアは、新しく新調したワンピースの裾を気にしながら、ノアに「人間のルール」を教えていた。
「ノア、いい? 誰かに何かをもらったら『ありがとう』。悪いことをしちゃったら『ごめんなさい』。そして、大好きな人には……」 リアはチラリとカイを見て、少し顔を赤くした。 「……ちゃんと、その気持ちを伝えるの」
ノアは手帳(彼が人間を理解するために持ち歩いているもの)に几帳面にメモを取る。 「『ありがとう』。……リア、教えてくれて、ありがとう」
唐突に、そして真っ直ぐに言われたリアは、毒気を抜かれたように笑った。 「ええ。よくできました」
鏡に映る自分
夕暮れ時。ノアは一人、洗面所の鏡の前に立っていた。 かつては「効率」と「抹殺」のために造られたその顔。しかし今、鏡の中にいるのは、夕食で食べたカレーが少し辛くて、ほんのりと頬を赤くした、どこにでもいる「青年」の姿だった。
ふと、胸の奥がチリりと痛んだ。 それはセレスの最期を思い出した時の痛みだ。
「セレス。私は今、空が青いことや、リンゴが甘いことを知った」 ノアは鏡の中の自分に語りかける。 「……これは、君が私に与えたかった『自由』だろうか」
ノアの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは機能としての排泄ではなく、心から溢れ出した、純粋な、人間としてのしずく。
「……カイ。リア」 リビングから聞こえる二人の笑い声に向かって、ノアは歩き出す。 まだ歩き方は少しぎこちない。けれど、彼の心に刻まれた「アイの特異点」は、冷たい鋼鉄を、優しく確かな体温へと変えていた。
おしまい
平和な日常を過ごす三人の元に、一通の奇妙な手紙が届く。 差出人は不明。しかし、その封筒には、かつてセレスが愛用していた「青い花の刻印」が押されていた……。
「新章:亡霊の招待状、青い花の記憶」へ続く(かもしれません)。




