第3話「無邪気な提案、危険な放課後」
「よーし、じゃあ、商店街のあっち側も行ってみよう!」
その言葉に、隣を歩く虎太郎が露骨に顔を引きつらせた。
「いやいや日葵ちゃん、それフラグだよ! “あっち側”ってなに? なんでそんなワクワクしてる? 昨日は空が灰色だったんだよ?!」
「でもさ、行ってみないとわかんないじゃん?」
日葵は校門の前でくるりと振り返り、軽く両手を広げた。制服の袖から光がこぼれるような笑顔が飛び出してくる。
時刻は午後四時過ぎ。
放課後の陽射しは、まだ温かい。
けれど、空には薄く色のない“膜”がかかっているようで、遠くの雲がどこか白黒に見えた。
「“看板が色落ちしてる”っていう話、あれ本当かなって思ったんだよね。昨日の桜みたいに、“色を取り戻すヒント”があるかもしれないじゃん」
「いやいやいや、日葵ちゃん、君、昨日も初見でいきなり光出してたじゃん!? 制御不能って自分で言ってたでしょ!?」
「でもほら、昨日は“わたしなんかが”って思ってたけど……今はちょっとだけ、自分の“光”を信じてみようかなって!」
「……いやそれ、ポジティブはいいけど、言ってることバトルアニメの主人公じゃない?」
「そう? 言ってることはいつも通りだよ? 虎太郎こそ、ちょっとビビりすぎじゃない?」
「……うぅ、否定できないのがつらい……」
そんな他愛もないやり取りをしながら、二人は商店街へと足を踏み入れる。
千彩市駅前に広がるこの商店街は、古い店と新しいカフェが混ざった、いかにも“地方都市の中心”らしい空間だった。
しかし——いつもより通行人が少ない。
看板、ポスター、チラシ——色あせた印刷ではなく、“まるでコピー用紙に印刷したグレーの文字”のような、奇妙な色合い。
「……あれ、これって……」
「うん。完全に“抜けてる”よね」
日葵が指差したのは、商店街の中央にある有名なたこ焼き屋の電飾看板だった。普段は真っ赤なたこキャラがウィンクしているのに——今は、グレー。
しかも、その周囲だけ、空気が少しヒヤッとしている。
「日葵、ここ、変だよ。さっきまで普通の空気だったのに、ここだけ湿気がない。風が止まってる」
虎太郎の声が低くなる。無邪気さを残しながらも、彼の“直感”が警鐘を鳴らしていた。
すると——
「っ!?」
ゴトン、と、異音が響いた。
二人のすぐ横に積まれていた看板の支柱が、軋んで傾いた。上に積まれていた木製の案内板がぐらりと動いた瞬間、虎太郎がとっさに叫ぶ。
「危ないっ!」
日葵が咄嗟に前へ出た。胸の奥が熱くなる。
——来る。
彼女の右手が反射的に動いた。
意識せずに放たれた、桃色の光。
けれどそれは、昨日のように穏やかなものではなかった。
暴発。
まるで感情が爆ぜたように、光は膨張して放たれた。
光線は曲がり、跳ね、商店街の他の看板やガラスに当たって散乱する。
まるで桜吹雪のような形で、街の一角に一斉に“色”が戻っていった。
——しかしそれは、同時に“制御不能”の証でもあった。
「ちょ、ちょっと! 日葵ちゃん! めっちゃキラキラしてるけど、これ、やばいやつじゃん!?」
「わ、わたしも止められてないっていうか、どうしようこれ止まってくれない……!」
周囲の看板が、電球がはぜるように“桃色の花弁”をまき散らし始めた。
赤だったはずの自動販売機のロゴが淡桃色に変わり、青だった店先の旗がふわりと桜色へと上書きされていく。
「ちょっと、これ——範囲が広がりすぎてない!?」
「だ、だめだ、わたし、止めようと思っても“光”が言うこときかないっ……!」
日葵の両手からにじみ出る光は、まるで本人の不安に呼応するように広がり、周囲の空気まで淡く染めはじめていた。
色を戻している——でもそれは“適切な色”ではなかった。
まるで彼女の中にある“無邪気さ”そのものが街にあふれ出しているような、落ち着かない光景だった。
そんな中——
「うわっ! な、なんだこれ!」
道端にいた通行人の一人が、突然目を押さえた。
続いて別の人が、「ちょっと目がチカチカするんだけど……」と声を上げた。
光は人の“視覚”にも作用し始めていたのだ。
「まずい……このままだと“桃色酔い”になる!」
「え、なにその現象名!?」
「いやわかんないけど、直感でそう思った! ていうか、まずい気しかしない!」
虎太郎の直感が、全身でアラームを鳴らしていた。
その一方で、彼はとっさに走り出していた。
「日葵ちゃん、“見えないとこ”に逃げよう!」
「えっ!?」
「光が当たる範囲を“遮る”んだよ! 光が広がってるのって、たぶん日葵ちゃんの気持ちが“混線”してるから! だから一回、リセットしないと!」
半ば叫びながら、虎太郎は商店街の裏手へと日葵を引っ張った。
角を曲がり、小さな駐輪場の影へ。建物の隙間に入り込むと、太陽光も商店街のざわめきも一気に遠ざかった。
その瞬間——
ふっ、と。
日葵の手からにじみ出ていた桃色の光が、しゅるしゅると縮まり、音もなく消えていった。
「……止まった?」
「うん……でも、なんで?」
日葵は手を見つめながら、首をかしげる。
息が、上がっていた。心臓はバクバクしていて、額には汗がにじんでいた。
けれど、それよりも不思議だったのは——止まった理由だった。
「虎太郎……なんで、“見えない場所”だと光が止まるって思ったの?」
虎太郎は、顔をしかめたまま答える。
「うーん……なんかさ、“色”って、他の人の目があると濃くなる感じがしたんだよ。だから……誰にも見られてないとこに行けば、光も落ち着くんじゃないかって」
日葵は、しばらく黙ってその言葉をかみしめていた。
それは感覚に近い。でも、たしかに“理屈を超えた直感”が、今の暴走を止めたのだった。
「……ありがとう、虎太郎。すごいよ。ほんとに助かった」
「いや、オレはただ、怖くて逃げたかっただけだよ……! 逃げの動線を探したら、たまたま収まっただけで……!」
「でも、“正解”だったんだよ。それがすごいと思う」
日葵の言葉に、虎太郎は耳まで赤くして、黙り込んだ。
その沈黙は、照れと、ほんの少しの誇らしさの混ざったものだった。
風が通らない駐輪場の隅で、二人はしばらく黙っていた。
耳に届くのは、自販機のコンプレッサー音と、遠くで誰かが「変じゃなかった?」と話している声。
日葵はそっと物陰から顔を出し、商店街を見渡した。
光の暴走は、すでに収まっていた。
けれど——その名残は、くっきりと残っていた。
店の看板が数枚、部分的に桃色に染まっている。
信号機の枠も、赤が微妙に桜色。
さらには、電柱の広告に描かれていたキャラクターのほっぺたまで、なぜかふんわり色づいていた。
「……これ、どう考えてもわたしのせいだよね……」
「まあ、原因は確実に君だな」
「……言い切るぅ!?」
「いやごめん、フォローしたかったけど、これはさすがに事実として否定できないっ」
自分で言っておいて目をそらす虎太郎に、日葵は苦笑する。
けれど、その笑いもすぐにしぼんだ。
「……戻った色が、ちゃんと“元通り”じゃないって、はっきりわかったよ」
「うん。ちょっと“きれいすぎる”んだよな、逆に。なんていうか……世界が“日葵ちゃんフィルター”になった感じ?」
そう。
無邪気な好奇心と「誰かを助けたい」って気持ち——
でも、それが未熟なままだと、街を“自分の色”で塗ってしまう。
(それって、本当に助けたことになるのかな……)
「ねえ、虎太郎。わたし、まだ“色”のこと、全然わかってないのかもしれない」
「うん。というか、光出せるようになったの、昨日だもんな?」
「うん……」
二人は商店街の中心にゆっくりと戻った。
色の戻った店先では、数人の通行人が「なんか変」「いつもと雰囲気ちがうよね」とざわついていた。
中には、ピンクに染まった看板を面白がってスマホで撮っている人もいた。
だが——その違和感に気づいている人もいた。
目を伏せて通り過ぎた女子高生。
無言でサングラスをかけ直した老人。
小さな子どもを抱え、道を変えた母親。
誰も“原因”が日葵だとは気づいていない。
でも、確かに街の“感情”は少し、軋んでいた。
その夜。
自室のベッドで、日葵はぼんやりと天井を見つめていた。
手をかざす。
桃色の光は、すぐに浮かび上がる。
だけど、それは今までのように“きれい”には感じなかった。
(わたし、きっと……間違えた)
感情を光にするってことは、自分の“気持ち”をさらけ出すこと。
それをどう使うかは、きっと——“覚悟”がいる。
(無邪気なままじゃ、だめなんだ)
街の色を守るってことは、ただ優しくすればいいわけじゃない。
優しさが暴れれば、誰かを苦しめることだってある。
だから——
「学ぼう。ちゃんと、“色”と“気持ち”と向き合って」
日葵の瞳の奥に、小さな炎のような決意が灯った。
その瞬間、光がふわっと変化した。
ただの桃色ではない、“すこし深みのある”桃——
それは、無邪気さの奥に生まれた、ほんの少しの責任感だった。
翌朝七時半、生徒会室のドアを日葵がノックすると、中からすぐに泰雅の声が返ってきた。
「入って」
静かな声だったが、どこか少しだけ、昨日より柔らかく感じた。
部屋の中には相変わらずの情報マップと記録用データ、そして新たに貼られた紙があった。
「……これは?」
「昨日の“商店街暴走事件”、仮名ね。状況整理と副作用のまとめ」
泰雅が指差したその紙には、箇条書きでこう記されていた。
《商店街暴走事件・光譜術発動報告》
・発動者:日葵
・時刻:16:18~16:24
・感情トリガー:高揚+焦燥(推定)
・結果:
①色の暴発→周囲看板・表示物が“桃色化”
②視覚過敏による一時的不調者3名(観察)
③沈黙傾向の強い通行者が“その場を離れる”傾向あり
・制御停止要因:日葵の感情が“遮断”されたため
・直感介入者:虎太郎
泰雅は静かに言った。
「これは“反省”じゃなく、“学習”の記録。君は、自分の行動の結果を見て、次に活かそうとした。それは、すでに立派な第一歩だよ」
日葵はその言葉に、胸の奥がすこし熱くなるのを感じた。
誰かに“間違い”を責められるのではなく、“次に進む力”として受け取ってもらえたことが、何より嬉しかった。
「わたし……もっとちゃんと“光譜術”を学びたい。自分の気持ちをちゃんと見つめて、光の使い方を……自分で選べるようになりたい」
泰雅は頷き、笑みを浮かべた。
「いいね。それなら、ちょうどよさそうな人がいる」
「えっ?」
「観測系に強い奴。自分の感情は不器用だけど、人の揺れにはすごく敏感。夜になると、よく星を見てる」
そう言って泰雅が壁に貼られた「光譜候補者リスト」の一枚を指差す。
そこにはひとりの名前があった。
——玲央。
「次は……この子?」
「そう。彼は、“沈黙の観測者”。何も言わなくても、空を見てるだけで、何かを見抜いてしまう」
日葵は小さく頷いた。
きっと、また全然ちがう性格の人だ。でも、だからこそ、今度は“違い”を楽しんでみたい。そう思えた。
「わたし、会ってみる。……星の下で」
始まりは、無邪気な思いつきだった。
けれど今は、もうその気持ちをただ“軽い”とは思わない。
——感情に色があるのなら、きっと失敗にも、学びにも、ちゃんと色はある。
それを見つけていくために、今日も日葵は前へ進む。
───
【第三話・完】