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色が消える街で、私はキミと世界を取り戻す 〜セブンコア、色を紡ぐ者たち〜  作者: 乾為天女


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第21話「灯らない桃光」

 6月2日、午前5時。

 朝焼け前の街は、ふだんであればわずかな鳥の声や、通勤車のタイヤ音が耳に届く時間帯だ。

 だが今朝の千彩市は、異常なまでに“無音”だった。

 日葵の目が静かに開く。

 天井をぼんやりと見上げながら、自分がどれだけ眠っていたのか分からなかった。

 「……朝?」

 口に出しても、声に張りがなかった。のどが乾いている。腕も足も重い。指先がかすかに震えている。

 それでも、いつもの自分に“戻ってきた”はずだった。

 ――戦いは、ひとまず終わったのだから。

 しかし。

 「……光、出ない」

 胸元に装着されたままの〈光譜核環〉が、まるで抜け殻のように沈黙していた。

 どれだけ集中しても、感情を呼び起こそうとしても、あの柔らかくてあたたかい“桃光”はまったく応えない。

 ――わたしだけ、光を失った?

 心の奥が、スゥッと冷えていく。

 昨夜のことが、断片的に蘇る。陰彩主との対面。七人での連携。そして、最後に走った光の衝撃――

 仲間は、確かにそこにいた。

 全員、無事だった。色の気配も、少しずつ戻りはじめていた。

 なのに、なぜ――自分だけが“置いていかれた”ような感覚になるのか。

 「はは……わたし、また“短所”見てる」

 自嘲の笑みが漏れた。

 分かっているのに。わかっているのにやめられない――それが日葵の“クセ”であり、“核”でもある。

 ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。

 日葵は、眠気の残る足取りでドアを開ける。

 そこにいたのは――香穂だった。

 「おはよ」

 香穂はにこりと微笑んだ。両手には、色のないスケッチブックと、小さな水彩パレットが握られている。

 「スケッチ、しに行こ」

 その一言に、日葵の胸がほんの少しだけ、温まった気がした。




 千彩市北部にある丘の上の公園は、まだ朝の光を迎え切れていなかった。

 空は白みがかっているが、雲は低く垂れ込め、街並みは灰色のままだ。

 そんな中、ベンチに並んで座る日葵と香穂の前に広がるのは、色を失った風景だった。

 「ほら、ここ」

 香穂がスケッチブックを開く。前夜のうちに描いたのだろう、鉛筆で描かれた風景がいくつも並ぶ。

 どれも、色はなかった。けれど、そのどれもに“息づかい”があった。

 「色がなくても、景色は“いる”んだよ」

 香穂の指先が、一枚のスケッチの中心をなぞる。そこには、風に揺れる花のつぼみが描かれていた。

 開ききらないその形には、“希望”のようなものが宿っている気がした。

 「ねえ、日葵ちゃん。わたし、思ったんだ」

 香穂は、淡く笑う。

 「色がないって、すごく“怖い”じゃない? でも、それって“始まり”でもあるのかもって」

 日葵は答えられなかった。ただ、スケッチの花を見つめる。

 「描くときってね、いきなり色塗りからじゃなくて、“下描き”から始まるの」

 「……下描き」

 「そう。しかもさ、下描きって完成すると消されちゃう。表には出ない。でも……」

 香穂はスケッチブックを閉じた。

 「いちばん最初に“そこに在った”線なんだよ」

 その言葉が、日葵の胸にゆっくり沈んでいく。

 「だから、日葵ちゃんの光がいま出ないのは、“描き直し”してるとこなんじゃない?」

 日葵の目が、はじめて香穂としっかり合った。

 「いちど描いた自分を消すことって、すっごく怖い。でも……それ、次に描くための場所だから」

 スケッチブックを再び開いた香穂が、パレットに水を含ませて一筆置く。

 ――色が、乗らない。

 けれど、日葵にはわかった。

 それは“描こうとした”色だった。心が震えたその一瞬が、確かにそこに存在していた。

 「わたしも……描いて、いいのかな」

 そう呟いた日葵の指先に、微かに、ほんとうに微かに――

 薄桃色の火花が、ひとつ、浮かんだ。

 「……出た?」

 「うん。でも、まだほんのすこしだけ」

 「なら、それで十分」

 香穂の手がそっと重なった。

 「“始まり”は、いつもちっちゃいものだよ」

 日葵は、視線を上げる。

 灰色の空の向こうに、ほんのかすかに、朝焼けの白金が滲んでいた。




 夜が明けるにつれ、カーテンの隙間から差し込む白い光が部屋を満たしていく。けれど、それは日葵の心を照らすものではなかった。

 枕元のスケッチブックは、何も描かれていないままだ。無彩世界では、鉛筆でさえ色が抜けることがある。けれど、香穂が持ってきたスケッチは違っていた。無彩色なのに、確かに色があるように感じられた。線の強弱、重ねられた影、描かれていない余白。香穂の“感じる力”が、そのまま紙の上に流れ込んでいるかのようだった。

「……私のは、なんか、違うんだよね」

 ぼそりと日葵がつぶやくと、香穂は、少しだけ眉を寄せた。

「何が?」

「みんなみたいに、ちゃんと支えられてない。私、ただの足手まといだった……かも。だって、光も、もう出せないし」

「そうかな」

 香穂はそう言って、畳の上に座り込み、日葵の前にスケッチブックを開いた。

 そこには、走り描きのような、けれど丁寧に重ねられた筆跡が広がっていた。

「これは、昨日描いた“心の下書き”だよ。あんたが灯してた光、どこかに行っちゃったかもだけど……痕跡は、まだちゃんとある」

 日葵はそのページを見つめた。

 ページの中央には、揺れる火花のような小さな光が、鉛筆の重なりだけで表現されていた。桃色じゃない。けれど、それは日葵の光だと、すぐにわかった。

 胸の奥で何かがきゅっと鳴る。

「……でも、どうして? 香穂は、どうしてそんなふうに思ってくれるの?」

「さあね。でも、ひとつだけわかるのは——私も、描けなくなった時、あんたがそばにいたってこと」

 言い終えると、香穂はポケットから小さなチューブを取り出した。絵の具だ。無彩世界では意味を成さないはずのそれを、香穂はそっと、日葵の手に握らせた。

「使えなくても、いい。描けなくても、いい。でも、あんたが持ってるってだけで、私はちょっと安心する」

 香穂の声は静かだった。けれど、しっかり届いた。

 日葵は震える指でチューブを握った。何も出てこない。ただの空の容器かもしれない。それでも、その重みだけは確かだった。

「……ねえ、香穂」

「うん?」

「私、泣いても、いい?」

「いいに決まってるでしょ」

 その言葉とともに、日葵の目から涙があふれた。

 止められなかった。止めなくていいと思った。

 ぽとり、ぽとりと畳に落ちていく雫。その一滴一滴に、ふわりと色がにじむ——ほんの、ほんのわずかに。

 香穂が目を細める。

「……見えてきたね」

 日葵は泣きながら笑った。

「……ちょっとだけ……ちょっとだけ、灯ったかも」

 香穂がそっと指を伸ばし、日葵の頬に触れる。

「じゃあさ、その“ちょっと”から始めよう」

 窓の外で、白い空がうっすらと桃に染まり始めていた。




 香穂が立ち上がり、そっとカーテンを開けた。差し込んできた朝の光は、灰色のままだった。でもその中に、微かに桃の色が――気のせいかもしれないけれど――紛れていた。

「ね、日葵。外、歩いてみようよ。ちょっとだけでいいから」

「うん……」

 布団をめくり、日葵はゆっくりと立ち上がる。足元はふらついたけど、それでも倒れなかった。

 パーカーのポケットに、香穂から渡された絵の具のチューブをそっとしまう。まるでお守りみたいに、手がそこから離れなかった。

 玄関を出ると、通学路の街並みは、まるで深い眠りについているかのように静かだった。看板の色も、花壇の花も、すべてが無彩のベールに覆われている。それでも、風だけは動いている。葉が揺れ、小さな音を立てた。

 日葵は歩く。香穂はその隣を、黙って歩く。

「みんな、どうしてるかな……」

 ぽつりとこぼす日葵に、香穂は頷いた。

「たぶん、同じように、それぞれの場所で迷ってると思う。でも、あんたが起き上がったって知ったら、絶対、嬉しいよ」

 その言葉に、日葵は小さく笑った。

「起き上がっただけで……そんなこと、あるかな」

「あるさ。だって、今のあんた、かっこいいもん」

 冗談っぽく笑いながら、香穂は日葵の肩をぽんと叩いた。

 その瞬間。

 空から、ひとすじの光が差し込んだ。白でも灰でもない、ほんのかすかな、でも確かな“薄桃”だった。

 日葵の胸の奥が、きゅっと鳴った。

「……あれ……」

 ポケットの中が、少しだけ温かい。

 日葵は絵の具のチューブを取り出した。透明だったチューブの内側に、ほんのりとした色の粒が浮かんでいた。まるで、凍っていたものが、溶けかけて動き出したように。

「……光が……もしかして……」

「戻り始めた、のかもね」

 香穂の声は静かで、でも確信に満ちていた。

 日葵は、もう一歩、前へ踏み出した。

 確かに、光はまだ弱々しく、あの時のようにあふれ出るような力はない。でも、それでもいいと思った。

 もう一度、あの色を灯せるなら。

 もう一度、仲間たちと戦えるなら。

「私、もうちょっとだけ……進んでみる」

「うん。その“ちょっと”が、未来を変えるんだよ」

 二人の影が、ほんのわずかに地面に映った。白でも灰でもない、ほんのりとした桃色の縁取りが、影の輪郭に沿って揺れていた。

 それは、確かに「始まりの光」だった。

 そして次の瞬間、どこからか風に乗って、優奈の声が届いた。

「日葵ー! 香穂ー! こっち!」

 振り向くと、交差点の向こうに、制服姿の優奈と玲央が立っていた。手を振る玲央の表情は、珍しくはっきりと喜びを示している。

「……みんな、探してくれてたんだ」

 日葵は思わず笑ってしまった。

「行こう!」

 日葵は駆け出した。光の粒がその背中から、ふわりと舞い上がった。

 たとえそれが、今は微かな希望の火花でも。

 それでも、灯らなかった光が、もう一度「心の色」として息を吹き返し始めていた。


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