第19話「欠点カーニバル」
体育館の中は、まるで無音の箱庭だった。
壁に貼られていたポスターも、床に転がったカラーコーンも、元はカラフルだったはずなのに、今はすべて鉛筆でスケッチしたみたいな灰色。天井から吊るされた装飾のフラッグも風に揺れず、静止画のように止まっている。
明日が文化祭――の、はずだった。
「……ぜんぶ、真っ白になってる……」
日葵の声も、どこか小さく響く。体育館に集まった生徒たちの顔からは、熱も意志も感じられなかった。
ステージ前にしゃがみこんだ美術部員は、色彩のない垂れ幕を見つめていた。かつては部員が夜遅くまで描いた七色のグラデーションが誇らしげに飾られていたはずなのに、今は文字すら消えている。
「ごめん……オレが、変な提案したから……」
体育館の片隅で、虎太郎が頭を抱えていた。彼が提案した「無彩でも楽しめる光遊びブース」も、展示用の光るポップが陰彩に吸われたせいで、ただの段ボールの山に変わっていた。
「責任っていうのは……俺が背負うもんだと思ってたのに」
小さくそう呟く虎太郎の肩を、日葵はじっと見つめていた。
その言葉。なんだか聞き覚えがある。
そうだ――あたしが、最初に失敗したときと似てる。
制御できない桃光が暴走した初日。誰にも相談できず、屋上で泣きそうになった夜のこと。
「みんな、やめようって言ってるわけじゃないんだよね」
香穂が小さく言った。
「でも、“わたしがやると迷惑になる”って思ってる。……全員が」
体育館の真ん中には、セブンコアの仲間たちと、生徒会の泰雅、理絵、玲央、優奈もいた。けれどそのどの顔も、目に曇りがあった。
――“欠点”を気にして、動けなくなっている。
「……うん、そうだ。みんな、たぶん“完璧じゃないと文化祭やっちゃいけない”って思ってるのかも」
日葵の脳裏に、ぽんっと電球が点った。
「だったら逆に、短所ぜんぶ出しちゃえばよくない?」
その一言に、空気が変わった。
「……は?」
一真が眉をしかめた。
「短所って、たとえば?」
「動揺しやすい、とか。空気読めないとか、しゃべると感情出ちゃうとか、静かすぎて空気になるとか……いま、みんなが“隠したい”って思ってるやつ」
「それって、弱点を見せびらかすってことか?」
理絵が腕を組みながらも、興味を持ったように首をかしげる。
「ううん。違う。“欠点で遊ぶ”の」
そう言って、日葵は空っぽのステージを振り返った。
「たとえばさ。自己紹介ギャグバトルとか。『はい!あたしはすぐテンパってあせあせガール、日葵でーす!』みたいな!」
「いや……ギャグになってないから」
玲央がボソリと突っ込み、虎太郎が小さく笑った。
「でも……それ、ちょっと面白いかも」
優奈が呟いた。
「短所って、“隠すから怖くなる”のかも」
「むしろ武器にできたら、最強じゃね?」
虎太郎が立ち上がり、拳を軽く握った。
「『欠点カーニバル』って名前にしようぜ!」
日葵の胸の奥が、きゅうっとあたたかくなった。
最初はただの提案だった。けれど、そこに“共鳴”が生まれた。
「みんなの“欠点”をステージにしよう。誰でも、どんな性格でも、笑って拍手できる空間をつくるの!」
体育館のステージに、微かに桃色の光がゆらいだ。日葵の感情が、再び“希望”という色に変わりはじめていた――。
準備は、そこから異常なスピードで進んだ。
「よーし、書けた!」
香穂が持ち上げた大きな模造紙には、まるで子どもの落書きみたいにポップな字が踊っていた。
《セブンコアPRESENTS! どんなキミも大歓迎★“欠点カーニバル”》
泰雅が即座に校内アナウンスを発信し、玲央がデータベースから元ポスターの下絵を再構築。優奈は体育館周辺の無彩エリアを走り回り、日葵が追いかけながら、そこに少しずつ桃色の光を落としていった。
「“自分のダメなとこ”、紙に書いてぶら下げるのって……めっちゃ恥ずかしくない?」
先に完成したコーナーでは、生徒たちが自分の短所を笑いながら吊るしていた。
「“しゃべりすぎて失言多め”とか」
「“すぐテンパる・心臓豆腐”とか」
「“人の目見れない・モジモジ族”とか!」
体育館の端から端まで、吊り下げられた短所の札が風に揺れ、まるでカラフルな風鈴のように音を立てていた。
もちろん最初は参加者もまばらだったが、一人が笑えば二人が、二人が笑えば三人が、とその輪は徐々に広がっていく。
「おい見ろ、これ。“宿題のプリントを常に水没”って、どんな生活してんだよ!」
「え、それオレの!」
大爆笑が起きた瞬間、天井のどこかからパッと赤い火花のようなものが舞った。
「あ、いま光った!」
「うそ、ほんと?!」
誰かの叫びに、空気が震えた。
陰彩が奪っていた“色”が、ほんのわずかだけど、戻り始めていた。
それは、生徒たちの笑い声や拍手、叫びが“感情の色”として反応している証拠だった。
「やっぱり……“笑い”って、すっごい強い」
日葵は、体育館の隅でそっと拳を握った。
「負の感情に飲まれる前に、先に“開き直って”楽しんじゃえば……陰彩の入るスキもなくなるんだ」
自分の弱さをネタにする。短所を見せる勇気。
――それってきっと、いちばんの“つよさ”かもしれない。
そんな中、虎太郎がマイクを握ってステージに立った。
「オレ、しゃべり下手でテンパるけど! 今日は全力で司会やらせてもらいます!! ぜってぇ噛むけど気にすんなよなー!!」
盛大な拍手と笑い声に包まれて、ステージのライトが、うっすらとオレンジ色に染まった。
その色は虎太郎の“感情の光”。
怯えも、動揺も、そのまま吐き出したオレンジが、ステージの真ん中で燦々と輝いたのだ。
「いける!」
日葵は確信した。
これは、“陽の感情”が陰彩に勝てる方法だ。
「次、いってみよう! “ボケ倒しコンテスト”! テーマは『逆にやりすぎ短所アピール』!!」
ステージでは、生徒たちが順にマイクを握って自己紹介ギャグを披露していく。
「わたくし、筋金入りの方向音痴です! この体育館に来るのに一時間かかりましたぁぁぁ!」
「オレ、チャック全開の確率80%です! 今もたぶん開いてます! え?……やっぱ開いてたぁー!!」
笑いとともに、体育館の中の色がじわじわ戻っていく。ステージの幕に、青、緑、黄、桃、赤の淡い光筋が走り始めた。
でも、そのとき――。
「……なんで、あたしだけ、笑えないんだろう」
ぽつり、と小さな声が聞こえた。
視線を向けると、理絵が体育館の後方でひとり、腕を抱えていた。
理絵の声は、誰にも聞こえていないように見えて、日葵の耳にははっきり届いていた。
「あたしだけ、何も変わってない」
その言葉に、日葵は小さく息を呑んだ。理絵は、自分の胸の奥にあるものをこっそり抑え込んでいた。それが今、ほんの少しだけ、こぼれた。
「理絵ちゃん……」
そっと近づいても、理絵は視線を合わせてこない。短所を笑うカーニバルの喧騒のなかで、彼女だけが取り残されたように立っていた。
「なんで笑えるの? 自分のことバカにして、みんなに笑われて、それでいいの? そんなの……そんなの、痛いだけじゃん……」
日葵は答えられなかった。理絵の目は、真っすぐで、嘘のない目をしていた。
彼女の“孤高さ”は、いつだって芯から本気で、誰よりも真っ直ぐに、自分と向き合っていた。
「……あたし、他人に頼れないの、ほんとは怖いからなのに」
ぽつぽつと、言葉が漏れる。
「誰かに期待して、裏切られるのがイヤで。傷つくのがイヤで。だから、一人でいたほうがマシって、思ってたのに……」
そんな理絵の隣に、そっと誰かが立った。
「じゃあさ、」
――虎太郎だった。
「今ここで、思いきり頼ってくれても、いいんだぜ?」
ふざけた口調だったが、その声は真剣だった。小さく震えていた。たぶん、理絵よりも緊張していた。
「オレ、逃げ癖あって、テンパって、役に立たねぇって思ってたけどさ。今日、司会やったら……ちょっとだけ変われた気がする。だから……さ」
理絵の目が、すっと見開かれた。
「オマエが“頼れない”って悩んでるならさ、“頼る練習”もオレでしてみりゃいいじゃん」
虎太郎のその一言に、体育館の空気が、ピンと張り詰めた。
「……ばかじゃん」
理絵が、ぼそりと言った。
でも、声は震えていた。指先も。足元も。
「ばかじゃん、ばかじゃん、ばかじゃん……っ」
そのまま崩れ落ちるように、虎太郎の胸に倒れ込んだ。
誰かが静かに拍手を始めた。
それが一人、また一人と連なって、体育館のあちこちに響いた。
やがて、ステージ後方の幕に――深紅の光が、ぶわっと広がった。
理絵の“感情の色”。
火のような赤でもなく、夕焼けのような赤でもなく、それはまっすぐに、人とつながろうとする“覚悟”の赤だった。
「光……出た、よ……」
理絵は、震えながら小さく呟いた。
それだけで、空気が震えた。
体育館の天井に、七色の線が交差し始める。
桃。橙。金。碧。藍。赤。
――あと、ひとつ。
「……足りない」
玲央が天井を見上げながら呟いた。
「七色、あと一つ。最後の“光”が、まだ出てない」
そのとき、体育館の外から、鈍い振動音が響いた。
「……陰彩か!?」
泰雅が叫ぶ。無彩雨でもない、結界でもない――もっと、直接的な力が近づいてくる。
「ここを壊しに来るつもりだ。――“欠点の祭り”なんて、やらせておくもんかって」
玲央が、すでに前を向いていた。
「でも、もう遅い」
彼の瞳に、一瞬だけ青い閃光が灯る。
「欠点こそが、光の種子。もう、この空間は“陽彩領域”になりつつある」
陰彩の力が迫っている。だが、ここはもう“色を奪われる空間”ではない。短所という名の痛みが、誰かの言葉とつながったとき、それは欠片のような光に変わって、ひとつずつこの場を照らしていた。
「――私も」
ぽつりと声が落ちる。
舞台の中心で、マイクを持ったまま、日葵が俯いていた。
「私も、出すよ。……自分の、短所」
体育館に静けさが戻った。
「私、ずっと“足りない”って思ってた。みんなに比べて、ぜんぜんダメで。役に立てなくて。……覚醒してからも、ただの偶然で、何も自信が持てなくて」
日葵は前を向いた。
「だから、他人の悩みにばっかり目がいったの。自分のを見ないフリして……。でも、ほんとは、ずっとずっと、自分が嫌いだったんだ」
マイクの先に、ピンと走るように桃光が伸びた。
でも、それは以前の“桃”ではなかった。
どこか淡く、揺らいでいて、芯に別の色を含んでいるようだった。
玲央が目を細めて呟く。
「……これは、桃じゃない。“第ゼロ色”。」
日葵の“短所”を、短所のまま受け入れた色――原点の色。
「これが……私の“色”」
その瞬間、天井に散っていた六色の光が、中心へと集まった。
桃。橙。金。碧。藍。赤。
そして、今生まれたばかりの“第ゼロ色”が、真ん中に座した。
天井の中央に、七色が編まれる。
「――七色、そろった!」
玲央の叫びと同時に、体育館全体が強く震えた。
入口のドアが、内側から風圧で吹き飛んだ。
陰彩主の影――ではない。まるでそれに連なる大波のように、濃縮された負の気配が流れ込んできた。
「……来る!」
泰雅の声で、全員が一斉に前を向く。
でも、もう臆する者はいなかった。
「欠点カーニバル、最終演目だ!」
虎太郎が叫ぶ。
「全員で、“欠点”で返り討ちにしようぜ!」
その言葉に、理絵が静かにうなずく。
「他人を頼るの、ちょっと慣れた。今だけは――全員の力を、貸して」
香穂が筆を構える。
優奈がトラックの白線をなぞるように足を開き、
一真がアルゴリズムのコードに一瞬の仮説を走らせる。
玲央が望遠センサーの角度を変え、
泰雅が、陽彩領域の防衛線の予測を即座に拡張する。
日葵が、深く息を吸い込む。
「いくよ、みんな――!」
七色の欠点が、同時に解放された。
体育館の天井がぱあっと開ける。
その瞬間、七色の光が柱になって空へ伸びる。
欠点で、空が照らされた。
その姿を、通りすがりの市民たちが見上げた。
無気力になりかけていた中学生が目を覚まし、
色を失った街角に、小さな赤いブーゲンビリアが咲く。
陰彩の影は、七色の光に触れると、じゅっと音を立てて蒸発していった。
色は、奪うものじゃない。
――重ねて、響かせるもの。
それが、この“祭り”が教えてくれたことだった。
翌日、校門の前に貼られた張り紙にはこう書かれていた。
《欠点カーニバル・市代表に選出! 次回大会は市民ホールにて開催予定!》
色は、また広がっていく。
欠点と一緒に。
そして、その欠点が誰かを照らす、始まりになることもあるのだ。




