第15話「激辛ファイヤーワークス」
5月12日、土曜日。初夏の陽射しがじりじりと照りつけるなか、千彩市の商店街は、臨時開設された〈屋台村フェス〉でにぎわう――はず、だった。
今、そこに立っているのは、ぽつぽつと歩く数人の通行人と、手持ち無沙汰な店主たち。そして、湯気の立たないたこ焼き屋。青のりも紅しょうがもくすんで、誰も並ばない焼きそば屋。客が途切れ、箸を持ったままの手が止まっている子ども。
「なんか……うすい」
日葵はぽつりとつぶやいた。視線の先では、屋台の中華まんを買った中年女性が、ひとかじりしたあと、微妙な顔で首を傾げている。
「味がしないのかな……。あ、ねえ、理絵さん」
「見たまんまだね。香りも、湯気も色も足りてない。こりゃ完全に“あいつら”のせい」
理絵は日葵の隣で、手にした紙コップの麻婆スープをすすった。と、その瞬間、彼女の眉がぴくりと跳ね上がる。
「……っはあ~~~~~、これだよこれっ!」
「えっ!? か、辛いの!? え、平気なのそれ!? 舌、焼けてない!?」
日葵があわてて身を乗り出すと、理絵は平然とした表情でカップを持ち上げ、再びごくごくと飲み干した。
「辛いよ。でも、この“辛い”はまだ大丈夫。私には、ね」
「へ、へえ……やっぱりすごいなあ……」
日葵は感心しながらも、理絵の飲みっぷりを見て思わず後ずさった。が、理絵はその姿にふと目を細め、口元を引き締めた。
「でも、それだけ。私ひとりが大丈夫でも、意味はない」
理絵の視線の先には、赤い提灯も、派手な暖簾も、どれも灰色にくすみ、鮮やかさを失った屋台の群れが広がっていた。
「陰彩……また、ここを狙ってきたんだね」
「味覚ってのは“記憶”に近い。子どもの頃のカレーとか、母親の料理の味とか、そういう感情の色を吸い上げてるんだ。陰彩は」
理絵は腕を組み、周囲を見渡した。屋台村の客はみな、箸を止めたり、買い物をやめたりしている。味がわからない。感動がない。つまり、感情が薄れているのだ。
「なにか、しなきゃ……」
日葵の胸にまた、桃色の光がちらりと灯りかけたとき――
「よーし、こうなったら激辛バトルだ!」
「えっ!?」
突然、店の裏から姿を現した虎太郎が、拳を突き上げて叫んだ。
「唐辛子フェスだよ! 理絵ちゃん、君は辛いの得意なんでしょ!? だったら、この“灰色の屋台村”を、燃やしてやろうよ!!」
「いや、燃やすってどういう……」
「出場者、三名! 俺と! 理絵ちゃんと! あと飛び入り参加者だ!」
「ちょ、ちょっと待って、いつの間にそんな企画を!? ていうか、なんで自分も出るの!?」
「企画は、いま思いついたっ!」
胸を張って叫ぶ虎太郎。どこまでも直感。そしてその声に、近くの屋台主がくすりと笑った。
「お兄さん、面白いこと言うねぇ。辛いの、ほんとに食べるの?」
すぐに、その店の唐辛子ラーメン屋台から、鍋がカンカンと音を立て始めた。気づけば、周囲に人が集まり始めている。
「……面白いじゃない。乗ってあげる」
理絵がふっと笑い、紙コップを置いて立ち上がった。
目の奥に――燃えるような紅の光が、宿り始めていた。
唐辛子ラーメン、麻辣焼きそば、ハバネロたこ焼き、四川風チキン串……次々と火を噴くような料理が、即席ステージに並べられていく。
虎太郎は割り箸を構えて仁王立ちし、理絵は涼しい顔で唐辛子のつまみ食いを始めていた。
「なんで、こんなに余裕なの……」
日葵は思わず理絵の様子に見入る。
理絵の表情には、一切の緊張がない。むしろ、楽しそうにすら見える。
けれどそれは、あの理絵が、たった一人で何かを背負うときによく見せる“仮面の顔”だと、日葵にはもうわかっていた。
「……理絵さんって、なんでも一人でやっちゃうから……」
「理絵はね、感情を誰かに預けるのが苦手なんだよ」
ふと隣から、香穂の声がした。
「この前、美術室で話したときも思った。彼女、自分が感じてることを、他人に伝えようとしないの。いつも黙って、自分の中で決着つけようとする。すごいけど……さみしいよね」
「……さみしい」
その言葉に、日葵は桃光の種がちり、と胸の奥で揺れるのを感じた。
──でも、今はその“さみしさ”が、勝負に火をつけるのなら。
「日葵、司会お願い! 屋台村ステージ、開始だー!!」
「えええええっ!? わ、わたしっ!?」
日葵が慌てふためく中、虎太郎は勝手にマイク(おたま)を持って台に登り、「出場者入場~~!」と叫んだ。
集まってきた市民たちは、いつの間にか笑いはじめ、ステージ周囲はざわつき始める。
空気が、ほんの少しだけ色を取り戻してきている――。
「第一ラウンド! 唐辛子ラーメン勝負!」
司会を押し付けられた日葵が叫ぶと、店主が鍋から、ぐつぐつ真っ赤に煮えたぎるスープを丼に注ぎ、2つの椀が選手の前に並べられる。
「いっけー! 激辛大王虎太郎!」
「余裕の火喰い娘・理絵ちゃん!」
観客の声援が飛び交う。だが、次の瞬間――
「っがほおおおおおおお!!」
虎太郎が咳き込み、顔面真っ赤にして椅子から転げ落ちた。
理絵はといえば、すう、と鼻で息を吸い、するりと麺をすすり終えて、唐辛子の小皿に手を伸ばす。
「余裕……すぎる」
「げ、限界突破だ……っ!」
日葵がそっと顔をしかめたその瞬間、ふっと理絵がマイク(おたま)を取った。
「私の勝ち。でも、虎太郎の根性には、一本」
「ひょ、評価された……っ……はは、ヒーローって感じでしょ……!?」
唇をヒリヒリさせながら、虎太郎は情けなくも笑ってみせた。
会場から、自然に拍手が起こった。
そのとき、ふわり――ひとすじの、火紅色の光が、唐辛子ラーメンの上に浮かびあがった。
「……見えた?」
香穂がそっとささやく。日葵はうなずいた。
そう、それは理絵の心から放たれた“感情の色”だ。誰にも頼らず、自分ひとりで乗り越えようとした強がり。その奥で、誰かと共有できたらという願い。それが、火紅色として灯りはじめた。
日葵の胸に、また桃色の輝きが反応する。
もうすぐだ――理絵の心の色を、もっともっと引き出せる。あと少し。
唐辛子の湯気の向こう、理絵の瞳が少しだけ揺れた。
その視線の先で、虎太郎がふらつきながらも立ち上がる。
「俺さ……おまえみたいに、ピリッと辛口で生きられないけどさ……」
「……何それ、例えになってない」
「でも今日のこれ、俺にとって、人生で一番辛くて、一番……熱かったかもしれない」
照れくさそうに、虎太郎が笑った。その一言に、会場の空気がふっと和らぐ。
「第二ラウンド! 激辛たこ焼き一本勝負!」
日葵が気を利かせて場をつなぐ。次なる対決では、理絵と中学生男子が一騎打ち。結果は当然、理絵の圧勝。
だが勝敗以上に、ステージ上で“誰かと共に戦う”という理絵の姿に、観客は惹き込まれていた。
光が、またひとすじ灯る。
今度は、唐紅の花びらのような光が、ふわり、観客席の上に浮かび――
「――ほら、見て!」
誰かの叫び声とともに、屋台村の空に、光の火花がはじけた。
まるで唐辛子の粒が空を駆け回るように、紅色、橙色、金色のスパークが交錯する。
「これは……光譜術?」
「ううん、ちがう……」
日葵はその中心に、理絵の姿を見た。
彼女は両手を組み、目を閉じていた。
「これ……私の中にずっとあった感情。……誰にも言えなくて、でも……」
その声は、マイクを通さず、なぜか全員に届いていた。
「私、本当は……誰かと辛いものを食べたかったんだ。わかちあって、泣き笑いしながら……“辛い”って言いたかった」
言葉と同時に、火紅色の光が、噴水のように舞い上がる。
空の下で拍手が起こり、観客の何人かが涙をぬぐう。
理絵の強さは、一人で戦えることじゃない。
誰にも頼らず平気そうにして、それでも本当は、誰かに頼ってみたかった――その勇気。
「理絵……!」
日葵は思わず駆け寄って、その手を握った。
すると、二人のあいだに、柔らかな火紅色の光がまた灯った。
――共鳴。
理絵の光が、日葵の桃色の心に響き、ふたつの色が混ざり合っていく。
「ねえ、理絵さん。今度、二人で激辛ラーメン行こうよ。……わたし、たぶん泣いちゃうけど」
「それ、やだな。面倒見させられるじゃん」
「ふふ。でも、ほら。“一人じゃ泣けない”より、いいでしょ?」
理絵の口元が、ふっと緩んだ。
「……そだね」
そのとき、屋台村の空に、大きな花火があがった。
光譜術ではない。ただの装飾の花火。
でも、そこには確かに、色が戻っていた。
火紅、桃色、橙、金、そして七色の煌めきが、ゆっくり夜空に広がる。
屋台の灯りも、街灯も、すこしずつ色を取り戻していた。
「戻ってきてる……街の色……!」
誰かがつぶやいた。
日葵の胸に、また一筋の桃光が咲く。
誰かの“感情の色”が、世界を照らしている。
そして理絵の“孤独な強がり”は、もう闇に飲まれたりしない。
唐紅のファイヤーワークスが、夜空に大きく弾けた。




