表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
色が消える街で、私はキミと世界を取り戻す 〜セブンコア、色を紡ぐ者たち〜  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/30

第13話「一途ライン引き直し」

 朝の空気はまだ冷たかったが、優奈はその冷たさを歓迎していた。

 靴紐を結び直し、ゆっくりと呼吸を整える。耳の奥で、昨日の無彩化の余韻がまだ鳴っている気がした。

「……また、消えてる」

 陸上競技場のスタートライン。つい昨日まで日葵が光で描き直してくれたはずの白線が、今朝は無色のアスファルトに戻っていた。

 白でも黒でもない、ただの“灰”。目に映るはずの線が、見えない。

 それでも優奈は、いつもの位置に立った。

 スタートブロックの感触も、裸足のような感覚に変わっていた。感覚が薄い。色が消えていくと、地面の温度も表情も曖昧になっていく。

 それでも、走る。

 このまま練習を止めたら、自分まで“薄く”なってしまう気がした。無彩核が何かを奪っているとわかっていても、それでも、積み重ねた毎日を簡単には譲れなかった。

 ――パアン!

 誰もいないのに、耳の中でスタート音が鳴った気がした。反射的に、体が前に飛び出す。

 足の裏に白線の感覚はない。けれど、これまでの走行経験が、記憶の中のラインをなぞらせてくれる。

 ゴールテープのないゴールを抜けた瞬間、優奈は膝に手をつき、息を吐いた。苦しい。でも、満ち足りている。誰に認められなくても、自分はここにいる――それだけが、唯一の証明だった。

「……ああ、やっぱりいたんだな」

 低いけれど、どこか柔らかな声が背後から届く。振り返ると、ジャージ姿の泰雅が片手にタブレットを持って立っていた。髪が少し乱れている。寝癖か、それとも考えごとの名残か。

「この時間なら誰にも邪魔されないって、理絵が言ってた。君が毎朝ここにいるってのも」

「見に来たの?」

 優奈は額の汗をぬぐい、そっけなく問い返す。別に構ってほしいわけじゃない。ただ、なんで今ここに泰雅がいるのか、それが知りたかった。

「うん。君が“見えない線”をどうやって走ってるのか、ちょっと興味があって」

 泰雅はそう言って、にこりと笑った。

「おかしいよ」

「え?」

「見えないのに、ちゃんと走ってるの。タイム、そんなに落ちてない。むしろちょっと縮んでる」

 優奈は無言で目を伏せた。それは“嬉しさ”じゃなかった。“負けたくなさ”だった。どんな異変が起きても、自分の努力が無意味じゃなかったと証明したい――それだけ。

 泰雅がタブレットを操作すると、競技場全体の俯瞰映像が表示された。ドローン撮影だ。

「これ、昨日の君の走り。で、こっちが今日の分」

 重ねられた軌道は、限りなく一致していた。優奈は息を呑む。

 白線がなくても、走れていた。でもそれが、努力の証明じゃなければ、何なのか。

「……もう意味ないのかもしれない」

 ぽつりと、優奈がつぶやく。泰雅は返事を待たずに、ゆっくりと競技場を見渡した。

「無彩核が広がる前は、努力は報われるって信じてた。でも、今は?」

 優奈の言葉には、怒りも悲しみもなかった。ただ、空っぽだった。

 泰雅が歩を進め、スタート地点から数メートル先の地面に立つ。そして懐から取り出した小型投影機を起動する。

 すると、空中に線が浮かび上がった。

「……?」

「このラインは、君が今朝走ったコース。記録映像から抽出して重ねた。つまり“君自身が引き直した線”なんだよ」

 優奈の目がわずかに見開く。

「色がなくなっても、線はある。見えるかどうかじゃない。信じた方向に、体がちゃんと応えてる」

 泰雅の声は真っ直ぐだった。優奈はそれを、心で受け取った。

「私の……線、か」

 優奈はゆっくりと深呼吸する。彼女の中で、何かが動き始めていた。ずっと黙っていた思いが、小さな声で胸の奥から応援している気がした。

「泰雅。もう一度走る。新しい“ライン”を、私自身で引くから」

「わかった。じゃあ俺も、ドローン飛ばして全体を映す」

 二人は無言で準備を始めた。夜明けが近づく。東の空が、少しずつ金色を帯びていく。




 泰雅が指先で空中モニターのピンチ操作をすると、俯瞰映像に色がついたように感じられた。夜明けの金色が、ゆっくりと競技場全体に差し込み始めていた。

 スタートブロックに再び立つ優奈の表情は、先ほどまでの曇りとは違っていた。

 無言のまま、静かに両腕を振るい、脚の筋肉を確かめるように屈伸を入れる。

 その目はまっすぐに先を見据え、“見えないライン”ではなく、“これから描くライン”を見ていた。

「準備は?」

「問題ない」

 静かに答えた優奈の声に、泰雅は頷いた。そして空に向かって小さくドローンを飛ばす。機体は軽やかに浮かび上がり、競技場全体を見下ろす位置に到達した。

「よし、行こう」

 泰雅がスタートの合図をするまでもなかった。

 優奈の体が、金色の地平線に向かって躍り出た。

 足音が無彩のアスファルトを叩くたび、彼女の体から、かすかな金の粒子が舞い上がっていく。

 それは、朝日に溶けて消える金色の光だった。

 しかし、それを見ていた泰雅には、はっきりと“線”に見えた。

 ――光は、走った者の背に残る。

 それが、優奈自身が引き直した一途のラインだった。

 直線、カーブ、ストレート。

 すべての道を彼女は、一歩一歩、自分の感覚でなぞり直していく。

 それはもはやトラックではなかった。誰かが引いたルートでもなかった。

 優奈自身が“信じた道”を、全力で突き進んでいた。

 朝露に濡れた芝生がきらめき始める頃、優奈のラストスパートが風を切った。ドローンの映像がぶれるほどの速度。

 ラスト1メートルで、彼女の額から落ちた一滴の汗が朝日に反射し、空に向かって弧を描いた。

 ――金線だった。

 その汗は、かつての努力の象徴。今は、未来を照らす印になっていた。

「やった……」

 息を切らしてゴールに滑り込んだ優奈が、小さくつぶやいた。

「うん、完璧だ」

 駆け寄ってきた泰雅の手には、ドローン映像から切り取った一枚のスクリーンショットが表示されていた。

 その軌道は、前回のラインとほぼ一致していたが、終盤で少しだけ角度が変わっていた。

 それが、優奈の進化だった。

「“正確に走る”だけじゃ、きっと足りなかったんだ」

 優奈はそう言って、額の汗を拭う。

「でも、“信じて走る”って、たぶんそれだけで光になるんだね」

「……うん、君は今日、新しいラインを世界に描いたよ」

 泰雅は静かにそう答え、映像を保存しながら言葉を継いだ。

「優奈。君はずっと、誰かのレーンの上を走ってきたのかもしれない。でも、今は違う。君のラインを、僕らが見るんだ」

 優奈は少しだけ笑った。

「日葵の光が、ほんのちょっとだけ心に残ってたのかも。あの桃色の光、強くはないけど、柔らかいから……」

「……確かに。あれがあったから、君も僕もここにいる」

 夜明けが完全に空を覆った。

 競技場のトラックには、今はまだ色が戻っていない。でも、優奈の軌跡は確かに金色の光で記憶された。

 その後、ドローン映像と優奈の走行軌道を重ねた“光のレーン図”は、セブンコア全員に共有されることになる。

 優奈が無彩の世界に引き直したその一筋は、仲間たちにとって、次なる戦いの道しるべとなるのだった。

 それは、ただの白線ではない。

 “心で描いた”ラインだった。

(第13話 完)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ