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色が消える街で、私はキミと世界を取り戻す 〜セブンコア、色を紡ぐ者たち〜  作者: 乾為天女


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第11話「星空に零れた群青」

 夜の風がゆっくりと千彩市を撫でていた。5月に入って気温も少しずつ上がってきたが、山間から流れ込む夜気はまだ少しだけ冷たい。その風に背を押されるようにして、日葵は天文台の丘を一歩ずつ登っていった。前を歩く玲央の背中は、普段通り静かで、けれど今夜はどこか焦げた匂いのようなものが滲んで見えた。

 丘の上、コンクリートの足元からドーム屋根が盛り上がるようにそびえる千彩市立天文台。屋根はすでに開いていて、宙へと向かう巨大な望遠鏡が、まるで何かを問いかけるように黒空へ首を伸ばしている。人の気配はない。今日の夜間開放は休止になったと、玲央がぽつりと告げていた。機材トラブル。いや、もっと正確には、「トラブルに見せかけた閉鎖」だった。

 天文台の中は薄暗かったが、玲央は手慣れた様子で操作盤を動かし、観測ドームへと案内してくれた。日葵は足音を立てないように後を追い、円形の床を囲むように設置された機材やスクリーンをちらりと眺めた。天体の軌道、分光データ、赤外画像――だが、そのどれもが、真っ黒だった。

「データ、全部……抜けてるの?」

 ぽつりと問いかけた日葵に、玲央は少し遅れてうなずいた。

「うん。……ここの記録、全部まっさら。先週までの分も」

 その声はかすれていた。日葵は反射的に振り返り、彼の顔をのぞき込もうとした。けれど玲央は目を合わせないまま、ただ静かに望遠鏡の下にしゃがみこみ、無言でカバーを外した。

 その動作のひとつひとつが、普段よりも少しだけ重たく見えた。器用なはずの指が、ほんのわずか震えているようにも感じた。けれど、言葉は、出てこない。

「……全部、玲央くんが観測してきたデータだよね」

 日葵はそっと床に膝をつき、視線の高さを玲央に合わせるようにした。

「無彩核の影響、ここからいちばん最初に気づいたの、玲央くんだった。星の光の揺れが変だったって……それ、ずっと観測してたんでしょ? ……どうして、消えてるの?」

 玲央の目が、日葵の肩の向こう、スクリーンの闇を見つめていた。その目には涙はなかった。けれど、その静けさが逆に、張り詰めた膜のように見えた。

「……俺のせいだと思った」

 ぽつりとこぼれた声は、床に落ちる水滴のように静かだった。

「もっと早く気づいて、もっと正しく保存していれば……守れたはずだったのに。俺が、手を抜いたから、失くしたんだ」

 自分を責める声だった。それは日葵が何よりもよく知っている響きだった。自分のせいだと感じてしまう、感情の罠。

「玲央くん……」

「観測するだけじゃ足りなかった。感情の波に、もっと早く反応すべきだった。もっと……もっと、発信すべきだったのに……俺、ずっと、黙ってた。話せばよかったのに、話さなかった。怖かったから。間違ってたらって、思ったから……」

 言葉が続いて、やがて堰を切ったように溢れていった。

 沈黙が得意な玲央。けれどその沈黙の奥には、誰よりも強い情熱と、そして不安があった。日葵は、それを知っていたはずだった。けれど、彼のそんな弱音を、直接聞いたのは初めてだった。

 そして、今、ようやく彼はそれをこぼした。

 日葵は胸がぎゅっと締め付けられるのを感じながら、そっと彼の肩に手を置いた。

「玲央くん、弱音ってね、声じゃなくても届くんだよ。……でも、こうして言ってくれて、わたし、すごく嬉しい」

 玲央が少しだけ目を伏せた。その目に、ようやく、ひとすじの光が浮かんだ。それは涙だった。沈黙を破った涙。心の奥で凍っていた感情が、いまようやく溶け始めた証だった。

 日葵は、その肩を引き寄せるように、そっと抱きしめた。驚くほど細くて、けれど熱のある肩だった。玲央の身体が一瞬びくっと震え、それから、少しずつ力が抜けていった。

「沈黙も、声の一部なんだよ。わたし、そう思ってる」

 玲央の背から、青い光がふわりと漏れた。それは深い群青。夜空を泳ぐ光のような色だった。彼の心の色――ずっと閉じ込めていた感情が、いま、ようやく形になったのだ。

 日葵の胸元で生まれた桃色の光と、玲央の群青がゆっくりと混ざり合い、観測ドームの天井へと浮かんでいく。

 やがて、スクリーンの上空、ドームの内壁全体に、幻想的な光のカーテンが広がった。群青のオーロラ。

 まるで星の涙が夜空に舞い戻ったようだった。




 玲央の群青光がゆらりと揺れ、天井に浮かぶオーロラの波紋が、静寂のドームをゆっくりと包み込んでいく。その様子はまるで、誰にも届かないと思っていた感情が、ようやく空に溶け出していくようだった。

 日葵は、しばらく玲央の背にそっと手を置いたまま、言葉を探していた。泣いている彼の顔を無理に見ようとは思わなかった。ただ、群青の光が失われていないことが嬉しくて、何よりもその温度を胸に留めていたかった。

「わたしね、いつも自分のダメなとこばっかり気にしちゃって……この前だって、光が暴走して、玲央くんに迷惑かけたと思って、すごく落ち込んでたの。でも……」

 自分の手のひらから、かすかににじむ桃光が、彼の群青とふれあうたび、少しずつ淡い紫色を帯びていく。その色合いが、夕暮れにも似ていて、心が不思議と安らいだ。

「でも、今日の玲央くん見て……わたし、もっとちゃんと向き合わなきゃって思った」

 玲央は顔をあげ、少し赤くなった目で日葵を見た。その目に、いつもの冷静な沈黙はもうなかった。代わりに、未完成で、言葉にしきれない迷いと、痛みと、そして何かを託そうとする希望が宿っていた。

「俺、間違ってた。データを守ることばっかりに意識が向いてて……一番大事な“観測すべきもの”を見逃してた。人の心を、感情の動きを、ちゃんと……」

 ドームの空間にある機材のひとつが、ふいにキィンと低く鳴った。スピーカーから漏れた音ではなく、光譜術の波長が触れたことによる、わずかな共振だった。

「群青って、さ……深い夜の色だよね。静かで、でも、なにかが隠れてる感じの。わたし、今までそれがちょっと怖かった。でも、今の玲央くんの光、すっごく綺麗だと思った」

「……俺、こんな色だって思ってなかった」

「うん。でも、色ってね、自分だけじゃわかんないとこあると思う。他の人に見せて、初めて“あ、こんな色だったんだ”ってわかるものなんじゃないかな」

 日葵の言葉に、玲央はゆっくりうなずいた。床に置いたノートPCのスクリーンがふいにチラついた。ブラックアウトしていた観測データの一部が、一瞬だけ光を取り戻したように見えた。

 玲央が近づいてキーを打つと、ノイズ混じりのグラフがいくつか表示された。それは完全なものではなかったが、確かに「残っていた痕跡」だった。

「これ……残光データ?」

「いや……違う、これは……光譜術の波長と、ドーム内部の感情エネルギーとの共振によって浮かび上がった……残響。たぶん、俺の感情が光になって、機器に干渉した」

「え、それってつまり……玲央くんの群青光、観測機材を“修復”してるってこと?」

 玲央は驚いたように瞬きした。まるで自分でも気づいていなかった作用に触れたように。

「……可能性はある。もしこの群青光が“記憶の残光”みたいな性質を持ってるなら、失ったデータの再構築も……できるかもしれない」

「じゃあ……わたし、もっと光を出してもいい?」

 日葵がにっこりと笑った。自分の短所に怯えなくていい。今は、誰かの色を信じて、混ぜていく瞬間。そう思えた。

 彼女の桃光が、玲央の群青に再び触れた瞬間、ふたりを包むように淡い紫の球体が浮かび上がり、機材のスクリーンに向かってふわりと流れていった。

 その紫の光は、まるで星座の点を結ぶように線となり、かつて観測された星の軌道を再構築していく。歪みはあっても、たしかにそこにあったものが、再び姿を取り戻していく。

 ドームの中央にある天井スクリーンが、最後に静かに切り替わった。そこには、今夜の星の配置とは少し違うけれど、それでも“思い出せる星空”が映し出されていた。

 玲央が、微笑んだ。

 それは今までで一番、正直で、飾らない、彼の本当の感情だった。




 天文台のドームに広がる群青の光。そこには、もはや沈黙だけの玲央はいなかった。観測するだけではなく、感じ、伝え、混ざり合うことで初めて生まれる色――それが彼の群青光だった。

 日葵は、そんな玲央の隣にそっと立ち、スクリーンに浮かぶ星空を見上げていた。そこに映るのは、今この瞬間の夜空ではない。玲央が長く見つめ、記録し続けてきた「記憶の星座」だった。

 ふたりの足元には、いつの間にか光の粒が集まってきていた。紫がかった波紋がドーム全体に広がり、機材に残った感情の残響が次々と起動していく。

 天体軌道表示、分光グラフ、観測ログ。完全ではないにせよ、すべてが“呼び起こされる”ように蘇っていく。その奇跡のような現象を、日葵はただ黙って見つめていた。

「……ありがとう、日葵」

 玲央が小さくつぶやいた。

「俺、ずっと“言わないほうがいい”って思ってた。感情って、観測を乱すノイズになるから……でも、言葉にしなきゃ伝わらないものもあるんだって、今日、わかった」

 日葵は笑って、肩をすくめた。

「わたしなんて、言いすぎて失敗ばっかだよ。でも……“伝えたい”って思う気持ちが、きっといちばん大事なんだと思う」

 スクリーンに広がった光が、ゆっくりと形を変えていく。そこに浮かび上がったのは――七色の帯だった。日葵の桃光、玲央の群青、そしてその間に混ざり合って生まれた紫の煌めき。それらが星々の間を縫うようにゆらぎながら、まるで「心の星座」を描くようにドーム天井を駆け巡る。

 玲央が目を細めた。

「これは……」

「きっと、“心が色になった瞬間”だよ。わたしには、そう見える」

 夜空の星は、相変わらず何億年もの距離で光っている。でも、いまここで輝いているこの色は、誰かの心が震えた“たった今”の証だ。時間を越えて残る光――それこそが、日葵と玲央がいま共有している真実だった。

 群青のオーロラがドームの天井を包み、淡い光が観測機材を照らす。

 その光に照らされて、玲央の横顔が静かに笑っていた。いつものように感情を押し込めるのではなく、ほんの少し口角が緩んだだけの――けれど、それが何よりも“彼らしい笑顔”だった。

 日葵も、それに釣られるように笑った。

 そしてその瞬間。

 外の空に、流れ星がひとつ、横切った。

 誰かが見ていたわけじゃない。でも、今夜この場所には、たしかにひとつの“星の涙”が落ちた。それは群青の光に混ざり、再び空へと返っていった。

 もう、何も怖くない。

 誰かに見せるためじゃない。誰かと分かち合うための光。それを生み出せる自分たちを、少しずつ信じられるようになってきた。

 夜は、まだ深い。

 けれど、群青の空には、もう確かな鼓動が宿っている。

 そしてそれは、これから七色へと繋がっていく第一歩なのだ。

(第11話 完/次話「動揺スプリント」へ)


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