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現実と妄想と夢と……

作者: 雉白書屋

 独房。そこはベッド、トイレしかない質素な空間。……いいや、忘れてはならないのはそう、囚人。これで完成。

 ここから生まれるのは嘆き、怨み、退屈……。死刑の時を待つ囚人などそんなもの。彼に与えられるものなどない。その必要も。干渉されないのはむしろいいことと言えたが、できることはただ眠ることと妄想くらいなもの。

 あるはずもなかった輝かしい人生を想像し、時には自慰もしたが、どこか虚しい。

 それでもするしかなかった。男はベッドに横になり、目を閉じる。そこは思いのままの世界。時間をかけ、繰り返し行ってきただけに中々に鮮明、設定も凝ってきた。

 証券会社勤め。高級マンションに住み、美しい妻。子供はまだだが、それがいい。今はまだ妻との情事を楽しむ段階。


「あら? どうしたのあなた? ボッーとして」


「い、いや、なんでもないよ」


 妄想の最中、一瞬、意識が途絶えた。眠り、妄想に更けるうちに夢の世界へと足を踏み入れたのだ。

 地続き。このように妄想と夢の世界が繋がることはたまにあった。こうなると面白い。妄想は言わば、ひとりお人形遊び。しかし、今は会話も反応も予測不能。新鮮な気持ちで楽しめる。

 そして、幸運なことに夢の中ではあるが妻が突然、鬼に変身したりなど突拍子のないことは起きず、妄想の設定からそう逸脱してもいなかった。

 妻の尻を撫ででもすれば、きゃっと可愛らしい反応。自分を好いていることに変わりなし。


「きゃあ、もう。ふふふふ、あら? インターホン、誰かしら?」


「どうでもいいじゃないか、はははは」


「駄目よ。ほら出て。その間に着替えてくるからぁ」


「ふふふ、わかったよ」


 玄関に向かう彼。顔は弛緩し、浮かれた足取り。深く考えず、ドアを開けた。


「あ、あ? ああああああああ!?」


 深く深く、その代償をねじ込まれた。仰け反り、足を滑らせ頭を打ち、意識が鈍るも腹部を刺されたその痛みは鮮明で、そして今もなお、執拗なまでに腹の中をナイフでこねくり回されている。


 ――誰だ、誰なんだ、どうして、なぜ刺されたんだ。


 首を向けるも、その恐らく男は顔を伏せているため見えなかった。しばらくその状態が続いた。やがて目を覚ました彼はベッドから飛び起き、腹をさする。

 妄想の果てが断崖だったとは……。

 彼はそう、力なく笑った。


 鮮烈な体験は夢から覚めたあとも彼の心の中にしばらく膿んだように残った。それでもここでは妄想するくらいしかやることがない。

 また次の晩。妄想の中で散々妻を嬲り、可愛がったあと射精。ウトウトし、また眠りにつく。


 するとまた地続き。夢の中で妻が艶めかしく首に手を回し、もう一回とねだってくる。男もニヤッと笑い唇を寄せる。

 と、インターホンが鳴る。どこか嫌な予感がするも、妻に頼まれ、しぶしぶベッドから出て玄関へ向かう。

 警戒はしていたつもりだった。夢の中ゆえに、その理由もぼやけてはいたが本能的に。

 しかし、無駄だった。再び腹部を刺され、倒れ、悶える。今回はプレゼントを破く子供のような勢いでめった刺しであった。

 その痛みは何よりも鮮明であった。妻の体温よりも触れた肌の柔らかさよりも。今はそれらすべてが掻きだされた腸の温かさと感触に上書きされた。

 抵抗できぬまま刺され、切られ、それがしばらく続いた。ここが夢の中だからだろうか気を失うことも死ぬこともなかった。

 苦痛だけが存在する、と男はハッと気がついた。


 前にもあった。こんなことが。

 夢の話ではない。もっと前に、前に……。


 だが、思い出すまでには至らなかった。その後、目が覚め、また眠り、刺され刺され、何度繰り返してもなぜか思い出せなかった。


「なぜ、なぜだぁ、どうしてこんなことを……」


 夢の中での何度目かの死に際。彼の漏らしたその声に応えがあった。


「なぜか? なぜだと? お前が俺にこうしたんだ。

ああ、だがこれだけじゃすまさないぞ。もっとひどい殺し方をしてやるよ。お前が死刑になる日までずっとな」


 胸ぐら掴まれ、寄せて来たその顔は自分が以前、殺した男と同じであったと彼はようやく気づいた。

 だが、満足に声も出せず、そしてその男の形相からして説得も謝罪も受け入れて貰えそうになかった。

 できることはただ終わりがあることを願うことのみ……が、彼はふと思い出す。

 

 死刑の方法は薬物注射。眠るように死ぬらしい。

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