間話 二人目の友人
年の始まり、暖かな日差しが差し込む院長の自室、その慣れない空気に少し緊張しながら兄の言葉を待っている。
ここへ来たのは、兄が私と院長に内密な話があると伝えたので、院長がここが良いだろうと判断したためだ。
兄は寒期が過ぎ去った直後の早朝、私が顔を洗っているところに現れた。
私と同じくらい長かった髪は綺麗さっぱり無くなっており、表情は若干強張っていたように思う。
そんな彼の様変わりについて私は問いかけようとしたが、その矢先に院長の場所を聞かれてしまった。
私が「あっち」と簡潔に居場所を答えると、兄は「ただいま、マリアン」と小さく言ってすぐにそちらへ向かった。
そして、私はここにいる。
兄は今、視線を下に向けて黙りこくっているが、それについて何かを問いただせるような雰囲気ではないので、ただひたすらに待ち続けているという状況だ。
私はそんな兄を待ちながら、最悪な考えが幾度も脳内を過っては否定するのを繰り返していた。
院長が何か頼みごとをしていて、それが失敗したとか?
いや、それでは私を呼んだ理由が説明できない。
じゃあ、ニャータが大怪我したとか……いや、治癒魔導で大抵は治るだろうし、ここまで深刻にはならない気がする。
病気は……考えにくい。
病気に罹患して死ぬという事例は非常に稀、とニャータが直々に教授してくれたから。
だったら……。
ダメだ、こういう時は考えてたところで不安が募っていくだけだ。
だから、今はただ潔く待とう――――。
私は扉の奥の方からわずかに聴こえる孤児たちの楽し気な声を聴きながら、兄の足元を眺めていた。
……数十秒程待ったか、兄は漸く言葉を発した。
「ニャータが……死んじゃった」
――――――。
「…………」
私は言葉を失った。
兄は今何と言ったか。
まさか、そんなはずは……ニャータが……本当に?
私の脳内では、居たはずの人物がいないという事に対しての問答が繰り返されていた。
「……そうか……あいつは死んだか」
空気の音さえ聞こえなくなった私の耳に突如声が響き、はっと顔を上げるとその声の主は院長だった。
目的を失ったような表情で、彼はそう呟いたのだ。
……それだけだった。
彼は誰かの訃報を耳にすれば随分と落ち込むが、今回いつもより様子がおかしいように感じた。
それは、感情が表に出ていなかったからだろうか……。
涙も流していなければ、仇に対する怒りを覚えた様子もなく、ただ、喪失感だけが彼を支配しているような……。
今の私に彼の気持ちを推し量ることはできないと思う、私の場合はただ、戸惑うことしか出来なかったから。
「…………はぁ」
机に伸ばした両腕の間に額を置き、大きくため息を吐いた。
訃報を聞かされたのは、実際にニャータが山賊に攫われた翌年、つまり今年の頭だ。
兄の話では、ニャータが攫われた年の寒期に様子を伺ったところで初めて死亡が確認されたとのこと。
現在、私は14歳になり、ローティットと共にテルセンタの魔導大学へ通っている。
去年、ニャータ達が帰省してからペセイルに帰還するまでの間に入学の話を受けており、入学を決めてから寒期が明けるまで勉強をして、今年の頭に入学した。
ミクリアという人がお金を含めた全てを負担するということで、本来、兄たちが通う予定だったのだが、メルビスさんが精神的に難しい状況だからという理由で見送ることになり、代わりに私を通わせたいと兄が推薦したらしい。
だけど、私はニャータに「マリアンはデュアンと違ってセンスの欠片もないんだな」と言われてしまうほど魔導は不得意だし、更には人見知りなので絶対に一人で行くのは嫌だった。
だからローティットも一緒に行くならいいと伝えたところ、ミクリアさんは快く承諾してくれて、ローティットもやれやれと言った様子で付き合ってくれることになったのだ。
そんなローティットは、入学間近というタイミングに訃報を聞かされて行く気が失せた時に優しく背中を押してくれたので、選択は間違っていなかったのだろう。
ローティットの年齢は24歳だけど、魔族と賢族の混血だからまだまだ未成年。
魔族の血が入りながらも頭が良くて覚えも速く、魔導の才能もあれば魔族譲りの魔力総量もある。
そんな彼女は今や、優秀な生徒として教授たちから期待を寄せられている存在だ。
一方、私の方は魔導具学を専攻しており、金属まみれの冷え冷えした自室で本を読んだり設計をする日々を過ごしている。
研究室兼住居として一軒家を与えられたので、その重過ぎる期待に応えるべくひたすらに研究をしているのだ。
「……つまんない」
ため息交じりに呟きながら、空白の多い紙を破かない様に机へ倒れこんで、ニャータがかつて使っていたという大きな腕の形をした魔導具を見つめる。
魔導具も碌に使えない私は需要を知らないから実用性が高い魔導具を設計することはできないし、試作品をテストをすることも出来ないので親友のローティットを頼っている。
そんな私にできる魔導と言えば、体内の魔力をチョロチョロと外へ垂れ流すことくらい。
ニャータよりも多い魔力に恵まれておきながらこの様では、宝の持ち腐れもいい所だろう。
こんな分不相応な子供が立派な一軒家で研究をしているなんて、恥ずかしくて誰にも言えないよ。
相変わらずローティット以外の友達もできないし、もう帰りたいな……。
「はあ……」
溜息をつくと、聞き慣れた快活な足音が耳に入ってきた。
パタパタと弾むような足音は作業場の前で止まり、勢いよく扉が開かれた。
閉じていた窓と乱雑に置かれた魔導具がざわつき、部屋の空気が乱される。
「マリィ、またダラダラしてるわね! シャキッとしないと何も上手くいかないわよ!」
ハッキリとモノを言う迷いのない声の主は、この家で共に生活しているローティットのもの。
「……何しに来たの」
私はだらしなく机に突っ伏したまま、ぶっきらぼうに尋ねた。
「あんたが心配だからに決まってるじゃないの。ずーっと引きこもって溜息しかつかないんだもの」
「別に、溜息以外もしてるよ……」
そっぽを向きながら気だるげに返事をすると、呆れたように、今度はローティットが溜息を付く。
「まあいいわよ。はい、これ」
彼女は私のすぐ横に来るよう机の上に腰かけ、そろりと私の頭に何かを乗せた。
「なにこれ?」
「さあね」
気だるげに身体を起こし、頭に乗ったそれを手に取る。
見てみるとそれは手紙であり、封の右端には兄の筆跡で『ニャータが生前マリアン宛に書き残していた手紙だよ!』と書かれていた。
何度か繰り返し文を読み、三度目で漸く書いてある文字の意味を理解した。
ニャータが生前……?
瞬間、この手紙が貴重品の様に思え始める。
私は丁寧にその封を開け、恐る恐る中身を拝見する。
『マリアン、魔導の訓練はしてるか?
お前は本当にセンスが無かったが、日々の積み重ね次第ではどうにでもなるはずだ。
俺が初歩の初歩を詳しく書き記してやるから、出来るようになるまでコツコツやるように!
まずは――』
中身は、私へ宛てた魔導の訓練法だった。
懇切丁寧に感覚、原理、実用性などがやかましく書き記されている。
何処までもお節介な文を読み進めていくと文の節々に彼の面影を感じ、在りし日を想起しては胸が熱くなった。
『――とまあ、こんなところだな。
お前はすぐに諦める癖があるから心配だけど、きっと大丈夫だろう。
次に会った時、お前が何処まで成長してるか楽しみにしておく。
じゃあ、またな ニャータより』
この手紙の文は、且つて彼が私に語り掛けてくれた時の文言と至極酷似しており、今は感じることのできない彼の温もりを感じられた。
もし彼が生きていたのならば、私はこの手紙をニヤニヤしながら読みふけ耽っていただろうに、今の私は手紙を読み終えると、涙が溢れて止まらなくなっていた。
彼の別れの言葉は漸く私の耳元へ届いたのだろう……もう、会えないんだ。
「うぅ……はぁ……」
手紙を強く握り締めながら、彼を思い出しては涙が溢れ続けた。
ローティットはその間、ずっと頭を優しく撫でてくれている。
それが安心感を生んだのか、泣いてもいいんだと思えて、苦しくなりながらもひたすらに泣いた。
「あんたも頑張んなさいよ。別に今やってることを続けろとは言わないから、何か自分がやりたい事を素直に受け入れてみれば――」
「ううん、続ける。活力が湧かなかっただけで、楽しいと思える瞬間は結構あるから」
「……そう。だったら、試作品のテストは任せなさい。あと、魔導の事も教えてあげてもいいわよ?」
「……うん、ちょっとずつ教えて」
「わかったわ」
彼女は少しうれしそうな声でそう言うと、ポンと私の頭を一回叩き、サッと机から飛び降りた。
「じゃ、私は用事があるから数日空けるわね。あんたはまず、その鼻水をどうにかするのよ? じゃね」
彼女は手紙を渡すという目的を果たしたからか、あっさりとこの場をあとにした。
……というか、なんでローティットが手紙を持ってたんだろう。
ああ言うのは普通、私に届けられるものじゃないだろうか?
となると、誰かが彼女に渡した線が濃いか……もしや、兄が来てるんじゃ――
「やあ、マリアン。調子はどうかな?」
「…………やっぱり」
「やっぱり?」
「何でもない、手紙読んだよ」
「顔見れば分かるよ、僕も読んでいい?」
私が「うん」と言うと、軽やかなステップで手紙の元まで歩み寄り、紙を読み始めた。
その間の空気に耐えられそうにない私は、顔を洗いに行くと伝えて部屋を出る。
木造の廊下を少し左へ進んだところにある右手側の扉を開けて脱衣所へ入った。
室内に入ってすぐ左にある水受けの上方にはレバーがあり、それを下に降ろすとそのすぐ横に突起した筒から下向きに水がドボドボと出てくる。
その水を愛用している木製の桶に適量注ぎ、レバーを上げて水を止める。
そしたら、これでもかと顔を水で洗う。
やってることは孤児院にいた頃と変わらないが、やはり設備が段違いだ。
まず、井戸がない。
全ての家にこのような設備が据え付けられており、家の中で大体の事が完結できてしまう。
数日ごとに井戸から水を運んで貯水槽に溜めるという作業が無いのは非常に楽でいい、特に私の様な魔導を使えない非力な人は。
この街『テルセンタ』は、とにかく人が多い。
この人数が数少ない井戸を使おうとすると、きっと貯水槽がいっぱいになるまでに一日が終わってしまうだろう。
そうならないように、テルセンタはとても大きな貯水槽を造りそこへ水を溜めて、今の私の様に簡単に水が届けられるようにしたのだ。
私はまだ経験していないが、寒期になっても水が氷ることなく利用できるので、有用性は計り知れない。
まあ、その分家を所有するだけで毎年それなりのお金を取られるようだが、私はそのお金を払っていないので関係ない。
顔を洗い終えると、すぐ横の壁かけ棚に収納している顔を拭く用の毛布で水を拭き取る。
「ふぅ……」
鏡を見ながら一息つき、毛布を選択用のカゴへ投げ入れて兄の元へ戻る。
そろそろ、読み終えた頃かな……。
兄のリアクションを想像しながら扉を開ける。
「うぅ……はぁ……」
兄は、先の自分を彷彿とさせるように啜り泣いていた。
「なに、泣いてんの」
「昔、ニャータがこんな風に教えてくれたなって……」
気持ちは凄く分かるけど、なんか馬鹿っぽいように見えてしまうなと思った。
さっきの私もそう見えていたのかな?
だとしたら、そんな私を優しく撫で続けてくれたローティットはやはり大人な女性だ。
私も見習おうと思ったので、取り合えず笑いを堪える所から始めることにした。
「まあ、ここじゃ何だし二階行こ」
「……うん、ありがとうマリアン」
兄は手紙を封に閉まい、扉へ向かった。
私は先に廊下へ出て兄を待つが、ふと顔を見ると酷い有様になっていたので、脱衣所で洗ってくることを薦める。
「顔洗ってきたら?」
「そうだね、先行ってて」
兄の言葉に従い、私は先に二階のダイニングルームへ向かう。
脱衣所と反対方向に進んだ廊下の突き当り、左手側にある階段を昇る。
昇りきると廊下に出るので、一番近い扉を開けるとダイニングルームだ。
大きい食卓を六つの椅子が囲んでいて、大きい二つの窓からは暖かな日差しが差し込んでいる。
私はその部屋の端にあるキッチンから適当な材料を取り出して茶を淹れることにした。
ガラス瓶に詰められた茶用の葉を隙間の多い袋に入れて水の入った円柱型のポットへ落とし、魔導具によって瞬時に温められた砂利の上にそれを置くだけ。
茶葉や水の量は適当だけど、別に格別な茶を飲みたいわけでもないので、いつもこんな感じで気が向いた時に気の向くままに茶を淹れる。
異様に味が薄い時なんかもあるが、それはそれで非日常感が楽しめるので結構好きだったり。
ブクブクとポット内の水が沸騰しだした頃に、兄が扉を開けて入ってきた。
「相変わらず、凄い家だね」
「そうだね、私には見合わないわ」
私がポットを食卓に置かれた木製のトリベットに乗せると、兄は椅子に腰かけた。
「生活は慣れた?」
「まあね、充実してるかと言われるとまだ何とも言えないけど……」
私はそう言いながら再びキッチンへ赴く。
「そっか、僕たちは何とか順調だよ。雰囲気が元通りになることはないと思うけど、みんなそれぞれ成長してるって感じかな」
私は棚から磁器製のティーカップを二つ取り出し、食卓へ運び始める。
「……メルビスさんは来てるの?」
私はティーカップを置きながら尋ねた。
「来てるよ、今はノアさんと知り合いに挨拶しに行ってる。それが終わったら、ここに来るってさ」
「そっか」
私は兄の向かい側の椅子に腰かけた。
初対面の時は楽し気なお姉さんだったけど、ニャータが居なくなってからは殆ど話していない。
何度か話す機会はあったが、笑顔の殆どが作り笑いで、かなり無理をしている印象だった。
「まあでも、時間が解決するさ」と結論付け、茶を啜る。
うーん、可もなく不可もなく……美味しくはないかな。
ああそうだ、手紙の礼を言っとかないと。
「さっきの手紙を読んだら、元気出たよ。これから頑張れると思う。届けてくれて……ありがと」
兄に礼を言ったのはいつぶりだろうか、いざ口にしようとすると恥ずかしさが沸々と込み上げてきた。
「そっか、それは良かったよ。ローティットが『マリアンが中々元気にならない』っていうから、ニャータの遺品から何か良いものがないか探して見たんだよ」
「……そうだったんだ」
「ニャータが書いてた本に挟まってたんだよ。その時に少し中身を見て、マリアンに宛てた手紙だーって!」
兄は楽し気な素振りで説明をした。
何だか、嬉しい。
兄はあまり私を気に掛けるような人じゃないと思ってたから、そうやって私の為に何かしてくれたというのが、気恥ずかしいけど嬉しいと思った。
「魔導大学はどう? 魔導具について勉強してるんだよね?」
「んー、正直微妙かな……私がダメダメなだけだけど……」
私がこういった弱音を吐くは、いつもニャータに対してだった。
それは、精神的に満足がいく答えをくれることが多かったからかもしれない。
今の兄からはニャータの様な雰囲気を感じる。
「ダメじゃないよ。マリアンはきっと、大丈夫」
「……そうかな」
私は兄を尊敬している。
人間性についてはこれまで疑問符を浮かべざるを得なかったけど、やっぱり魔導に関する才能は凄いと思う。
具体的には、私に魔導の事を話す時、ニャータはいつも兄を引き合いに出して凄さを分かりやすく伝えていたくらいには凄い。
そんな彼にハッキリと「大丈夫」と言って貰えたのは、口元が思わずほころんでしまうくらいに嬉しかった。
「僕は、あの時助けに行こうと思えなかった。もしかしたら、誰かがそう言いだしたら便乗したかもしれないけど……」
兄は視線を落として語りだした。
「後になってその時の事を振り返ったら、心の底ではそうならないで欲しいって思っていたような気がする。恐かったんだよ、相手の大将が魔級相当だって言われて」
そう言った後、彼は黙る。
その間、私は何か声を掛けた方が良いと思って考えを巡らせたけど、さっぱり言葉が思いつかなかったので、特段美味しくもない茶を啜る――――
「いっそ死にたいよ」
「ブフゥ!!」
唐突に吐かれた最高の弱音に、思わず茶を吹いてしまった。
「あっはっはっはっは!!!!」
「なんだよ、笑うことないじゃん」
あの兄が……死にたい!?
「だって、死にたい……あははは!!!!」
こんなネガティブな兄は初めてだったので、思わず腹を抱えて笑ってしまった。
「…………あはは、そうだね。僕らしくもなかったか」
私の笑っている姿を眺めていたかと思えば、兄は力なく笑いながらそう言った。
その哀愁漂う姿は……朧げに覚えている母と瓜二つのように見え、私は沸々と苛立ちが込み上げてきて、思わず机を叩いた。
「お兄ちゃん! 他人の事考える余裕がないなら、自分の事だけ考えるんだよ!」
これまで散々ウジウジしていた自分が言うのもおかしな話だと、心の中で呟きながら声を上げた。
すると、兄はきょとんと私の顔を見つめ、次に少し笑い、口を開く。
「それ、ニャータが言ってたんでしょ?」
ギクリと、思わず背筋が伸びた。
「ふふーん、それくらいお見通しだよ。マリアンはそんなこと言えないもん」
兄は得意げな表情。
さっきまでの様子とは一変したその態度に、私はイラっとした。
「さっきまで死のうとしてた癖に……随分と元気になったみたいだね」
「あはは! 確かにそうだね!」
そう言って彼は気持ちよく笑って見せた。
私はてっきり言い返してくるかと思っていたので、拍子抜けするとともに自分の未熟さが恥ずかしく思えた。
やはり、兄は成長しているという事を実感すると共に、少し遠くへ行ってしまったようで寂しさも覚えた。
「なぁーに? 楽しそうね」
女性の声が聴こえたのでそちら向くと、私から見て左手にある扉からノアさんとメルビスさんが部屋に入ってくるところだった。
「あれ? 随分早かったね?」
兄が尋ねる。
「ん? まぁーねぇ」
ノアさんはそう言いながら図々しく私の隣に腰かけた。
そうなると、自然の流れとしてメルビスさんは兄の隣に座ることになる。
「あの、こんにちは」
私は恐る恐るノアさんの方を向き、挨拶をした。
「こんにちは」
ノアさんはリラックスした様子で挨拶をすると、私の頭にポンと手を置いて数回撫でた。
「メルビスさんも、こんにちは」
メルビスさんにも、また別の意味で恐る恐る挨拶をする。
「こんにちは」
メルビスさんは微笑みながら挨拶をした。
その様子から、初対面の時の様な元気がない事は明白だった。
「で、なんでこんなに早かったの?」
兄が再び尋ねると、ノアさんは力なく椅子の背もたれに身を任せ、天井の方を見つめながら答える。
「んー、結構死んでたみたいね。ローズギルドの支部に顔出した時に聞いたんだけど……例の山賊よ」
彼女が理由を話すと皆押し黙り、家の外からの音が部屋に響き渡った。
私は命を握られているような感覚を覚え、漠然とした恐怖が心境を支配していた。
兄がさっき言っていたが、大将は魔級相当の実力があるとされている。
これがいかに絶望的なことか、兄たちは私以上に理解しているはず。
きっと解決に向けて、何かしら手は回している。
直接誰かに聞いたわけではないが、私を魔導大学に通わせるというのも、技術の発展に賭けるための一環だろう。
それに、山賊の動向が奇妙だ。
魔級相当の実力があるならば、何処かの街の一つでも陥落させて拠点にでもすればいいのだが、奴らはそれをしていない。
街の周囲に小規模の拠点を散在させてじわじわと拉致被害なんかを多発させているが、やはり目的がはっきりしない。
そんなことを、ついこの前ローティットと寝る前に話していた。
その時は、私たちの知らない何処かで対抗勢力が奴らを食い止めているという考えに至ったが、そのような情報は耳にしたことはない。
……話のタネになるだろうか?
「あの、この前ローティットと話してたんだけど……」
勇気を出して口火を切ると、兄たちの視線がスッとこちらに向いた。
私はこういうのに慣れていないので萎縮してしまったが、深呼吸をして心を落ち着かせ話を続ける。
「山賊達が街を襲撃せずにちょっかいを出す程度に収まってるのは、対抗勢力がけん制ているから……だったり……するかもなあ……なんて」
完全にアウェイな空気感に押し負けて目が泳ぎ、語尾にかけて声量がしぼんでいくようになってしまった。
そんな恥ずかしさを紛らわす為に私が苦笑いを浮かべていると、ノアさんは「ああ~」と何かを思い出したように声を上げ、言葉を続ける。
「そう言えば、ミクリアがそんなこと言ってたわね」
「ミクリアさんが?」
兄が反応を示すと、彼女はそんな兄を尻目に言葉を続ける。
「確か、精霊族と思われる容姿の人物が山賊の犯行から被害者を救い出したって情報がいくつか入ってるって……」
「精霊族!?」
兄が身体を机に押し当てながら前のめりになって驚きの声を上げると、机が揺れてティーカップが甲高い衝突音を鳴らした。
「わあ!」
兄は慌てた様子でカップを抑えたが、少し零れたようだ。
私はそんな兄の様子を見て、メルビスさんとノアさんにお茶を出していないことに気づいた。
「私、ティーカップと拭くもの持ってきます」
「ああ、ありがとうね」
ノアさんが礼を言った後、私はキッチンへ赴いて二つのティーカップとルートクロスを用意して食卓へ運び、メルビスさんとノアさんの前にカップを置いた。
ルートクロスは、特定の植物の根を集めて作られた布のような物で、吸水性が高く汚れもしっかり拭き取れる代物。
近所の店に売っていたのを面白がって購入したところ、結構便利だという事が発覚してから愛用している。
そんなルートクロスで零れた茶を拭き取ったあと、持ってきたティーカップに茶を注ぐ。
「マリアンちゃんのお茶は美味しいのかなあー?」
茶を注いでると、ノアさんがおちょくる様な声色で尋ねてきた。
「ごめんなさい、そんなに美味しくないです」
私は申し訳なさそうに告げる。
「あら、そうなの?」
ノアさんは、丁度茶を啜っていた兄へ視線を向けた。
「うーん、ちょっと薄いかな」
「じゃあ茶葉を足せばいいんじゃないの?」
「いや、丁度いいですよ」
兄の感想にノアさんが反応し、その間に茶を啜っていたメルビスさんが飲んだ感想を告げた。
「ん? そうなの?」
メルビスさんの感想を受けて、ノアさんは茶を啜る。
「……美味しいじゃないの!」
「ええ!?」
ノアさんの反応を見た兄は、「そんなまさか」と言った所作で再び茶を啜る。
「……そうかな? やっぱり薄いような……」
兄の茶はやはり薄いようだった。
私の茶も薄かったので、きっと何か理由があるはず……。
思考を巡らせると、間もなくして、さっき使用した茶葉が少し長めに浸しておかなくてはいけない代物だったことを思い出す。
「ああ、ちょっと淹れるの早かったのかもしれないですね。ネサトラっていう茶葉で、長めに浸す品種なんです。すっかり忘れてました」
「ネサトラ……カッコイイ名前だね」
「茶葉にも色々あるのね~」
兄は茶葉の名前に対する感想を述べたが、ノアさんはそれに構うことなく関心を示した。
「ああ! マジックギルドに魔獣討伐の依頼されてたの忘れてたわ!」
突然、ノアさんが勢いよく立ち上がった。
「え? そんな用事あったっけ?」
「私だけですぐに終わるような簡単な依頼だったから言わなかったのよ。ごめん、私ちょっと言って来るわね」
「あ、僕も行っていい? テランタの周辺はあまり詳しくないから、知っておきたくて」
「好きにしなさい。ああ、メルビスはここでマリアンちゃんと待機してて、暫くしたらミクリアが来ると思うから」
「じゃ、また後で」
ノアさんはそう言って私の額にキスをすると、そそくさと部屋を出て行った。
「マリアン、メルビスと仲良くね、じゃ!」
兄も急いでノアさんを追いかけて行く。
ドタドタと木の床を踏みしめる音が数秒続き、そして消えた。
………………………………。
部屋は静まり返り、途轍もない気まずさに苛まれ始める。
「あの……最近どうですか?」
気まずさに耐え兼ねた私は、若干無理矢理に会話を試みる。
「うーん……正直なところ、もうそんなに辛いと思わないの。だけどそれが逆に悲しいし、許されないような気がして……」
彼女は引きつった笑みを浮かべながら、心境を吐露し始めた。
「デュアンとの関係も、何処から修復すればいいのかわからなくなっちゃった。一時は殴り掛かっちゃったりもしたし、最近は面と向かって話してないから……」
「え、お兄ちゃんに殴り掛かったの?」
私は口角を上げながら訪ねた。
「え、ええ……まあ……」
メルビスさんはしまったと言った表情で目を逸らす。
「なんで?」
私が楽し気な笑みで尋ねると、彼女は観念したように鼻でため息をついた。
「うーんと……なんだかやけにしつこく話しかけてきた日があって……一人になりたかったのにずっとついて来るからいい加減うんざりして『鬱陶しいからどっか行ってよ!』って怒鳴ったら、デュアンがそれに噛み付いてきて……あとは流れで」
「へぇ、あのお兄ちゃんが~」
私はメルビスさんを見つめながら、感心したように言った。
「な、なによ……」
「お兄ちゃんって人見知りなんですよ」
「……そうなの?」
「はい、私もそうなので」
「……それは分かるわね」
「だから、お兄ちゃんが喧嘩したのってニャータくらいだったんだよ?」
「まあ、あいつとはそれなりに長い付き合いだしね……」
私は直感的に、この人からは面白い話が聞けると思った。
「ねえ、これまでの話聞かせて!」
「え? まあ、いいけど……」
「私の部屋いこ!」
メルビスさんは戸惑った表情を見せたが、それでも意外とすんなり承諾して席を立った。
自室はダイニングルームを出て左に進み、二つ目の扉の先にある。
私が先に部屋へ入り、床に設置された四角いテーブルにティーポットを置いてベッドの前に移動させると、間もなくメルビスさんが部屋に入ってきて、両手に持っていたティーカップをそのテーブルに置いた。
「座って座って!」
私は孤児院にいた頃には考えもしなかった異常なほど沈むベッドに座りながら、右手でパンパンとベッドを叩いてメルビスさんがそこに座るよう促した。
メルビスさんはやれやれと言った様子でそこへ座る。
「うわ、凄いわね」
「あはは、私も最初はびっくりしたよ」
「……」
彼女はベッドの沈み具合に対して一言感想を述べ、私も同じだったと共感をした。
しかしその後、メルビスさんは一瞬何かを言おうとしたが口を噤んでしまう。
その様子から、私はリラックスが足りていないのだろうと思ったので、ローティットと接っしているように話してみることにした。
「メルビスさんは随分大人しくなったよね」
「え?」
「前はニャータの事すっごい聞いてきたじゃん」
「ああ……あはは……」
彼女は何とも大人しく笑った。
初対面の時と比べ、あまりにも大人しい彼女の反応に私はもどかしさを感じた。
「ねえ、メルビスって呼んでもいい?」
どうにも、他人であるのが不自然であるような気がしたので、思い切って一歩踏み込んでみた。
「え、まあ別にいいけど……」
彼女は困惑した様子で答えた。
「年もそんなに離れてないでしょ? 今いくつだっけ?」
「16歳」
「私は14歳、殆ど変わらないでしょ?」
そう、殆ど変わらない。
ローティットは24歳だし。
「そうね……じゃあ私もマリアンって呼ぶわ」
「マリィでいいよ、ローティットがそう呼んでるから。そしたらメルビスは……メリィ?」
「私はあまりニックネームで呼ばれたことないなぁ」
「え、じゃあ何か考えようよ」
そんな調子で会話を進めていった結果、メルビスのニックネームはメルティになった。
「メルティ……なんかちょっと気恥ずかしいわね」
「その内慣れるよ」
「……そうね」
メルビスは初対面の頃に近い表情と声色で笑った。
「じゃあ、ニャータと知り合った時から聞かせて!」
「随分唐突ね……まあいいわ、えーっと、初めて出会ったのは――――」
それから数刻の間、暖かな日差しが差し込む部屋からは、何処にでもあるような楽し気な声が鳴り響いていた。




