間話 喪失
僕は今、魔導の稽古を付けてもらうためにミクリアさんの元へ向かっている。
オークション終了後に会場からすぐ傍の広場で僕たちはミクリアさんと会話をしたけど、その終わり際に稽古を申し出た。
僕の頼みにミクリアさんは少し驚いていたけど、快く了承してくれた。
今後の僕の行動は、「テイラに会いに行く」という事になっている。
ニャータとメルビスにそう言ったからだ。
嘘を付いたのは、内緒で特訓をしたかったから。
理由は、上手く言葉にできない。
でも、何となく原因となる思想は突き止めていると思う。
昔から、何かしらの分野で新しい段階へ上がる時なんかは、自分の世界感で感想を持ちたいと思っていた。
僕は人見知りだから、例え親友でも周囲に人がいるだけで、どこか集中力が削がれてしまう。
初めての体験は貴重なものだと思うから、出来るだけ集中して脳内に取り込みたい。
ただ、教えられるのではなく、自分で見つけたい。
ああ、これかも。
僕が一人になりたい理由は。
いつもはニャータ達みたいな優秀な人に囲まれているから、どこか思考を放棄してしまっているけど、それじゃダメだった。
いつの間にか、僕は二人に置いて行かれている。
持ち前の魔力総量と感覚でついて行ってるけど、最近は二人の邪魔をしてしまうことが多いと思う。
技術だけでなく、精神的にも。
精神面は、ここに来る最中に起きた山賊との一戦で顕著に表れた。
僕は怒りに任せて人を殺した。
その罪を背負わせまいと、ニャータとメルビスも人を殺した……んだと思う。
これが妄想であったとしても、僕が自分を咎めるという事に変わりはない。
僕の思い描く「人」の理想像は、感情に振り回されるような人ではないからだ。
「殺すのは目的であって、欲求じゃない」
いつだかに、ニャータはこう言った。
全くその通りだね。
僕は結局、欲求を満たすために人を殺めたクズだ。
だからこそ、成長しなくてはいけない。
今回僕が殺めたのが山賊でよかった。
後腐れなく、前向きに次の目標に足を進めることができるから。
そんな思考の流れから、まずは技術面の新しい世界へ踏み込むことにしたんだ。
そして、ミクリアさんに教えを請うたのにも理由がある。
実際に旅路の最中に教えてもらったけど、簡単に言えばとても心地よかった。
魔導について教えてもらっている時だけじゃなく、山賊の襲撃以降のミクリアさんと過ごした数日間の旅路は、とても充実していた。
指導については、探究心をくすぐりつつも正解を匂わすことはせず、僕の自主性に委ねてくれる。
そんな教え方は、苦手意識があった分野にも積極的に踏み込もうと思えた。
ニャータの様に、失敗しても「当り前」と流さずに、僕の癖を微笑みながら指摘してくれる。
メルビスの様に、成功しても「及第点ってところね」とそそくさと次の訓練内容の説明に映らずに、高鳴る僕の鼓動に合わせるように一緒に喜んでくれる。
だから僕はそんなミクリアさんに覚えた魔導について話したいと思うし、もっと沢山の技術を身に着けたいと思った。
それをニャータに言ったら、「もしかしたらお前は母を目の前で失ったからそういった類の母性を求めてるのかもな」なんて返答をした。
僕は幼い頃に目の前で母を失い、今でもたまにその時のことを思い出して胸が締め付けられる。
それほど、脳内にへばりついて拭い去ることも叶わない。
ニャータは凄い、きっとニャータの言ったことは当たっていると思う。
実際、ミクリアさんといる時は過去の厭な出来事なんかを思い出すことはない。
むしろ、内から湧き出てくる楽し気な未来の事を考えてしまっているほどだ。
とは言え、ニャータもメルビスも嫌いってわけじゃない。
ニャータは正確に物事を伝えてくれるし、メルビスも僕が出来るようになるまで根気強く付き合ってくれる。
でもなぜか、気が重かった。
これはニャータとメルビスとの差が開いていく感覚が原因だったのかもしれない。
教えられる存在の惨めさを僕はこれまで知らなかった。
僕は心のどこかで「頑張れば出来る」と思っていた。
……でも、出来なかった。
出来る限り振り絞ったところで、粗末な結果に終わる。
その経験から、ただ何となく他の人よりも出来ていたというだけで芽生えた自信は、苦悩と苦労を伴う努力には絶対に叶わないと知った。
そんな日々が続くうちに、現在のどこか弱腰な僕へと変貌していったんだ。
でもきっと、魔導大学ってところに通う様になったら大丈夫なんだと思う。
ミクリアさんと毎日特訓すればニャータとメルビスとの差も縮まって、また以前のように同じ目線で笑えるよね!
僕は「間違いない」という確信が追い風となり、高鳴る感情の赴くままに突き進む。
街の大通りの上方には大きな木を切断してできた足場が一定の間隔で設置されており、今はその上を駆けている。
強化魔導で高速移動する際に活用する為の足場だ。
街はブーメランの様な型をしているけど、北から南までを走るとなると時間がかかるし、人通りも多いから事故が発生しかねない。
過去には実際にそう言った事故も相次ぎ、それ以外にも屋根の上を飛んで移動する人が屋根を破損させたりと、改善策を常日頃から改善策を求める市民の声がマーチャントギルドに届いていたそうだ。
その結果、12年前に苦情の解決策としてこの足場の設置が決定したと。
この足場の設置以前は移動用の馬車が行きかっていたらしい。
だけど行商人とのすれ違いの際に道をふさぐこともあり、マーチャントギルドとしても交通の便を阻害する原因として問題提起はされていたらしい。
今でも移動用の馬車は存在しているが、マーチャントギルドが管理しているもので、馬車乗り場というものが各所に設置されており、出発と到着の時間が厳密に制御されている。
そしてその馬車も新たに設置された専用の道を通る為、一日でカッセルポートを一周できる程の速度で移動できる。
という事を、孤児院の院長であるターベンさんに5回くらい聞かされた。
なんでも、ターベンさんも足場の設置や移動用馬車の設置に関与しているとかなんとか。
その辺のことはもう忘れてしまったけど。
それはともかく、熟練した作用魔導を駆使すれば空中を移動することも可能なのだが、老練な人たちが優雅に空を飛び回っているのを見るのが僕の子供の頃の楽しみの一つだった。
僕もいつかは、あんな風に空を自由に飛び回ってみたい。
今の僕では、そんなことはまるで出来そうにないけど、いつかは絶対に……!
そんなことを考えながら足場を渡っていき、30分程で目的地周辺まで辿り着いた。
「うーんと、この辺だと思うんだけど……」
ミクリアさんが宿泊している宿は、街の中央付近にある大通り沿いの「女王の羽休め」という高級宿だそうだ。
僕は、大きな足場の端まで歩いていくと、しゃがみ込んでそれっぽい建物を探して見る。
「あれ……かな?」
中央門から続く大きな道の端に、一際豪奢な装飾が施された石造りの建物を見つけた。
その建物の入り口付近にある、品のある大きな看板の文字を確認する。
すると、「女王の羽休め」という文字を見つけた。
近くの着地用のスペースに向けて降り立ち、その宿に向かう。
――宿に近づいていくうちに、髪を一つ結びにした赤髪の女性が見えてきた。
「ミクリアさーん!」
僕は、大きな声で叫んだ。
ミクリアさんは僕の声に返事することはなく、こちらを向いて優雅に笑顔を浮かべて見せた。
彼女は、戦闘する時や活発に行動する時は髪を一つ結びにするらしい。
僕たちと行動を共にしてから暫くすると、その髪型で過ごしていた。
その姿は勇ましくも美しい、そんな印象だ。
僕は足早にミクリアさんの元まで駆け寄った。
「時間、大丈夫だよね?」
そう言って、一際高い建物に据え付けられた時計で時刻を確認する。
「ええ、大丈夫ですよ。私もついさっき準備を終えた所ですから」
ミクリアさんは心地よい声で、そう言った。
「では、修練場へ向かいましょうか」
ミクリアさんは身体を進行方向へ向けてそう言った。
「うん!」
僕は嬉しくなって、元気よく返事をした。
修練場とは、修練をする為のスペースを貸し出す施設で、縦にも横にもかなり広い敷地を有している場所。
実戦用のスペースは予約制で貸し出し、その他にもそれぞれの魔導活用法の訓練に適した用具が用意されている場所が沢山ある。
今回僕がどの場所で訓練するのかがまだ分からない為、聞いてみる。
「ミクリアさん、今日はなんの訓練をするの?」
「まずは、遠隔魔導にする予定です」
ミクリアさんは迷うことなくそう言った。
僕は遠隔魔導と聞いて正直少し気が重くなった為、現状を嘆いてみる。
「遠隔魔導かー。今は漸く物を動かせるようになったけど、それ以外は全然ダメだったんだよねー」
「だったら、尚更訓練する必要がありますよ」
ミクリアさんは、こちらを向いて僕の嘆きを切り裂いた。
その後、遠隔魔導の魅力について語る。
「遠隔魔導は応用すれば色んなことに活用できますし、魔力が多い方の場合は遠隔魔導で自分の身体を動かす方が効果的な場合もありますから」
「自分の身体を……?」
ニャータからも聞いたことのない使い方が耳に入ってきた為、浮かんだ疑問を思わず呟いた。
「ええ、そうです」
ミクリアさんは短く肯定した。
恐らく、それは修練場について丁寧に説明されるのだと思う。
ニャータよりも先に――。
そう思っただけで、苦手な遠隔魔導だというのに俄然やる気が湧いてきた。
そこで、ふと浮かんだ疑問を投げかける。
「ミクリアさんも使ってるの?」
「当然です。修練場へ着いたら、私のパンチを一撃入れますので避けないでくださいね?」
ミクリアさんはいつもの優しい声色でそう言った。
いつもの雰囲気で物凄く恐いセリフを吐いた気がする。
「え、今なんて……」
僕が質問をすると、ミクリアさんは目の前の大きな切り株へと飛び乗った。
タイミング良く、強化魔導専用通路へ到着したようだ。
すかさず僕もミクリアさんに続いて切り株に飛び乗った。
「デュアンさん、頑張って着いてきてくださいね」
「え?」
ミクリアさんはそう言うと、僕が次の言葉を考える暇も与えずに物凄い速度で次の足場へ移動した。
それを見た僕はスイッチが入り、負けじと強化魔導をふんだんに使って追いかける。
――追いついた!
僕はミクリアさんの方を向いて余裕のない笑みを浮かべた。
ミクリアさんはそんな僕を見ると優雅に微笑む。
そして、更に速度を上げた。
本当に絶望を感じた。
既に限界が近く、身体も思う様に動かない。
もう、諦めてしまおうか。
ふと、自分の中の弱さが顔を出す。
どこか、楽な道へ進もうとしてしまう自分がいる。
足を止めるか否かで逡巡している最中、ふと過去にニャータが言ったセリフを思い出した。
「精神にストレスが掛からないようにするのは俺の中で最も重要視していることだ。それは、どんな懸念も厭わないという意味でもある。いいんだよ、常識なんて馬鹿がこぞって固めた集団心理に過ぎないんだから」
いつもこうやってニャータは持論をポロポロと溢すけど、たまに過激な発言をする。
でも、このセリフは結構好きで、僕の内心を抑制していた何かが解けた様な感覚を覚えた。
ストレスが掛からないようにする、か。
諦めるか否か――答えは一つだ。
僕は、その場で足を止めた。
そして、自分の身体に向かって硬度属性を付与した放出魔導をぶっ放す。
すると、自分の足で進むよりもずっと速く移動することが出来た。
当然僕の身体は悲鳴を上げるが、関係あるまいと瞬時に治癒をする。
治癒が終わると、間髪入れずに再び放出魔導を自分に向けて放つ。
方向はバラバラで、ジグザグに進んでいると思う。
だけど、関係ない。
――絶対に追い越してやる。
その想いが臆病な僕を過激にしていく。
まだ追いつけてない、少しずつ距離が開いている。
これじゃ足りない、もっと速く!
迷うことなく、更に出力を上げた放出魔導を自身に放つ。
放出魔導を放つたびに身体に衝撃が走り、意識が飛びそうになる。
でも、何故だか痛みは感じない。
だったら、まだまだいけるってことだ!
そうやって徐々に出力を上げながら突き進んでいくうちに、段々とコツが分かってきた。
最初はデタラメに放っていた放出魔導は徐々に精度を上げていき、今では進行方向に向かってほぼ一直線に飛べている。
骨盤の辺りが一番良さそうな位置だった。
丁度射出した勢いで身体のバランスを崩さずにいられる。
射出する位置が少し正確でないと真後ろには飛ばない為、慎重に良さげな位置を探った。
――これはニャータには出来ないと思う。
僕の魔力総量が多いからこそ成り立つ荒業。
もしかしたら、既に同じ方法を活用している人もいるかもしれないけど、紛れもなく僕が初めて自ら考え出した方法だ。
やっと、一人前になるための一歩を踏み出したような気がする。
その感覚は更に脳を麻痺させ、破竹の勢いで加速していく。
数日前に習得したばかりの熱魔導を使ってミクリアさんを補足しながら飛んでいく。
何とか同じ速度まで加速できたようで、距離はこれ以上離されていない。
やった……!
そう思った瞬間、ミクリアさんが途端に足を止めた。
「ええ……!?」
僕は思わず漏れ出た情けない驚愕の声を上げてミクリアさんを通り過ぎて行った。
必死になり過ぎて、着地の事を考える余裕がなかった。
身体は勢いに抗えず、後方へ飛んでいく。
しかしその数秒後、僕の身体はぴたりと空中で停止した。
そして、抗えない程の勢いでミクリアさんの方へ引っ張られる――――
「うわぁ!!」
その後すぐに勢いは途絶え、僕はミクリアさんの足元付近に顔から着地した。
勢いが強かったため僕は一回転し、仰向けになった。
何が起こったのか分からず呆然と空を眺めていると、凛々しい顔つきの美しい女性が視界を覆った。
「中々いい発想でしたよ。合格です!」
ミクリアさんは笑いながら、僕を称賛した。
顔を撫でるそよ風と暖かな日差しが心地よくて、疲れに負けた僕は微睡みへと身を投じた。
「…………」
目が覚めると、見慣れない天井と匂いが僕を覆っていた。
状況を確認すべく、寝起きの重い身体を起こす。
右から左へ周囲を見回していくと、左側に女性が剣を振っているのが見えた。
ミクリアさんだ。
彼女は程よく汗を滲ませながら軽快に剣を振っている。
架空の相手を想定しているのか、剣術の様々な型を実践の様に。
その様は実に可憐で鋭く、精確だ。
一連の動きに無駄がないからそう見えるんだと思う。
僕はいつの間にかそんな彼女に魅入られ、胡坐を組んでそれを眺めていた。
数分間の間じっと眺めていると、豪快な一太刀を最後にその剣舞とも言えるような素振りは終幕した。
「……おはようございます」
ミクリアさんは、汗をタオルで拭きながらこちらを向いて挨拶をした。
「おはよう! 凄かったね、見惚れちゃったよ!」
「うふふ、少し恥ずかしいですけど、ありがとうございます」
僕が褒めると、ミクリアさんは照れた様子で返事をした。
「恥ずかしいだなんて、誇っていいくらいの出来栄えだったよ!?」
僕は素直に思ったことを口に出す。
「いえ、今は亡き兄と比べれば、まだまだ鋭さが足りないのです」
すると、ミクリアさんは視線を横に流して、憂う様にそう言った。
「ミクリアさんのお兄さんの話、聞かせてくれない?」
僕は真剣な面持ちで尋ねた。
「長くなりますけど、よろしくて?」
「うん!」
僕は元気に短く了承した。
その後は数時間に及んで会話が弾んだ。
僕が事あるごとに質問をした為にそのくらい長くなったのだが、どの話をしている時も楽しいと感じた。
ミクリアさんの兄の名は「ソレント・テランタ」。
子供の頃から両親から多大な期待をされて大事に育てられ、本人の努力の甲斐あって卓越した戦闘技術も有していた。
そんなソレントさんの容姿は、短く整えられた金色の頭髪の前髪を綺麗に中心で分けており、翡翠色の瞳に白い肌を持つテルス人。
整った顔立ちで人当たりもよく、妹であるミクリアさんともよく遊んであげていた。
ミクリアさんはそんな兄が大好きで、子供の頃はよく「お人形遊び」や「魔導のお話」をせがんでいたそうだ。
文武両道に励む兄を輝かしく思う反面、自分の未熟さを感じ始めた。
そんな時期になると、兄に稽古を付けて欲しいと頼んだ。
ミクリアさんの魔導の道はそこから始まった。
ミクリアさんは生まれつき魔力総量が多く、成長速度は早かった。
感覚で何とか出来るセンスもあったし、本を読めるほどの知性も備えていた為、成長を妨げる要素が少なかった。
唯一の懸念点は、所詮真似事の域を出ないという事。
ソレントさんは、間違いなく天才であり、テランタ家の誇る「魔風剣術」に記されていない、新しい派生技を編み出すことも珍しい事ではなかった。
そうして生み出した技を組み込めば、ソレントさんにのみ理解の及ぶ唯一の剣舞となった。
一見無駄に思える型も、緩急をつけたりテンポを変えると意味が分かってくるような、そんな感じのもの。
ミクリアさんはそんな兄の剣術を身に付けたくて特訓を重ねてきたが、未だに練度が目標に達していないようだ。
「そう言えば、『魔風剣術』ってことは風を操ったりするってこと?」
「いいえ、風の様に速く鋭く、そして優雅な剣術という理由でその名が付けられたそうですよ。剣術以外にも槍術や杖術の教えもありますね」
僕の質問に、ミクリアさんは丁寧に答えた。
風の様に速く鋭く、そして優雅……か。
僕にはその全てが足りない様な気がするなー。
そよぐ風を感じながらそう思った。
「じゃあ、そろそろ始めましょうか」
「……始める?」
「何を言ってるんですか。特訓をしに来たんでしょう?」
「ああ、そうだった!」
我に返ったかのように、大きな声を上げた。
自分が特別優れているわけではないという事実に少々ショックを受けたこともあって、本来の目的を忘れていた。
そうだ、なんにせよ現状を変えるには努力を積み重ねるしかない。
僕は今一度、気を引き締めなおした。
「ミクリア先生、ご指導よろしくお願いします!」
「はい、それではまずは――」
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「ミクリアさん、またね!」
僕はそう言って手を振った。
すると、ミクリアさんは優しく微笑みながら手を振り返してくれた。
時刻は33時を回ったところで、辺りは暗くなり始めていた。
想定していたよりも魔導の訓練が捗り、予定してた時間よりも随分長くなってしまった。
僕は、強化魔導に光属性を付与して自分を光らせながら宿までの道のりを急いだ。
ニャータ達、もう寝ちゃったかな?
今日の事早く話したいし、二人の話も聞きたいな。
僕は未だに感情が高揚している。
遠隔魔導による自身の操作に関しては、難しかったし今でも実戦に使えるレベルに至ってはいないが、今からでもまた訓練をしたいと思うくらいそのことで頭がいっぱいになっている。
軽快に足場を伝っていると、宿泊している宿が見えてきた。
景色は、ランプによって煌びやかな明かりがこちらを照らしており、とても綺麗だ。
「やっぱり、この景色はいつ見ても絶景だなー」
思わず声に出してしまうほど、僕はこの景色が大好きだ。
ニャータとよくこの景色を眺めながら将来のことを語ってたっけ。
ここは夜になると人通りが減って、腰を下ろすことも出来るようになる。
風も気持いから、二人でよくここへ来ては寛いでいた。
不意の事故を未然に防ぐために自身を発光させるのも忘れずに。
そうだ、今日はメルビスも誘って三人でこの景色を眺めるのもいいかもしれない。
宿に戻ったら提案してみよう。
そんなことを考えているうちに宿へ到着した。
中へ入ると、懐から札を取り出して店主に見せる。
階下は小さな酒場の様になっている為、大人たちがガヤガヤと賑やかにいくつかのテーブルを囲んでいる。
僕はそんな中を素通りして階段を駆け上った。
そしてニャータのいる部屋を開けた――
しかし、そこにはニャータの姿はなく、膝をついて顔をベッドに埋めているメルビスと見覚えのある女性が椅子に腰かけていた。
「これは……なに?」
異様な光景の全貌を明らかにすべく、疑問を口にした。
椅子に座っている女性が、重苦しそうに顔をこちらに向ける。
「あんたこそ、その髪型は一体何なのよ」
その女性は、極めて暗い声色でそう言った。
「ああ、これは知り合いの人にやって貰ったんだ。それより、なんでノアさんがここにいるの?」
「ノア・イオール」、彼女は且つて近接魔導術を教えてくれた人だ。
しかし、やはり状況が読めない。
メルビスは全くこちらを向く気配がないし、ノアさんも深刻といった面持ちだ。
余りしつこく質問をするのは良くない気がしたので、もう一つあった椅子に腰かけて様子を伺うことにした。
沈黙が続くこと数分、ノアさんが漸く口を開いた。
「あんた、覚悟して聞きなさいね」
その文言に、心臓が締め付けられたような感覚が僕を襲った。
嫌な予感がしてならない。
さっきからニャータの姿が見えないし、このメルビスの有様。
心拍数が上がり、呼吸も荒くなっていくのを感じた。
そんなはずはない。
そんなことになるはずがない。
だって、ただ買い物に来ただけだ。
知人に顔を出しに行っただけだ。
きっと、何かのサプライズだ。
そうだ、ターベンさんとかじゃないか?
まだ祝いが足りないとかで、また驚かせようとしてるんだ。
きっと、このあとターベンさんやニャータが扉から――
「ニャータが、死んだかもしれない」
僕の願いも虚しく、ノアさんは先程と変わらない声色で短くそう告げた。
考えが纏まらない。
ニャータが死んだかもしれない?
一体どういうことなんだ。
一旦冷静に話を聴こう。
ノアさんは「かもしれない」と言ったんだ。
「かもしれない、というのは一体?」
「山賊に捕らえられたのよ。作戦が失敗して」
静寂が空間を包む。
山賊? 作戦? 訳が分からない。
ニャータは製本屋に向かったんじゃなかったの?
「そうね、貴方も知る権利があるわね。メルビス、部屋開けるわよ」
「…………」
ノアさんの声掛けにメルビスは何の反応も示さない。
「さぁ、着いてきなさい」
僕メルビスの様子が気になったが、状況が把握できない事には何も始まらないと思ったので、ノアさんに着いていくことにした。
階下の酒場、ノアさんは隅の方のテーブルに腰かけた。
僕もノアさんの向かいの席に腰かける。
その後は適当に注文を済ませ、届いた肉料理を食べ始めた。
「意外といけるわね、これ」
「ああ、うん……そうだね」
なんだか味がほとんど感じられない。
正直、ニャータが死んだかもしれないと言われても、実感が湧かなくてどうすればいいのか分からない。
僕はまず、起こったことを知ることから始める必要がありそうだ。
「どこから話せばいいかしらねえ……」
ノアさんはそう言ってため息を吐くと、ゆっくりと話し始めた。
――数十分後、話は終わった。
ニャータが山賊に工作を仕掛けたことと、助けに行くのが難しい理由が伝えられた。
相手の大将は魔族と賢族の混血で戦闘力は推定で魔級と言われている。
それだけで、正面から向かっても屍の山を築くだけだ。
……僕は未だに涙が出るようなことがない。
「メルビスの事は、私じゃ何も出来なさそうだからあんたに任せるわ。あんたも、無理するんじゃないわよ? じゃあまた明日」
ノアさんはそう言って宿を去った。
僕もその後、どこか浮いたような感覚で階段を昇って部屋に戻った。
そこには、先程と様子の変わらないメルビスがいた。
僕は椅子に腰を下ろして、口を開く。
「ねえ、きっとニャータは生きてるよ」
「…………」
「いつか、何食わぬ顔で戻ってくるって」
「…………」
僕は淡々とそう言ったが、メルビスは反応を示さない。
「……それでいいの?」
思わず声が震えた。
「もし仮にニャータが殺されたんだとして、メルビスはそれでいいの?」
澄んでいた心境は大きく揺れ始めた。
「僕は嫌だよ。親友を殺されて、黙ってるなんて……絶対に嫌だ」
目から、涙が伝う。
「特訓してさ、強くなって……強くなって強くなって! 仇取ろうよ……!」
顔が歪み、更に涙が溢れてくる。
「それが、これまでニャータに貰った恩を返せる唯一の行動じゃないの……!?」
そう、そうだ。
僕たちはニャータに沢山の恩がある。
それを返さないと、僕は死ねないんだ。
僕の心からの慟哭のあと、メルビスがゆっくりと身体を起こした。
メルビスもまた、酷い顔だった。
その後は、二人で泣いた。
「泣くなよ、これから頑張るんだからさ!」
「あんただって泣いてるじゃないのよ! ていうかその髪型なんなのよ!」
なんて言って泣きまくった。
その数日後に、予定通りミクリアさん達と一緒にペセイルへの帰路についた。
その際、心配だからという理由でノアさんが着いてきてくれた。
憎き山賊の襲撃にもあったけど、全員肉塊にしてやった。
ペセイルに着くと、ノアさんとミクリアさんを教官として毎日修練に励んだ。
メルビスは近接魔導術を、僕は魔風剣術を磨いた。
そして、寒期が到来した。
僕たちは、寒期でも稽古が出来るようにと一回りも二回りも大きな地下訓練施設付きの屋敷を借りた。
資金については、ノアさんとミクリアさん、そして僕とメルビスの四人で活動して何とか調達することができた。
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長い寒期が明けた。
「ニャータ、行って来るね」
毎日、ニャータの形見の魔導具に語り掛けてから活動を開始している。
そこにニャータがいるような気がするから、勇気が湧いて来るんだ。
髪も切った。
ニャータの様な短い髪型に。
体格も一回り大きくなったような気がする。
日々の特訓の成果が如実に表れたようで嬉しい気持ちになる。
「メルビス、おはよう。見てよ、この筋肉! もう一人で上級魔獣も倒せちゃうんじゃない!?」
「馬鹿言ってんじゃないわよ。あんたなんか1秒でミンチにされるわよ」
いつもの様に下らない冗談を語らう。
「……あれ? 僕の剣知らない?」
「ああ、師匠が借りるって持ってったわよ」
メルビスが新調した装備に着替えながら質問に答えた。
「どこに?」
「さあね」
メルビスは鎖帷子の中に挟まっている一つ結びの長い髪を外に出しながら、軽い口調でそう言った。
その反応を受けて、僕は困った様に頭に手をやった。
すると間もなくして外からノアさんが帰ってきた。
「ああ、二人ともおはよう」
「おはようございます」
「おはようー」
取り合えず僕の剣が帰ってきたので、安心して挨拶を返す。
その後、ノアさんの腰や手を確認するが……剣が見当たらない。
「あの、ノアさん。僕の剣はどこに?」
「ああ、売ってきたわ」
「はぁ!? あれは、ニャータと一緒にお金を貯めて買ったもので――」
僕が感情的に声を荒げると、ノアさんが右の手のひらをこちらに向けて、停止するように合図を出した。
「新しい剣をオーダーしてきたのよ。ちょうど1メテラ足らなかったから何とかその値段で売ってきたわ」
「でも、あれはニャータとの思い出の品で……」
「そうかもしれないけど、あの剣じゃまともに上級魔獣に傷が入らないじゃない。何回も折れて修繕しての繰り返しで、修繕費だって馬鹿にならないのよ?」
ノアさんは腕を組んで大きく足を開く様な姿勢で堂々とそう言った。
ノアさんの言い分は正しいと思う。
だけど、やはりいきなり売るって言うのはやめて欲しかった。
僕が俯いて黙ると、ノアさんが大きく溜息を付いた。
「はぁ、あんたもまだまだ女々しいわね。売ったとは言っても質に入れただけだから、お金さえ用意できれば戻ってくるわよ」
「え、ほんと!?」
思わず笑顔になってしまった。
「ええ、そうよ。あわよくば成長を促せると思ってあえて言わなかったのよ」
そう言われると、なんだか悔しい。
でも、それだったらよかった。
頑張ってお金貯めてちゃんと返してもらおう。
「代わりの剣はないから、今日は後衛でサポートして頂戴ね」
「うん、任せて!」
「おはようございます」
ここで、ノアさんの後ろからミクリアさんが姿を現した。
容姿に特に変化はなく、いつも通り綺麗だ。
僕とメルビスが挨拶を返すと、ノアさんが話しかける。
「ミクリア、良さそうな依頼はあった?」
「はい、レッタの森の奥地に――」
僕たちは今日もハンターとして活動をする。
依然として山賊は大きな問題を齎しているけど、何があっても絶対に屈しない。
そしていつか、必ずニャータの仇を取るんだ。
そう、誓ったのだから。
 




