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魔導の照らす大地  作者: うさとひっきーくん
第三章 故郷帰り
34/37

第25話 寒期の始まり

 ――現時刻、28時。

 カッセルポートの北門から出立してから、1時間ほどが経った。

 既に後方に広がっているカッセルポートの姿を視認することはできない。


 俺と10人の護衛から成る工作員一行は、カッセルポートから続く一本の大きな街道を、作用魔導で動かしている馬車と共に歩いている。

 その様相は、やや異色な雰囲気を醸し出していることだろう。

 馬を使わずに馬車を動かしているのは当然として、俺は毛皮のローブを纏ってフードを深くかぶっていて顔が見えないようにしている。


 何故、俺が顔を隠すような装いを纏っているのか。

 それは、俺達が今から会うことになるであろう相手が、山賊だからだ。

 何をしでかすか分からないような奴らに顔がばれると、色々と面倒なことになるかもしれない。

 

 そんな思惑で歩くこと現在、俺達は例の山賊と思われる集団に尾行されている。

 俺が常に半径200mほどの範囲に張り巡らせている、熱魔導による熱感知に10人程が引っかかった。


 俺達が歩いている街道を挟むように広がっている森の両側に5人ずつという内訳だ。

 我々と同じ速度で進んでいることから、尾行であることは明白なのだが、今のところ襲って来る気配がない。


 護衛の人数の重厚さと、身に着けている装備を警戒してるのだろうか。

 現在の状況が既に20分程続いている。


 200mほどの距離では熱感知で簡単にバレるという事は分かっているはず。

 それを、常に対人を想定している山賊が知らないわけがない。

 通常、隠密行動をする場合、対象からは数千メートルは離れるのが定石だ。


 であれば、奴らは隠密よりも優先している事項があるはず。


 10分程前に、俺はそう思いたち、一つの答えを出した。

 ――こちらの戦力を測っているのだろう。


 この囲まれた状況で逃げるのか否か。

 逃げればそこで襲撃するし、逃げなければこの先に待つ味方と合流して、その状況で逃げるか否かで戦力を測る。

 そして、山賊側の戦力が明らかに上回った段階で襲撃に移るのだと思う。


 現在の状況では、俺達の人数と追尾している山賊の人数は同等だが、その場合でも追尾されている側が攻勢に出る可能性は極めて低い。


 まず、俺達からの距離だ。

 俺達が攻勢に出る場合は、馬車を守護する人を一人か二人配置し、残りの戦力は二手に分かれて各個撃破を目論むのが一般的だろう。

 しかし、その場合はこちらが山賊にすぐに追いつける距離でなければならない。

 山賊どもはこの周辺を縄張りにしている為、土地勘がある。

 これでは、200mの差を縮めるのは難しく、そのまま逃げられるか、最悪の場合罠に嵌められる可能性もある。


 それ以外にも、仲間を呼ばれて返り討ちになる可能性だってある。

 つまり、この状況を打破する為には、そんな山賊と一戦交えても問題ないほどの護衛の質と数をそろえる必要がある。


 しかし、その戦力は今の俺達にはない。

 結果、詰んでいる。

 俺達に残された選択は、潔く積荷を置いて逃げるか、このまま進み続けて数が増えた山賊に全てを狩りつくされるかの二択だ。

 少なくとも、俺にはそれしか思いつかない。


 だが、俺達にとってこの状況は好都合と言える。

 このまま歩いていき、山賊の援軍が熱感知に引っかったその瞬間、俺達は馬車を置いて逃げるという選択を取る。


 山賊達は、投げ出された積荷の回収が済めばこちらを追ってくることはないだろう。

 カッセルポートでも屈指の戦力を誇るノアさんが率いる勢力と、正面からやり合うのは避けたいはずだからだ。


 それに、俺達が運んでいる積荷の中身は大量の食糧だ。

 現在食糧難に陥っている山賊であれば、食糧さえ確保できれば満足するだろう。

 良い成果を手にした山賊どもは、満足気にその食糧を拠点に持ち帰り、食べるはず。


 だが、そうなれば最後、奴らは肉塊へと変貌する。

 俺達が運んでいる果実は、そういう代物だ。


 今後の行動が決定したならば、あとは、時が来るまでひたすら同じペースで歩き続けるだけだ。


 ――数分後。

 予想通り、熱感知に10人程度の山賊と思われる奴らが引っかかった。


 その瞬間に、俺の周りを歩いている護衛達に話しかける。


「積荷は諦める。5を数え終わったら、一斉に後方へ走るぞ」


 俺の言葉に、反応した者はいない。


 だが、それこそが了解の合図だ。

 

 周囲を占める緊張感は、最高潮と言ったところまで上り詰めた。

 皆が、真剣そのものと言った立ち居振る舞いをしている。


 現在行っている工作では、俺達の運んでいる物資が罠であることを毛取られるわけにはいかない。

 そのため、演技力を問われることになる。

 だが、騎士としての教養は言うまでもないとしても、演劇の教養は皆無と言ってもいいだろう。


 演技力は、所作や呼吸のテンポ、視線の動きやその速さに至るまでを神経質に問われる。

 少なくとも、今回の場合はそうだ。


 ここまで神経質に、所作に至るまでを評価するのには、理由がある。

 洞察力が優れている人は、言葉を発せずとも所作で違和感を察知することができる人もいるのだ。

 最初は何となく違和感を感じる程度かもしれないが、その状況に目くじらを立てて観察するうちに、様々な可能性が考えられてしまう。

 杜撰な演技を観察されれば、最終的には「明らかに演技をしている」と結論付けられるだろう。


 今回は、その対策として、ノアさんが一つ手を打ってくれた。

 演技を最大限リアルにするために、ノアさんはリーダーであるタナスさん以外に事情を説明しないという選択を取った。

 それが功を奏したようで、俺から見ても所作に違和感を感じない。

 この様子では、もし洞察力に優れている山賊がいたとしても、これが罠であると判断することは難しいと思う。


 護衛役の人達に問題がない事を確認すると、俺も世界観にのめり込む。

 状況設定を決めて、その中に入り込み、その状況に置いて分かっている知識のみを思案の候補に入れる。

 段々と心情が緊張感に染まっていくのが分かる。


 俺は今、物資を捨てるか否かの重要な選択を迫られ、物資を捨てることを選んだのだ。

 

 そして、カウントを始める。


「1……2……」


 俺は、ゆっくりと「5」を数えていく。


 数を数えているこの数秒間の間でさえも、自身の作戦を疑い、誤りが無いかを鑑みていた。

 数秒間の間に判断の是非が分かることは殆どないだろうが、考えずにはいられない程、自信があるとは言えなかった。


 だが、ここまで来た以上、引き返すことはできない。


「3……4……」


 葛藤の末、迷いをかき消し、次の行動の事だけを考えるよう努める。

 とにかく、逃げるイメージを鮮明にし、それ以外何も考えない――――


「5」


 俺達は一斉に後方へ走り出した。


 ――その瞬間。

 遠方から、小さな魔力反応を示す物体が俺に向かって一直線に飛んで来るのを感知した。


 なんだ……?


 その小さな物体について思案する時間はなく、ただそれが不味いものでない事だけを祈る。


 その直後、風を切る音が耳に入ったと思ったら、次の瞬間には左の腰部に背中側から衝撃が走った。

 恐らく、とてつもないスピードで、何かが俺の体内へ入り込んだ。


 その物体を、作用魔導で体外へ出そうとしたが、反応を示さない。

 という事は、生成魔導によって生成された魔力物質なのだと思う。


 その直後、俺の身体は自由を失い、うつ伏せになる形で地面へ力なく倒れこんだ。


「ニャータ!」


 俺の異常事態を感じ取ったタナスがこちらへ駆け寄ろうとする。


 来てはダメだ、相手の戦力が不明瞭すぎる。

 このまま全滅でもすれば、この事実が明るみに出るのが遅れてしまう。


 俺はこちらに駆け寄ろうとするタナスに、力を振り絞って叫んだ。


「知らせろ! 俺は大丈夫だ!」


 何とか振り絞ったその声を聴いたタナスは、数秒間逡巡する様子を見せた。


 そして、何か重苦しい感情を匂わす所作で身体を振るわせた後、何も言わず後方へ走り出した。


 タナスの走り去る後ろ姿をぼんやりと眺めていると、もうすぐ自分が死ぬという実感が沸々と湧き上がってくるのを感じた。

 先程の冷静な判断は、俺を陥れた山賊へせめてもの報いとして、少しでも相手の思うつぼにはなるまいという反骨精神から生み出されたものだったと思う。

 突然の出来事であったことから、焦りもあっただろう。


 それから数十秒ほど経つと、ぞろぞろと山賊と思われる奴らがこちらへ駆け寄ってきた。


 その中の一人が、力なく地面に突っ伏している俺の首根っこを掴んで持ち上げる。


「危ない事しでかしてくれたじゃねぇの」


 その男は、「脅威は去った」とでも言ったような安堵感と、勝者の余裕を感じさせる声色でそう言った。


 その後、その男は後ろから俺の耳元まで顔を近づけてきた。


「ニャ、ー、タ、君」


 その男の口は、一文字一文字丁寧に、俺の名を呼んだ。


 その瞬間、放心状態で整理ができない状況だったのにも関わらず、確かに悪寒が走った。


 「危ない事しでかしてくれた」と、こいつは言った。

 ならば、俺が運んでいた積荷の中身を知っていたという事になる。


 ――バレていた。

 何故かはわからないが、俺の策略の全てを、こいつは知っている。


 俺は、返事に期待することなく、何故バレたのかを聞く。


「何故……わかった」


 俺が掠れた声を振り絞ると、山賊共は笑い出した。


 視界に映った時にときめきを感じるメルビスの笑いとは対照的に、誰かを貶めることを理由に顔を歪ませる、下らない笑いだった。


 数秒後、ひとしきり笑い終えた一同は徐々に静まり、俺を持ち上げている男が再び耳元まで顔を近づけてくる。


「そんなの、教えるわけないだろう?」


 男はそう言うと、俺を空中に投げ飛ばし、力なく落下する俺のみぞおちを正確に殴った。


 そこで、俺の視界は暗転した。


 ――気持ちよく眠っていると、顔に強い衝撃を感じたため、目を開ける。


「やっと起きやがった」


 男はそう言うと、俺の頭に冷水をぶっ掛けた。


 冷水を身体が感じた瞬間、身体の神経が異常を察知してか、警笛を鳴らすように筋肉を硬直させる。

 次に心拍数が上昇し、微睡みの狭間にあった俺の意識は覚醒した。


「何発殴っても中々起きねぇから、死んだのかと思ったぜ。どうだ? 拘束具の付け心地は?」


 男は悠々とした佇まいで俺を見下しながらそう言った。


 その言葉を聞いた俺は、「拘束具」という言葉に反応して、ゆっくりと顔を動かして自身の身体を確認した。

 最初は自分の身体がどうなっているのか、理解に苦しんだ。


 何故なら、俺の目に映った光景は、眠りにつく以前とは随分とかけ離れていたからだ。


 しかし、徐々に目が冴えてくると、何となく何が起こったのかを察し、そして、それを受け入れた。


 俺は、四肢を全て切断され、その胴体を鉄鎖でがっしりと拘束されている。


 俺は我が身の惨状を確認するため、首を目いっぱい横に振った。

 身体に纏わりついている、太さ10cm程もあろうかという鉄鎖を辿っていくと、合計六つの鉄鎖が俺の胴体を壁に押さえつけるように固定していることが分かった。


 もう既に心境は疲弊するほどの頑強さだが、そこから更に、俺の全身を包むように革製と思われる生地で胴体をぐるぐる巻きにされている。

 これは、四肢の再生を困難にする為だろう。

 もっとも、俺の体内魔力は例の如く全て吸収されてしまっていて、どっちにしろ四肢の再生は不可能だが。


 万が一を想定してなのか、山賊の割に慎重且つ厳重な処置だという感想を持った。


 この考えから、我々と山賊の戦力差情が不明瞭、もしくは互角だと想定しているという心理的推測ができる……が、先程大失敗をしてしまった身としては、どうしても自信を持てない。


 ――しかしながら、どういうわけか、無法集団の本拠地と思われるこの地で、俺は生きている。

 恐らく、人質としての利用価値があるからだろうが、これは運がいいのか悪いのか。


 この後待ち受けるのが天国であるはずがないことが明白な以上、安堵する心境に至ることは不可能と言ってもいい。


 とは言え、生きている以上は泥臭く抗ってやろうと思った。


 現在の状況を整理し終えたところで、希望を見出す為に、残されていた口で会話を図って見る。


「――――」


 いつもの様に、脳内で描いた文章を外へ放出した……つもりだったのだが、俺の口から想定した文章が響き渡ることはなかった。


 ――声が出ない。


 出そうとした声は、ただただ喉を突き抜け、ヒューヒューと音を立てるだけだった。


「おっと、声は出せねぇぜ。うちの解剖学に精通してるイカレ野郎が、てめぇの声帯を丁寧に切り取っちまったからな」


 その男がやや楽し気に発した言葉を聞くと、首筋から寒気が走った。


 単純に気持ちが悪いからとか、そう言った理由ではない。


 声帯を切り取られたという事は、この状況を治癒する場合、声帯を再生する必要がある。

 しかし、俺は声帯なんて見たことがないし、自分の声帯の形なんて殊更見当がつかない。


 つまり、声帯事態は再生出来たとしても、俺の声がそのまま再現されるかはわからない。


 声なんて変わっても死にはしないが、もう二度と手に入らないようなものを奪われたような感覚に陥った。

 思わず冷静さを欠いてしまうほどに、感情が揺れている。


 だが、ここは一度全てを忘れてでも冷静さを取り戻さなくては。

 それに、この男の口ぶりだと、切り取った声帯はまだ残っている可能性が高い。

 もしかしたら、その声帯を上手く嵌めて治癒を施せば元に戻るかもしれない。


 そんな思案の甲斐もあって、何とか頭に上りかけた血を鎮めることに成功した。

 しかし、怒りの感情自体を拭い去ることは叶わず、俺は目の前の男を睨みつけた。


「そう睨むなよ。お前の自業自得じゃねぇか」


 男は余裕と言った雰囲気で、睨む俺に原因が自身にあることを指摘した。


 確かにそうかもしれない。


 これは自業自得と言っても過言ではない。

 少なくとも、俺の情報を探っている奴がいる可能性を考えるべきだった。

 何せ、俺はこいつらの仲間を何人か殺しているのだから。


 とは言え、獣が如く業を貪りつくしているこいつらに言われるのは癪に障った。

 絶対に殺し、その肉塊を丁寧に調理して魔獣の餌にしてやると心に誓った。


 男が言葉を発してから間もなくして、鉄格子の奥の通路から新たな男が現れた。


「おい、お前また下らねぇ会話なんかしてんのかよ。また、飼うなんて言い出すんじゃねぇだろうな?」

「言わねぇよ。俺は男には興味ねぇんだ」


 二人目の男は、最初の男と不穏な会話を始めた。


 俺が二人目の男に視線をやると、そいつは険しい表情を浮かべてこちらに向かってきた。


「なに、見てんだよ!」


 そう言って、俺の顔を右足で思い切り蹴りつけた。


 余りの衝撃に、意識が飛びかける。

 蹴られた箇所は感覚を失い、左半分の視界は暗転した。


「おい、陥没してんじゃねぇか! 目だって一個やっちまったしよぉ!」

「一個残ってればいいだろうが。どうせ、この先目にするものは碌でもねぇことだけだしよ」


 どうやら、蹴られた衝撃で俺の顔の左側は陥没し、眼球も潰れたようだ。


「その碌でもないことを見せて反応を楽しむってのか上の命令だろ!」

「だから、一個残ってんだからいいって話をしたろ!」


 この後、二人は矛盾点が目立つ頭の悪い会話を繰り広げた。


 俺は、その会話内容から、山賊共が日常的に行っている非人道的な行為を把握した。


 その行為とは、男を捕らえた場合は行動を不能にして配偶者や家族を釣る餌にし、助けに来た人を更に捕らえて奴隷として商品にしたり、女性の場合はおもちゃにするといったもの。

 吐き気を催しながら会話内容を洞察した結果、執拗なまでに女性を弄ぶことが好みであることが伺えた。

 その他にも、許しがたい愚行を彷彿とさせる会話がいくつかあったが、俺はその話について考える余裕がなかった。


 俺が引っかかったのは、「捕らえた人物を餌に新たな獲物を釣る」ということ。

 その愚行から連想されたのは、俺が思いを馳せている女性が凌辱される光景だった。


 ――メルビスが危ない。


 タナス達は恐らく助かったと思う。

 ならば、俺が捕まったことは直ぐに伝わるだろう。


 メルビスは、きっと来る。


 一人で来ることはないだろうが、この山賊のトップは、賢族と魔族のハーフであり、その力は絶大と言われている。

 正面衝突でも勝てない可能性は十分にある。

 そうなった場合、行きつく先は生き地獄かもしれない。


 それからの俺は、度し難い光景を想像しては吐き気を催すということを繰り返していた。


 いよいよ精神が参ってきた頃、最初に話しかけてきた男が、俺に一つの果実を差し出してきた。


「この果実、魔力総量が増加する効果があるらしいぜ? それに、5日以内に腐っちまうらしい」


 男は下卑た笑みを浮かべながら、俺が書いた本の内容を語った。


「特別に、お前にやるよ。ありがたく思えよ? こんな素晴らしい果実、普通はお前なんかにやらねぇぜ?」


 男はそう言うと、俺の口に果実を押し付けた。


 しかし、これを食べれば待っているのは「死」だ。


 俺は当然、食べるのを拒んだ。


「ほら、早く食べろよ。腐っちまうぞ?」


 男がそう言うと、食べるのを拒んでいた俺の口は、自身の意思に背いてその果実を咀嚼した。


 ――魔力がすっからかんになった俺の身体を遠隔魔導で乗っ取るのは、簡単な事だった。


 身体の主導権を握られた俺は、操られるがままその果実を平らげた。


 味は、意外にも美味で、普通に売っている林檎よりも爽やかながらも深い味わいを感じられた。

 最後の晩餐としては、まずまずの味と言えるだろう。


 この瞬間から、俺はメルビスの事でさえも考えることができなかった。

 確実となった「死」を目の前にした時、何も考えられなかった。


 困惑して反応を示さなくなった俺に、その男は注射針を首に突き刺した。


 この魔導具は知っている。

 魔力を吸う魔導具だ。


 総魔力量を検査する為の魔導具に似ているが、この魔導具はそれとは違い、吸った魔力を持ち主に戻すなんてことはしない。


「果実を食ったらどうなるかわかんねぇが、魔力が回復したらまずいからな。冥土の土産に、思い人が穢される光景を見せてやるよ。楽しみに待ってろよ?」


 男は俺を収監している鉄格子から出ると、きっちりと鍵をかけた。


----------


 ――――もう、300日程経っただろうか。

 俺が拘束されているこの無駄に広い空間は、自らが垂れ流した排泄物の匂いが充満している。

 しかし、そんな臭いも慣れてしまえばそこまで気にならない。

 どちらかというと、糞尿に群がる蝿や蛆の方が精神の安寧を妨げている。


 そんな場所で俺は常に魔力を吸収され、枯れ木のような様相へと変貌を遂げた。

 筋肉は衰え、喋る感覚は忘れかけており、手足の感覚は既に遠い昔の様に感じる有様。

 毎日、最低限の思考を働かせ、糞尿を下方にある器へ垂れ流し、寝るだけ。


 10日ごとに一度だけ、掃除と食事が与えられる。

 その世話係は、あまり相手にされていない女性が担当する傾向があった。


 俺のいる檻の外は広い空間を有しており、数百を超えるほどの人数が捕らえられているという事を、日常的に鳴り響く音から聞き取った。

 ここの生活は、目を開けば地獄、目を閉じれば凄惨な悲鳴が鳴り響く。

 男女が交わる際の喘ぎ声や接触音は雨音の様に至る所から聴こえてくるし、子供の様な声で泣き喚く音が聴こえることも珍しくはない。


 唯一、睡眠の時間とされている20時から24時の間のみ、辺りは静けさを取り戻し、人の声が鮮明に反響し始める。

 その時間になると、女性たちのすすり泣く声や、死を間近にしたものの呻き声が耳に入ってくるようになる。


 ここに来る以前は、特に耳が良いという事は全く無かったのだが、音から周辺の情報を探るうちに、空間を把握する能力が活性化したようだ。

 そんな能力は無い方がいくらかましなのだが。


 最近は、寒期の到来が迫ってきているらしく、激しい寒さを感じる。

 恐らく、もうじき俺は死ぬのだろう。

 食糧に余裕のない山賊が、こんな生きているのか死んでいるのかも分からない奴に、食糧を分け与えるとは思えない。

 たとえ、それが巨大勢力と関係があったとしても、ここまでの静観っぷりを見ればその危機感も薄れよう。


 今日まで、散々な目に遭って来た。

 周辺各所で女性を弄ぶ集団の下卑た笑い声と悲痛な慟哭を聴かされ、俺自身も男色の男に性処理をさせられることもあった。


 ――それに、俺に愛を注いでくれた人が死んだ。


 ここに来て30日程度経った頃、四肢を失った俺に情が移ったのか、俺の世話係になった女性が積極的に話をしてくれた。


 名前は「ラノ」。

 第一印象は内気で平凡。

 容姿も美人とは言えず、発声も拗ねたような早口で、心を惹きつけるような魅力は感じない。

 髪は赤色で肩に掛かるくらいの長髪だが、男たちに遊ばれたのか、長さが揃っておらず不格好だ。


 そんな彼女は、俺がほとんど興味を示さない様なタイプの女性だった。

 だが、いつ死ぬかも分からない自身を差し置いて、俺に沢山の話をしてくれた。


「私ね、五人家族で、お父さんとお母さん、姉が二人いるの。私は末っ子ね――」


 家族の事や友人の事。


「カッセルポートに住んでたんだけどね、最近仕事を大変そうにしている母さんに、美味しい木の実のお菓子を作って労おうってことになったの。そのために、長女の姉と内緒で周辺の森に赴いたんだけど、木の実を採集している隙に、簡単に攫われてしまったわ」


 ここに至った理由。


「ここに来て、もう1年は経つかしらね。姉は美人だったからその日に凌辱されつくして、最後に見た姿は蛆が湧いている様子だったわ。その後は、汚物を処理するかのような嫌な顔をして、窓から投げ捨ててた……」


 弄ばれた姉の行く末。


「あいつ、小さくて全然気持ちよくなかったわ! ただただ気持ち悪くて、耐えるのは苦痛そのものよ」


 今日されたことや愚痴。


「なんで私、こんなに辛い思いをしなきゃいけないの……」


 そして、束の間の嘆き。


 俺は、そんな彼女の独り言を彼女の表情を見つめながら聞いていた。

 ただ、何を言うでもなく表情を変えるでもなく、何時途切れるか分からない彼女のセリフを焼き付けるように、ひたすら耳を傾けた。


 ――彼女と初めて会ってから100日程経過したある日。


「このクソ女! てめぇはそこの木偶の坊と一緒に野垂れ死んでろ!」


 怒りを露にした全裸の男は、肩に担いでいたラノを乱雑に放り投げた。


 いつもはさほど痣や傷を負っていない彼女だったが、今日はそんな姿とは打って変わり、痣や擦り傷、切り傷や裂傷が全身各所に見られた。

 地面に転がったラノは至る所から出血しており、痛みに耐えるように縮こまっている。

 恐らく、彼女の命はもうじき潰えるのだろう。


 彼女は、暫くその体勢のままうずくまっていたが、途端に肩を震わせて笑い始めた。


「ばーか。間抜けよね、山賊って」


 ラノは小さくそう言うと、すくっと立ち上がって俺の元に駆け寄ってきた。


 ――何が起こったのか、わからなかった。

 外部から柔らかい何かが腔内に挿入され、唾液や口内の味が伝わってきた。


 最近はあまり使うことのなかった瞳を機敏に動かして状況を確認する。

 視界いっぱいに「ラノ」の顔が広がっていることから、熱い口付けをされているという事を理解した。


 これまで味わったことのない不思議な感触が唇と腔内を支配し、頻繁に生温かい吐息が肌をなぞる。

 高い温度を持つ吐息は、凍てついた感情を溶かすように全身へと伝わっていき、心を揺さぶる。

 枯れ果てたように萎んでいた心臓が大きく脈動し、体温を上昇させていった。


 そんな状態が数秒間続いてのぼせあがりそうになっていた時、何か硬い物が口の中に入ってきた。

 それは、どうにも歯より硬く、冷たい。


 味から察するに、恐らく金属類だろう。

 しかし、これは一体。


「それね、八年くらい前に貴方へ渡し損ねた魔導具よ」


 顔を離した「ラノ」は、力ない笑顔を浮かべながらそう言った。


 八年前? それは、俺は孤児院に来て間もない頃だ。

 つまり、今ラノが言ったことが本当なのだとしたら、その時から俺の事を知っていたという事になりそうだが……。


 久しぶりに脳内で意味を思案していると、ラノは理由を語りだした。


「私、テランタ出身なのよ」


 彼女は、「これを言ったら察するでしょ?」といった様子でそう言った。


 ――テランタとは、俺の故郷だ。

 孤児院は俺の第二の故郷で、テランタは両親と共に時を過ごした第一の故郷だ。


 テルセンタの南東方向に位置し、そこからさらに南東にあるナトラ砂漠という中立地帯から来る行商人の中継地点として建造されたと父が言っていた。

 テルセンタの半分ほどの規模の敷地を有しており、将来も期待されていたようだが、東から来た強力な魔獣の集団攻撃によって、現在その街には残骸のみが残っている。


 まさか、テランタで面識があったのか……?


「私は、貴方に一度救われたの。近所のいじめっ子を追い払ってくれたの、覚えてない?」


 ラノは、俺の顔に両手を添えて切ない表情を浮かべる。


 正直、覚えていない。


 俺は確かに自分を侮辱するような奴らを拳でボコボコにしたことはあるが、誰かを助ける為に動いたことはない。

 そんなことをするような大切な人も、両親を除いてはいなかった。


 人違い……ではなさそうだ。

 何故なら、俺がテランタの出身であることを当てているから。


 とにかく、俺はラノの問いに首を振る形で回答した。


「そう……そうよね。殆ど会話は無かったし、貴方は私を助ける為に動いたのでは無かったものね――」


 ラノは、俺と自身の関係を語った。


 俺は近所の広場にある大木、その木陰でよく本を読んでいた。

 その際に、俺を馬鹿にした奴らが近くに来ることがあったが、毎度の様に追い払っていた。

 そして、俺が追い払っていた奴らこそが、ラノをいじめていた奴らだったそうだ。


 ラノは、二人の姉が家で厳しく躾けを受けているのが嫌で、良く外に出ていたそうだ。

 いじめられるのもその時で、居場所を見つけることが出来ず困っていた。

 そんな折に俺が現れ、奇しくも彼女の安寧の地を作っていたのだ。


「貴方……ニャータが現れてからは、本を読むあなたを遠くからずっと眺める日々だった。話しかけたくてもそんなこと、私にはできなかったもの」


 ラノはそう言うと、少し顔を伏せた。


「でもね、一度だけ。貴方に話しかけられたことっがあったの」


 当時を思い出しているのか、笑顔を浮かべてラノはそう言った。


「魔獣の襲撃を受けて、カッセルポートに移住した後の事よ。貴方は相も変わらず広場で本を読んでいた。そんな貴方を見つけたときは、人生に一度の奇跡が舞い降りたような気持になったわ――」


 その後ラノは、赤裸々に当時の事を語った。


 俺が一度話しかけたという事も思い出した。

 確か、「いつもそこにいるけど、楽しいのか?」って聞いたような気がする。


 返答は、困惑そのものだった。

 俺は悪い事をしたと思って、それから話しかけるのを辞めたのだ。


「でもね、ある時から貴方は金髪の女の子と楽しく話し始めた。その時から、自分が虚しく感じてね。もう貴方の元へは行かなくなったわ。魔導が好きと聞いて、貯金を崩して買った指輪の魔導具も渡せなかった」


 ラノはとうとう、俺の口の中に入れた魔導具の正体を明かした。


 金髪の女の子は、メルビスの事だろう。

 思い返してみれば、その辺りから彼女の姿を見なくなっていた。


「それでも、何となく捨てられなくて、大事に指に嵌めて生きてきた。そして、私がここに来る時にそれを奪われた」


 怒りを含んだ声色で、ラノはそう言った。


「でもね、今は満足してるのよ。こんな有様にはなってしまったけど、指輪も返してもらって、奇跡的に再開した貴方に渡すことが出来た。それに、貴方に口付けなんていう夢にまで見た偉業を成し遂げたのよ?」


 ラノは満足そうな顔で笑いかけた。


「はぁ、力が入らなくなってきた。もうすぐ私、死ぬのね……私の最後を看取ってくれるのが貴方で、本当に良かった」


 そう言うと、ラノは力なく俺の足元へ倒れこんだ。


 ――それから数分が経った。

 相変わらず地獄の様な音色を奏でる中、足元に横たわるラノをじっと見つめている。


 その間に、テランタのいた頃の出来事を一つだけ思い出した。


 ある日、背の低い小さな少女が転んだのを見た。

 床は石で舗装されており、過去に俺が転んだ時も随分な痛みを伴った。


 そんな経験もあり、その少女が泣くと思った俺は駆け寄る。

 俺が一歩を踏み出したところで、彼女は表情一つ変えずに立ち上がった。

 そして、小さく「いてて」と呟いて出血している膝を見た後、再び歩き出した。


 その姿を見た当時の俺は、「強い人だ」という感想を持ったのだが、カッセルポートで話しかけた少女の容姿と重なったため、恐らくそれがラノだったのだろう。

 そしてそれは、ラノが俺を知ることになる前の出来事だったはず。


 ラノは、知らぬうちに俺からの関心を得ていたようだ。

 だが、それを彼女に伝える術を俺は持っていない。


 俺にできることは、彼女の最後を見届けることだった。


 ――静寂に包まれたいつもの牢獄。

 外の木々がざわめいて風が吹き抜ける。


 先程まで微かに呼吸していた彼女は、静かに息を引き取っていた。


 もし、彼女と友人になっていたのなら、彼女は魔導を覚えただろうか。

 デュアンと俺と三人で、ハンターになる未来があったのだろうか。


 自分のこの現状が情けない。

 周囲の視線を遮断して自分の殻に篭るのは、悪い事だとは思わない。


 だが、実際に眼前の骸を作ったのが自分であると思ってしまった。

 変えようと思えば変えられた未来だったように思えたのだ。


 彼女が俺に話しかけていた時の様子が思い返された。

 楽し気にしていたり、泣いていたり。

 いつも、俺に語り掛けるように、呼びかけるように話していた。


 彼女は、自分を見て欲しかったのかもしれない。

 もしそれが彼女の願望だったのなら、それは間違いなく叶った。

 きっと、俺は死ぬまで彼女の事を忘れない。


「これまで、よく頑張ったな」


 そう思うと、涙が溢れた。


----------


 ――漸く人が通れるほどの小さな穴から吹き荒れる冷風。

 外は吹雪が吹き荒れており、眼前の人骨には雪が積もっている。


 寒期が到来した。

 30日程前から食事が途絶え、数十人の女性が間引かれて行った。

 俺は、彼女に貰った指輪型の貯蓄魔導具の魔力を吸いながら、何とか生き抜いていた。


 20日程前までは泣き声や怒号も響いていたが、現在はすっかりと静まり返っている。

 俺はとうとう、何も成し遂げることなく人生を終えるのか。


 山賊の戦力を削ぐと息巻いた結果がこれだ。

 いい事と言えば、ラノと出会えたことだけ。


 彼女は、最後に看取られるのが俺でよかったと言っていたが、俺もまた彼女の傍で死ねるのならば、それもいいと思える。

 もう指輪の魔力も尽きた、全身の感覚はとうに消え失せ、悍ましい闇が微睡みへと誘っていく。


 俺はその闇に身を任せ、人生を終わらせるべく目を閉じた。

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