9 賑やかな執務室
人が善い
リッカルドの前に、渋面が並んでいた。顔の造形や美醜に関わらず、人間は不機嫌さを表すことが出来ると、妙に納得しながら声を掛ける。
「ランベルト様もサミュエル様も、そろそろ立っていただきたい。ルーナ姫に手紙を書いてください。グレタ姫の元に帰って下さい。どちらも待っていると思いますよ」
二人に退出を促すのは、三度目だった。第十部隊の執務室の主はリッカルドだが、連日、ランベルトとサミュエルが堂々と居座っていた。魔法騎士の階級や立場はほぼ同じだが、平民出身のリッカルドは貴族籍の二人に強く出られない。
夕陽に染まる空を、徐々に闇が浸食し始めている。王宮を中心に据えたデュメルジは、闇から逃れるように丘の上に立っている。宵闇の前に、今日も帰宅はできないとリッカルドは腹を括った。
「官舎に帰ったら、リッカルドだって気になって悩むだろう。グレタ姫を案じているのは、皆が同じだ」
ランベルトの返事に、押し黙る。此処で話し合われる事案は、グレタに関わる内容が多い。サミュエルとグレタの婚約が発表された。だが、スタンピードに関わるグレタの存在は秘されている。
「俺は、グレタ姫が幸せに生きてくれたらって願っている」
書類を手にしたサミュエルが、一枚を差し出す。
「じゃあ、この場所で話し合うのが一番有効よね。リッカルドの意見も参考になるわ。それで、家政魔法の再履修はできるのよね」
グレタが家政魔法を会得するのは、至難の業だと想像できる。
「嫁にするには、家政魔法は必須ですか?グレタの家政魔法嫌いは、筋金入りですよ」
グレタの家政魔法について、リッカルドは話し出した。
何事もルーナに頼んで、家政魔法を遣り過ごしていたのをリッカルドは見ていた。ルーナの使えない回復魔法を、グレタはルーナに限って惜しみなく披露していた。所属する部隊は違っていたがグレタとルーナは共に助け合い、支え合っていた。
話を聞いていたサミュエルが眉間に皺を一瞬だけ作り、鮮やかに笑った。
「やってもらうわ」
「ロンバルディ公爵家は、なかなか古風な仕来りがあるんですね。訳ありですか?」
迫力と凄味を増した美しい笑みが、リッカルドの前に迫った。
「聞きたい?」
激しく何度も拒絶の意志を示して、手と首を横に動かす。余計な情報は、もうこれ以上は何も聞きたくない。グレタとスタンピードの関りを知っただけで、リッカルドは身動きが出来なくなっている。さらに歴史あるロンバルディ公爵家にまで、関わる必要はない。
「リッカルドは、グレタと親しかったのね」
「ルーナも、リッカルドには随分と世話になったと感謝していた」
可愛らしかった二人を姫と呼んでた時が懐かしい。
「ロンバルディ公爵家に限らず、どの家も何かを抱えています。ビアンキ伯爵家は騎士の名家だし、エスポジート子爵家は低位貴族で資産家です。どちらも厄介で、要注意の姫様達でしたよ」
「婚約する時に、両親を仮面夫婦って言い出してたわ。グレタって楽しいわよね」
ランベルトと目配せをした。ルーナの輿入れの時に、グレタが言い放ったエスポジート子爵家の夫婦の在り方は、デュメルジで噂になった。
差し出された書類の熟読する振りをして、下を向いた。何を答えても、拙い気がする。
「これは? ダジェロ辺境から一人を押し込むんですか? 他にも騎士候補がいる。今更騎士を養成するのは、魔法騎士団の負担になります。どの隊長だっても引き受けない」
スタンピードの緊急時対応で、魔法騎士団は新たな隊員の入団を一年間凍結をしていた。各々の部隊は現状維持で精一杯だった。リッカルドの第十部隊は、ダジェロ辺境の遠征から帰還したばかりで、疲労の色が濃い。リッカルドも疲弊していて、余裕はない。
「だから、リッカルドが引き受ける。頼んだ。ロレンツィオ義父様にも承認済みだから、問題はない」
ランベルトの断言には、問題だけが浮き上がって見えた。新たな騎士の養成は、時間が掛かる。魔法の素質の見極めに、集団での協調性など騎士に必要な適性の全てを、所属先の部隊長が面倒を見る。示された新人の騎士は三人だった。
「またかよ」
リッカルドがごり押しに弱いのは、魔法騎士団では周知の事実だった。何でも引き受けて、無難に対応する。気弱で高慢な貴族令嬢も、剛毅で病弱な貴族令息も、リッカルドが魔法騎士の適性を見極めてきた。
「大丈夫よ。グレタも一時的に所属するから、問題ないわ。よろしくね」
所属する第五部隊が戻っていないグレタも、リッカルドの預かりになるらしい。頭を抱えるリッカルドの机の上に、優雅な仕草で銀髪が降って来た。
「まさか、可愛いグレタを嫁に出したくなとか? 俺は父親代わりだとか? 奪うなら俺を倒して行けとか?」
ぶんぶんと首を振るう。
「俺は無実だ」
顔を引き締めたランベルトが、机の前に詰め寄った。
「残務が多くて、まだダジェロ辺境に戻れない。すまない。リッカルドを頼りにしている」
曖昧に頷くリッカルドの手を、離さないとばかりにランベルトが握り締めた。
リッカルドの執務室にはダジェロ辺境の騎士が詰め掛け、冥闇の状況を精査していた。
「デュメルジで活動拠点が出来て、本当に良かった。流石にロレンツィオ義父様の執務室に入り浸ると、言われない癒着とか関係ない嫌疑を問われる。リッカルドなら安心だ」
執務室がダジェロ辺境の分室になっている事実に、リッカルドは乾いた笑いを浮かべる。
「若くて頼りになる騎士もいるわ。お気に入りよ」
サミュエルの指の先を、見返す。氏名を辿って、目を瞠った。良く知られたダジェロ辺境の副部隊長のレオナルド・ロッソと同じ家名だった。
「確かに頼もしい。大きな仕掛けを、魔法騎士団でも行うって算段ですかあ。敵わねえなあ。グレタ姫を守るやり方は、他にはないって結論ですか?」
二人の意図が透けて見えてきた。
「やるしかない。他に道はないんだ。魔法騎士団で特別講習会をする。派手できらびやかで、目立つ仕掛けだ」
「後退できない場所に来たの。進んでも修羅よ」
苦渋に満ちたサミュエルの顔が、やはり美しいとリッカルドは小さく頷いた。
扉を激しく訪う音が響いた。
「来たわ! 新人騎士のお出ましよ。御挨拶をしてね。第十部隊リッカルド隊長の出番です。私たちが此処のいるのはバレたくないから、仮眠室に隠れるわ」
各部隊長の執務室には、簡易ベットが置かれた仮眠室が隣接している。帰宅できない場合に使うが、リッカルドのベットはほとんど使っていない。子煩悩で愛妻家を自負しているリッカルドは、どんなに遅くなっても帰宅する。
「ああ、眠い。少し寝るか。ベットが狭いが、寝られる。この前ベットから甘い匂いがしたが、何をしたんだよ?」
ベットまで活用されている事実に、驚愕する。
「小さな目を見開いてる。まあ、リッカルドったら、何か心当たりがあるの? 多分あれは、私の香水よ」
ランベルトの背を押して、サミュエルが消えていく。
「俺は無実だ」
呟きを掻き消すように、扉の前に揃った三人の若者が、リッカルドに大声で挨拶を始めた。
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