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14 忙(せわ)しい執務室

 リッカルドの執務室に、サミュエルは向かって急いでいた。魔法騎士団の前でアルフォンと再会したのは、予想外だった。不意打ちだったが、咄嗟にグレタから目を逸らす一手になると考えた。話し込んだ心算はないが、思うより時間も手間もかかってしまった。

「アルフォンが来るのは、久しぶりだった。きっと婚約の余波だわ。大きくなって、あれからもう六年が経ったのね」

 アルフォンの誕生時の騒動を、頭の中からを振って押し遣る。リッカルドの執務室へ、何とか意識を向ける。この後、ランベルトから御前会議の状況を聞き取り、今後の対応を考えるのだ。

「策は、間違っていないはずなのにね。どうにもすっきりしないわ」

 考えが、また今朝のグレタへと向かってしまう。二人で交わしたやり取りを思い出して、気持ちがさらに沈み込む。下を向いたまま、扉を開いた。

「隠し子がいるのか?」

 執務室に入った途端に、リッカルドの怒号が降って来た。

 リッカルドの身体が、常より膨らんで見えた。荒く鞴のように息を吐き出してから、体に似合わない小声で聞いてくる。

「隠してはいない子供よ」

 間違っていないが、正確でもない答えを返した。

 呑み込みたくない苦い汁が顔面に掛かったような顔で、リッカルドが何度も手で頬を拭っていた。

「沢山の貴族令嬢から、個別の面会の申し出もある。婚約者がいるのに、節操がないと思っている。何方(どちら)も俺は気に入らねえ」

 髭の中に埋もれた小さな目を、リッカルドは見開いていた。

 軽い調子で、サミュエルは言葉を返す。

「変ね。リッカルドは貴族令嬢を『姫』って呼ばないの? 公爵家の問題に、関わらないでちょうだい」

 お茶の淹れる手に注がれていたグレタの顔が、忘れられなかった。サミュエルからの言葉を、待っているのは分かっていた。

 告げていない言葉が多過ぎて、何から話せばいいのか混乱する。正しい順序も優先順位も掴めない。グレタの顔が翳んでいく。

「姫は、俺が認めた相手にだけ贈る敬称だ。これ以上、グレタ姫に辛い思いをさせるなよ。俺は毎日の魔法騎士団での出来事で、すでに心が折れそうだ」

 思いは一緒だと告げられないもどかしさを抱えて、サミュエルは嘯いた。

「政略結婚だと周囲に知らしめてるのよ」

 グレタに伝える言葉を探しあぐねて、サミュエルはいつもの説明をリッカルドを相手に繰り返す。

「グレタ姫がどう捉えるか、考慮して欲しい。浮気性の男と一緒になる、惨めで憐れな女だと思われているんだぞ。グレタ姫が黙っていること事態が、異常だろう?」

 一言を頭に打ち込む激しさで、リッカルドが話していた。グレタを案じる気持ちは、サミュエルにも伝わる。グレタの代わりに、髭を揺らして怒りに震え、全身で悲しんでいる。

 全てを飲み込んで、前だけを向く。跳ね除ける言葉を打ち返す。

「グレタには、婚約の時に政略結婚だと伝えてます。何も問題はないわ。何よりグレタに注目がいかないのが重要なの。私の行動で、取るに足らない婚約者ってなっている。首尾は上々なの」

 誠実さだけを固めたような小さな瞳が、サミュエルを真っ直ぐに射る。

「サミュエルが不名誉を引き受けるのは当然だ。だがな、それだけで済まねえ。だから俺は不承知だ」

 互いに目を逸らさない。外したら、サミュエルには疚しさだけが募っていく。口だけを動かして、優しい声を出す。

「グレタは承知しているわ」

 瞬きをも許さない眦を上げて、リッカルドの忿怒が増していく。

「何も話してないだけだろうよ。これ以上は関われない。サミュエルだって不本意だろう。俺は見ていられない。天幕から聞こえた賑やかで穏やかな笑い声は、嘘だったのかよ」

 虚構を積み上げるように口角を引き上げて、言い募る。

「グレタを守るためなのよ」

 リッカルドが拳を机に打ちつけた、目が伏せられる。机の天板に稲妻のような(ひび)が走った。

 一度だけゆっくりと瞬きして、リッカルドの前で背筋を伸ばした。

 背を丸めたリッカルドの髭だらけの頬が、何度も痙攣する。全身の毛を逆立てて、口を開いた。

「メイスを持たなかっただけ、有難いと思ってもらおう。サミュエルは、やり方が間違っている。まだ茶番を続けるなら、この執務室は出入り禁止だ」

 デュメルジの拠点がなくなる。

「グレタは分かっているわよ。両親を、仮面夫婦って呼ぶのよ。色々な夫婦の形を知っているわ」

 リッカルドの怒りが、膨れ上がっていくのが目に見える。

「若造に、夫婦の何が分かるんだ。サミュエルは、浅慮が過ぎる。エスポジート子爵家は資産家だ。気温の計測機器で財を成している」

「御先祖のニコラス様の話なら、グレタから聞いているわ。夫妻は互いに尊重し合って、よく話し合うのよ。何方も浮気相手はいない。夫は家業を重んじて、邸は妻が守っている。お茶の時間が楽しみな夫婦で――」

 言葉が詰まった。

 グレタが話していた両親の姿は、仮面夫婦とは思えない。仲睦まじく、子供を慈しみ、家業を盛り立てる夫婦の姿だ。

 サミュエルは、リッカルドを仰ぎ見た。

「仮面夫婦と噂を流したんだ。計測機器の精度が上がって、家業が順調過ぎるらしい。妬みや嫉みが、家族に及ばないようにしている。よく話し合って、その都度、賢明な判断を夫婦でしている。グレタ姫は素直で、率直だ。サミュエルが知っている通りに悪意なく噂を広めるには、格好の人材だ。サミュエルだって、グレタを利用している」

「グレタなら、分かってくれている。でも、私には必要ないって――」

 声が揺れていた。現状が理解できるほどの話を、グレタにはしていない。グレタの存在をどう思っているのかも、告げていない。必要がないと思わせてしまうほどに、グレタの存在を消してしまっている。

「ロンバルディ次期公爵様だか何だか知らないが、ここは魔法騎士団で、部隊長の決定だ。出ていってもらおう。グレタ姫を泣かせる男は、騎士じゃあない。エスポジート子爵夫妻だって心配しているぞ」

 訪う声と激しく扉を叩く音で、二人は再び睨み合った視線を引き剥がした。リッカルドが出した入室の許可に、セストが飛び込んできた。

「グレタ様が、馬車で連れ去られた。止められなかった。俺が――」

 荒い息で、セストが膝を突く。

「助けに行くわ」


お読みいただきまして、ありがとうございます。

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