13 お茶を淹れたら
本日、二回目の投稿です。
よろしくお願いいたします。
サミュエルとの時間を胸の奥の澱みに押し込めて、グレタは家政魔法の修得に向かった。今日は終日の授業だ。
キッチンには、セストとメリッサが待っていた。
家政魔法を教えるジュリアは、湯だけ沸かすように指示をして出て行った。
メリッサがお茶の準備を始めた。慣れない様子で、風魔法を使う。ポットの蓋がカタカタと音を立てだす。
セストと一緒に、グレタは茶器を並べた。
赤らんだ顔に斑に青褪めさせたブルーノが、魔法騎士団のキッチンに飛び込んできた。
お湯を睨みながら、メリッサはグラスに水を入れた。
「血相を変えて、何があったのかしら? また、何処かの美しい令嬢の後でもつけていたのでしょうね。ブルーノも、もう十八歳だから、少し落ち着いたほうが良いですよ」
宥めるように水を差し出したメリッサからグラスを奪って、ブルーノは水を呑み干す。
「落ち着いていられません。僕は見たんです。今日は、魔法騎士団のお茶会です。着飾った令嬢が、沢山押し寄せています。ロンバルディ次期公爵様の横暴を、グレタ様は許すのですか?」
慌てたセストが、茶器を落としかける。
「それ、黙っていなさいよ」
知っていた様子で、メリッサが目を伏せた。
「グレタ様は、都合の良い女になっているんです。優雅な手つきでお茶をサーブした侯爵令嬢の手を、ロンバルディ次期公爵が取った。爵位からも二人はお似合いでした。僕がはっきりと確認しました。こんな場所でお茶を用意してて、惨めですよ」
「やめて。言わないで」
絶叫するメリッサに、セストの顎が大きく落ちた。
お茶の淹れ方は、今朝、話題になったばかりだとグレタは思った。あの時に、サミュエルは何を期待していたのだろうか?
グレタに対する期待はないはずだ。
「天幕で過ごしたって、爵位の低い令嬢なら適当に婚約だけすれば安泰です。遠く離れたダジェロ辺境の出来事です。有耶無耶にする。サミュエル様の結婚相手は、誰だって良かったと感じます」
グレタの思いに応えたように、ブルーノが話していた。
「セストには、どう見える?」
「見えた部分なら正直に申し上げて、適当に遊んでバレたから婚約はした。婚約者様とは政略結婚する」
客観的な視点だけでセストは答えている。きっと一番正しい。慎重な言葉選びも、セストの考える如実に示している。
サミュエルの策略通りに、周囲の理解が進んでいる。
「大切な婚約者なら、目の前であんな風に他の女と過ごさない。グレタ様は取るに足らない相手で、蔑ろにできる存在です。僕が言ってるのではなくて、ロンバルディ次期公爵様の振舞いからの推察です」
ブルーノはセストの肯定を受けて、楽しそうに言い募っている。客観的な事実だけでなく、ブルーノの思いがふんだんに鏤められている。
「責任だけ取ったら、あとは放置って理解でいいかな? 私は重要でなく、取るに足らない婚約者」
ブルーノは満足そうに頷き、隣でセストの眉が顰められた。
二人の言葉を吟味すると、サミュエルの意図は正しく周囲に伝わっているようだ。グレタは、サミュエルにとって重要な人物ではない。責任だけで婚約をし、政略結婚の義務を果たす。
グレタの前に立つ二人を押し退けて、メリッサがグレタの腕を取った。
「聞きたくない。もう、これ以上耐えられない。ロンバルディ次期公爵様へ直談判に行くわ! 今日の家政魔法の授業は放棄する。やっていられません。グレタ様も一緒に来てください。私はグレタ様を――」
慌てたように口を押えて、何度も首を横に振った。首筋を真っ赤に染めたメリッサが、グレタの腕を抱えて歩き出した。
しばらく歩くと、葉を落としたシュガーメイプルの木が連なった。官舎が見えた。今朝、魔法騎士団に行く姿を見送った銀髪が、シュガーメイプルの枝の中に見えた。サミュエルも外に出ていたようだった。
メリッサが突進していく。
明るく弾んだ男の子の笑い声が、メリッサの行く手を遮った。つい気を取られて、グレタの周囲の視線が男の子に向かう。目を遣ると、五歳くらいの男の子が、ぱたぱたと足音を響かせて駆けてくる。煤んだ金髪が、目に掛かるのだろうか、首を傾げて前髪を払っている。
「会いたかったです」
男の子は迷う様子もなく、グレタの十数メートル先に立っていたサミュエルの足に抱きついた。
中途半端に足を踏み出しかけたまま、グレタはその場で凍りついた。
「嘘だと言って――」
メリッサが口を押えて、膝を突いた。
状況からは、男の子がサミュエルとの再会を望んでいたようだ。まるで父親を請う姿だ。だが自分の父親と間違えただけ、とも思えた。見知らぬ男性に、ぶつかっただけとも考えられた。
「アルフォン。勢いがあって身体も丈夫だ」
だが、サミュエルはその子の名前を口にして、笑顔で抱っこしていた。
シュガーメイプルの枝の向こうが、グレタは遠く感じた。
「何が起こっているのか、僕には全て分かります」
自信のある仕草で、ブルーノが腕を組んでいた。
グレタは思考が纏まらない。乱れた思いで、息が荒くなっている。頭の中は真っ白になった。
「アルフォン。母様はどこ行った? 一緒にいるだろう?」
呆然と立ち尽くすグレタの耳に、サミュエルの声がやけにはっきりと届く。抱き上げられたアルフォンが、燥いだ声で返事をする。
サミュエルは、アルフォンが指差した方向に顔を向けた。グレタの首もつられる。そちらから、美しい装いの緑青色の髪をふわりと靡かせた女性が歩いてくる。サミュエルよりも少し年上に見えた。
アルフォンを挟んで三人横に並んで歩いていくその背は、どう見ても仲のいい家族のようにしか見えない。
「隠し子です。ロンバルディ次期公爵様のデレッとした顔を見ましたか?」
ブルーノの言葉に、セストの首が傾げられていた。
「あれは父子関係でしょうな。僕は怪しいと思っていたんです」
シュガーメイプルの木立から離れて、メリッサの手を取ってグレタは歩き続けた。
したり顔のブルーノに、反論する言葉をグレタは持っていなかった。
「いい加減な話をしないでよ。まるでグレタ様が裏切られているようだわ。私の大切なグレタ様にを傷つけないでよ」
涙を拭きながら、メリッサがブルーノに刃向かった。グレタを守るように、毅然と顔を上げている。
いつから、メリッサはグレタを守るようになったのだろうか。目に込められた激しい意志を受け止めながら、僅かに戸惑う。
「隠し子ですよ。急に決めた婚約だからグレタ様の相手には、誰でもなれた。ロンバルディ次期公爵様の相手だって、誰でもなれた。グレタ様は都合がいい女なんです」
ブルーノの発言は理に適っている。サミュエルは女性騎士との浮かれた講習を見せつけ、お茶会を開催し、隠し子までいる。全てを呑み込んで婚約を摺るグレタは、都合が良い女だ。
「僕ならもっと優しくできます。ロンバルディ次期公爵様も楽しんでいるのだから、どうです? 僕を選んでください」
少し毛量が少ないブルーノの頭の先から、地面に食い込むような太い足の先まで視線を流して、グレタは納得した。
「選ばない」
自身を持って断言できた。申し分なく美麗で見目麗しいくて、何をしても典雅なサミュエルの振る舞いをグレタは好ましいと思っている。サミュエルだから婚約を受け入れた。
「もう一度だけ、考える時間を上げます。グレタ様は、ただの都合がいい女。僕の方が合っている」
丸い身体を揺らして、ブルーノは畳み掛けて来る。グレタに執心する意味は掴めない。グレタが、ここでブルーノとの誼を通じると伝えることで、なきを期待しているのだろうか。
じっくりと見詰めると、ブルーノは期待を込めた瞳を返してくる。
メリッサがグレタの腕を抱える。
「渡さないわ。グレタ様を都合が良いように扱えるから――」
メリッサと刹那、視線を合わせてから腕を解いた。今は、メリッサの気持ちを吟味できない。ブルーノの狙いだけを考える。
傷ついた目を伏せて、メリッサの首筋がまた赤く染まった。
「私の判断が、都合が良くないから、ブルーノは苛立っているんだよね。選ばないから安心してほしい」
歯を喰いしばったブルーノが、腕を伸ばした。
勢いをつけて飛び退くと、メリッサの肩とぶつかる。メリッサを抱え込んで、横に逃げる。
「逃げるな。都合が良いんだよ。グレタは俺の言うことを聞け。マッティア宰相様から、俺は指示されているんだ。グレタが――」
ブルーノの言葉に、肩を抱えていたメリッサが驚いた顔を上げた。
動きが止まったグレタを目掛けて、ブルーノが掴みかかる。ブルーノの獲物はグレタだけだ。巻き込まないためにメリッサを突き飛ばす。
短い手足を懸命に伸ばすブルーノをセストが制して、ロングソードを鞘ごと前に突き出すのが目の端に過ぎった。
ブルーノの腕を避けた身体が、浮き上がる。腰に絡む腕を見上げた先に、見知った家紋と、日に焼けた端正な顔が見えた。
「え?」
グレタの目の前で馬車の扉が閉まり、馬の嘶きが聞こえた
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やっと・・・ここまで・・・来た。




