12 美味しいお茶の淹れ方
投稿をお休みしてしまいました。
修得したウフ・マヨネーズの作り方を、一晩寝てグレタはすっかり忘れた。一週間が経ったら、材料も思い出せなかった。家政魔法の腕を磨く意欲は、みるみる後退していく。
広いロンバルディ公爵家のタウンハウスで、サミュエルとは時々顔を合わせた。話す頻度も、日に日に少なくなっている。サミュエルは多忙を極めている様子で、魔法騎士団の官舎がねぐらとなっていると教えてくれた。
朝食の時間を共にするのは、三日ぶりだった。
楽しそうに仕事の話をしたサミュエルは、小さく吹き出す。
「女性騎士限定で開催されている特別レッスンは、楽しいほど評判を呼んでいるのよ。グレタは――」
「私には必要ない」
グレタの零した言葉の強さに、互いに目を見開いて見詰め合った。
サミュエルにとって必要なことが、女性騎士限定の特別レッスンだと理解している。女性と過ごすのは、任務の一つだ。
騎士としては、中堅の役どころとなり実戦も経験したグレタには、サミュエルから学ぶ技術はなかった。政略結婚の相手に、開催を事前に告げる必要も、許諾を得る必要も、ない。
グレタには必要がない。
言葉を反芻するほどに、グレタの胸の中が言い表せられない状態に澱んでいく。
グレタは言葉が続かなかった。気になる事を呑み込むという、恐るべき初めての経験をした。今までとは関係が変わると実感する。近くなったサミュエルとの関係に、今まではなかった隔たりがあると分かった。
何度か口を開いてから、ティポットをサミュエルが持ち上げた。
「家政魔法でいれるお茶は、格別に美味しいの。水魔法の水を使ってもいいし、火魔法で沸かしても大丈夫。大切なのは、必ず家政魔法を使うこと。ボコボコッて泡が出るくらいにお湯を沸かすの」
紅茶のポットに入れる前に、ポットとカップにお湯を注いで温める。
グレタが黙り込んだ時に、サミュエルが何かを話すのを期待していた。何度も開いた口から言葉が出ると、期待していた。言い訳でも、詫びでも、何でも良かった。今の状況を説明して欲しいとグレタは思っていた。
違う。
グレタは首を傾げた。状況は分かっている。お茶の淹れ方を知っているように、理解ができる。
気付いた。
状況を説明して欲しいわけではない。グレタは胸の底で、何か別の物を欲している。何を待っているのか掴めないが、欲しいものがある。現状を難なく受け止め、超越できる、何かが欲しい。
「全体が温まったか、ほらこうして掌で包むと分かるの。秋も深くなって、今はこの温かさまで美味しさに繋がる」
手を動かしながら、サミュエルは一度、注いだお湯を捨てた。
グレタの胸の底で思い至った考えのように、お湯が捨てられていく。
ポットに、茶葉を入れる。ティスプーンが動くさままで典雅だ。沸騰したお湯がポットに注がれた。
「勢いよくポットにお湯を入れるの。蓋をして、蒸らす。茶葉が上に下にと動くのよ」
窓から朝陽が降り注ぎ、ヤコブの梯子に似た光の筋が見えた。銀髪が輝く。
「日があたっても、翳っても美しい。褒めてる」
零れたグレタの言葉に、刹那、サミュエルが手を止めた。懐かしそうに漆黒の瞳が遠くを見た先に、何かを惜しむ色が滲んだ。
惜しい。
グレタはデュメルジに戻ってから、胸に澱んでいる気持ちの一つの名前に気付いた。
同じ気持ちなのだろうか? サミュエルの視線の先に見えた何かを、確かめたくてグレタが口を開いた。
グレタを制すように、サミュエルの声が被る。
「ねえ、セストと仲が良いのかしら? 良い子でしょう? ダジェロ辺境から来ているの。他の二人には気を付けてね」
分かっていたが、改めて言葉にされると認めたくない事実ばかりだった。二人の間の溝が、また広がる。
ダジェロ辺境の監視が、グレタに付き纏っているようだ。スタンピードの事実を迂闊に話さないように、サミュエルが腐心しているのは理解している。だが、グレタは信用もされていないようだ。
「皆が良い子だと思っている。セストは剣の腕もあって、見目も騎士らしい。メリッサは慕ってくれている。愛らしい貴族令嬢。ブルーノは情報通で、太っている。褒めてる。サミュエル様からの助言は、私には必要ない」
銀髪に掛かる朝陽が翳っていく。サミュエルの顔が銀髪で隠れた。
窓からの冷気が、グレタの肌を刺す。
「お茶の淹れ方なら、グレタも修得できるでしょう? 期待しているわ」
立ち上がったサミュエルが、部屋を出て行った。
「私には、必要ない」
誰もいない扉に向かってグレタは同じ答えを返した。
置かれた距離に、グレタはひっそりと失望し、さっくりと受け入れた。
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