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10 基本のウフ・マヨネーズとうふふッの基本

本日、二回目の投稿です。

 グレタがデュメルジに戻って、一週間が過ぎた。秋が深まり、地には落葉が重なり合っていた。吹く風は冷たいが、凍えるほどではなかった。

 婚約したが魔法騎士団の緊急時対応はまだ継続していたため。グレタは除隊をしなかった。週の半分は、デュメルジの魔法騎士団に勤務していた。

 所属する第五部隊はまだ帰還していなかったため、第十部隊に一時所属となっている。リッカルドの指示を受け、家政魔法の再履修をしていた。トゥスクル王国の魔法騎士団では、家政魔法を学ぶ授業がある。家政魔法は、炊事や洗濯や掃除を飛躍的に効率よく進める。

 家政魔法の教授は、ジュリア・ビアンキ伯爵夫人だ。ルーナとアウローラの母親で、グレタは幼い頃から面識があった。ジュリアの家政魔法は評判を呼び、魔法騎士団の隊員以外にも学ぶ門戸を開いていた。

 魔法の基本属性は水、風、土、火、光、がある。攻撃魔法には、水や火が有効だった。防御魔法は土で、回復魔法は光だった。

 家政魔法には風魔法が有効だとされていたが、他の属性でも威力を制御することで家政魔法に変換が可能だった。

 騎士になったばかりの貴族の令嬢や令息、地方の領地から出てきた若者が騎士の基礎の学習のために、共に家政魔法を学んでいた。

 グレタには、年下で、可愛い友達が出来た。

 メリッサは男爵家の長女で、十五歳と若い。グレタに騎士の生活を聞いて目を輝かせ、時折、唇を噛んで怖がる様子も見せた。

 十八歳のブルーノは伯爵家の三男だった。病気のため、入隊が遅れたと何度も口にする。ブルーノは常に恭しい態度でグレタを遇した。

 セストは騎士爵を持った家の長男で十三歳だった。大人しいセストは一番若かったが、火の攻撃魔法に優れ、剣術も確かな腕があった。

 午前の早いうちに、家政魔法の講座は終わった。昼食にはまだ早い。

「今日のウフ・マヨネーズは、美味しくできましたわ。グレタ様は持ち帰るのですか? その、何処かにお寄りになるとか? 誰かに合うとか? 差し入れを摺するとか?」

 メリッサが茶褐色の髪と目を輝かせて、遠回しを装ってあからさまに聞いて来た。鼻の周りに散っているそばかすが愛らしい。サミュエルの話題を聞きたいが、名前を憚る。男爵令嬢として正しい振舞いだ。

 グレタは必要な事だけを、伝える。

「このまま官舎に寄っていく」

 家政魔法の成果を、サミュエルに確認してもらう必要がある。

 ウフ・マヨネーズの入った籠を掲げる。たゆんっと瓶の中でウフ・マヨネーズが躍った。

 グレタにとっては長い工程を経て、出来上がった一品だった。思い出しても、気が遠くなる。グレタの頭の中に、陽だまりのような卵が浮かんだ。

 まず卵黄に、生クリームと牛乳とマスタードをよく混ぜる。少量の酢を追加した後で、オリーブオイルを少しずつ加えて、更に混ぜる。

「分離しないようにオリーブオイルを入れるのが、難しかった。何とか光魔法を応用したけど、本当に疲れる」

 家政魔法の修得は、グレタにとって難しい課題だった。家政魔法の修得がロンバルディ公爵家に嫁ぐための必須の要件だと、サミュエルは言い張る。やはり天幕にいた令嬢をグレタ以外で仕立て上げる策を、もう一度話し合ってもいいと拳を握った。

 もったりと黄色いマヨネーズを作るために、オリーブオイルを慎重に加えた。その後でワインビネガーを入れて、塩で味を調える。

 半熟に茹でた卵に、出来上がったマヨネーズ仕立てのソースをかけたのがウフ・マヨネーズだ。シンプルで、調理の基本として習うメニューだった。

「半熟卵は自信がある」

「婚約者様にお会いするんですか? きゃあ、素敵な逢瀬ですね」

 夢見がちな声を上げたメリッサが顔を寄せた。声を潜めて続ける。

「ロンバルディ次期公爵様って、そのお優しいんですか? 自由恋愛だって噂で聞いています」

 メリッサは気安く、グレタと似ていてあまり物怖じしないところがある。

 押し退けるようにブルーノがグレタの前に出てきた。

「メリッサは、もう少し控えめに発言したまえ。正直に申しあげましょう。僕が集めた噂では、二十一歳のグレタ様と二十六歳のロンバルディ次期公爵様は年齢も釣り合っていると、デュメルジで評判だと聞き及んでいます。田舎から出てきたセストだって聞いているだろう?」

 丸々と太った身体を揺らし、二重顎のブルーノは得意満面だった。

 隣でメリッサが、何度も頷いて同意している。

 自分自身が噂になっている事実に、グレタは面食らった。おまけに、サミュエルの年齢も知らなかったと思った。五歳違いが、夫婦として釣り合っているとも考えていなかった。

「どんな噂を聞いたのかな? 噂になるような関係ではないと思う」

 メリッサが、グレタの周囲をグルグルと回り出した。興奮したように、顔を赤らめている。

「愛しいグレタ様を、大事にしていらっしゃっているって評判です。だって婚約のために、久々のデュメルジへの帰還だったんですよね。グレタ様と親しいリッカルド第十部隊隊長に、わざわざ護衛を依頼したそうですね」

 メリッサの勢いが凄まじくなる。

 聞いた内容は事実だが、真実ではないような気がする。サミュエルは責任で婚約したに過ぎない。無理がなく、無難なグレタを婚約者にしただけだ。

 つられたように、セストまで伏し目がちに話し出す。

「エスポジート子爵家にも、直ぐに正式な婚約を申し入れたって聞いてます。誠実な御様子だったらしいです」

 発言は正しいが、必要に迫られての動きだったとグレタは理解している。夢見がちなメリッサは頬っておいても構わない。だが、真面目なセストには、思惑に塗れた政略結婚に心を揺らして欲しくないと感じた。

「田舎者が、偉そうにしゃしゃり出た。御両親の説得のために、自由恋愛なのに貴族の則の範囲を守った。政略結婚とは、素晴らしい御采配です」

 思い出してみると、結婚について話した時も、リッカルドの名前を出した時も、サミュエルに問われて、グレタは答えていた。互いの状況や考えを話し合っていないのではなく、グレタは常にサミュエルから聞かれていたようだ。

 だが、グレタはサミュエルについて知らないことが多かった。結婚についての考えや、親しい友人や、頼れる上司を聞いていない。

「噂が広がっている。怖ろしい気もするけど――」

 大股で、距離を詰めたブルーノは、やや肉付きの良い身体で息を切らせて、荒い息のまま話し出した。

「麗しき公爵令息と子爵令嬢は、ダジェロ辺境の天幕の中で愛を育んだって、有名です。聞き及んでなかったとは、これからはどんな噂も、いち早く僕がお知らせします。御安心ください。結婚に秘された政略の中身も、勿論探ります」

 天幕で育んだのが愛だったと、グレタは初めて聞いた。何を言っても、懸命に否定締めも、ただ惚気ていると取られるだろう。無益な行動はしたくない。興味を持たれるのも、関心を示されるのも片腹痛い。

 仰々しく頭を下げるブルーノの前を通り過ぎて、グレタはセストに声を掛けた。

「デュメルジには、もう慣れた? 確か、遠くから来たって聞いたけど――」

 頷いたセストから、低いがはっきりとした声で返事がある。

「男爵家の四男だった父は、二年前に騎士爵を賜りました」

 聞いたことに十二分(じゅうにぶん)には答えないセストの慎重さに、グレタは小さく頷く。

 セストは、ブルーノが追いつかないようにグレタの後ろを歩いていた。騎士らしい姿だ。

「今日は女性騎士限定ですって! うふふッ、風魔法の極意の伝授の特別レッスン」

 二人の青藍の騎士服が、慌てたようにグレタを追い越して、振り返った。

「攻撃魔法のスペシャル講座よ。あら、あなた達は行かないのかしら? うふふッ、爵位が足りない感じね。伯爵家以上の高位貴族の令嬢だけが参加よ」

 聳やかした顎でグレタとメリッサを値踏みした二人は、口の端を歪めて前を向いた。

「うふふッて、楽しそうですね。あれは、恋ですよ。きっと憧れの存在がいるんです。誰がいるのか、気になります。噂話は放っておけませんよ。伯爵子息の僕が聞いてきます」

 魔法騎士団での人気は、ダジェロ辺境伯のランベルトが断トツだったのは数年前までだ。既婚者のランベルトが、貴族籍の令嬢が群がる状況を作るとは思えない。まして、妻のローラは懐妊した。猶更に慎重な行動をすると考えられる。ランベルトは愛妻家として名を馳せている。

 ブルーノが丸い腹を揺らして、足を懸命に動かす。なかなか前に進まない様子に、メリッサが声を掛けた。

「行かないほうが良いわよ。だって、女性騎士限定だから、ブルーノは参加できないでしょう」

 のんびりとした様子で、メリッサはブルーノに呼び掛ける。

 前から、歓声が上がった。魔法騎士団の官舎の前には、何か所かの鍛錬場がある。官舎の玄関の近くで、一番目立つ鍛錬場に人だかりがあった。女性の賑やかで華やかな歓声が上がる。楽し気な笑い声が響く。

 先駆けたブルーノが、歓声に負けない声を張る。

「うわあ。あれは、何とも美しい女性騎士を侍らせています。右手で腰を抱いて、左手は肩の上だ。あんなにべたべた触っている男性騎士に、嫉妬します」

 メリッサも堪え切れないようすで、前に飛び出した。

「素晴らしい銀髪の騎士で、見惚れてしまう。グレタ様も見えますか? ああ、伯爵家の御令嬢が羨ましい」

 微笑み合う青藍の騎士服と濃紺の騎士服は、境目が分からないほど密着していた。

「サミュエル様だ」

 青藍の騎士服を抱きかかえるサミュエルは、美麗な微笑みを浮かべていた。端正な肢体が、滑らかに青藍の騎士服の上で動く。

 崇めたくなるほどの秀麗な景色が、グレタの目の前に広がっている。

 サミュエルの魂胆が見える気がする。婚約したグレタの存在に意識を向けていないと、周囲に示しているのだろう。サミュエルにとってグレタは、たまたま婚約しただけの相手だ。グレタと過ごす時間を取らないと、貴族なら誰でも感じる姿だろう。折よくグレタが別の任務で通りかかれば、互いに思いを通じ合ってない姿が衆人環視の的となる。

「策略通りだ」

 分かっていたことだ。目の前の光景は、想定の範囲内だ。

 手にした籠の中で、ウフ・マヨネーズの瓶が揺れた。グレタの身体の奥で、何かが膨らんで、瞬く間にしぼんでいった。何が身体を廻ったのか、グレタには理解できなかった。

 ウフ・マヨネーズが入った瓶に霜が降りて、凍り付いていく。

 近寄ったセストが、割れ始めた瓶を取り上げるように籠を奪った。籠から、黄色の砕けた塊が落ちる。

 メリッサとブルーノが、驚愕の口を開けたままグレタの前に立ち尽くした。



お読みいただきまして、ありがとうございました。

どんな卵料理が好きですか? 半熟卵は(冷蔵庫から出して直ぐ)8分の茹で具合が好みです。(調理機器による差はあります)

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