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1 卵とサーモンはお好きかしら?

新しい連載です。お読みいただけると、嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

1 卵とサーモンはお好きかしら?

 手元の皿を右に動かすと、紅水晶の瞳が付いて来た。スプーンで掬って前に出すとと、顎が引かれてしまった。

 警戒しつつも、目はスプーンの上に吸い寄せられている。出会ったばかりなのに、攻めすぎたようだ。

 柔らかく笑んで、首を傾げる。スプーンを揺するとふるりと卵が揺れた。バターの匂いが立ち昇った。

「あーんって、口を空けて。美味しいスフレオムレツは、私の自信作なの。お近づきの印に、手ずから食べさせてあげるわ。特別よ」

 茶褐色の髪がうねる丸みのある後頭部に顎を載せたかったが、堪えた。

「美人に給仕されるって、ここは天国かな? 嬉しい。ねえ、どうやって作るの? えっと、名前をまだ知らない。私はグレタ・エスポジート。美麗な瞳は漆黒で、銀髪と得も言われぬ対比! バターの匂いを放って、スプーンを持つ指も爪まで輝いてる。何から愛でれば良いのか迷う」

 言いたいことを言い切ってから、グレタの小さな口がスフレオムレツを食んだ。紅水晶を一瞬だけ見開いて、味わうように口も目も閉じられた。

「ダジェロ辺境は天国に近いかもね。綺麗なメレンゲを作るのが大切なの」

 カッと瞠って、大きく口が開いた。

「溶けた! 口の中で、卵が雪みたいになくなった。美味しい。肌の肌理(きめ)が細やかな人が作るメレンゲは、やっぱり綺麗なのね。続きは?」

 泡を潰さないように滑らかにした黄身をメレンゲと合わせて、ブラックペッパーを加える。バターを溶かして弱火で焼き上げる。仕上げに乾燥させたパプリカを粉状にして振りかけてある。

 そこまで説明した時に、茶褐色の頭が下を向いた

「覚えられない。家政魔法はからきしダメ。パプリカ並みに鮮やかな唇だから作れるわけだ。納得した」

「エルって呼んでね。またグレタに作ってあげるから、大丈夫よ、うふふっ」

 本当に極上の気分だと、銀髪が揺れた。


―――☆彡☆彡☆彡―――


 グレタが手渡されたバゲットには、薄桃色のパテが載っていた。受け取りながら、差し出された腕をじっと見た。

「色っぽい?」

 微かな呟きは聞こえなかったようで、腕がグレタから離れていく。

 騎士服に隠れて、いつもは見えない二の腕までが見えた。天幕に差し込む陽射しは柔らかく、秋の露の香も運んできていた。

「エルって、結構、筋肉がある」

 逞しい感じたとの言葉は、バゲットと一緒に口に納めた。噛み締めたバゲットは軽く炙ってある。焦げ目まで美味しい。片手で頬を押さえてパテの風味を味わう。

「前から思っていたけど、グレタにとって私ってどんな存在なのかしら?」

 二十一歳のグレタはエスポジート子爵家の令嬢で、魔法騎士だ。襟には、回復魔法の癒しを示す甘露の雫型の徽章がある。茶褐色の髪はあらゆる方向に跳ねて、納まりが悪い。撫で付けるのを諦めて、一本の三つ編みにしてある。紅水晶色の瞳は、切れ長の一重だ。形の良い唇にすっきりと通った鼻筋で、美しいと言われる容貌をしている。だが少し明け透けで、口が悪かった。美しさを半減するほどに、グレタの口はよく動いた。

「一言で言って、変人エル姉様。続けて宣べれば、スタンピードを寝ずの番で研究している変わり者の美人。真っ直ぐな銀髪が美しい。全体的に線が細いけど、ドレスが似合うと思うから、一緒に舞踏会に行きたい。褒めてる」

 一挙に言い立てた後、真実だと示すためにグレタは大きく頷いて見せた。名前を呼び捨てにしているが、グレタより年上の色気を感じさせる。

 筋肉をしっかりと着けた腕が動いて、指がグレタの唇を掠めた。

「パテが着いてるわ。うふふっ、世話が焼ける。スモークサーモンを使ったのよ。叩いて細かくしたサーモンに生クリームを混ぜて、滑らかに練った一品なの」

 バゲットに載せられたパテはサーモンだ。

「デュメルジでも食べられないおいしさ。今日もパテが最高で、嫁にしたくらい料理上手。称賛している」

 言いながら、グレタは遠くなはれたデュメルジを思い出した。秋の乾いた風が、王都の木々を紅葉させる。シュガーメイプルの掌の形の葉が、黄や赤に染まって、風に乗って落ちてくるさまが浮かぶ。

 平時ならトゥスクル王国の王都のデュメルジに、グレタの所属する王立魔法騎士団第五部隊は駐留している。

 だが、今はトゥスクル王国は緊急事態にあった。あまり効力は高くない回復魔法を使うグレタまでもが、ダジェロ辺境に派遣されている。

 デュメルジは、トゥスクル王国のほぼ真ん中の丘陵地帯に位置している。平原がデュメルジを囲んで広がり、南側は海に、東側と北側の国境は隣国に接している。多くの街道が行き交うデュメルジは、文芸にも優れ栄えていた。

 トゥスクル王国の西側が、ダジェロ辺境と呼ばれ、深い森がある。闇が濃い森の中は未開で、人間に害を与える魔獣がいた。デュメルジからの街道が途切れた辺りに、(めい)(やみ)と呼ばれる魔獣が潜む場所があった。

 冥闇から出で来る魔獣は、大量発生のスタンピードを起こした。スタンピードはトゥスクル王国の揺さぶる。

 トゥスクル王国の国内で確認できている冥闇は、三十二ヶ所だ。冥闇は、瘴気が溢れ出るていて、崖や洞窟や密集した木々の中にあった。監視をするために、冥闇を囲むよう砦を作った。各砦で担当するのは四ヶ所から六ヶ所の冥闇だ。

 冥闇の近くには、観測用の小屋がある。人は常駐しないが、一時的な避難場所や観測場所になっている。毎日、各砦から観測場所に騎士が見回りに行った。

 トゥスクル王国は優秀な魔法騎士団を整備して、冥闇と魔獣を制御する努力をし続けていた。

 グレタは、ダジェロ辺境にある第二砦にいた。所属する第五部隊は、第二砦でランベルト・ダジェロ辺境伯の指揮下で魔獣を討伐していた。

 一年前に小型の虫型魔獣のスタンピードが観測され、トゥスクル王国は魔法騎士団が緊急時の態勢になっている。

 グレタの目の前で、後ろで一つに縛っている長い銀髪が肩に緩やかにかかる。サーモンのパテを嫋やかな仕草でバゲットに載せる。漆黒の瞳が弧を描いた。見惚れるほど美しい人だ。

 じっと見ていたのが妙に照れ臭くなったのは、微笑み真っ直ぐに向けられたからだろう。バゲットだけを見て、グレタは言葉を捻り出した。

「この前の蜂蜜レモンバターも、絶品だった。パテとして食べちゃった。甘い夜食で、忘れられない」

「蜂蜜っていうと、キラービーを思い出すわ」

 蜂型魔獣のキラービーは、小鳥ほどの大きさでモノを映さないような冥闇と同じ色の目が特徴的だ。攻撃性は高いが、新人魔法騎士の攻撃魔法でも殲滅できる。数が多いのが厄介だ。

 一年前のキラービーの出現が、今回の緊急事態の始まりだった。集団化したキラービーが、冥闇から出現した。第二砦からすぐさま討伐隊が出された。

 肩を震わして、銀髪をうねらせた頭を慰めるようにグレタは抱き寄せた。

「蜂蜜レモンバターの甘さを思い出して、エル。私は作り方を教えてもらったけど、バターが分離しちゃって、べたべたのどろどろ」

 手順を思い出して、グレタは指を折った。

 薄く輪切りにしたレモンを皮のついたまま八等分した。

 グレタの腕の中で、楽しそうに銀髪が揺れた。

「きっちり測って八等分した輪切りのレモンが、カピカピに乾いちゃったのが敗因よ。蜂蜜とレモンを合わせてさっくり混ぜるって部分で、レモンが崩れてたわ」

 手際の悪さをにこやかに見つめていた漆黒の瞳は、グレタを急かすことがなかった。常にグレタを見守ってくれていた。

 姉のように慕うとの思いが、グレタを包み込んでいた。

「バターは液体になってた。まあ、エルがいるから、私は料理が出来なくたってダジェロ辺境で生きていける」

「グレタがダジェロ辺境に来てくれて、本当に助かっているわ。深く深く感謝しているの。スタンピードの解明が進んだわ。スタンピードの出現には、やっぱり法則性があった」

「エルの努力の賜物でしょう。私はちょっと、計算しただけ。気温との関連に気付いただけ。大したことはない」

 腕を解いて立ち上がった銀髪が、グレタを見ていた。手に持っていたのは、濃紺の騎士服だ。グレタの着ている(せい)(らん)色は、女性の騎士服だ。見返して、グレタは顎が落ちた。

「濃紺の騎士服って、はあ? 背が高すぎる。エルって、姉様? ええ! 違う」

 薄着となった背には、僧帽筋が透けている。筋が浮かんだ首筋はがっしり太い。顔の造形の秀麗さだけに目が言っていた。女性とは思えない。

「やっと気づいたのね。なら、一緒の野営天幕では寝ちゃあダメって言った意味が、分かるでしょう。たとえお祝いでも、浮かれちゃあダメ。昨夜も帰るように私は言ったわよ」

 話し方だって、嫋やかで穏やかで、花も恥じらう乙女の姿だ。グレタの知っている騎士とは大きく異なる。

「もう、しっかり朝だ。朝は初めてだけど、夜なら何度も遅くまで一緒に過ごしちゃった?」

 慌てて、胸の前に腕を組んだ。隠すものは何もないが、せめてもの抵抗を示す。改まって、騎士の礼を取った。

「すみません。あの、お名前を窺っても宜しいでしょうか?」

 嫣然と漆黒の瞳が、輝いた。

「王立魔法騎士団の第二十三隊副隊長を務めているわ。サミュエル・ロンバルディよ。よろしくね。もう一か月も、夜を過ごした。初めての朝ね」

 口の中で何度も名前を反芻して、グレタは半眼を向けた。

「エルが姉様じゃなくて、男性の名前がある。筋肉が逞しくて、背も高い。エル兄様って、男ってこと? はあ? おまけに物騒な家名持ち」

 サミュエルの名乗ったのは、デュメルジでも目立つほどのタウンハウスを所有する家名だった。

「ロンバルディ公爵家の三男なの。我が家を、グレタが知っていて光栄だわ」

 泡のように浮かんだ疑問が、グレタの口を動かす。

「壮大な邸で育って、今はダジェロ辺境にいる。公爵家で、あの女装趣味って許されるの? ドレスは着てなくって、髪が長いのだけで女装ではない。乙女でいて欲しい。ああ、でも騎士服は男性用だった。エル姉――。もう違う。ロンバルディ公爵令息様」

 サミュエルは楽しそうに笑うだけだ。

 男と知った事実より、女ではない現実がグレタには遣る瀬無かった。同性で親しい姉のような友人だと、信じ切っていた。切なさが押し寄せる。残念に思う気持ちが零れ出した。

「絶対にドレスも似合うし、料理も抜群で、私よりよっぽど色気が駄々洩れの美人だ。ショックだなあ。嫁にしたかったのに、残念だあ。まあ、美人なのは変わらないから、別にいいのかな?」

 何がいいのか、グレタにも分からなかった。スタンピードが起きて以降、グレタは難しく考えて、悩むのを止めていた。現状をするりと受け入れて、生きてきた。緊急時は、今を受け入れないと生きて来られなかった感じだった。

「エルでもいいけど、でも、グレタにはサミュエルって呼んで欲しいわ。話し方や仕草で、目眩(めくらま)しにあったのね。男なのに、グレタったらこんなに側にいて、懐いてくれた。本当に可愛い」

 声を低めたサミュエルがグレタに顔を寄せた。

「油断してると、食べられちゃうよ」

 色っぽい。声も姿も、色気が洩れている。

 本当にサミュエルが男だと気付いた時には、グレタの唇はしっとりと熱く覆われていた。




お読みいただきまして、ありがとうございました。

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