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わらって おかあさん

作者: 小林汐希




 空の上にある世界で人間として降りていく順番を待っていたわたし。


 きちんとした名前はまだなくて、みんなから「よっち」と呼ばれているの。よちよち歩くからだって。


 そう、ここで名前があるのは、一度は人間の世界に行ったことがある証拠だからね。




 ある日、ふと見下ろした光景に思わず見とれてしまったの。


 かわいい女の子のような花嫁さんはだれ?


 聞こえてくるお話だと、これまでいっぱい苦労をしてきたみたいだけど、わたしが行くことで笑ってほしいって思ったから。


 わたしはその人の名前を調べて、「結花さん」の子供になりたいとお願いを出したよ。




 すると、神さまから呼び出しを受けて説明されたの。


 結花さんのおなかの中に降りることはできる。


 でも、結花さんは体や心を痛めていて、もっと経験を積んだ者でないと人間として生まれることは難しいかもしれない。


「いまのわたしで、どのくらいの時間を一緒に過ごせるのですか?」


 あちらの時間で約3か月……。


 長いのか短いのか、分からない。


 でも、もし短い間だったとしても、あの結花さんとつながりを持ちたい……。


 3か月もあれば、わたしが結花さんのおなかの中にいることは分かるはず。


「本当にいいんだね?」


「はい」


 わたしはその3か月を条件に、結花さんのおなかの中へ……。


 結花さんをおかあさんと呼べるようになったんだ。




 おかあさんのおなかの中で、わたしは少しずつ成長していく。


 思っていたとおり。とても温かくて、柔らかくて。そして安心できる場所だった。




 おかあさんがわたしの存在に気づいてくれたのはすぐのこと。


 お仕事から帰ってきたおとうさんに、真っ先に大喜びで報告していたっけ。



 それからは毎日、おかあさんはお歌を歌ってくれたり、いろいろなことをお話ししてくれるようになった。


 わたしだけに昔のことを聞かせてくれることもあった。


 やっぱり、おかあさんは優しいだけじゃない。傷つきやすくて繊細なところばかりみんな見ていたみたいだけど、とても強い心の持ち主だった。


「女の子かな、男の子かな……。そのうち名前を考えようね……」


 おかあさん……。


 でも……、わたしは赤ちゃんとしておかあさんに抱かれることはできないと最初から分かっている……。


 そのことが、この優しいおかあさんを悲しませてしまうことに気がついて後悔する時間も増えてしまった……。


 残されている日々、おかあさんにしてあげられることは、最後までおなかの中で頑張っているよと分かるように動くことと、…おかあさんが悲しまないようにと祈ることだけだったよ。




 だんだん時間が迫ってくるにつれて、体が動かしにくくなってきた……。


 もうあまり残っている時間はないんだね……。


 そんなことを知らないおかあさんは、毎日お歌や本を読み聞かせてくれたりを続けてくれる。


 その声がわたしをどれだけ落ち着かせてくれたことか……。




 おかあさん、ごめんなさい。


 わたしのわがままで、おかあさんをまた悲しませてしまうんだよね……。


 おかあさんにはいつも笑っていてほしい。わたしにまだその力がなくてごめんなさい……。




 もう、お別れの時間が来ちゃう……。


 でもわたし、本当にしあわせだったよ。また、いつかおかあさんに会いたい……。


 わたしは、最後の力をふりしぼって、両方の腕をおかあさんに向けて差し出した……。





 わたしは薄暗い場所にいる。


 周りにも同じようなひとたちがいる。空に戻ってきたときに、これまでを見つめ直したり、落ち着きを取り戻すための「戻ってきたひと」専用の場所。


 わたしはまだ「よっち」のまま。他のひとたちは名前をもっている。それが大きな違いなの。


 結局、おかあさんを泣かせてしまった悪い子だった。


 おかあさんは、おなかから取り出されたわたしが過ごしていた体をベッドの上でトレイごと抱きしめて、「また帰ってきて」と言ってくれたんだ……。


 でも、おかあさんを悲しませてしまったわたしにはその資格はないと思っている。


 もしかしたら、これから罰を受けるのかもしれない……。



「待って下さい! その子を連れて行かないで下さい!」


 だれ?


 神さまの前で、わたしのわがままでおかあさんを悲しませてしまったことを謝りに行こうとしたときだった。


 少し年上の男の子……?


 名前がある。結弦(ゆづる)くんというみたい。


「もうきみは『よっち』じゃない。名前は(しおり)に決まったんだよ」


 えっ……。だって、わたしは……。


 結弦くんは、わたしに小島栞と書かれた名札を渡してくれた。


()が、これをきみに渡して、一緒に遊んでいて欲しいって届けてくれた」


 小島……、おかあさんだ……。


 おかあさんが妹……。


 ようやく頭の中で整理が出来てきて、涙が止まらなくなる。


「おかあさん……」


 本当なら名前をつけてもらえることはないのに……。


「行こう! もうここで俯いている必要はないんだ!」


 結弦くんに手を引かれて、わたしは黄色い菜の花の中に走り出した。





「栞ちゃん、本当にいいの?」


「はい。わたしはここから見守っています。お母さんをお願いします」


 あれから時が過ぎ、今度は「誰が結花さんに降りるか」という話し合いがあった。


 わたしにも「今度は大丈夫」と声がかかったけれど、首を横に振って、もっと経験豊富なお姉さんにお願いすることにしたよ。


「わたしはここでお母さんを待つ事にしたんです。どうかお母さんを笑顔にしてあげて下さい」


「分かった。必ず約束は守るから」


 結弦お兄ちゃんから聞いたの。


 お母さんはわたしや結弦お兄ちゃんとの「いつかどこかで」を望んでいる。


 だからあのとき付けてくれた栞という名前のままで会いたいの。


 わたしがいま降りたら、お母さんが空に来たときに出迎えることが出来ないからね。


 そのときに抱きしめてもらえれば十分なんだよ。


 お母さんは笑うと今でも可愛い。


 ずっとそれを忘れないで大切にして?


 わたしはここで待っているから、大丈夫だよ。


 だって、あの時約束したんだもん。




 「おかあさん、ありがとう。またね……」って。


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