李が咲く季節
「鳴瀬が見つかったんだって」
園田の言葉に、ほっと息をつく。放課後の教室には俺らしかいなかった。
―鳴瀬は、迷子になっていただけだ。
「村瀬、おまえって鳴瀬と仲良かったよな?」
「別に。仲が悪いわけではないけれど……」
「とにかく、よかったなぁ」
若林の顔に笑顔が戻る。その顔は俺が作った偽物の笑顔と違って、温かくて、なにかが浄化されていくようだった。
若林と帰りながら、どうでもいい話をした。あの芸人が不倫しているだの、男性アイドルの熱愛写真が撮られただの、俺らにとって関わることがない遠い世界の話。
その話はもし本人が聞いたら「イヤになるだろうなぁ……」と思うけれど、そんなことはあり得ない話で彼らと俺らは交わらない。若林の毒舌を聞く度に、世界を恨めしく思う気持ちが薄れていく気分になる。
―実際は、そんなことはないのだけど。
「じゃあな、また明日」
園田が手を振る仕草がさっきまで話していた男性アイドルの仕草と重なって、なんだか笑ってしまった。園田と別れてから、最近、鳴瀬と会った日を思い出す。あの日は空が晴れていて、日曜日なのに親が家にいなかった。だから、鳴瀬を呼んだんだ。
チャイムを鳴らして、家に入ってくる鳴瀬はベージュのシャツに水色のスカートを合わせていた。特におしゃれをしているわけではないけれど、なんだか、俺だけのモノって感じがして優越感を感じたことを覚えてる。
鍵を閉めて、俺の部屋に案内する。飲み物は鳴瀬が来る前に用意してある。コイツはいつも常温の水だから、楽でいい。水を一口飲んだあと、いつもなら俺の元に来て手をつないできたり、抱きついてくるのに、今日に限ってこない。
どうしたのかと思って口を開こうとすれば、鳴瀬が遮ってくる。
『よーすけって響きって、アホっぽくない?』
自分の名前を馬鹿にされた気がきて気分が悪くなった。鼻白んだ様子が伝わったのだろう。
『気分、悪くしないでね?』
ふふん、とでも言いそうな表情で、愛くるしい小さな瞳がこちらを見ていることを覚えている。
『そんな言い方をされたら、誰だって頭にくる』
『そう?』
彼女がそう言いながら、抱きついてきたあの感触は今でも覚えている。温かかった。温もりを分けてもらえたことがうれしかった。
―女は機嫌が悪いときがあるからな。しょうがないか……。それに比べて、年上の女性は楽だ。
『陽介は周りの人に、どうして私と付き合ってることを言わないの?』
その言葉を話す唇がひどく憎らしく思えて、口を自然と塞ぐ。慣れている行為に彼女も応える。彼女の息が荒くなるときに、いつもこの行為は終わる。いや、俺から終わらせる。
『陽介は私のことをいつも、鳴瀬って呼ぶよね?なんで?』
唐突に聞かれた質問に言葉を濁す。話していいものかが分からない。
『そもそも、俺は鳴瀬と付き合っているとは思えないし、俺たちはただの……』
『ただの?』
―……どんな関係と言えば、いいのだろうか?
親がいないときだけ、家に呼んで会う。手はつなぐ、抱きつく、抱きつかれる、けれど、キス以上の先はない。この関係は曖昧で、いつも綺麗な状態で終わる。
―俺らの関係に『先』なんてない。
当たり前のことなのに、今更、付き合っているなんて言い出すのは意味がわからない。
『……よーすけはいつも、そうだよね?』
『ん?』
『相手に踏み込まれたくないし、自分も踏み込みたくない。だから、私のこともそう扱う』
物分かりがいい彼女が、俺は好きだった。彼女の瞳が少し寂しげに見える……。そういうところも、すきだった。
『人間ってさ。死ぬときは一人なんだよな……。なんでなんだろうなぁ……』
どうして、こんなことを言ってしまったのだろう……。ずっと昔から感じていたことだった。一人で死ぬことしか出来ない人類が誰かを愛することはむなしく、意味はない。意味がないことをする理由が、俺にはわからない……。
―彼女にはわかるだろうか?
俺の本音が少しあふれて、それは君の周りを少しふわふわと飛んでること。沈黙が続けば、鳴瀬が俺の髪を弄ってくる。髪に絡みつく指はどことなく、うれしげだった。
『陽介はさ、きっと、ひとりじゃ死ねないよ』
『……は?』
『だからさ、今、会っているお姉さんと会うのを辞めなよ?』
『……。どうして、知ってんの……?おれが、年上の人と会ってること……』
『私が陽介を愛しているから、わかるの』
『……ふーん、そっか』
この言葉が嘘でも信じたかった。楽しい日々が、俺たちの日常が続いてほしかった。けれど、もう終わった。
『鳴瀬、今までありがとうな』
俺はうまく笑えただろうか。鳴瀬の顔はもう見たくなかった。
『明るいうちに帰りなよ』
外を見れば、日が沈んでる。知らない間に時間は経っていた。鳴瀬が帰ったあと、年上のお姉さんの家に行く。他の男の余韻が残る部屋は嫌いじゃなかった。
『カナさんは俺と一緒にいて、楽しい?』
『もちろん、楽しいよ』
大人の女性が作る笑顔はうさんくさい。けれど、綺麗に見える術を知ってる。
―この人はモテるんだろうなぁ……。
カナさんは鳴瀬を家に呼び始めて数ヶ月経った頃に出来た偽物の恋人だった。最初からこの関係は破綻している。鳴瀬とは違う感じだけど。
『ねぇ、今の彼女とは別れたから私にきたの?』
こういう話し方をするところが、すごく嫌いだった。
『うざい……』
『その話し方、やめて……。きずつく』
彼女の顔を見るのはイヤだった。こういうとき、いつも泣き真似をする。それがかなりウザい。
『ウザいときにウザいって言う。それの何が悪いわけ?』
『陽はさ、世界の全てを馬鹿にしてるよね?』
カナさんの好きなところがあるとすれば、きっと、こういうところだった。不倫してて、自分が弄ばれていることを知ってる。そういう彼女の世界を破綻している世界がすきだった。
『俺はカナさんの世界を馬鹿にして、自分も馬鹿にしてるところもスキだよ?』
カナさんは俺がなにを言おうと、どうでもいい。カナさんの大好きな既婚者の男が自分以外の女がいようが、どうでもいいんだ。
『世界を諦めているカナさんは俺から見たら、馬鹿だよ?』
彼女の目に涙が浮かぶ。その姿がたまらなく、俺はスキだった。
帰り道に思い出した出来事は、俺の日常だった。どこにも行きたくなくて、どこかに行きたくて、同級生の女の子と年上の女の人をいったり、きたりした。その世界は俺に「一時の優しさ」を与えたんだ。
家に近づくと、鳴瀬がいた。行方不明の女の子が目の前に現れれば、なにも言えなくて、気づけば鞄が落ちてる。
「陽介、久しぶり。あのさ、今日、家に一人なの……。よければ、私の家にこない?」
「……」
鳴瀬が吐き出した言葉にどう答えたかはわからない。けれど、鳴瀬が差し出した手を握った後、親に友達の家に泊まるからって連絡したことだけは覚えてた。
鳴瀬の家に行けば、彼女の部屋にすぐに案内された。男を自分の部屋に入れるなんて、不用心だよなぁ……。俺が何かを言う前に、鳴瀬はキスをしてきた。そのキスが俺を責めている感じがしたのは、気のせいか……。
「陽介、私はなにかを間違ったの?」
キスの余韻に浸りすぎていたから、俺は最初、空耳かと思っていた。鳴瀬が俺の前にいることは現実だけれど、知らぬ間に大人の女性になった気がした。
「内容を知らないのに、適当に答えられないよ」
「そうだよね。実はねー……」
内容を聞いても、俺はやっぱりなぁとしか思えなかった。それは鳴瀬にもどうにもできないことで、鳴瀬が何をしてもムダなことだ。意味はない。
この問題に対して俺が何かを考えたところで、無意味だ……。だから、残酷な言葉を伝えた。
「この件に関して、春子は何をやっても意味は無かったと思う。けれど、この経験は春子の糧になって、いつしか春子を救うよ」
春子の言ってほしかった言葉を俺は嘘でも言えない。嘘が自分を救う、他人を救うなんて、嘘だ。
―だって、俺はいつだって、嘘をつかれてきた。身近な存在たちに。
他にも、春子に言えることがあるなら、新しい世界を見せるだけ。それは俺の秘密を伝えることだけ。
「偽りの愛情から生まれた存在が他にもいるとしたら、それはオレもだから。きっと、ソイツはソイツで生きていけるよ」
春子の顔がくしゃくしゃになっていく。その顔からきっと、真実を知っていたのだと思う。俺が認知はされていても、母しかいないこと。不倫の末に生まれた子だってことを。
―ごめんなさい……。
彼女の泣く顔が自分の心をいくばくか、晴らすことを知った。ああ、泣いている姿を見ると思い出す。
母が言っていた言葉。
『李が咲いたら、全てが終わるのよ』
だから、早く、李が咲けばいい。 母がよく言うあのヒトが母に優しげに語る花が咲けば、きっと、母は夢から覚めるから。
―あの男が見せた世界は『イツワリだ』と気づくから。
だから、早く李が咲いてほしい。
「李が咲く季節には、全てが終わるよ」
鳴瀬に言ったこの言葉が本当になればいい……。その言葉を最後に、俺は眠りについた。




