ドラクロワ家の秘密
「空、綺麗ですね」
「へ? う、うん」
「あなた様に出会うまでは、そんなことにすら気付きませんでした」
「そうなの?」
「ええ。暗殺の訓練を受けていた幼少期や、依頼を受けて暗殺を実行していた時期、私は心を殺して生きていました。そんなものは邪魔なだけですし、認めてしまったら精神的に壊れてしまって、人として生きていけないと思ったから」
「それは……そうだろうね」
「ですが、あなた様に出会ってから、全部めちゃくちゃです。あなた様が何か行動を起こすたび、殺したはずの心が疼いて、冷静でいられない。怒って、泣いて、笑って、喜んで。まさか、自分にこんなにも感情があったなんて、あなた様に出会うまでは知りもしませんでした」
「そうだね。出会ってばっかの時は、こんなに怒りん坊で、泣き虫で、笑った顔が超可愛いなんて思わなかった」
「言い方に悪意を感じます」
「愛情表現の裏返しよ」
いーっと白い歯を見せると、フッと笑われた。
「心を持った私は、もう暗殺者には戻れません。あなた様のせいです。どうしてくれるんですか?」
「なんで責められてるのかわかんないんだけど。良かったじゃない、暗殺なんて深い闇から足を洗えて。私に振り回されてる方が、よっぽどロゼッタらしいわよ」
「そうでしょうか?」
「そうよ。それに言ったでしょう? 責任取るって」
「ドラクロワ家が、国王陛下に対して暗殺未遂事件を起こしていたとしても?」
思わずロゼッタに視線を向ける。彼女は未だ空を見ていた。
「あれ、事実なの?」
「はい。私ではなく、私の父が、ですが」
「ロゼッタのお父さんか。でも、どうして隠してたの?」
「隠していたわけではありません。言うタイミングがなかっただけです。いつかは言うつもりでした」
「ほんとに? 私は秘密を話したのに、ロゼッタは隠し事してたんだって思って、ちょっとショックだったんだからね」
「申し訳ありませんでした」
ロゼッタは素直に謝る。悪気があったわけではなさそうだ。
「誰に依頼されたの?」
「陛下の弟君であるサインハルト殿下です」
「弟って……兄弟で憎み合ってたってこと?」
「正確には、妬ましく思っていたのは、サインハルト殿下だけだったようです。昔から陛下は真面目で、慈悲もあり、国民には誠意を持って接するべきだと説いていた。対してサインハルト殿下は、金遣いも荒く、女遊びも激しく、国民は力あるものが管理し支配するべきだと説いていた」
「うわ、真逆じゃん。そりゃ反りが合わないわよね」
「はい。前国王陛下はカインハルト陛下のお考えに近い方だったため、問題なくカインハルト陛下を次期国王にするつもりでした。しかし、サインハルト殿下はそれが面白くなかったのでしょう。王家に仕えていたドラクロワ家に暗殺を依頼し、カインハルト陛下を亡き者にして、自身が次期国王になろうとした」
「ちょっと待って。いくら王家に仕えてるって言っても、王子の暗殺依頼なんて普通引き受ける?」
「必要とあらば。ただし、私もそこに関しては疑問を持っています。すべてはルクセンハルトの国益のために。それがドラクロワ家が代々受け継いでいる信念です。カインハルト陛下からの依頼ならまだしも、サインハルト殿下からの依頼を受けて、それが国益になるとは到底思えません」
「確かにそうだわ。じゃあ、なんでロゼッタのお父さんは、サインハルト殿下からの依頼を引き受けたんだろう」
「さあ。私にはわかりかねます。父は、依頼の詳細を私には一切教えてくれませんでしたから」
「そう。だったら気になるわよね」
「気にはなりますが。それよりも、私にとってショックだったのは、父が暗殺に失敗したことでした」
「どうして?」
「父は、ドラクロワ家の歴代当主の中でも、一、ニを争うほどの腕前でした。どんな困難な依頼でも完璧にこなし、潜入無しで即日仕留める。こう言ってはなんですが、そんな完璧な父が私にとっては憧れであり、誇りだった。そんな父が暗殺を失敗するなんて。いくら王子の護衛が手厚かったとはいえ、父ならたとえ両手脚を切断されても完遂するはず。それが未だに私には解せません」
「へえ、お父さんのこと大好きだったんだ」
「たぶん。ですが、父は私のことが嫌いだったようです。褒められたことも、優しくされた記憶もありません。常に厳しく、突き放されていた。潜入のためにありとあらゆることを仕込まれたのだって、暗殺下手な私への対策の一つだったのでしょう。ドラクロワ家を受け継ぐために、男子が欲しかったようですし。私は要らない子だった」
「そんなことないよ!」
上半身を起こして反論する。ロゼッタは驚いていた。
「本当に要らない子だったら、普通ここまで育てないでしょう。クレマン様とこみたいに、養子で男子を取ればいい。でも、それをしなかったのは、やっぱりロゼッタを愛してたからだと思う」
「……そうだといいのですが。今はもう、確認のしようがありません」
「やっぱり、死刑、かな?」
「ええ、見せしめのように。母は幼い頃に亡くなっていますし」
「サインハルト殿下は……」
「投獄されました。が、その途中で病か何かにかかり獄中死したとか」
「獄中死、か」
「この一件でドラクロワ家は爵位を剥奪され、私は国王陛下の暗殺を企てた一家の末裔という汚名を着せられた。だから、周りの人間は私を忌み嫌うのです。一緒にいれば、国王陛下への反逆者扱いを受けますから」
「そんな……っ」
父親が起こした事件で、娘であるロゼッタまで嫌われるなんて。そんなの間違ってる。
「これで、私が周りから忌み嫌われている理由がおわかりいただけましたか? 国王陛下に睨まれてもなお、あなた様は私の居場所でいられますか?」
まるで試す様な口振り。それが面白くなくて、今度は私が馬乗りになった。
「いられるわ。超余裕よ」
「…………は?」
「あなたは、真相はもう確認できないって言ってたけど、それは違うわ。まだ確認できる人物が一人いるじゃない」
「何を言って……まさかっ」
「そう、現国王であるカインハルト陛下よ」
不敵に笑うと、ロゼッタの目が大きく見開かれた。
「暗殺未遂があった日、いったい何があったのか。ロゼッタのお父さんは何故暗殺に失敗したのか。陛下ならご存知のはずよ。だって当事者だもの」
「あなた様は本当におバカなのですか? たとえそうだとしても、私に話してくださるわけがありません。普通なら、父親を殺した自分を逆恨みしている要注意人物、そんな風に受けとるはずです」
「だったら、無理矢理吐かせるまでよ。自分はだんまり決め込んで、ロゼッタだけ不当な扱いを受けて。こんなのフェアじゃない。ちゃんと洗いざらい吐かせて国中に知らせてやるの。ロゼッタは何も悪くない、ただの一人の人間だってね」
「無茶苦茶です、あなた様の思考は異常です。そんなことできるわけがない」
「あなた、私を誰だと思ってるの? この世界を作った創造主よ。たかが一国の主ごときの口を割らせるくらいわけないわ。神に不可能という文字はないの」
「なっ……」
自信満々にそう言い切ると、ついにロゼッタの口が開いたままになった。そんなロゼッタの顔を見て満足した後、私は濡れた服のまま立ち上がる。
「陛下から、暗殺未遂事件の真相を聞き出す。これも私の夢に追加よ。覚悟しなさい、カインハルト陛下! 私はしつこいんだからねっ」
そう言い放って、右手の拳を高々と掲げる。すると、肩に激痛が走った。そういえば、ここ怪我してるの忘れてた。
痛みに呻く私の背後で、空気の抜けるような音がする。なんだろうと不思議に思って振り返ると、ロゼッタが必死に笑いを堪えていた。それでも、我慢しきれず吹き出して大笑いする。
「ちょっと! なんで笑うのよ。あんたのために覚悟決めたってのに」
「だって……ふふっ、可笑しっ……ははっ」
ロゼッタの大笑いなんて初めて見た。でも、何故だろう、全然嫌じゃない。むしろ嬉しい。
滅多にないことなので、しばらく気持ち良さそうに笑うロゼッタを眺める。そうこうしているうちに、彼女はようやく笑い終えた。
「あんた、笑ってる余裕あんの? これでますます私の護衛が難しくなったわよ」
「本当に。迷惑極まりないです。とんだ暴君の護衛を任されたものですね」
「言ってくれるじゃない。それでどうすんの? こんな頭のネジがぶっ飛んだ令嬢の護衛なんか辞める?」
「まさか」
そう言うと、ロゼッタは私の隣に立った。
「あなた様が私の居場所であり続ける限り、私は命をかけてあなた様をお守りいたします」
「結構。その約束、忘れんじゃないわよ」
「あなた様こそ」
柔らかい風が吹き抜けて、私達二人の笑顔を水面が揺らす。
そんな良いシーンの途中。私は「ヘックション!」と大きなくしゃみをした。
「ロゼッタに一つ言い忘れてたわ」
「なんでしょう」
「……寒いっ」




