高所恐怖症なんです
「えぇぇぇー!」
叫ぶ間にも、高度はぐんぐん上がっていく。
ちょっと待って。私、高所恐怖症なんだけど。
「嫌ぁー! 離してっ……いや、離しちゃダメ! お、落ちるっ……ひぃーっ」
地上にいるクレマン様やリザさん、他の兵士や傭兵達でさえ、何が起きているのかと呆然と立ち尽くしている。
そんな中、ただ一人ロゼッタだけが動き出し、近くにいた馬に乗って私を追いかけ始めていた。
たぶん、舌打ちした後、何か小言を言ったに違いない。あの方は本当に……って。
あっという間に戦場から離れ、死ぬ思いで走った道を逆走する。最初はそれなりの高度があったフライヤーも、徐々に失速し始め高度が下がっていく。今は木の高さくらいか。
「まさか、私が重いって言いたいんじゃないでしょうね、こいつ」
失礼な。最近は運動も始めたし、こっちに来てレンスにいた時よりも食事はヘルシーになったから、そんなに太ってないと思うけど。いや待て。ココットさんの作るお菓子が原因か。
「なんて、考えてる場合じゃないっ」
怖い、怖い、怖い! これ落ちたら絶対死ぬ!
ビリ、という嫌な音が聞こえて、左肩を見る。爪に引っかかった服が、先ほどよりも破れていた。これは本当にマズイ。
「どどど、どうにかしないと……っ」
でも、怖くて下を向けない。
そう思った時「きゃあっ」という悲鳴が下から聞こえた。思わず何事かと視線を落とす。そこには、魔物の出現に怯える農作業中の親子の姿があった。それは連鎖反応を起こし、他の領民達にも伝染していく。
「そうか。このままだと、こいつ屋敷か街に行きかねない」
お屋敷では、半分の自警団員が待機している。それでも、このレベルの高いフライヤーを倒すことができるだろうか。
いや、もし街なんかに行って魔法を放ったりしたら、それこそ被害は尋常じゃない。
「どうにかして、進路を変えないと……っ」
キョロキョロと地上を見渡す。ロゼッタはまだなんとか私についてきてくれていた。
突然風が吹いて、フライヤーが煽られ揺れる。その恐怖の先に見つけたのは、小さな湖だった。あそこならなんとかなるかもしれない。私は大声でロゼッタに呼びかけた。
「ロゼッタ、向こうに湖があるの」
「え?」
「向こうに湖があるの! そこまでこいつを誘導して」
指で湖の方を指し、必死に声を出す。どうやらロゼッタに届いたらしい。彼女も負けじと大きな声を出す。
「誘導してどうなさるのですか?」
「湖まで来たら、私は服を破って落ちる。その隙にこいつをやっつけて」
「はあ?」
「いいからやっつけて! このままじゃ、街の人達が危ないのっ」
地上では、魔物の恐怖に怯えている人達の姿が多くなる。このまま私だけ助かるわけにはいかない。
ロゼッタからの返答はない。それでも、しばらくすると、彼女の周りに炎の矢が複数出現した。それは魔物には当たらず、それでもゆっくりと進路を変えていく。
「さすがロゼッタ。後で、天才、って褒めてあげよう」
フライヤーの進路は、私が目指した湖上空に差しかかる。そのタイミングで、私は持っていた短剣を使って、引っかかった服の端を切り始めた。
「この、この……っ」
体勢的にちょっとキツかったけど。それでも服は千切れ、私はフライヤーから解放される。そのタイミングで、大きな火の玉がそいつに直撃した。
見えたのはそこまで。そのまま私は湖に落下し、身体を強く打ちつける。
やばっ、身体が動かない。全身が鉛のように重い。ダメ、泳がないと。息が続かない。
沈みそうになる身体と意識。それを引き上げてくれたのは、ロゼッタの力強い手だった。
まるでイルカにでも引っ張られるかのように、私の身体はグイグイ進んでいく。そのうちに、私とロゼッタは水面から顔を上げることができた。
「ぷはっ」
空が明るい。水が冷たい。傷口にしみる。そんな基本的なことをぼんやり考える。
「いいですか? 力を抜いて、暴れたりしないで、浮くことだけを意識してください」
ロゼッタの言葉に、私はただ頷く。そして彼女の言う通りにした。もとより、暴れる体力はもう残っていない。
ロゼッタは、私を連れて岸へと泳いでいく。その間中、私はずっと青く透き通った空を眺めていた。
「綺麗……」
「何か言いました?」
「ううん、なんでも」
気持ちいい、なんて言ったら、私を連れて一生懸命泳いでいるロゼッタに怒られるんだろうな。人の気も知らないで、って。
そうこうしているうちに、私達は岸へとたどり着いた。雑草の上へ倒れるように寝転がる。すると、そんな私にロゼッタが馬乗りになった。
濡れた髪が陽の光に当たり輝いている。潤んだ瞳に、艶やかな唇。
あまりの美しさに、思わず呼吸するのを忘れてしまった。
そうやって見惚れているうちに、ロゼッタの眉間にシワが寄る。その顔は怒っているように見えた。
うわ、これはマズイ。
瞬間的にそう判断すると、私は目の前で両手を合わせてごめんのポーズをしてみせた。
「心配かけてごめんなさい! 悪気はなかったの。まさか服の端がフライヤーの爪に引っかかっるなんて思わなかったし。殿下を助けに行ったのも、無意識に身体が動いちゃっただけだし。だから、その……本当にごめんなさい!」
本当に申し訳ないと思っている。今回も、ロゼッタが助けてくれなければ、私は溺れ死んでいた。いつもいつも、本気で私のことを心配してくれているのもわかっているし、彼女にとって私がどれだけ大切かというのも理解している。
それでも、一旦枷が外れたこの身体は、私の望み通り勝手に動いてしまうのだ。
ロゼッタが大きなため息をつく。その後で、私の隣に寝転がった。




