元婚約者乱入
さて。この世界が私の書いていた小説の中だと仮定するなら、色々と確認しておきたいことがある。
「ねえ、ロゼッタ。レインハルト殿下に婚約者はいるのかしら?」
そう質問すると、ロゼッタは冷めた目で私をじっと見つめた。その顔は何か言いたそうだ。
「言っとくけど。べつにレインハルト殿下の婚約者になりたいわけじゃないから。ってか、傷物の私がなれるわけないでしょう? それくらいわかってるわよ」
「理解しておられるのなら良かったです。諦めの悪い女性は醜いだけですから。ついアンジェリーク様もそうなのかと」
「結構辛辣、でも最後の言葉は余計。で、どうなの?」
「噂によれば、候補者は何人もいらっしゃるようですが、まだ特定の誰かとご婚約されたということはないようです」
「なるほど」
ということは、まだヒロインと出会っていないか、知り合っていても恋愛などに発展していないか。
つまり、私が今いるこの時間軸は、二人が婚約した後ではないということか。
「じゃあ、"エミリア"って名前に聞き覚えはない?」
「エミリア、ですか。……申し訳ありません、存じ上げません」
「そう……わかったわ」
エミリアは、小説の中の主人公だ。平民ではあるけれど、ある"特殊魔法"持ちのおかげで、レインハルトや貴族と交流を深めていくことになる。
前世では、数多ある小説の中にもその魔法はたくさん出てくるけれど。この世界では希少種と設定しているから、彼女がどこかでその力を使ったとなれば、瞬く間に噂になるはずだ。現に、小説の中でもそうした。でも、今のところその兆候はない。
つまり、今レインハルトとエミリアは出会ってもいない、小説の中でも初期の初期辺りという可能性が高いというわけか。
「エミリアさんとは、アンジェリーク様のお知り合いか何かですか?」
「え? え、ええ、まあ。知り合いというかなんというか……ちょっと特別な人」
「でしたら、人を使って探させましょうか?」
「大丈夫! その必要はないわ。向こうは私のことまったく知らないはずだから、混乱させるだけよ」
私が干渉すると、物語が変わってしまう恐れがある。できれば、このまま何事もなく進んでほしいのだけれど。
………………。
いや、待てよ。
本当に、この世界にエミリアは存在するのだろうか。
王子と違って、平民であるエミリアを知る者はここにはほとんどいなかった。
もし、以前書いていた物語が、鈴木昭乃というイレギュラーの介入で大きく曲がってしまっていたら。エミリアは、主人公は、この世界にいなくなっている可能性だってゼロじゃない。
現に、私は縦ロールの伯爵令嬢だが、舞踏会でエミリアに陰口を叩くことはあり得なくなった。つまり、物語を私自身の手で変えてしまったのだ。
「もしこのまま変わり続けてしまったら……」
下手をすれば、エミリアはレインハルトと結ばれることなく終わってしまうかもしれない。
「それは絶対にダメ!」
五年よ? 筆の遅い私が、五年もの間ちまちまちまちま書き続けて、やっとあと少しで完成というところまでいったのよ。
それなのに、物語が改変されてバッドエンドで終わる?
そんなこと、絶対させるもんか!
「この物語は、私の手で絶対ハッピーエンドで終わらせてやるんだから!」
前世で叶わなかった夢を、この世界で叶えてみせる。そのためなら、私は何だってする。
ハッと我にかえり、ロゼッタを見る。ふいっと視線を逸らされた。
「やはり、お医者様を呼んで参りましょう」
「わー! 待って、大丈夫、ほんとに大丈夫だからっ」
ロゼッタが部屋を出ようとドアノブに手をかけたその時、ノックの音が聞こえた。
「アンジェリーク様、少々よろしいでしょうか」
何事かと、ロゼッタと二人顔を見合わせる。「どうぞ」と扉を開けると、使用人の女性が慌てた様子で現れた。
「どうしたの?」
「それが、今ランベール公爵家のご子息様がお見えになっていらっしゃるのですが……」
「レオ様が?」
「ええ。旦那様が対応なさっておられるのですが、その……アンジェリーク様に会うまでは帰らないと叫んでいらっしゃって」
「私に?」
確かに、ここからでも薄っすらと騒がしい声が聞こえてくる。気になって階段の前まで移動し、隙間から玄関の様子を伺う。確かにレオ様がお父様と何か口論していた。
「レンス卿、もう一度考え直していただきたい! 私はアンジェリークを愛している」
「あ、愛っ?」
ロゼッタにしーっと言われて、私は慌てて口を手で塞いだ。
まだ十代の子なのに、「愛してる」だなんて。なんて情熱的な人なんだろう。
レオ様の訴えに、しかしお父様は冷静だった。
「考え直すもなにも、破談にしたのはそちらの方でしょう。訴えるべきは、あなたのお父上ではないですか?」
「それは……っ」
「確かに、非はこちらにあります。が、お父上を説得できずに、我々を責めるのだけはやめていただきたい」
お父様の言うことはもっともだ。縁談を白紙に戻したのは、ランベール公。いくらこちらに考え直せと言われても、伯爵家の私達に決定権はないのだ。
正論を言われ、レオ様は押し黙る。それでも、諦めていないのはその目が物語っていた。
「彼女は、アンジェリークはこの決定に納得しているんですか?」
「もちろんです」
「ウソだ! アンジェリークに会わせてください。私が直接気持ちを確認する」
そう言って、屋敷の中に入ろうとするレオ様を、お父様やレオ様のお付きの人達が食い止める。他の使用人達も、何事かと困惑し始めた。
「レオ様……」
アンジェリークは、本当に愛されていたんだな。
アンジェリークの記憶の中の母親は、他に好きな人がいたけれど、政略結婚でお父様と結婚させられたと言っていた。
(だから、あなたには本当に好きな人と結婚してほしい)
柔らかくて、でもそれでいてどこか切なそうな笑顔。
アンジェリークも、レオ様のことが好きだったのに。事故に遭って、こんなことになってしまって。
もしかしたら、彼女の幸せな未来を奪ってしまったのは、私なのだろうか。
「アンジェリーク様、どうなさいますか?」
ロゼッタが静かに問う。会いに行くと言えば、彼女は止めない気がする。でも。
「レオ様に伝えて。あなたに会う気は無いと」
「よろしいのですか?」
ロゼッタのその問いかけには答えず、私は一人部屋へと戻った。