はめられた悪女
「俺の心配より、そのガキの心配をするなんて、失礼な奴だな」
「なっ」
ニコニコ顔が一転、ガンをつけるように睨んでくる。もしやこれが彼の本性。
しまった、はめられた!
彼はそのまま顔を近付けて声をひそめる。
「やっと二人きりになれたよ、アンジェリーク」
「わ、私に何の用?」
「君とは一度二人きりで話がしたかったんだ。もちろん、誰にも邪魔されずに、ね」
「私にどうしろっていうの?」
「なに、簡単なことだよ。一人で僕の馬車に来てくれないか? もちろん、誰にも言わずに」
「嫌だと言ったら?」
「このジルという子は、貴族である僕を傷付けた。立派な傷害罪だ。断ればこのガキを牢にぶち込む」
「何言って……っ! あなたからぶつかってきたんでしょう」
「それはそのガキの言い分だ。貴族の僕と、孤児のガキの言い分、みんなはどっちを信じると思う?」
「あんたね……っ」
ジルを一瞥する。彼の顔は真っ青だった。
くそ、人質を取られた。こいつは、私が孤児院の子達を見捨てないとわかってて交渉しにきてる。完全に勝ち目がない。
「君が素直に馬車に来てくれたら、その子は見逃してあげよう。さあ、どうする?」
私が行ったところで、彼が本当にジルを見逃すかはわからない。それでも、応じないわけにはいかない。
「わかったわ。あんたの言う通りにする。でも、もしジルに何かしたらただじゃおかないから」
「わかったよ」
そう言うと、今度はジルに鋭い視線を向ける。
「もしこのことを誰かに言ったら、お前のいる孤児院ごと潰してやるからな」
「あ……あっ……」
「大丈夫よ、私がそんなことさせないから」
ヤニスは、ふんっと鼻で笑うと、にこやかな笑顔を作る。そしてクレマン様の所へ向かった。
「すみません、クレマン様。もう終わってしまったみたいなので、僕は帰りますね」
「ああ、気を付けてな」
クレマン様は興味なさげにそう返す。そして、ヤニスの姿が見えなくなったのを確認して、今度は私がクレマン様の元へと向かった。
「アンジェリーク、どうした?」
「すみません、クレマン様。少しはしゃぎ過ぎたみたいで、疲れてしまったようです。部屋で休んでいてもよろしいでしょうか?」
「それはべつに構わんが。一人で大丈夫か?」
「はい。自分の部屋に戻るだけですから」
クレマン様は、ほんの少し間を空ける。しかし、「わかった」と言って了承してくれた。
「ありがとうございます」
お礼を言って、屋敷の方へ向かう。
ヤニスは帰ったと思っているから、クレマン様も少し警戒を解いたのだろう。それも計算の内ならかなり厄介な相手だ。
早足になりながら庭を出ようとする。その時、後ろから誰かに呼び止められた。
「アンジェリーク様、お一人でどちらへ?」
振り向いた先にいたのは、ミネさんだった。その顔はどこか心配そうだ。
どうする? ミネさんに事情を話してロゼッタを連れてきてもらうか。
いや、ダメだ。ヤニスが馬車に戻ったという確証がない。もし近くに隠れていて話しているのを聞かれたらジルが危険だ。
くそ、打つ手なしかよ。
「少し疲れたので、先に部屋で休んでますね。一応クレマン様から許可はいただいております」
「そう、ですか」
クレマン様の許可済みというのが効いたのか、ミネさんは納得していないような顔でとりあえず頷く。
私はそんな彼女に、もう一言付け加えた。
「もし、ロゼッタに会ったら伝えてもらえますか? あなたが呼びに来るのを待ってるって」
「? わかりました」
ミネさんが承ってくれたのを確認して、私は馬車へと向かった。
ここはもう、信じるしかない。ロゼッタが私を助けに来てくれることを。