知り合いの喫茶店(ロ)
「あぁ、ありました。ここです」
そう言ってアンナさんに案内されたのは、街の少し奥まった所にある、こぢんまりとしたお店だった。
まだこちらに来て日が浅いからか、テーブルや椅子が重なって置いてあったり、物があちこちに散乱していたりと、中は雑然としていた。ただ、窓辺近くの一角だけテーブルと椅子が綺麗に並べられており、お茶を飲めるスペースとなっている。そんな中、カウンターの中で若い男女が私達を見つけて声をかけてくれた。
「アンナさん! 来てくれたんですね」
「わざわざ遠くからありがとうございます」
「こちらこそ、お招きいただいてありがとう」
二人はアンナさんに笑顔で応える。とても感じの良いご夫婦だ。
「アンナさん、そちらのお二人は?」
「こちらの女性は、ロゼッタさん。私の友人です」
「友人? この若い美人さんが?」
「ええ、そうです。私の自慢の友人です」
「ロゼッタといいます。以後よろしくお願いします」
小さく会釈する。しかし、二人は固まったまま動かない。
「どうかされました?」
「あ、いや! すみませんっ」
「あんまり綺麗だから、つい見惚れてしまいました」
「は?」
どういう意味だろう。わけがわからず首を傾げていると、アンナさんがフフフっと笑った。
「男女問わず人を惑わす美貌の持ち主。そう付け加えるのを忘れていましたね」
「アンナさん、からかうのはよしてください」
眉間を指で摘んで困ったという仕草をしてみせる。横目で見ると、レインハルト殿下も笑っていた。
「あの、ロゼッタって……もしかしてアンジェリーク様の護衛の方ですか?」
「ええ、そうです」
「やっぱり。赤い服に、この世のものとは思えないほどの美貌の持ち主。そうじゃないかなーと思ってたんですよ」
「今日はアンジェリーク様は一緒じゃないんですか?」
「バカ! 空気読みなさいよ」
「あっ、そっか。アンジェリーク様は今大怪我してて……なんかすみません」
「いえ、べつに。お気になさらず」
なるべく気まずい雰囲気を出さないように平然を装う。それなのに、向こうの方が気まずそうだった。
「そ、そういえば、後ろにいる少年は誰なんですか? この子もアンナさんの友達?」
「ああ、この方ですか? この方はルクセンハルト国第一王子、レインハルト殿下ですわ」
『へ?』
「挨拶が遅れた。今アンナが紹介した通り、レインハルトだ。よろしく頼む」
爽やかな笑顔付きでレインハルト殿下は二人に簡単な挨拶をする。しかし、返事はない。夫婦は私の時よろしく固まっていた。
「や、やだなーアンナさん。冗談キツすぎ」
「確かにカルツィオーネに両殿下がいらっしゃることは知ってますけど、さすがに下街に降りてくることはないでしょう」
なんて言って、壊れた人形のような動きで乾いた笑いをする。すると、店の外から三人の男性が殿下に声をかけてきた。
「あ! レインハルト殿下。こんなとこで何してるんですか?」
「アンナとロゼッタと三人で、お茶を飲みに来たんだ」
「お茶を? いいなぁ、俺もお茶してぇ」
「はいはい、サボったらロゼッタさんに殺されるぞ。じゃあ殿下、楽しんで」
「ああ、ありがとう」
三人はそのまま通りに消えていく。そして、レインハルト殿下と夫婦とが再び目を合わせた瞬間、二人は大慌てでカウンターから飛び出して、殿下の前でひれ伏した。
「まさか本物のレインハルト殿下とは露知らず、ご無礼をはたらき申し訳ありませんでした!」
「どうかお許し下さいっ」
最近忘れがちだったが、これが本来の姿だ。国の王子と平民が顔を合わすことなどほとんどなく、話どころか気軽に声をかけることすら許されない。基本的にはみんなひれ伏して頭を下げる。それをしなかっただけで、下手をしたら牢に入れられるくらいだ。間違っても、先ほどの三人のように気軽に声をかけてはいけない存在。なのだけれど。
「二人とも顔を上げてくれ。カルツィオーネに来てから、そういうのはみんなにさせないようにしているんだ。だから、さっきの三人みたいに気軽に接してくれて構わない」
「で、ですが……っ」
「あら、殿下のご命令に逆らうの?」
アンナさんが冗談めかして言う。すると、二人は勢いよく顔を上げた。二人の気持ちもわからなくもない。いきなり王子相手に気軽に声をかけるのは難しいだろう。
「いきなり気軽に接しろ、というのは難しいでしょう。ですので、まずはひれ伏すことをやめることから始めることをおすすめします」
「そうですよ。そうして伏せていたら、いつまで経っても紅茶が飲めませんもの。ここは殿下の寛大さに甘えるべきですよ」
「そうだな。俺も早く紅茶が飲みたい。作ってくれるか?」
「は、はい! ただいまっ」
「お口に合うかどうかはわかりませんがっ」
「それは君達の腕次第だな」
レインハルト殿下はフッと柔らかく笑う。それだけで、彼らの緊張が解けたのを感じた。こういうところは、レインハルト殿下のお人柄からくるのかもしれない。
「では、ここでお待ちください」
紅茶が淹れ終わるまで、私達は窓辺に設置してある席で待つことになった。紅茶を淹れるのはご主人の仕事らしい。
「そういえば、外がなんだか騒がしかったようですけど。大丈夫でした?」
「ああ、男同士のケンカがあったみたいですよ」
「またですか? 盗賊上がりの人達が来てから、そういうの増えましたよね。嫌だなー」
「大丈夫。当分は起きないと思いますから」
奥さんは「え?」とアンナさんを見る。彼女は私を一瞥すると、それ以上は何も答えず、ただ意味深な顔でニッコリ微笑んだだけだった。そして奥さんはというと、首を傾げながらも旦那さんに呼ばれてカウンターへと消えていった。
「彼らが理由を知ったら、いったいどんな顔をするんでしょうね」
アンナさんは、意外に意地悪がお好きらしい。覚えておこう。
「殿下も、ずいぶんとこの地に慣れましたね。街の住人があんなに気軽に声をかけるなんて」
「アンジェリークのおかげだろうな。山火事の慰労会以降、領民達との距離が縮まった気がする」
「アンジェリーク様は、相手が王子だろうが何だろうが関係ありませんからね」
「それだけじゃなくて、俺達を領民の輪の中に溶け込めやすくしてくれた。領民達にも俺達に接しやすくしてくれた。だから、今俺達がこうして馴染んでいるのは、たぶんアンジェリークのおかげなんだ。まったく、末恐ろしい女性だよ」
「それはよくわかります。アンジェリーク様は、我々には理解できない意味不明な存在なのです」
「ご自身の主人なのに、容赦ないのですね」
「はい」
「だが、そのアンジェリークのおかげでロゼッタもこの地に馴染んできたのも事実だろう。実際、今まではロゼッタの名を出せばドラクロワの暗殺一家が先に出てきていたのに、今は真っ先に極悪令嬢の護衛が出てきている。国王陛下を襲ったという過去の出来事を押しのけるくらい、極悪令嬢という存在は強烈な印象なんだ。まったく、彼女はどれだけその悪名を轟かせるつもりなんだろうな」
「まあ、それだけロゼッタさんがアンジェリーク様と一緒にいることが、みなさんの中でも当たり前になってきているということでしょう。その方が私は良いと思います。だって、その方がロゼッタさんが幸せそうですから」
レインハルト殿下のおっしゃっていることは事実だ。実際、先ほども暗殺者よりもアンジェリーク様の護衛と言われていた。それだけ私という存在は、暗殺者ではなく、アンジェリーク様の護衛という印象が強くなってきているのだろう。
「山火事の後、領民の皆さんから受け入れられて。それでもどこかよそよそしかった人達でさえ、今では気軽に挨拶してくれます。アンジェリーク様に出会うまでは考えられなかったことです。それもこれも、アンジェリーク様のおかけでしょう。本当に感謝してもしきれません」
川魚を持ってきてくれた名前も知らない男性でさえ、私をただのアンジェリーク様の護衛として接してくれているのだ。周囲のその少しの変化は、だんだんと大きくなって広がっていく。
「長年忌み嫌われてきた私が、アンジェリーク様と出会ってたった数ヶ月で皆さんに受け入れられて、その土地に溶け込んで。まさか自分でもこんな日常が与えられるなんて夢にも思いませんでした。アンジェリーク様の影響力は絶大すぎます」
「だからこそ、早く元気になってもらいたいところなんだけどね。このままだと祭りでさえ葬式になってしまいそうだよ」
レインハルト殿下が、冗談混じりに苦笑する。その通りなので何も言い返せなかった。




