転生先はまさかの……
とりあえず、ここがどんな世界なのかを調べなければ。
そう思い、この一週間、アンジェリークの記憶を一生懸命辿っている。ただ、事故の影響からか、曖昧な部分が多い。
しかし、幸いにも彼女は良い子だったので、家庭教師から受けた授業をきちんとノートにまとめていた。なので、それを活用しながらなんとか思い出しているんだけれど。
一つ、ものすごく引っかかっていることがある。
「ねえ、ロゼッタ。私が今いる所は、ルクセンハルト国のレンスなのよね?」
「おっしゃる通りです。ルクセンハルトの中でも裕福な方で、旦那様が領主をしておられます」
「そう、よね……」
アンジェリークのノートにも、地理の授業があったのかそう書かれている。問題はそこじゃない。
ルクセンハルト国。この名前に聞き覚えがある。しかも、アンジェリークではなく、鈴木昭乃として。
ありえない。ここは異世界、前世の私が知っているはずがない。それなのに、絶対どこかで聞いたことがあるという確信がある。
「何か引っかかるのですか?」
「引っかかるというか、何か思い出せそうな気がするの。ルクセンハルトについて教えてくれない?」
「ルクセンハルトは、南北を海に囲まれ、東はトール国、西はフィラーレン国とに挟まれております。温暖な気候ゆえ、農業が盛ん。主な産業となっております」
「ふむふむ」
「昔は東西国と戦争をしておりましたが、今では友好条約を結び、行き来も盛んに行われております」
「ふむふむ」
「王の名は、カインハルト。正室のレイラ王妃との間に、三人の子をもうけています。第一王子、レインハルト。第二王子、ラインハルト。そして王女のシャルロット」
「ふむふ……むふっ!?」
「東西国含め、この辺り一帯は魔物の出現が多いため、軍事には力を入れております。特に平民、貴族関係なく魔力を持つ者は強制徴集され……」
「ちょっと待って!」
聞き捨てならない名前を見つけて、私はたまらず待ったをかけた。
「今なんて言った?」
「魔力を持つ者は、平民、貴族関係なく徴集される……」
「そこじゃなくて、もっと前。王子のところ」
「第一王子、レインハルト。第二王子……」
「レインハルト!」
思わず大声が出た。珍しくロゼッタも驚いている。
レインハルト。この名前、私が書いていた小説の中の、ヒロインの相手役と一緒だ。しかも、国の名前まで。
ルクセンハルト国、レインハルト王子、そして魔力……。そんな、まさか。
もしかして、この世界って、私が書いてた小説の中……?
いやいやいや、そんなバカな!
だって、普通はまったく知らない異世界に飛ばされるものでしょう? それなのに、自分の小説の中だなんて。
そんなことありえない。そう思う反面、どう考えてもこれは自分の小説の中だという確信が拭えなかった。
ルクセンハルトどころか、東西の各国の名前も一緒。そして、王、王妃、三人の子どもの名前まで。こんな偶然あるわけない。
「じゃあ、やっぱり……」
認めたくはないけれど、やはりここは自分の書いていた小説の中である可能性が高い。
「ウソでしょぉ……っ」
自分の小説の中に転生するなんて、なんかちょっとやだ。
まるで自分の書いた小説を、身内に読まれてる気分というか、これがお前の小説かとまざまざと見せつけられてる感じ。そのうち恥ずかしくて死んでしまうかもしれない。
「でも、"アンジェリーク"なんていたっけ?」
ロゼッタに言うでもなく、思考が口からダダ漏れる。しかし、テンパっている私はそんなの気にしていられなかった。
「アンジェリーク・ローレンス。伯爵令嬢。馬車の事故、肩の傷、破談……。ここまでイベントが揃ってると、それなりの役どころだと思うんだけど」
それなのに、名前を聞いてもさっぱり思い出せない。
確実に言えるのは、主人公ではないということ。さすがにヒロインの名前ははっきりと覚えている。
ヒントはこんなにもあるのに。まだ何か他に特徴はなかったっけ。
うーんと悩んでいると、ふいに自身の髪の毛が頬を掠めた。
「邪魔だなー」
社会人になってから再びショートに戻したので、正直長い髪は落ち着かない。ってか、縦ロールってなんだよ。確かに、貴族のご令嬢でショートカットってあんまり見ないけどさぁ……。
そこまで考えて、ハッと思い出した。
「縦ロール!」
いた、アンジェリーク。確かに私の小説の中にそれらしい人物が一人だけ。
国主催の舞踏会で、レインハルトと踊るヒロインを睨みつけながら、「どうしてあの子がレインハルト殿下と……」と陰口を叩くシーン。その言葉を発した相手を、私は"縦ロールの伯爵令嬢"と名付けた。
彼女の登場シーンは、その一言だけ。他に縦ロール髪の子は出していない。つまり、たぶんそれがアンジェリーク。
そう、私が転生したのは、ヒロインでも悪役令嬢でもなく、名前すらないただのモブキャラだったのだ。
「オーマイガーっ」
なんでよりにもよってモブキャラ?
しかも、縦ロールの伯爵令嬢って、安易にもほどがあるだろ。
モブキャラに名前考えるの面倒くさいな。いいや、縦ロールの伯爵令嬢で。これだけで十分インパクトあるし。
なーんて適当に書いてたツケが、今ここで回ってきたってか。冗談じゃない!
「それじゃあ、今後私がどうなるかわかんないじゃない。ってか、モブキャラのくせに人生濃すぎないっ? なんでもっと普通に暮らせないのよ!」
「アンジェリーク様、少し落ち着いてください」
ロゼッタにそうなだめられ、私はようやくでかい独り言を言っていたことに気付いた。
「ご、ごめんなさい、ロゼッタ。取り乱してしまって。それで、あの、もしかして今までの私の独り言全部聞いてた?」
「はい」
ですよねー。……これ、どうやって誤魔化す?
「いや、これは、その……あのねっ」
「聞いてはおりましたが、何をおっしゃっているのかさっぱりわかりませんでした。本気でお医者様を呼ぼうかと考えたほどです」
「……それってさ、私の頭がおかしくなったと思ったから?」
「はい。事故の後遺症かと」
「真顔で失礼なこと言うわね」
でも、自分の知ってる相手が急に意味不明なことを言い始めたら、そう考えても仕方ないのかもしれない。
ロゼッタを見る。すると、無表情な顔が少し揺れた。思わず吹き出す。
「どうして笑うのですか?」
「ああ、ごめんなさい。だって、ロゼッタはいつも無表情で、機械みたいに淡々と仕事だけこなすようなイメージだったから。あなたでもそういうこと言うんだなーと思ったら、つい可笑しくて」
「そんなに笑われるようなことは言っていないと思いますが」
「だからよ。普段言わなそうな人間が言うから面白いの」
「アンジェリーク様も、可愛い顔して失礼なことをおっしゃるのですね」
「ほら、また」
生真面目な人間が、大真面目に可笑しなことを言う。そのギャップが面白い。
ロボットみたいだと思っていたけれど、ロゼッタにもこんな人間らしいところがあったんだなと思ったら、なんだか嬉しくなった。
当のロゼッタはというと、私の笑う姿を物珍しそうに眺めていた。
「確かに、これは事故の後遺症よ。記憶が曖昧なのもね。だからといって、医者を呼ばなくても平気よ。私は元気だから」
「左様でございますか。余計なことを申しました」
「余計ではないわ。私を心配してくれたからこそ、でしょう? むしろ嬉しいわ。ありがとう」
家族との関係は冷え切っている。この一週間、誰も見舞いに来ないのがいい証拠だ。そんな中、こんな風に心配してくれる誰かがそばにいてくれるというのはありがたい。
私の感謝の言葉に、ロゼッタがキョトンとした顔をする。
「どうしたの?」
「いえ……、これまでこんな風に感謝の言葉をいただいたことがなかったものですから。少々戸惑っております」
「そうなの? じゃあ、これからはたくさん言うようにするわ。あなたの戸惑った顔が見られるのなら」
「悪趣味ですね」
「そうかもね」
そして再び笑う。気のせいか、ロゼッタの目も笑っているような気がした。