友人(ロ)
「アンナさん! どうしてここへ?」
「ミネさん達にお伺いしたら、たった今厨房を出たばかりだからこの辺にいらっしゃるのではないか、とお聞きしたものですから」
そこまで言って、アンナさんは私ではなくレインハルト殿下の元へと向かった。そして、目の前で跪いて頭を垂れる。
「きちんとご挨拶するのはこれが初めてですね、レインハルト殿下。私はアンナと申します。ダルクール男爵様のお屋敷でメイド長を務めております」
「ああ、覚えている。その節は美味しい紅茶をどうもありがとう」
「そう言っていただけて、至極光栄にございます」
「あと、畏まった挨拶はしなくていい。領民達にもそう伝えているし、みんな他の人と同じように接してくれている。今はそれが心地良いんだ」
「まあ、そうだったのですね。では、これからはそうさせていただきます」
そう言ってアンナさんは柔らかく微笑んだ。
メイド服ではなく、ダークブラウンの装飾の少ないスッキリと落ち着いたその私服は、アンナさんの大人の魅力を最大限引き出している。どうやら仕事で来たわけではなさそうだ。
殿下に立つよう促され、アンナさんはゆっくり立ち上がる。そんな彼女に、私は再び問いかけた。
「それで、アンナさんはどうしてこちらへ? お仕事で来られたわけではありませんよね?」
「実はあなたからのお手紙を読んで、心配でいても立ってもいられなくて。奥様に許可をいただき、お休みをいただいてこちらへ来てしまいました」
「ああ、アンジェリーク様のことですか」
「アンジェリーク様もそうですが……一番はあなた」
「え?」
「あなたは、思い悩みやすい性格のようですから」
思わずアンナを凝視する。彼女は相変わらず優しく微笑んでいた。
まさか、誰かが自分の心配をしてくれるなんて。そんなこと思いもしなかった。こんな風に心配だからとわざわざ駆けつけてくれるなんて。だからだろうか、この不意をついた優しさは、私には反則的に心に響いた。
「……ご心配おかけして、申し訳ありません。ただ、その……お心遣いに深く感謝します」
「いえいえ。友人として当然のことをしたまでです」
友人。私を前にして、躊躇うことなくそう発言してくれる誰かが目の前にいる。ダメだ、頬が熱い。ここにアンジェリーク様がいたら絶対からかわれる。しかし、ここにいるのはレインハルト殿下とアンナさん。
「へえ、ロゼッタでもそんな顔するんだな」
「……放っておいてください」
「アンジェリーク様になさるように、照れ隠しをなさってもよろしいのですよ?」
「私の照れ隠しは痛みを伴うようなので、無視していただけるのが一番安全かと」
「それは無理だな。こんなに可愛らしい反応をするロゼッタは珍しいから、見れる時に見ておかないと」
「まあ、殿下も意地悪な方ですね」
そう言って、二人ともコロコロ笑う。アンジェリーク様だったら遠慮なく照れ隠しできるのだけれど、この二人が相手だとそうもいかない。だから、見られた悔しさから私はそっぽを向くことしかできなかった。
「機嫌を直してください。からかうつもりはなかったのですから」
「べつに、不機嫌なわけではありません」
「そんな顔をしておいてよく言う」
アンナさんの手前、そんなに不機嫌アピールはしていない。そう自分に言い聞かす。アンナさんはというと、特段怒った様子もなく、ただ楽しそうに笑っていた。そんな顔をされたら怒るに怒れない。
「せっかく来てくださったのです。お茶でも飲んでいきませんか?」
「ええ、是非」
「では、私の部屋をご案内します」
「あ、待ってください。実は、シャルクの知り合いの息子夫婦がカルツィオーネに移り住んで近いうち喫茶店を開くそうで、是非私に味の最終審査をしに来て欲しいと言われているのです」
「味の最終審査を?」
「彼らにお茶の淹れ方を教えたのは私ですから」
「なるほど。それは期待できそうですね」
「ですので、お茶はそこでもよろしいですか? まだ開店していないのでお客さんはいませんし、気の使えるお二人です、ゆっくり話もできると思います」
「それは良いお話なのですが。しかし……」
ついアンジェリーク様の部屋のある方角へ視線が動いてしまった。それだけで、何が言いたいのかアンナさんにはわかってしまったのだろう。
「おそばにいたい気持ちはわかります。ですが、少し離れて気を落ち着かせるのも一つの手です。冷静さを取り戻して、頭の中を整理するためにも、一度離れてみてはいかがですか? この前の時のように」
そう言われて、アンナさんと初めてお茶をした時のことを思い出した。確かに、アンジェリーク様と離れてみて、新しい発見や自分がどうしたいのか、改めて見つめ直す良いきっかけになった。もしかしたら、今回もそうなるかもしれない。
「わかりました。私に異論はありません」
ここには、ミネさんやヨネさん、ココットさんやルイーズやクレマン様もいる。私の分もみなさんがアンジェリーク様を見守ってくださるだろう。ならば、少しの間だけ自分のために時間を使ってもいいのではないか。アンナさんがわざわざ来てくださったのだ。彼女と話している中で、もしかしたら今の状況を打開する何かが思いつくかもしれない。
私が頷くのを確認した後、アンナさんは今度はレインハルト殿下へと視線を向けた。
「できましたら、殿下にも来ていただきたいのですが」
「俺も?」
「はい。舌の肥えた方の多い方が、味が洗練されますから」
そう言われ、レインハルト殿下は一度私を見た。そして頷く私を確認すると、「わかった」と微笑まれた。もしかしたら、今のアンナさんの言葉を聞いて、自分もそうするべきなのではないか、と考えたのかもしれない。
「彼らの商売が繁盛するように、俺もひと役買わせてもらおう」
「ありがとうございます。彼らはきっと驚くでしょうね」
アンナさんはフフフっと笑う。もしかして、殿下を誘ったのはそれが一番の理由ではないかと思ったけれど。彼女が楽しそうなので、あえてそこはツッコまないことにした。




