一生消えないのなら
注意した時にはもう遅かった。コドモダケは両手を空に掲げて、「キノ、キノ、キノ、キノーっ」と叫ぶ。すると、金色の光が空に打ち上がり、それは花火のように散らばった。その後で金色の雪が森全体にゆっくり舞い降りていく。
「綺麗……」
そう呟いたのはルイーズだった。彼女は魔力を吸われたであろうにも関わらず、倒れるでもなく、跪くでもなく、そのまま立ち尽くして金色の雪を眺めている。
「ルイーズ、辛くない?」
「はい。ちょっと魔力を吸われた感覚はありましたけど、全然大丈夫です」
「全然大丈夫、か。ルイーズの魔力量は底なしなのかしら。恐るべし」
「ノア様ですらぶっ倒れたのにな。マジか」
「彼女なら余裕でしょう。なんたって私の弟子ですから」
女性三人の呟きに、ルイーズは何事かと首を傾げる。コドモダケはというと、彼女の手の中でもう寝息を立てていた。
金色の雪は燃えた森全体に降り注ぎ、それに触れた木々や植物達は、元の緑を取り戻していく。その摩訶不思議な光景に、子ども達だけでなく、兵士などの大人達も大興奮していた。
「これっていったい……」
「コドモダケは、森の守り神なんだって。こうやって魔力を吸って、森を再生させてるの」
「森を、再生?」
「ノアの話では、植物が生えなくなった土壌や、こういう燃えたり枯れたりした森を、コドモダケは人の魔力を使って再生してるんだって。すごいよね」
ルイーズは、燃えた炭から緑に戻っていく木々をじっと眺めている。そしてポソリと呟いた。
「……私も元に戻るでしょうか? この森みたいに」
「ルイーズ?」
「正直、この燃えた森に来るのは怖かったです。迫ってくる炎や、襲ってくる魔物、そして私のせいで重傷を負ったジル。今でもまだ夢に見ることもあるんです。もしまた魔法暴走させちゃったらどうしようって、怖くて不安だった」
「うん」
「でも、このままじゃ嫌なんです。いつまでもこのトラウマを克服できずにみんなに迷惑かけるのは。アンジェリーク様の私兵として、師匠の弟子として、早く克服して元の自分に戻りたい」
ルイーズが拳を強く握る。たぶん、悔しいんじゃないかと思う。トラウマを克服できない自分が。その気持ちは痛いほどよくわかる。
「私もさ、未だに盗賊達に襲われた日のことは夢に見るよ。そういう日は怖くて眠れなくなる」
「そうなんですか?」
「そうだよ。最近はそういう時ロゼッタが一緒に寝てくれるから、まだマシになったけど。それでも、正直未だに盗賊と対峙するのは怖い」
「でも、アンジェリーク様はもう何度も盗賊と戦っていらっしゃるじゃないですか」
「あれはみんながいてくれるから、強がっていられるだけ。布団の中で一人になったら、結構震えてるんだよ、私」
「そう、だったんですか。アンジェリーク様でもそんなことあるんですね」
「こう見えても、私はか弱い女の子なの。みんなそのこと忘れがちなんだから」
わざと頬を膨らませてみる。すると、ルイーズはクスクス笑った。
「トラウマって厄介だよね。一度心に住み着くと、なかなか取れない」
「はい」
「知ってた? 人間の脳は、嫌な出来事ほど詳細に記憶するようにできてるんだって。次同じ失敗を繰り返さないように」
「そうなんですか?」
「そうらしいよ。そう言われたら、確かに楽しかった思い出はぼんやりとしか思い出せないのに、ニール様に叱られたことや盗賊に襲われた時のことは、事細かに思い出せるの。だから、あながちウソじゃないと思う。ルイーズもそういう経験ない?」
「……そう言われれば、お母さんに捨てられた日のことや、初めて孤児院の子達の前で魔法を使った時のこと、山火事に遭った時のことは、未だによく覚えています。楽しかった思い出もいっぱいあったはずなのに、すぐには思い出せない」
「でしょ? たぶん、人間の脳の構造上、このトラウマは一生消えないんだと思う。一時忘れることはあっても、ふとした瞬間に思い出す。きっとそれが続いていくんじゃないかな」
「そんな……」
「でもね、だからこそ私は、楽しい思い出をたくさん作りたいのよ。たとえぼんやりとした思い出でも、たくさん積み重ねれば、トラウマをすぐには思い出せなくなるくらい忘れられるかなって。そしていつか、思い出しても怖がらない自分になれたらいいなって、そう思ってる」
「楽しい思い出をたくさん、ですか」
「だってさ、人間の身体って、嫌なことがあったら次同じことを繰り返さないようにするんだよ? いくら心はもうダメだって思っても、嫌なことが起こった瞬間未来のことを考えて動き出してるの。それってすごくない?」
「確かに、そう言われたらすごいかもです」
「でしょ? 人間は未来に向かって生きるように作られてる。きっと本能レベルではそれに抗うことはできない。だからさ、お互いもうちょっとだけ頑張ってみようよ。このトラウマを上手く飼い慣らしながら。ルイーズも一緒だと私も頑張れそうな気がするんだけど。どうかな?」
一人でなんでも解決できるなんて思っていない。人間はそんなに強くないことを、私は嫌と言うほど知っている。だから、誰かと一緒だと頑張れそうな気がするのだ。ルイーズも一緒に頑張っているんだって思ったら、挫けずに自分も頑張れる気がする。悩んでいるのは一人じゃないということを、彼女にも知ってもらいたい。
ルイーズはすぐには答えない。そんな彼女にロゼッタがそっと寄り添う。
「この森が元通り回復するためにコドモダケや魔力を必要とするように、あなたにも誰かが必要というのなら私を頼りなさい。あなたを弟子として取ると決めた時から、全力で支える覚悟はできています。ですから、遠慮なく私に甘えなさい。それは弟子の特権です」
「師匠……」
「今回のような拒絶の仕方は、師匠として結構堪えます。ですから、二度としないでください。師匠を不快にさせないのは弟子の責務です」
「最後の注文は文句みたいね。さすがのロゼッタも傷付いたんだ」
「傷付いたというか、こんな時上手く慰めてあげられない不甲斐ない自分が許せなかっただけです」
「ずっと暗殺を生業として生きてきたあんたが、人の心なんてわかるわけないっしょ。なんなら、このリザお姉様が慰めてあげようか?」
「べつに構いませんよ。それでルイーズの心の傷が癒されるのなら」
「その言い方だと、癒されないって確信してるよね」
「ええ。他人の心を理解しようとしないリザには、一生かかっても無理でしょう。ですから、相手にしないのが賢明だと判断いたしました」
「負け惜しみだね。あーヤダヤダ。バカバカしい」
「それはこちらのセリフです」
言い終えて、二人とも顔を逸らす。すると、そんな二人を見てルイーズはクスクス笑った。
「こんな可愛い師匠初めて見ました」
「でしょ? ずいぶんと人間らしくなったよね。出会った頃は、ほーんと人形みたいに無表情で無感情だったんだから。それに比べたら、今のロゼッタはすっごく感情表現が豊かになった。私は今のロゼッタの方が好きだな」
「私もです。こんな風に慰めてくれる、そんな優しい師匠が大好きです」
そう言われ、ロゼッタはふいに俯く。頬が赤くなっていたから、たぶん照れ隠しだと思う。
「リザさんも優しいですよね。暗殺をしてきた師匠に人の心はわからないってセリフ、一見すると悪口に聞こえますけど、聞き様によっては師匠を庇っているようにも聞こえます。なんだかんだ言って、リザさんは師匠のこと好きなんじゃないですか?」
「なっ……!」
ルイーズの意地悪な笑みを受けて、リザさんの頬が薄っすら赤くなる。これはこれで面白い解釈だ。
「そんなわけないじゃん! 誰がこんな陰湿陰険な嫌味野郎のこと好きになるかっての。今までの私達のやりとり見てきたでしょ? あんたの頭の中おかしいんじゃないの?」
「ルイーズといえども、さすがにそれは同意しかねます。先ほどのはどう考えても悪口です。あなたが変なことを言うから、鳥肌が立ってしまいました。二度と言わないでください」
「ははっ、二人とも必死すぎ」
二人の慌て様に、ルイーズがクスクス笑う。二人はというと、一瞬お互い顔を見合わせたけれど、その後で面白くなさそうに勢いよく顔を逸らした。
「ルイーズやるね、リザさんと師匠を弄ぶなんて。大物になれるよ」
「ありがとうございます。でも、べつに意地悪で言ったつもりはなかったんですけどね」
「まあ、お互い認め合ってるのは事実だから。それだけでも良しとしよう」
「はい」
このやりとりの間も、金色の雪は降り続け、灰と炭の森を元の緑の森へと再生していく。それを眺めながら、ルイーズは微笑んでいた。
「私、頑張ります。アンジェリーク様と一緒に」
「本当?」
「はい。私も、誰かが一緒に頑張ってるんだと思ったら、今回みたいに挫けても頑張らなきゃって奮い立つことができるような気がするから」
「そっか、うんそうだね。私もそう思う」
そう頷くと、私は彼女の目の前に右手を差し出した。
「お互い頑張ろうね。そんでまた辛くなったら励まし合おう。これ、約束ね」
「はい、約束します」
ルイーズが私の右手を握る。私はそれを握り返した。その後でお互い微笑み合う。ふと見ると、ジルも安堵したように笑っていた。




