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メイドは見た

 非常事態だ。ヤバイ……ヤバすぎるっ。


 翌日、ベッドの上で背中の湿布をロゼッタに貼り替えてもらいながら、私はうーんと頭を抱えた。

 この湿布はロゼッタのお手製らしく、打撲や捻挫などに効く薬草をすり潰して塗ってあるらしい。そのおかげか、息をするのも痛い状態から、座位はなんとか保てる状態にまでは回復した。


「寝返りするのも命がけなんて、初めての経験だわ」


「本当に怪我ばかりされますね。みなさん心配されていましたよ」


「それはね、本当に申し訳ないと思ってる」


 あの後お屋敷に戻ってから、使用人の人達だけじゃなく、クレマン様にまで心配されてしまった。ニール様と一緒にざっくりと経緯は話したけれど、ご迷惑をおかけしたことに変わりはない。


 まあ、それはさておいて。と、思考を元に戻す。


 まさか、この小説の主人公であるエミリアが、クルムではなく、ここカルツィオーネにいるなんて。

 話が変わりつつあるとは思っていたけれど、まさかここまで大きく変化するとは考えていなかった。一番恐れていた事態だ。


 レインハルト達の領地視察はもう始まっている。彼らが予定通りクルムへ行ったのなら、このままではエミリアとレインハルトは出会えない。つまり、物語が始まることなくバッドエンドを迎えてしまう。


 いきなりのピンチ。これは非常事態だわ。早くなんとかして手を打たないと。


「でも、どうする? レインハルト達は昨日の時点でクルムに着いてるはず。でも、昨日ニール様が孤児院であんな騒ぎ起こしたから、エミリアを連れ出してクルムに行くこともできないし……。んあーっ、どうしよう!」


 叫んだら背中が痛んで、思わず「うっ」と小さく呻く。何か視線を感じるなと思ったら、ロゼッタが手を止めて私をじっと見ていた。


 しまった、独り言がダダ漏れだ。


「い、今の聞いてないわよね」


「はい。どうすればレインハルト殿下とエミリアを引き合わせられるか、なんて聞いておりません」


「バッチリ聞いてんじゃないのよ」


 まずい。どう言い訳しよう。ロゼッタには前にも独り言を聞かれてるし。誤魔化そうにも、彼女にはもう事故の後遺症は通用しない気がする。やばっ、冷や汗出てきた。


 思わず言葉に詰まる。ロゼッタの手は再び動き出した。


「前から思っていましたが。アンジェリーク様は、何か隠し事をされていらっしゃいますよね。本当に叶えたい夢ですら、誤魔化して誰にも教えていない。近くにいる私にもです」


「それは……」


「言っても信じてもらえないからですか?」


「ええ、そうよ。言ったらきっと、頭がおかしいと思われてお医者様を呼ばれてしまうわ」


「そんなの、言ってみなければわかりませんよ」


「じゃあ一つだけ教えてあげる。私には前世の記憶があるの。ここではない、日本という異世界で二十六年間生きてきた記憶が。これ、あなた信じられる?」


 少し強い口調になってしまったのは、わけのわからないイライラが湧いてきたから。


 なんでだろう、今すごく悔しい。何故か泣きそう。


 ロゼッタは何も答えない。眉間にシワを寄せて、どう返したらいいか悩んでいるように見える。もうそれだけで十分だった。


「もういいわ。この話は終わりにしましょう。湿布ありがとう」


「あの……っ」


 ロゼッタが何か言いかける。しかし、扉をノックする音がそれを遮った。


「おはようございます、アンジェリーク様。お身体の調子はどうですか?」


「ミネさん、おはようございます。まだ痛みはありますが、何とか動けるようになりました」


「それは良かったです。きっと、ロゼッタさんの特製湿布が効いたんですね。朝食、ここに置いておきます」


「わざわざありがとうございます」


 ミネさんが、朝食の載ったお盆を部屋にある丸テーブルの上に置く。


 実は、朝なかなか起き出せなくて、いつもの朝食の時間に間に合わなかった。すると、事情を知ったミネさんが、湿布の貼り替えが終わる頃に持ってくるとおっしゃってくれたのだ。なので、今はもう日が高いんだけど。


「旦那様も心配しておられましたよ。後で様子を見に行くと」


「そうなんですか? じゃあ、挨拶にいかないと」


 立ち上がろうとすると、ミネさんが慌てて私を制した。


「今お客様がいらっしゃってて。行くならもう少し後の方がよろしいかと」


「この時期にお客様って……もしかして、レインハルト殿下ですか!?」


 思わず立ち上がると、背中に激痛が走った。あまりの痛さに声も出ない。見かねて、ロゼッタが私の背中をさすってくれた。


「残念ですが、お客様はレインハルト殿下ではありません。ロイヤー子爵家の方々です」


「ロイヤー子爵家?」


「ええ。二番目のご子息とそのお父上のお二人が、体調を崩した旦那様のお見舞いにと」


「お見舞いに。そういえば、昨日の帰りにも見かけました。玄関から出て行く男性二人を」


 ニール様に背負われたまま、屋敷近くまで来た時、玄関から馬車に乗り込んでいく男性二人の姿があった。それを見てニール様が忌々しそうに舌打ちをする。


「あれだけ突然の来訪はやめてほしいと言ったのに。このクズ共が」


 私の時とは違い、敵意剥き出しで悪態をつくニール様を初めて見たものだから、ちょっとドン引きしてしまったのはよく覚えている。


「それは、モレッティ男爵家の三番目のご子息とお父上です。予約なしの突然の訪問でびっくりしましたよ」


「へぇ。大変でしたね」


「いーえ、よくあることなので、またか、という感じです。嫌になっちゃう」


「ミネさんがそんな風に愚痴をこぼすなんて珍しいですね」


「愚痴もこぼしたくなりますよ」


 そこまで言って、ミネさんは声をひそめた。


「ここだけの話、色んな家の次男、三男さんが、旦那様に会いに来られるんですけど。その目的が何だかわかりますか?」


「軍神とまで呼ばれているクレマン様に、ただ純粋に会いに来てるわけではないんですか」


「まさか。お目当ては、ヴィンセント家の養子です。この国では、長男以降の兄弟は希望すれば爵位は引き継げますけれども、土地や財産は引き継げませんから。そうなると、働くか、娘ばかりの家に婿入りするか、子どものいない家の養子になり後を継ぐか、というのが一般的なんです」


「うわ、厳しい世界ですね。生まれた順番で将来が決まってしまうなんて。でも、ニール様のように本当に優秀な人なら、養子にしてもいいのでは?」


「そんな人いませんよ。どのお家の方々も、欲しいのは"辺境伯"の爵位と国王陛下へのコネだけです。この土地や領民のことなんて、これっぽっちも考えてませんわ。裏では、やれ屋敷が汚いだの、使用人が年寄りばかりで辛気臭いだの、田舎過ぎて住みたくないだの、もう好き放題悪口をおっしゃっているんです。もう、毎回笑顔を作るのが大変ですよ」


「うわ、ひどいっ」


 前世で働いていた時、偉い人に媚びへつらっていた人が自分の上司になったことがあった。裏ではものすごく愚痴ってたのに、いざ相手を前にするとへこへこしていて。


 世の中を上手く渡っていくってこういうことかと理解した時、激しい嫌悪感を覚えた。どうやら、この世界でもその仕組みは健在らしい。


「でも、よくそんな家の裏事情とか知ってますね」


「私とヨネは昔から社交的でしてね。最低でも、各家のメイド一人とは仲が良いんです。その人達から情報は自然と入ってきますわ」


 なんて言って、ミネさんはホホホッと笑う。


 これが世に言う、家政婦は見た。そして恐るべき、ミネヨネ双子のメイドネットワーク。


「私も気を付けないと、ヘマしたらそれがあっという間に国中に知れ渡るんでしょうね」


「そうですねぇ。もう国中のありとあらゆる家のメイド友達から、今いる花嫁候補のご令嬢はどんな人かと聞かれてますから。みんな興味津々みたいですよ?」


「げっ、マジか……」


 さすが軍神とまで呼ばれているクレマン様。国王陛下ですら聞いてくるくらいだから、それも頷けるけれど。


「安心してください。悪いようには伝えておりませんから」


 そう笑顔で答えるミネさんに、ロゼッタが急に割り込んでくる。


「いえ、そこは是非ありのままをお伝えください。ご病気のクレマン様を盾に使ったり、侍女を奴隷のようにこき使ったりと」


「コラ! 誰がいつあんたを奴隷のようにこき使ったのよ」


「自覚が無いのですか? 今だって、薬草を使って薬を作り、それを湿布にして背中に貼るという余計な仕事を増やしています」


「ぐぬっ……。だ、だったら仕事減らせばいいじゃない」


「嫌です。あなた様の面倒を見れるのは、私くらいだと思いますから」


「どっちなのよ!」


 叫んだらまた背中が痛くなった。まさか、これを狙ってわざと言ったんじゃないでしょうね。


 私達のいつも通りのやり取りを見て、ミネさんがフフフっと笑う。その後で、少し真剣な表情を作った。


「アンジェリーク様は、今や注目の的。どうぞお気を付けください。養子の座を狙っている彼らは、何をしてくるかわかりませんから」


「ご心配していただき、ありがとうございます。でも、私は大丈夫です。ね、ロゼッタ」


「ええ。ご心配には及びません」


 なんせ、こっちには人類最強とまで言われている、暗殺一家ドラクロワ家の末裔が護衛に付いているのだから。


 扉をノックする音がする。入ってきたのは、ニール様だった。


「どうだ、背中の具合は?」


「そうですね、絶望的から絶不調くらいには回復しているかと」


「そうか。では、心配する必要はないな」


「はなからしてないくせに」


 いつもの軽口を叩く。しかし、ニール様は特段不快そうな様子は見せなかった。


「それで。お忙しいニール様が私に何かご用ですか? まさか、様子を見にきただけ、なんてことはないですよね」


「もちろんだ。用がなければ来ない。実は、ロイヤー卿がお前に会いたいと言っている」


「私に? どうして?」


「クレマン様の新しい花嫁候補だからな。どんな奴か顔を見ておきたいんだろう」


「厳密には、私クレマン様にフラれてるんですけど」


「わざわざそのことを他の奴らに言う必要はないだろう。それに、落ち着くまでは花嫁候補としてここに置いてほしいと言ってきたのはお前だ。自業自得だな」


 確かに、新しい住む家と仕事が見つかるまではここに居たかったから、そう提案したのは私だ。でも、まさかそんな面倒くさいことになるとは思ってもみなかった。くっ、失敗した。


「わかりました、挨拶くらいなら……いっ」


 先ほど思い切り立ち上がったせいか、痛めていた箇所からズキズキと痛みが走る。正直、今は立っているのも辛い。


 そんな私の気持ちを、ロゼッタは表情から汲み取ったのだろう。


「ニール様、アンジェリーク様の背中の痛みは今日明日で取れるものではありません。今は立つことすらままならない状態です。ですから、ご挨拶に伺うのはせめて痛みが引いてからにしていただけないでしょうか」


「私もそう思います。今は無理をさせるべきではありません」


「ミネまで……。わかった、体調が優れないということで、今日は帰ってもらおう」


「あの、ニール様申し訳ありません。本当はちゃんと挨拶した方が、クレマン様にとっても相手に良い印象を与えますよね。それなのに……」


「べつに構わん。正直、クレマン様も俺も、下心有りでここへ来る有象無象は好きじゃない。クレマン様もずいぶんと辟易している。これくらい突っぱねた方がかえって好都合だ」


「ざまあみろ、ってことですね」


「そういうことだ。まあ、クレマン様が会わせたくないイコールそれだけ花嫁として脈有りと受け取られたら、大変なのはお前だがな。そうなれば、クレマン様の心労も多少なりとも改善するだろう」


「ミネさん、今の聞きました? こーんな腹黒い男だったんですよ、ニール様は」


「大丈夫ですよ、アンジェリーク様。ずいぶん前から存じ上げておりました」


 お互い顔を見合わせて、フフフっと笑う。そんな私達の様子を見て、ニール様はふんっと鼻を鳴らして部屋を出て行った。


「では、私もそろそろ仕事に戻りますね。アンジェリーク様は、怪我が治るまで安静にしててください」


「すみません、ご迷惑おかけして」


「いーえ、迷惑だなんてそんな。私もヨネもココットも、アンジェリーク様が一日でも早くお元気になられるのを心待ちにしておりますわ」


「ありがとうございます。そう言っていただけるとありがたいです」


 では、と言ってミネさんも部屋を後にする。それを確認して、ロゼッタが何も言わず再び私の背中をさすり始めた。


「どうしたの? 今日はやけに優しいじゃない」


 軽口を叩くが、ロゼッタからの反応はない。私が首を傾げていると、背中をさする手がピタリと止まった。


「冗談は抜きにして、養子を狙う方々には本当にお気を付けください。目的のためなら手段を選ばない相手を、私は何人も見てきました。あなた様もそうでしょう?」


「それは……」


 パッと頭に浮かんだのは、継母と義妹だった。


「なるべく、私から離れないようにしてください。どうにも、あなた様は予測不可能な動きをなさる。護衛する方はハラハラして大変です」


「それ、もしかして昨日のこと言ってる?」


「はい」


「やっぱり」


 せっかくロゼッタが飛んでくる石から私を守ってくれていたのに、私はルイーズを守りに飛び出してしまった。それを責めているのかもしれない。


「心配かけてごめんなさい。でも、気付いたら身体が勝手に動いてたの。たぶん、自分の意思じゃどうにもできないと思う」


「まあ、そうでしょうね。暗殺者に向かって、あなたに自分は殺せない、と無茶な賭けをなさるくらいの方ですから」


「でも、そのおかげで私は最強の護衛を手に入れたんだけどね」


 ニシシッと笑ってみせる。すると、ロゼッタが負けたと言う風に苦笑した。


「たとえどんな刺客が現れても、どんなピンチがあなた様に降りかかろうとも、この私が必ずやお守りいたします」


「うん、期待してる」


 親指を立てて応える。すると、ロゼッタも見よう見真似で返してくれた。


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