カルツィオーネの孤児院
翌日。
私とロゼッタは、玄関先でニール様が来るのを待っていた。
「なんなの、あの人。自分から時間指定しておいて遅刻するとか。これがデートならありえないんだけど」
「ニール様はお忙しい人ですから。案内の時間を作っていただいただけ感謝しませんと」
「べつに、地図描いてもらってロゼッタと二人でも行けたのに。クレマン様ったら余計なことして」
「今のはクレマン様に告げ口しておきますね」
「ごめんなさい、大人しく三人で行きます」
はあ、と思わずため息をつく。その後で大きな欠伸が出た。
「寝不足ですか?」
「まあね。ちょっと色々考え事してたら寝れなくなっちゃって」
ずっと、クルムに行く良い口実はないかと考えていた。
ただの旅行では気が引ける。かと言って、人探しのためと言えば、相手はどんな人なのか、何故探しているのか、その説明をしないといけなくなる。それは面倒だ。
このまま何もせず、エミリアは小説通りレインハルトに出会えるだろうか。もし出会えなかった場合、自分はどうするのか。不測の事態に備えて、何個かプランは考えておかないと。
そんなことを考えていたら、いつの間にか深い夜の時間になっていた。
「何か悩み事ならお聞きしますが」
「うーん、悩み事といえば悩み事なんだけど。たぶん言っても信じてもらえないと思うし」
「もしかして、エミリアさん関係ですか?」
図星を突かれ、思わずロゼッタを見た。
「覚えてたんだ」
「はい。気になって。どうして、旅行に行く目的が人探しだとみなさんに言わなかったのですか? 人手は多い方が見つけやすいでしょうに」
「探してる理由を言うのがね、ちょっと面倒くさかったの。向こうは自分のことを知らない。そんな相手に会いたいなんて、余計に混乱させるだけだわ。だからあえて伏せたの。事情を知ってるのはあなただけで十分だと思ったし」
「そう、ですか」
「あ、今ちょっと嬉しかったでしょ」
「はい」
あまりに素直に言うものだから、思わず面食らってしまった。そのまま、ロゼッタの額に手を当てる。
「何の真似ですか?」
「いや、あまりに素直だから、体調でも悪いのかなと思って」
「失礼なのは相変わらずですね」
「なんかここへ来てから、ロゼッタおかしくない? いつもより素直な時が多いし、かと思ったら淡白な返ししてみたり。クレマン様に自分が暗殺者だなんて暴露した時は、ほんとどうしちゃったのかと思ったわよ」
「べつに。クレマン様には、隠していてもいつかバレてしまうような気がしていましたので。自分から先に説明しようかと」
「ほんとにぃ? まあでも、それは一理あるかもね。だって、ロゼッタが暗殺者だって言っても、あんまり驚いてなかった気がするし。というか、あの時のクレマン様との会話、なーんか引っかかるのよねぇ。それが何かわかんないんだけど」
「気のせいではありませんか? きっと疲れが出ていたのでしょう。考え過ぎです」
「うーん、そうなのかなぁ」
そんなことをしているうちに、ニール様がやっと姿を現した。
「すまない、遅くなった」
「いいえ、べつに」
「先ほどまで散々文句をおっしゃっていたのに」
「うるさい」
「謝って損したな。時間が惜しい、行くぞ」
そう言って、玄関を出て歩き出す。私とロゼッタは後に続いた。
今日の天気は晴れ。周りには畑や草原が広がり、頬を撫でる風は心地よく、空気は澄んでいて自然の香りを運んでくれる。
くそ、ニール様がいなければ、お弁当持ってピクニックできたのに。
「なんだ、何か言いたそうだな。まさかもう疲れたのか?」
「まさか。ただ、良い天気と景色なので、お弁当を持ってどこかでお食事がしたかったなと」
「悪いが、そんな余裕はない。俺は忙しいんだ。孤児院でも長居するつもりはないからな」
「わかってますよ。いちいち釘を刺さないでください。せっかちな男はモテませんよ」
「ふん、女などに興味はない。わがままだし、自分を着飾ることにしか興味がない。そんな奴邪魔なだけだ」
「うわ、ひどい偏見。だから今までのご令嬢はみんな逃げ出してたんですね」
「知るか。お前もせいぜいそうならないようにな」
「私は大丈夫ですよ。服とか興味ないですし。それよりも、どうすれば自分の人生をもっと豊かに生きられるか、そのことに全力を注いでますから」
「なんだ、それは」
「私には叶えたい夢があるんです。でも、ただそれを達成するだけじゃ面白くない。だから、夢を叶えつつ、やりたいことは我慢せずやっていこうかなと」
「その一つが、自然豊かなカルツィオーネに住むこと、でしたものね」
「そう、見事一つ叶ったわけ」
「なんだ、お前の叶えたい夢とは。まさか、世界征服とか言わんだろうな?」
「近からず遠からず、です。まあ、教えるつもりはありませんけどね」
「もし世界征服をしたいのなら早く言え。その邪な心、俺が粉々に砕いてやるから」
「ありがとうございます。大きなお世話なので断固お断りいたします」
ふん、と鼻を鳴らすニール様の背中めがけて、ベーっと舌を出す。この人とは仲良くなれる気がしない。
険悪なムードのまま、そのまましばらく歩き続ける。すると、周囲に木が多くなってきた。ちょっと脇に入れば迷子になりそうだ。
そんな道をただひたすら歩く。すると、目の前に一軒の建物が見えてきた。
「あれが孤児院ですか?」
「そうだ」
一般的な木造建築ではあるけれど、薄汚れていてどこか寂れている。元は教会だったのだろうか、屋根の天辺に何かが根本からポッキリ折れたような跡が残っていた。
玄関扉をノックする。所々に見える鉄製の飾りは、触るのを躊躇うほど錆びていた。そのうちに、扉がギギギっと鈍い音を立てて開く。立っていたのは年老いた女性だった。
「これはこれは、ニール様。お待ちしておりました」
「急に押しかけてすまない」
「いえいえ、こちらは構いませんよ。それで、こちらの方は?」
そう言って、私とロゼッタへ視線を向ける。私は落ち着いて自己紹介をした。
「はじめまして。アンジェリーク・ローレンスと申します。こちらは、侍女のロゼッタです」
「ロゼッタです。以後お見知りおきを」
「私は、ジゼルといいます。この孤児院の院長です」
「本日は、急なお願いにお応えいただきましてありがとうございます。実は、知り合いのお医者様にここの孤児院出身の方がいらっしゃいまして。是非一度行ってみたかったのです」
「まあ、そうでしたか。わざわざこんな所まで来ていただいて。さあさ、中へどうぞ」
促され、三人とも中に入る。
礼拝堂だったであろう広いホールは、ベンチが取り除かれ、中央に大きくて長いテーブルと、ざっと見二〜三十人程度の椅子が散りばめられている。さらにその奥には、この国で信仰されている女神像が私達を見下ろしていて、ひび割れたステンドグラスから差し込む光に照らされて、舞い散る埃がキラキラと輝いていた。
質素、簡素、そのどれもが当てはまる。これが日本なら、古民家と呼ばれるくらいの古さは感じた。
あまりにマジマジと眺めていたからだろうか。ジゼルさんがテーブルに触れながら苦笑する。
「だいぶ古いでしょう? 戦前からあった教会を利用してますから、あちこちガタがきてるんですよ」
「そうなんですか。建て替えるお金は無いんですか?」
ジゼルさんにではなく、ニール様に聞いてみる。すると、彼は首を横に振った。
「建て替えたいのは山々だが、周りがうるさくてな。慈善事業は貴族の務めとクレマン様は前向きなんだが、他の者達がなかなか。孤児院を建て替える金があるなら、傭兵を雇ったり使用人を雇う補助に回せとやっかんでくる。面倒くさいが、彼らの言うとこも一理あるからな。上手く説き伏せられなくて申し訳ない」
「いえ、そんな。ヴィンセント家にはいつもご支援いただいて感謝しております。それが無ければ、今頃この子達は飢えて死んでおりますから」
そう言って、ジゼルさんは奥で遊んでいる小さな子ども達に視線を向けた。服はボロボロで、前世で見てきた子ども達よりも痩せ細っている。
アンジェリークの記憶の中では、貴族の子ども達は、好きな物を着て、好きな物を食べ、健康に、それ以上に健やかに育っている子がほとんどだった。それと比較すると、その格差はあまりにもひどい。
今の私はどんな顔をしていたんだろう。ジゼルさんが気を遣って話題を変えてくれた。
「そういえば、クレマンお坊っちゃまはお元気ですか? 風邪をひかれたとお聞きしましたが」
「クレマン……お坊っちゃま!?」
大きい声が広いホールに響き渡る。ジゼルさんは笑っていた。
「実は私、昔ヴィンセント家でメイドとして働いていたんです。その時の癖がなかなか抜けなくて」
「そうだったんですか。私は今の精悍なクレマン様しか知らなかったものですから。その差があまりにも激しくてつい」
「ジゼルさんは長いことヴィンセント家に仕えてくれて、メイド長まで経験された方だ。だが、先代の院長が亡くなったのをきっかけに、ここを引き継ぐことを決意なされ辞職された。とても立派な方だ。クレマン様も彼女には頭が上がらない」
「そんなことありませんよ。ただ、ここがなくなってしまったら、子ども達の行き場が無くなってしまう。それだけは阻止したかったのです」
なんて立派な志だろう。私だったら、そこそこの役職を投げうって、誰かのために奉仕できるだろうか。
「ご立派な志ですね。尊敬いたします。私には到底できません」
「そうだろうな。お前みたいな強欲で自由な奴には無理だろう」
「ニール様のように、クレマン様のことしか考えていないような視野の狭い方には、ここの運営は難しいでしょうね」
お互いキッと睨み合う。そんな私達二人の様子を見て、ジゼルさんは「おや?」と目を丸くした。
「もしかして、あなた様はクレマン様の新しい花嫁候補の方ですか?」
「はい、そうです。お手紙をもらい、レンスから来ました」
「まあ、あなた様がそうでしたか。ここの者はみな新しい花嫁候補の方に興味津々ですよ。今度は何日もつかと……あ、ごめんなさい。悪口とかそういう意味では……」
「わかっております。今までのご令嬢は、みな逃げ出すか追い出されているんですよね。そういう目で見られる覚悟はできております」
「アンジェリーク様は、もともと自然豊かなカルツィオーネにご興味がおありでした。ですから、ここへ来られたことに大変喜ばれております」
「そうですか。気に入っていただけて良かったですわ。これでヴィンセント家も安泰ですねぇ」
ホホホッとジゼルさんが笑う。それが意味することに気付くまで、たぶん五秒はかかったと思う。
「いや、そんな期待されても。実は、花嫁候補はキャンセルというか、ダメになってしまって……」
「コラー!」
私がすべてを言う前に、建物の外から女性の怒鳴り声が聞こえてきた。




