良薬口に苦し
「うっ……」
イネスが口元を手で押さえてうずくまる。それを見て、すぐさまエマが駆け寄った。
「イネス、大丈夫っ?」
イネスは答えない。ただ身体を丸めたまま動かずにいる。
「やっぱり、毒か何かだったんだわ。私達を騙したのね!」
「だから騙したりしてないって。よく見てみなよ」
「はあ?」
怒っているエマの服を、イネスがちょいと摘んでいる。その目はちょっと涙で潤んでいた。
「お姉ちゃん、私は大丈夫。ただ、ちょっと思ってたより苦かっただけ」
「そう、なの?」
「え、まだ苦かった? どのくらい? 何が足りなかった?」
「え、あの、えっと……」
研究者としての純粋な興味でノアがイネスに詰め寄る。ロゼッタと同じ人形のような美貌が急に目の前に現れて、イネスは顔を真っ赤にしてたじろいでいた。
「コラ、レディに対して急に顔を近付けないの」
ノアの首根っこを掴んで遠慮なく引き剥がす。彼は「うげっ」と短く呻くとイネスから離れた。それを確認して、今度はアンナさんが質問する。彼女も興味津々らしい。
「どのくらい苦かったですか?」
「えっと……我慢すれば飲み込めるくらい、ですかね。最初は甘さを感じたんですけど、その後すぐさま苦味が押し寄せてきて。あ、でも飲み込めないほどではなかったです。ただ、その……お水もらえますか?」
「ああ、ごめんなさい」
近くの机に置いてあったコップに水を注いで、アンナさんがイネスに手渡す。すると、彼女はその水を一気に飲み干した。たぶん、あの姿が本音だ。
「それでどう? 身体の具合は」
一息ついたイネスに尋ねてみる。すると、彼女は「え?」と呟いた後喉に手を当てた。そして、胸を押さえながら深呼吸を何度も何度も繰り返す。その後で異常がないと感じたのか、驚きにその目を見開いた。
「苦しくない……全然息苦しくないです」
「え、ほんとっ?」
「うん。前は深呼吸なんかしたら息を吸うのも大変なくらい咳が出てたのに、今は全然出ないの。胸も苦しくないし、呼吸がすごく楽。お姉ちゃん、これが普通の人の呼吸なの?」
「そんな……ほんとに……っ」
エマはイネスの質問に答えないまま、涙を流しながら彼女に抱きつく。そんな姉に対して、イネスは「お姉ちゃん?」と首を傾げていた。
「どうやら、上手くいったようですね」
「ええ。さすがアンナさんです」
「いいえ、これはコドモダケとノアお坊ちゃまの功績ですわ。私はそれをお手伝いしただけです」
「謙遜しなくてもいいですよ。改良を重ねたあれですら飲み込むのに一苦労だったのです。改良を加える前の物は相当苦かったはず。それを何度も試飲されていたのですから。その功績は大きいかと」
「あら、この年になっても、人に褒められるのは嬉しいものですね。ありがとうございます。ですが、まだまだ改良の余地はありそうなので、腕が鳴りますわ」
「アンナさんなら大丈夫だと思います。完成形を楽しみにしてますね」
「ええ、そうしてください」
なんて言って、ロゼッタとアンナさんは微笑み合う。なんか私だけ蚊帳の外だなー、なんて思っていたら、もう一人の蚊帳の外の人物が、目を輝かせながら姉妹の間に割って入っていった。
「治った……本当に治ったの!?」
「え? あ、はい、たぶん」
「すごい、すごいよ! やっぱりコドモダケは万能薬なんだ。あ、でもちょっと待って。アンジェリークは皮をそのまま食べたのに左腕の怪我は治らなかったんだよね? 今回は改良を重ねてるし、もしかしたら完治するほどの効能はないのかも。今すぐ確認しなきゃ!」
そう独り言を呟くと、ノアは慌てて上着のポケットから聴診器を取り出す。そしてイネスに顔を近付けた。
「ちょっとほんとに完治したか確認させてくれない!?」
「えっ?」
「大丈夫、ちょっと聴診器で肺の音とか確認するだけだから。ごめん、服の中に手を入れるよ」
「いや、あの、ちょっと待って……っ」
ノアが、恥ずかしがるイネスの服の中に聴診器の先を持った手を伸ばす。そして、いざ中に入るという直前で、私は彼の手首を捻り上げた。
「いててててててっ」
「あんたね、私の時といいイネスの時といい、どさくさに紛れて女性の服の中に手を入れようとするんじゃないわよ。そういう性癖なの?」
「せ、性癖!? ち、違う、誤解だよ! 僕はただちゃんと治ったかどうか確かめたくて、聴診器の先を胸に当てたかっただけで……」
「だったら、ちゃんとイネスに断ってからやりなさい。よく知らない男性にいきなり服の中に手を突っ込まれたら、女性は誰だって嫌がるもんなんだからね」
「なんで? だって、みんなお医者様には抵抗なくやってるでしょ。だったら問題ないじゃないか」
「あんたは医者じゃないでしょが」
「似たようなもんだよ。ああ、もういいから離して! これがコドモダケの効能なのかどうか、時間が経ったらわからなくなるかもしれないだろ。だから、一刻も早く確認しないとっ」
「あ、コラ!」
ノアが隙をついて私の拘束から逃れ、再びイネスへと近付く。しかし、今度は姉のエマが彼の侵入を阻止した。
「妹の身体には、指一本触れさせませんから」
「どいてよ! 僕はやましい気持ちなんてないんだ。ただ純粋に治ったかどうか確認するだけ。彼女の身体になんか興味ないから大丈夫だよ」
「興味ない?」
「そう! だから……うわっ」
エマが右手の手のひらを上に向ける。すると、そこから炎が立ち昇った。その炎の陰でこめかみ辺りに青筋を立てた彼女の冷めた瞳が揺らぐ。
「イネスの身体が女性として魅力的じゃないって言いたいんですか? 失礼な方ですね。彼女を傷つけた罰として、ちょっと燃えてくれませんか?」
「ままま、待って! 早まらないで。僕はべつに魅力がないなんて言ってないし。むしろ魅力的で素敵だなって思って……」
「では、イネスの身体目当てですか? やっぱり、貴族なんてろくな人がいませんね。燃やしましょう」
「えぇっ!? そういう意味じゃないよ! アンジェリーク助けてっ」
「エマ、なるべく証拠隠滅できるように跡形もなく燃やし尽くして。あと、お屋敷は燃やしちゃダメよ。他のご家族に罪は無いから」
「わかりました」
「アンジェリークの裏切り者!」
ひいっ、と顔を引き攣らせるノアの前に、炎を持ったエマがゆっくり近付いていく。しかし、その歩みを止めたのは、恥ずかしがっていたイネスだった。




