感謝する(ロ)
「感謝する」
「感謝? どうして? 私はあなたの友人であり家族でもあるジェスを殺すかもしれないのよ?」
「今のあいつは、俺の知ってるあいつじゃない。生きていれば、このまま過ちを繰り返す。そんな闇に堕ちていくジェスを、友人としてもう見ていられない」
「グエン……」
「俺じゃあいつを止められない。だから、頼む。あいつを救ってやってくれ。今はもう正気を失っていて、何をするかわからない。お前にも危険が及ぶのはわかってる。でも、あいつを止められるのは、もうお前しかいない」
頼む、とグエンがアンジェリーク様に頭を下げる。アンジェリーク様はまだ戸惑っているようだった。
アンジェリーク様は優しすぎる。だから、人を殺すことはできない。きっと、ジェスにも生きて罪を償うチャンスがあるのではないかと考えていらっしゃるのかもしれない。でも、それは甘い。
「私も、暗殺を生業としていた手前、ジェスの気持ちがわからなくもないです」
「ロゼッタはジェスとは違うわ」
「いいえ。私も一歩間違えば彼のように道を踏み外していたでしょう。ドラクロワ家が没落し、生きるために初めて依頼主に頼まれ人を殺したあの時。よくやったと報酬をいただきました。その時初めて自分の存在が認められた気がしたのです。忌々しいこの技術が、自分の存在価値に比例すると」
「それは違うわ! 私はあなたの暗殺技術が欲しいからそばに置いてるんじゃない。優しいあなた自身の心が好きだからそばにいて欲しいって思ってるの。あなたの存在価値を決めるのは私よ。暗殺技術でもお金でもない」
つい大きな声になってしまったようで、向こうにいた子ども達が何事かとこちらに顔を向ける。しかし、すぐに興味を失ったのか、またパンを食べ始めた。
そんな周りを気にせずムキになっているアンジェリーク様を見て、思わず笑みが溢れる。
「なんで笑うのよ」
「いえ、私の存在価値を決めるのがアンジェリーク様だ、という自己中心的な考えに呆れてしまっただけです」
「っ……だって本当のことじゃない」
「ええ、その通りです」
少し拗ねている。そんな顔も可愛らしい。
「私がジェスのようにならなかったのは、私の欲しかったものが、誰かに暗殺技術を認められることでも、存在価値を見入られることでもなかったからでしょう。実際、依頼主のためにどれだけ献身的に働いても、最後は裏切られて捨てられるだけでしたから。ですから、それ以降は、これは生きるための仕事と割り切って生活していました。それがジェスとは違うところです」
「ロゼッタは、人を殺した人数を自慢したりはしないものね」
「その行為には意味がありませんから。ですが、ジェスは違う。人を殺して首領に認められるのが生き甲斐であり生きる目的になってしまっている。ここまでくると、もう手の施しようがありません。いくら外から諭しても、聞く耳すら持たないでしょう」
「そうだ。俺が何度やめるよう説得しても、ジェスは聞く耳すら持たなかった。たぶん、自分でももうやめ方がわからなくなってるんだと思う」
「もしかしたらグエンは、ジェスは本当はもう人殺しはしたくないんじゃないかって思ってる?」
「……そうであって欲しいと願ってる。俺の裏切りが許せないのも、本当は一人になるのが怖いからじゃないかって。その寂しさを埋めるために、また人を殺す。悪循環だ」
「そっか。グエンは優しいね」
アンジェリーク様がそう微笑むと、グエンの瞬きが多くなった。彼なりの動揺の現れかもしれない。
「きっと、ジェスにとって人殺しは麻薬と一緒なんだろうね。やめなきゃ、やめなきゃ、と思っても、身体がそれを欲してしまう。もう人殺し中毒ね。ここまでくると、その負の連鎖を断ち切る方法は一つしかない。あなたもロゼッタもそう思ってるってことか」
「そうだ」
「その通りです」
私とグエンの声がハモる。アンジェリーク様は嫌がるかもしれない。そう思ったけれど、意外にもすんなりと受け入れた。
「わかったわ。というか、私そこまで優しくないから。私の行く手を阻むものは、すべて握り潰す。常闇のドラゴンも、ロイヤー子爵も、そしてジェスもね」
アンジェリーク様が、目の前でリンゴを握り潰すように拳を握りしめる。それはご自身に対する決意表明のようにも見えた。
「近いうちに、首領達がお前を捕まえるために動き出す。気を付けた方がいい」
「忠告ありがとう。でも、それはかえって好都合だわ。私はそこら辺の令嬢と違って、ただ怯えて待ってるだけのか弱い人間じゃないから。むしろ迎え撃ってやるわ」
「そうか。恐ろしいな」
アンジェリーク様が不敵に笑うと、グエンも同じように笑った。
「あなたは、やはり常闇のドラゴンとして私達と敵対するのですか?」
「ああ。子ども達を人質に取られている上に、友人としてジェスを一人置いていけない以上、俺はお前達の敵として戦うことになるだろう」
「そう。じゃあ、その時はよろしく」
アンジェリーク様がグエンに手を差し出す。彼は驚いたというように目をわずかに見開いた。
「アンジェリーク様はこういうお方です。あまり深い意味はありません。受け入れるも断るもあなた次第でよろしいかと」
「……お前の主人はほんと変わってるな」
「私もそう思います」
「ちょっと。二人で私の悪口言わないでよ」
アンジェリーク様が唇を尖らせて抗議する。そんな様子が可笑しくて、私もグエンも苦笑した。そして彼は、差し出されたアンジェリーク様の手を握った。
「互いの健闘を祈る」
「ええ。頑張りましょう」
はたから見たらおかしな光景だけれど。それでも、二人のやりとりを否定する気にはなれなかった。




