悪夢と呼ぶに相応しい悪夢
目を覚ますと、大学時代に住んでいたアパートの一室にいた。
時計を見ると、午後二時。昨夜アニメの一気見し過ぎて、寝たのが朝だったから仕方ないか。
ボーっとする頭。それを覚醒させたのは、テーブルの上に置いてあった、とあるアニソン歌手の握手券だった。
そうだ、今日はアルバム購入特典で、午後二時から握手会があるんだった。
ん? 午後二時?
気付いた瞬間、全身から血の気が引いていく。
ギャー! 大遅刻! これじゃあ間に合わないじゃん! ウソだ、ウソだ、ウソだ、ウソだっ……私のバカー!!
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
目を開けると、目の前には心配そうなロゼッタの顔があった。
「アンジェリーク様、お目覚めになられましたか」
「ロゼッタ……ここって……」
「ノア様の秘密基地です。あなた様は、ノア様に突き飛ばされ、後頭部を打ちつけて気を失っていらっしゃったのです」
「そっか……いっ」
起き上がると、後頭部にズキリと鋭い痛みが走った。置いてあるのは冷たいタオルだけで、包帯とか巻かれてないから怪我はしなかったようだけど。これはこれで地味に痛い。
「アンジェリーク様、大丈夫ですか?」
今度はルイーズとジルが心配そうに顔を覗かせる。さすがに子ども達に心配をかけるわけにもいかず、私は無理矢理笑顔を作って「大丈夫」と答えた。
周りを見渡すと、今いるのは応接室らしく、私はソファに横になっていたらしい。ここには全員集まっていて、ノアだけが一人私から離れてバツが悪そうに顔を逸らしていた。
「あまりご無理をなさらない方がよろしいかと。だいぶんうなされておいででしたから」
「うなされて……そうね、最悪な夢だったわ。悪夢と呼ぶに相応しい悪夢」
「は?」
ロゼッタがわけがわからず首を傾げる。そんな姿を見て思わず苦笑してしまった。
「私はどのくらい気を失っていたの?」
「さほど長くはありません。一時間も経っていないでしょう」
「そっか、良かった」
「良くないだろ」
ラインハルト殿下の声が、私の言葉を遮る。その顔は不機嫌そうで、そのまま殿下はノアへと突っかかっていく。
「お前、謝れよ。どんな理由があろうと、人突き飛ばして、気を失わせといて知らんぷりとかないだろ」
「それは……っ」
ノアは手にしていた日記を抱えるようにギュッと抱きしめる。その顔がいたたまれない。
「殿下、私は怒ってませんから。むしろ、あなたの日記を勝手に読んでしまってごめんなさい」
座ったままの状態で頭を下げる。その後顔を上げると、ノアの顔は驚いていた。
「なんでお前が謝るんだよ」
「だって、日記って書く人の心そのものじゃないですか。それを許可なく勝手に読んでしまったんです。きっと、自分の心の中に土足で踏み込まれたような不快感があったはず。だからごめんなさい」
ノアは何も答えず、ただ気まずそうに顔を逸らしている。そんな様子に私は怒ることはせず、わざと声を明るくした。
「そうだ、もう水やりは終わったの?」
「はい。一通りは」
「じゃあ、もう帰りましょうか。あんまり遅いとお父様達も心配するだろうし」
そう言って立ち上がる。すると、急に眩暈がして猛烈な吐き気に襲われた。思わずしゃがみ込むと、慌ててロゼッタが駆けつける。
「……気持ち悪い」
「ですから、ご無理はなさらない方がいいと申し上げましたのに」
「無理してないもん。ただ帰ろうとしただけだもん」
「それが無理をしていると言うんです。頭を打ちつけたのですから、もう少し安静にしていてください」
「大丈夫、大丈夫。私不死身だから。これくらい平気だって」
そう言って笑いかける。すると、ノアがその目を大きく見開いて固まった。そしてボソリと呟く。
「アン……」
「え?」
聞き返すが、それ以上返事はない。ノアはただ固まったまま、それこそオバケでも見ているかのような顔で私を凝視している。私何かしたかな。
「ノア?」
声をかけると、目の前で風船を割った時のような感じで我に返る。その顔は今にも泣きそうだ。
「………………」
なんとなくだけど。そのアンって人とノアとの間で何かあったんじゃないだろうか。それを知られたくなくて、必死に隠そうとしている。私にはそんな風に見えた。
私は再び立ち上がった。そして、眩暈を抑え込んでノアの目の前まで移動する。そして、「な、何?」とオドオドし始めたノアの額にデコピンを食らわせた。
「いたっ! 何するんだよっ」
「あんたがいつまでもぼけっと突っ立ってるからでしょ。私は帰るって言ったんだから、早く部屋中の点検済ませて帰る準備しなさいよ」
「え?」
「私はちゃんと謝ったでしょ。だから、これ以上あなたの日記を読むつもりもないし、何も聞く気はない。むしろ、もうこれ以上面倒ごとに巻き込まれたくはないからあんたも黙ってて」
「なにそれ。すごい言い草だね」
「だってほんとのことだもの。ただ……」
そこまで言って、私はそっとノアの頬に触れた。
「もし、どうしようもなく誰かに話を聞いてほしくなったら私に言いなさい。事故とはいえ、あんたの日記をちょっとでも読んだ責任くらいは果たすから」
「アンジェリーク……」
ノアに優しく微笑みかける。だが、ここが限界だった。今度は彼の両肩をガッツリ掴んでうな垂れる。
「……気持ち悪い」
「わー! こんなとこで吐かないでっ」
もちろん、吐いたりはしなかったけど。ラインハルト殿下に、強制的にソファへと戻されてしまった。




