到着
「アンジェリーク様、起きてください。カルツィオーネに入りました」
ロゼッタに起こされ、眠い目を擦りながら窓の外を見る。その目に飛び込んできた景色に、私は思わず「わあっ」と声を上げた。
見渡す限り、緑、緑、緑、緑一色。風が草原をそよぎ、遠くには森や山が連なって私を眺めている。満員電車のように家が詰め込まれているレンスと違って、家はまばらで、その前には大きな畑が広がっている。
隣の家には牛や豚などの家畜が広い囲いの中で放し飼いされていて、たまにみかける人達は、畑で農作業をしていたり、家畜の飼育作業をしていたり、荷車で採れたての野菜や荷物などをのんびりと運んだりしていた。
「すごい、すごい、すごい! 田舎だ! 自然がいっぱいで人も家も少ない! ロゼッタ、ここすごいわね」
「ですから、前にも申し上げました通り、ここは国一の森林面積と農耕面積を誇っており……」
「あ! 子ども達が川で遊んでる! いいなぁ」
「………………はぁ」
私のはしゃぎ様に、ロゼッタが呆れたという風に大きなため息をつく。私はそれを無視して窓にかじりついた。
前世の昭乃の時の田舎を思い出す。数少ない車やお店を抜きにすれば、ここはどこか懐かしさを感じた。
子どもの頃遊んだ川や、田んぼ代わりの広大な畑。そこで農作業の手伝いをしていた頃の自分。大変だったことも、楽しかったことも、頭の中にある記憶が呼び起こされるたび、その時感じた感情がまざまざと蘇ってくる。
降りなくてもわかる。私、ここが好きだ。
「ロゼッタ、私ここ好き」
「え?」
「カルツィオーネ気に入った」
「まだ来てすぐしか経ってませんが?」
「直感よ。この土地のことを知ったら、もっと好きになると思う」
「大した自信ですね。しかし、私も同意見です。ここは不思議と落ち着く」
「でしょ? よし、二人暮らしはここに決めた!」
「それはあくまで辺境伯様の花嫁候補から脱落した時です。そのことをお忘れなく」
「わかってるわよ。心配しないで、わざと嫌われるようなことしたりしないから。そこは安心してちょうだい」
「そんなことしなくても脱落する自信がおありなのですね。嘆かわしいです」
「ほっとけ」
嫌味を言われても気にならない。心が弾んで、馬車から降りたらスキップしてしまいそうだ。
そんな浮かれながらずっと窓の外を眺める。そのうちに、大きなお屋敷が見えてきた。
「ロゼッタ、あれは?」
「あれが、カルツィオーネ辺境伯クレマン・ヴィンセント様のお屋敷になります」
「あれが……思ってたよりでかいわね」
土地が余っているからか、うちの家よりも大きい。周りに建物がない分、広い大地にポツンと佇む要塞のようだ。
敷地の中に入り、玄関先で馬車が止まる。馬車を降りて玄関をノックすると、扉が開いて二人の女性が姿を現した。
突っ立っている私を、ロゼッタが挨拶しろと肘で小突く。わかってるわよ。
「はじめまして。レンス伯モルガン・ローレンスの長女、アンジェリーク・ローレンスと申します。この度はお招きいただきまして、誠にありがとうございます」
そう恭しく述べてスカートの両端を軽く持ち上げて頭を下げる。
見なくてもわかる。ロゼッタの視線がスポーツの審判員並みに厳しく注がれていることに。どうやら失敗は許されないらしい。胃が痛くなってきた。
「こちらは、ロゼッタ。私の侍女です」
「侍女のロゼッタです。よろしくお願いいたします」
そう言ってロゼッタが頭を下げる。すると、二人の女性はにこやかに頷いた。
「まあ、遠いところからようこそおいでくださいました」
「さあさ、お疲れでしょう。中へどうぞ」
見たところ、二人は使用人らしい。というか、一番驚いたのは、二人ともご高齢だということ。見た目五十代後半から六十代といったところか。ローレンス家では特に男女共若い子の比率が高かったから、余計そう思うのかもしれない。
二人に促され中に入る。見渡してみると、「ん?」と思うような箇所が目についた。思わずロゼッタにこそっと耳打ちする。
「ねえ、なんかこのお屋敷汚くない?」
「そんなことを言っては失礼ですよ」
「でもさあ、うちとは大違いじゃない。うちは埃一つ落ちてなかったけど、このお屋敷は逆に埃があちこちに落ちてる。もしかして、クレマン様ってある程度汚れてないと落ち着かないタイプの人なのかな」
「さあ。私にはわかりかねます」
ロゼッタは無表情のまま素っ気なく答える。
彼女は気にならないのだろうか。私が服を脱ぎ散らかしたら怒るくせに。
そんな風にあまりにもキョロキョロしていたからだろうか。二人の女性は申し訳なさそうに苦笑した。
「すみません、汚いですよね」
「へっ? い、いやべつにそんなことは……」
「これでも掃除した方なんですよ。ただ、お屋敷に仕えるメイドは、私達だけなものですから。とても手が足りなくて間に合いませんでした」
「たった二人!?」
思わず大きな声が出てしまった。隣でロゼッタが咳払いをしてたしなめる。
「こんな広いお屋敷にたったお二人だけなんですか?」
「ええ。メイドは私達二人だけ。あとは料理人と、旦那様の補佐役のニール様、計四人になりますね」
「たったの四人で……」
「そんな状態ですので、アンジェリーク様とロゼッタさんのお部屋のセッティングもまだなんです」
「なので、先に旦那様にご挨拶をお願いします」
「あらやだ、ミネ。先にニール様の所にお通ししないと。朝そう言われたでしょう?」
「そうだったわ、ヨネ。では、先にニール様のお部屋へ案内しますね」
「は、はい……」
おいおい、大丈夫か?
クレマン様に仕える人が四人しかいないって。しかも、うち二人はご高齢。
ふいに、これまでの花嫁候補者達の話が蘇ってきた。なるほど、これは普通の令嬢には逃げ出したくなるくらいかなり厳しい条件かもしれない。
そんなことを考えているうちに、とある部屋の前まできた。
「ニール様、アンジェリーク様がお見えになられました」
「通せ」
促され中に入る。そこには、一人の青年が立っていた。
知性を感じさせる眼鏡に、氷のように冷ややかな目。眉間に寄ったシワの深さが、彼の性格を物語っているよう。ロゼッタと同じく整った顔の無表情が、私とロゼッタを出迎えていた。
間違いない。歓迎されてないな、これ。
「あの……」
「挨拶はいい。アンジェリーク嬢に侍女のロゼッタ。レンス伯からの手紙に二人が行くと書いてあった」
「はあ」
事務的な声。うちに来た頃のロゼッタを思い出す。思わず彼女に視線を向けると、こちらも負けず劣らずの無表情だった。
なんだ、これ。使用人のお二人は朗らかで良い感じだったのに。急に暖かい所から冷たい所へ放り込まれた感じだ。居心地が悪い。
そんな心の声が顔に出ていたのだろう。なんか視線を感じるなと思ったら、ニール様が私を凝視していた。
「あの、何か?」
「いや、べつに」
なんだ、その値踏みするような視線は。あんたらの方から呼び出したんでしょうが。それなのに、そんなに失礼でいいわけ? 私がこんなことしようもんなら、ロゼッタからそれはそれは怖ーい仕打ちを食らうわよ。
どうやら無意識に睨んでいたらしい。ロゼッタに小突かれ、私はハッと我に返った。
「長旅で疲れているとは思うが、これから領主であるクレマン様のところへご挨拶に伺う。くれぐれも失礼のないように」
「は、はい。もちろんです」
思わず敬礼する。すると、冷めた目線がさらに鋭くなった。本当に大丈夫かと、ニール様だけでなくロゼッタからも圧を感じる。
いったいなんだなんだ。クレマン様ってのは、そんなに位の高いお方なのか? それとも、失礼な奴なら即切り捨てるみたいな傲慢な人なのか。いや、七十歳手前で十五の小娘を嫁にしようと考える人だ。もしかしたら、とんでもないエロジジイなのかも。そしたら真っ先にこの家を出ていってやる。
ニール様の後ろを歩きながら、そんなことを悶々と考える。ふと足が止まった先は、先程より広そうな部屋の前だった。