ご褒美
急に馬車が止まり、その反動で驚きに目を覚ました。
「なにっ、どうしたの?」
「しっ」
ロゼッタのただならぬ様子に、思わず口をつむぐ。彼女は静かにカーテンをめくりながら、外の様子を伺っていた。
「通行人らしき人物達が、賊に襲われているようです」
「ウソっ」
カーテンの隙間からそっと外を覗く。少し離れた所で、とある荷車が止まっていて、そこには紫のターバンみたいな帽子を被った高齢の男性と、十歳前後の男の子が立っていた。
そのすぐそばには、剣をチラつかせた男が二人、ニヤニヤしながらうろついている。そして、荷車の中から仲間らしきもう一人が中の荷物を取り出していた。
「どうしますか?」
「どうするって言われても……他に道はないの?」
「どうやら、ここは一本道のようです」
「じゃあ、あいつらどうにかするしかないじゃない」
「まあ、そうですね」
じゃあ聞くなよ、と言いかけた言葉を飲み込む。
ロゼッタは待っているんだ。雇い主である私の命令を。
そうこうしているうちに、男の一人がこちらに気付いた。そして、だんだん近付いてくる。
「バレましたね」
「仕方ないわ。ロゼッタ、あいつら何とかして通れるようにして」
「かしこまりました」
「ああ、それと……」
「基本、殺すな、ですよね。心得ております」
「ならいいわ。じゃ、頑張って」
ロゼッタが頷いたタイミングで、男が馬車のドアを開けた。
「これはこれは、貴族のお嬢様方。ごきげんようってか」
剣を肩に乗せながらいやらしく笑っていたのは、リーゼントが特徴的な男だった。その男が私達に「出ろ」と促す。とりあえず、大人しく相手の言う通りにする。
出てみると、他の二人もこっちの方に集まっていた。どうやら、向こうより私達の方が金目の物を持ってると思ったらしい。
「悪いが、荷物を漁らせてもらうぜ」
「ダメって言ってもやるんでしょ」
「そうだな。だが、安心しな。抵抗しなきゃ、俺達は女子どもに手は出さねぇ」
「どうだか。賊の言葉を信じろと言われてもね」
「兄貴はウソつかねぇよ」
と言ったのは、モヒカンの男。
「あんま舐めた口聞いてると、温厚な俺達でも我慢の限界きちまうぞ」
と言ったのは、坊主頭の男。少し幼さの残る彼は、冗談っぽく短剣を私の顔の前に持ってくる。すると、ロゼッタが短剣を持つ坊主男の手首を掴んだ。そして、あっという間に捻り上げる。男は「いててっ」と声を上げて短剣を落とした。
「お前! 何しやがるっ」
「アンジェリーク様に危害を加えるのは許しません」
「てめぇ!」
モヒカン男が両手にナイフを持って突進してくる。ロゼッタは顔色一つ変えることなく、坊主男をモヒカン男に投げつける。すると、それは見事にヒット。「うえっ」と唸り声を上げて二人は倒れ込んだ。
「くっそ……」
「どこいった!?」
「ここです」
二人が立ち上がった時には、ロゼッタはもう背後に立っていた。そのまま二人の首筋に手刀を食らわせ、あっという間に気絶させる。あまりの手際の良さに、思わず拍手してしまった。
「おー、さすがロゼッタ。私以外ならちゃんと襲えるのね」
「これくらいなら目をつむってでもできます。なんなら今して差し上げましょうか」
「なんでよ。相手はもう一人いるでしょうが」
「知ってますよ」
ロゼッタの背後から襲ってきた剣を、彼女は目をつむりながらひらりと避ける。空振りとなったリーゼント男は舌打ちしていた。
「お前、ただの令嬢じゃないな」
「アンジェリーク様の侍女たるもの、このくらいできなければ主人に顔向けできませんから」
「なるほど。だがな、俺の可愛い弟達をこんな目に遭わせて、ただじゃおかねぇ。抵抗する奴には痛い目みせてやる!」
「どうぞ。やれるものなら」
リーゼント男が剣を構えて走り出す。繰り出される剣撃。しかし、ロゼッタはまるで嘲笑うかのように、ひらりひらりとかわしていく。
「避けてるだけじゃ勝てねーぞっ」
「わかってますよ」
すると、突然ロゼッタは一本の木へ走り出した。
「逃げんじゃねぇ!」
「逃げる? この私が? まさか」
男が追いかけてきていることを確認し、あともうちょっとで木にぶつかる、というまさにその時。ロゼッタは木の幹を二歩駆けると、その反動を利用して空中で一回転。見事リーゼント男の背後を取ると、「なっ」と男が振り向く前に、首筋に手刀を食らわせて気絶させた。
異世界版、パルクール! しかも、空中で一回転したのに下着が見えないという完璧さ。
「すごいじゃない、ロゼッタ! カッコイイーっ」
「これくらいではしゃがないでください。みっともない」
「いや、まるで映画を観てるようだったから、つい」
「映画? 映画とはなんですか?」
「えっ? えーっと……」
私が言葉に詰まっていると、男達に捕まっていた高齢の男性と男の子が、私達にお礼を言いにきた。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「いえいえ。お怪我はありませんか?」
「ええ、私もこの子も無傷です」
「なら、良かった」
男の子は人見知りなのか、男性の後ろに隠れてチラチラとこちらを伺っている。それでも、意を決して小さな声で「ありがとう」とお礼を言ってくれた。そんな姿が微笑ましい。
「どちらへ行かれるのですか?」
「私達はカルツィオーネまで。あなた方は?」
「特に目的地は決めてませんが、西へ向かおうかと」
「ご旅行か何かですか?」
「いいえ。ただ、あちこち転々と旅する旅人ですよ」
「なるほど」
確かに、遠目にだけれど、荷車に載った荷物がチラリと見えた。
「また盗賊に襲われぬよう、道中お気を付けください」
「ありがとうございます。そちらもお気を付けて」
そう言い合って、私達は馬車に戻った。今度は何も言わず、ロゼッタが私の隣に座る。
「ロゼッタを雇って正解だったわ。これなら何がきても生き抜けそう」
「左様でございますか」
「なによ、不服そうね」
「いえ、あの男達から金銭でも奪っておけばよかったかなと思いまして」
「盗みはダメよ。そんなことしたら、あいつらと同じになっちゃうじゃん」
「そうですよね。すみません、ただの戯言です。お忘れください」
「ロゼッタ?」
先ほどとは様子が違う気がして、怪訝な表情のまま顔を覗き込む。すると、ロゼッタは観念したかのようにため息をついた。
「今までの仕事は、成功すれば報酬がもらえたものですから。なんというか、タダ働きしたような気がして落ち着かないのです」
「それ、不満に思ってるってことよね。でも、あんたが言ったのよ。私を守る見返りは、帰る居場所になることって。今さらお金って言われても、私払えないわよ」
「べつにお金が欲しいわけではないんです。ただなんというか……やめましょう、この話は。私自身、よくわかっておりませんから」
ロゼッタは、この話はもう終わりと視線を窓の方へと移す。その姿がなんだか寂しそうに見えてしまって。
気付くと、私はロゼッタの頭を優しく撫でていた。
「よくやったわね、ロゼッタ。あなたのおかげで助かったわ。ありがとう。ご褒美にめいっぱい褒めてあげる」
自分自身、嫌味で言ったのかどうかわからない。ただ、急にロゼッタの頭を撫でてあげたい衝動に駆られた。
ロゼッタが驚きに目を見開いて、私を凝視する。やはり嫌だったろうかと思い手を離すと、ロゼッタはその手を再び自身の頭の上に乗せた。そしてそのまま、私の肩に頭を預ける。
「……もう少し欲しいです、ご褒美」
初めてロゼッタが甘えてきた。
そんなことに驚きながらも、なんだかそんな様子が可愛く見えてしまって。
「いいわよ。いくらでもあげる」
その後、私の手は何度も何度もロゼッタの艶やかな髪を撫でていた。
そして気付けば、いつの間にか眠ってしまっていた。