あなた以外の護衛はいらない
「……ほんとに大丈夫なんですか?」
「これは先行投資だ。後できちんと回収する」
「そのアテはあるんですか?」
すると、ニール様が私を一瞥した。
「カルツィオーネの基幹産業はなんだかわかるか?」
「農業ですよね」
「その中で生産量が最も多いモノは?」
「それは……」
思わず言葉に詰まる。そういえば考えたこともなかった。そんな私の心の声が聞こえたのだろう。ニール様はわざとらしく大きなため息をついた。
「小麦だ。ヴィンセント家の子どもならそれくらい覚えておけ」
「……申し訳ありませんでした」
おっしゃる通りだ。ぐうの音も出ない。ロゼッタまでもがニール様に賛同するように首を縦に振っていた。
「この国の主食はパンや麺類だ。つまり、小麦はどこの領地も喉から手が出るほど欲しがっている。常闇のドラゴンを壊滅し、輸出ルートが安全に確保されれば、うちの小麦は必ず売れる」
「なるほど。回収の目処が立ちますね」
「それに、人材が確保できれば、耕作放棄している農地を復活させることも可能だ。そうすれば、小麦の生産量を今の倍以上に伸ばすことも可能になる。そうなればさらに収益は増えるだろう」
「なるほど、だから先行投資ですか。そう考えると悪くないですね」
「そういうことだ」
ニール様が紅茶をすする。クレマン様も納得顔だ。
「でも、肩代わりして、相手が借金踏み倒そうとしたらどうするんですか?」
「俺とロゼッタで制裁を加える。借金を返すか、ここで死ぬか選べと。はじめからそう脅しておいてもいいな」
「待ってください。私も参加するのですか?」
「当たり前だ。ドラクロワの名前は相手を脅すにはもってこいだろ。こういう時使わないでどうする」
「………………」
「ロゼッタもわかってたことでしょう? ニール様はこういう人だって」
「ええ、わかっていましたよ。ただ、ここまではっきり言われるとあまり良い心地はしませんね」
「アンジェリークの従者になった時点で諦めろ。俺なんかまだマシな方だと思うぞ。お前の主人はきっと、俺よりもひどい使い方をするだろうからな」
「それは否定しません。アンジェリーク様は人をこき使うのが得意ですから」
「あれ? 何故か私が非難されてる。おかしいわ」
「まあ、まあ。いいじゃないか」
お父様が朗らかに笑う。なんだか腑に落ちないけれど、お父様が楽しそうなので、モヤモヤしたモノを紅茶と一緒に流し込んだ。
「まあ、とはいえロゼッタも今はこんな状態だからな。利用どころか護衛すら危ういだろ。大丈夫なのか?」
「さあ」
あっけらかんとそう答えると、お父様とニール様が「え?」という顔をした。
「さあって、お前……」
「だって、大丈夫かどうかなんて今わかんないじゃないですか。ロゼッタだって、どこまで動けるかもまだわかってないでしょうし」
「それはそうだろうが。いつ元に戻れるかわからないんだろ?」
「ノアの話では、二日で元に戻った人もいれば、一年以上そのままだった人もいるとか」
「一年以上、か。そんな長い間アンジェリークが大人しくしてるとは思えないな。どれ、私がお前の護衛をしようか?」
「ありがとうございます、お父様。でも、お気持ちだけ受け取っておきます。でないと、ロゼッタが拗ねてしまいますから」
「お言葉ですが。いつ元の姿に戻れるかわからない以上、私以外の人間を護衛に付けるのも有りだと思います」
そう冷静に言われ、私は思わず紅茶を置く手を止めた。
「ウソ。あのロゼッタが私の護衛を誰かに譲るなんて」
「譲るのではありません。協力してもらうのです」
「協力? みんな嫌がりそうな気がするんだけど」
「確かに、今までのアンジェリーク様の行いを見てきた者達からしたら、手を挙げる勇敢な者はいないでしょう。だからこそ、私と共に協力するという手をとるのです。少なくとも、私が一緒にいるということで相手の精神的ハードルを少しでも下げられるかと」
「そりゃそうかもしれないけどさ。私が落ち着かないんだけど。今まではロゼッタだったから自由に無茶してきたのよ。それなのに、他の誰かも一緒だと無茶しにくくなるんだけど」
「なるほど。そういう抑止力効果もありましたか。覚えておきます」
「やめて。私から自由を奪わないで」
しまった、ロゼッタに弱みを与えてしまった。このカードは、いつか本気で大人しくさせたい時にきられそうだ。
「まあ、それは置いといて。目下アンジェリーク様の護衛確保は急務です。危険に晒された後で後悔されても遅いですから」
「でも私は、あなた以外の護衛はいらないわ。他の誰かじゃ安心して自分の命を預けられないもの。たとえあなたがその姿のままでもね」
そうはっきり断ると、珍しくロゼッタが言葉に詰まった。
「あなたの言い分はわかってる。私のことを心配して言ってくれてるのも。だから、あなたがそれで安心するというのなら、私は護衛の協力者を見つけるのには反対しない。でも、私の本心は今のだから。けっして自分から他の護衛が欲しいとは言わない。覚えておいて」
「……そう、ですか。わかりました」
ロゼッタの声が小さくなる。たぶん、照れてるんだろう。その証拠に、その顔を隠そうと慌てて紅茶を一口すすったけれど、「あっ」とすぐさま唇から離していた。あれきっと舌火傷したな。
そんな私達二人のやりとりを、お父様が楽しそうに眺める。
「君達のお互いに対する信頼関係は強固なんだな。少し羨ましくなるよ」
「まあ、それほどのことをロゼッタは私にしてくれてますから。彼女には絶大な信頼を寄せています」
「褒め殺し作戦ですか? 新しい攻め方を試していらっしゃるんですね。悪趣味な」
「こういう素直じゃないところも、可愛くて好きです」
「それ以上続けると怒りますよ」
「おぉ、怖い」
わざとらしく身体を震わせてみる。すると、ニール様がため息をついた。
「まあ、せいぜい飼い犬に手を噛まれないようにするんだな」
「はーい」
間の抜けた声でそう返事を返すと、私はフッと笑ってロゼッタにウインクしてみせた。




