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生ける伝説

「そういえば、二人暮らしをする場所はもう決まっているのですか?」


「まだ仮候補ですが、カルツィオーネにしようかと」


「カルツィオーネ? またずいぶんと田舎を選ばれましたね」


「自然の多い場所で暮らしたいんです。それでどこが良いかとロゼッタに尋ねたら、カルツィオーネが良いのではないかと」


「なるほど。確かにそれなら合っているかもしれません。ですが、ここでの暮らしに慣れている方からしたら、少々不便かもしれませんよ。それに、魔物もよくでますし」


「それも覚悟の上ではあるのですが。一応一度旅行で行ってみて、それで自分に合っていると感じればそこにしようかと」


「そうですか」


「というか、ルベン先生はカルツィオーネに行ったことがおありなのですか? やけに詳しいような気が」


 私がそう言うと、ルベン先生はちょっと困ったという風に笑った。


「いやなに、実は私が子どもの頃入っていた孤児院が、カルツィオーネにあるんです。もう何十年と経っていますから、もう無くなっているかもしれませんが」


「そうなんですか? なんというご縁でしょう。これはもう、是非にでも行けという神様の思し召しかもしれません」


「そんな大げさな」


「いや、本当にそうかもしれませんよ。何かしら導かれているのかもしれません」


「珍しい。ロゼッタでも神様信じてるんだ」


「いいえ。神は信じてませんが、こういう偶然や奇跡という類は、最近信じるようになりました」


 無表情のまま、しれっと言う。その最近というのは、私と出会ってから、と驕ってもいいのだろうか。


「懐かしい話をしていると、カルツィオーネに行きたくなりますな」


「では、一緒に行きませんか?」


「いえ、申し出はありがたいのですが、まだ仕事が残っていますから」


「そう、ですか」


「ですが、もうせがれも医者として独立しましたし、娘ももうすぐ我々の手から巣立つ。そうなったら、妻と二人で行くのも良いかもしれません」


「もしそうなったら、是非連絡をください。また一緒にお茶を飲みましょう」


「いいですね。では、こちらからも。もしカルツィオーネで何かあれば、いつでもご連絡ください。この前の夜みたいに、いつでも駆けつけますから」


 そう言って、ルベン先生は包帯でぐるぐる巻きの右手に手を添えてウインクしてみせる。こんなお茶目な一面があったとは驚きだ。惚れたらどうしてくれる。


「ありがとうございます。お言葉に甘えて、そうさせていただきますね」


「あの、水を差すようで申し訳ないのですが」


 わざわざ手を挙げながら、ロゼッタが少し言いにくそうに割って入ってきた。


「どうしたの?」


「先日、カルツィオーネ辺境伯様宛にお手紙を書こうと思ったのですが。旦那様の許可がおりず、まだお伝えできていないのです」


「えー!? なにそれ聞いてないんだけどっ」


「すみません。ここのところ色々ありすぎて、報告が遅くなりました」


「っていうか、なんでダメなの?」


「色々出歩いて、変な噂がたっては困るからと」


「あんの、クソ親父……っ。娘より自分の心配するなんて。信じられない!」


 どこまで保身的なんだ、あの人は。


「ルベン先生の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいっ」


「やりましょうか」


「お願い」


「まあまあ、落ち着いてください」


 私とロゼッタの企みに、ルベン先生が落ち着くようなだめる。


「カルツィオーネ辺境伯というと、クレマン・ヴィンセント様のことですか?」


「そうです。ご存知なのですか?」


「ご存知もなにも、我々世代には知らない者はいないというくらい有名な方です。戦時中、国王軍の援軍も無いなか、少ない自軍の兵力でフィラーレン国の猛攻を耐え抜き、我が国に勝利をもたらしたという生ける伝説」


「生ける伝説!」


「人々は敬意と畏怖を込めて“軍神”と呼んでいます」


「そんなすごい人なんだ。ロゼッタ知ってた?」


「知らないのは、アンジェリーク様くらいのものです」


「いちいち嫌味挟まないで」


 田舎の領地を治めている人だから、なんとなくおっとりしたタイプの人かなと想像していたけれど。意外にムキムキマッチョだったりして。


 いや、ちょっと待て。アンジェリークの記憶ではたしか……。


「でも、戦争が終わったのって、たしか今から約三十年前ですよね? ということは……」


「今現在は、七十歳手前くらいですね」


「そっか、もうおじいちゃんなんだ」


「戦争が終わってからの晩年は、魔物討伐の指揮や後輩の育成に尽力し、軍事レベルの底上げに貢献したとか。そうそう、現国王陛下もクレマン様からご指導を受けていたそうで、今でも交流は続いているそうですよ」


「国王陛下とも親交があるなんて。高齢とはいえ、やっぱりすごい人なんですね」


 人々から軍神と呼ばれ、しかも国王陛下とも親交があるなんて。これ、結構偉い人なんじゃないか。


「やっぱり、ご挨拶に伺うのやめようかな。事故の影響で礼儀作法忘れ気味だから、私が行ったらきっと追い返されちゃいそう」


「やめる必要はありません。忘れたのなら思い出せばいいだけのことですから」


「ひいっ」


 ロゼッタが殺意を込めた目でギョロリと睨んでくる。これ、本気で礼儀作法の復習するつもりだ。できれば忘れててほしかったのに。


 ふいにドアをノックする音が聞こえた。助け舟とばかりに「はい」と答えると、一人の使用人が入ってきた。


「アンジェリーク様。旦那様が、処置が終わり次第部屋に来るように、とのことです」


「お父様が? なんだろ」


 首をひねりつつ、使用人に返事を返して下がらせる。ルベン先生はもう道具を片付け始めていた。


「もしかしたら、カルツィオーネ行きを考え直してくださったのかもしれませんよ」


「それはない、絶対にないです。もしそうだったとしても、何か裏があるはず。自分にとって利益になる何かが。そっちの方が怖いです」


「まあ、家出だけはよした方がよろしいかと思いますよ。見つかった後、二度と出してもらえなくなるやもしれませんからね」


「お父様ならやりかねませんね。肝に銘じておきます」


 まだカルツィオーネがどんな場所かわからないうちから家出をするのは、あまり得策ではない。もし自分と合わなかったら、行くあてが完全になくなるのだから。それを考えれば、なんとかお父様を説得して、旅行だけでも許可を取りたいところだ。


「それでは、私はこれで」


「ありがとうございました」


 ルベン先生は、道具の入った手提げカバンを持って立ち上がる。しかし、ドアの手前で振り返った。


「これは、言おうかどうか悩んだのですが……」


「なんでしょう?」


「先日の馬車の事故の件ですが。あれは事故ではなく、人為的に誰かが仕組んだのではないか、という噂を耳にしまして」


「人為的に?」


「はい。馬車に繋がれた馬が暴走する直前、フードを被った何者かが、馬の近くにいて何かしていたと」


「それ、本当ですかっ?」


「私も聞いた話なので確信はないのですが。もしこれが本当なら、わざと馬車を暴走させ、あなた様の命を狙ったということになる」


「つまり、暗殺……」


 思わずロゼッタを一暼する。彼女は無表情だった。


「馬車の事故といい、魔物に襲われたことといい、あなた様の周りで身の危険を感じる事件が立て続けに起こっている。偶然とは思えません」


「そう、ですね」


「あなた様のお命を狙っている誰かがいる。その可能性も視野に入れておいてください。くれぐれも、お気を付けて」


「心配してくださってありがとうございます、ルベン先生。それも肝に銘じておきますね」


 なんとか笑顔を作って、ルベン先生を送り出す。扉が閉まったのを確認して、私はロゼッタに向き直った。


「暗殺者って、あなた以外にも存在するの?」


「それを家業にしているのは、ドラクロワ家くらいでしょうけど。それを仕事にしている輩は存在していると思われます」


「そうなんだ」


「ですが、失敗しているのならその程度の輩なのでしょう。まあ、今の私が言えることではありませんが」


「ほんとにね」


 ぷっと笑うと、ロゼッタの片眉がぴくりと動いた。イラっときたらしい。いい気味だ。


「でも、そうなると継母がロゼッタに依頼する前に、別の誰かに依頼したっていう可能性も高いわね」


 前に継母とミネットが部屋で話していた際、「前は失敗したけれど」と言っていた。それが心のどころかでずっと引っかかっていたけれど。こういうことだったのか。


「でも、まあいいわ。今の私には心強い護衛がいるんだもの。誰が来ても私を守ってくれるんでしょ?」


「もちろんです。それがあなた様との契約ですから」


「よろしい」


 ロゼッタの返答に満足し、「さて」とベッドから立ち上がる。そして、お父様の部屋を目指した。


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