それはない
本日のココットさんのおやつは、ガトーショコラ。チョコ好きな私のためのチョイス。しっとりとした生地に、私好みのチョコの甘み。横に添えてある生クリームと一緒に食べるとさらに美味しい。思わずココットさんに向かって親指を立ててしまった。
これが深刻な話し合いなんかでなければ、文句なく最高なのに。
「私もさ、前から他の領地にいる知り合いの料理人達から、なんでカルツィオーネだけそんなに盗賊が出るんだ、って言われてたんだよ。魔物が多く出るのは土地柄だから仕方ないにしても、盗賊はそうでないだろう? だからちょっと不思議に思ってたのさ」
そう話しつつ、ココットさんがガトーショコラを一口頬張る。その顔を見ると、今日の出来栄えは良さそうだ。
「私達も、各地のメイド仲間からよく愚痴られてましたわ。カルツィオーネに遊びに行きたくても、盗賊が怖くてなかなか行けないって。他の領地ならそんなことないのに、って」
ミネさんが不満そうに言いながら紅茶を一口すする。その後でヨネさんが「そういえば」と言葉を付け加えた。
「色んなお家のご令嬢方が、今カルツィオーネにいる殿下達にお会いしたがっているのに、魔物や盗賊が怖くてなかなか会いに行けずに歯噛みしているとお聞きしましたわ。お二方ともそろそろ婚約者を選ぶ時期ですものね」
すると、殿下二人の顔が憂鬱そうに翳った。
「嫌な事を思い出させないでくれ。せっかくここへ来て忘れていたのに」
「どうせどいつもこいつも俺らの肩書き目当てなんだ。ただキラキラ着飾って媚び売ってくるような女なんか興味ねぇよ」
レインハルト殿下とラインハルト殿下がそう吐き捨てる。すると、エミリアがフフッと微笑んだ。
「レインハルト殿下とラインハルト殿下は、どちらもお優しくて誠実な方ですから。みなさん好きになって当然だと思いますよ」
そう言って紅茶をすする。そのエミリアの言葉に、殿下達は目を見開きつつ顔を見合わせた。
「じゃあ、エミリアは俺たちのことどう思ってる?」
「私、ですか?」
エミリアが聞き返すと、レインハルト殿下が小さく頷いた。その顔は心なしか緊張しているように見える。
「好きですよ」
『えっ!?』
と驚いたのは、レインハルト殿下と私。レインハルトのことは好きになってもらいたいからいいけど、ラインハルトまで好きになってもらっては困る。物語の筋書き的に。
しかし、その心配は杞憂のようだった。
「今お話したように、お二人ともお優しくて誠実ですし。平民の私にも分け隔てなく接していらっしゃいます。アンジェリーク様以外にも、ご貴族様の中でそんな方がいらっしゃるとは思いませんでしたので、とても好ましく思っています」
「あ……なるほど」
「そういうことね」
私は肩の力を抜くようにふーっと息を吐く。レインハルト殿下は、「はあ……」とため息をついて落胆していた。
なんだ、ラインハルトは今のところ恋愛対象として見てないってことね。
いや、ちょっと待てよ。今の口ぶりだと、レインハルトのこともそう思ってるってことじゃない。それはそれで問題だわ。
ふとロゼッタを見る。しかし、彼女は興味なさげに、紅茶をめいっぱいふうふう冷ましながら口に含んでいた。そのうち、ラインハルト殿下が天を仰ぐ。
「令嬢達がこっちに来れないなら好都合だ。というか、王宮に戻りたくない。もういっそここに住みたい」
「やめてください、ここは私の楽園なんですから。そんなにご令嬢達にチヤホヤされるのが嫌なら、ご令嬢除けとして私が殿下の婚約者になって差し上げましょうか?」
「なっ、それは本当か!?」
ラインハルト殿下が、今にも椅子から立ち上がらんばかりに食い気味にくる。そのあまりの勢いに思わず引いてしまった。
「冗談ですよ。本気にしないでください」
「じょ、冗談って……今冗談言うタイミングじゃなかっただろっ」
「これ以上ないってくらいのベストなタイミングだったじゃないですか。これがニール様だったら、次くだらん冗談抜かしたらこの家から追い出す、くらいのことは言いますよ」
「当たり前だ。お前みたいなガサツな女が王子の妃など務まるものか。むしろ厄災を振り撒いてこの国を不幸のどん底に貶める悪女になるだろう。悪い芽は今のうちに潰す」
「そんなことしなくても大丈夫ですぅ。妃になって王宮なんかに入ったら、籠の中の鳥状態じゃないですか。そんなの、自由人の私に耐えられるはずがありません。一日と持たずにカルツィオーネにトンボ帰りが関の山。無理無理、というか、結婚自体無理っ」
貴族の妻なんて、三歩下がって旦那を立てたり、社交界に顔を出してはホホホっと笑っていたり、夫人同士のお茶会なんかに誘われて気を使ったり。それはもう窮屈に違いないのだ。ただでさえ前世でも、結婚は自由を奪われる地獄と聞いたことがあるのに、そんなの今の自由奔放な私に耐えられるはずがない。
しかし、そんな私の胸中を知らない使用人ズは、「あらあら」と楽しそうに話に加わってくる。
「無理だなんて、そんなことありませんよ。私はニール様とアンジェリーク様がご結婚されればいいのに、とずっと思っておりました」
『それはない!』
私とニール様の全力否定に、ミネさんが待ったをかける。
「ですが、ニール様ももう二十七。そろそろ本格的にご結婚相手を探されませんと、本当に独り身になってしまいますよ」
「べつに一生独身でも構わん」
「でもさあ、アンジェリーク様は身体に傷跡がいっぱい残ってるし、極悪令嬢なんて悪い噂もあるから、だーれも婚約者に名乗りでないじゃないですか。このままじゃアンジェリーク様も可哀想だし、なによりヴィンセント家が終わっちまうよ。だからさ、ここは手っ取り早く二人くっついちゃいなよ」
『だから、それはない!』
「あら、息ピッタリ」
フフフっとミネさんは笑う。ミネ・ヨネさんの追及は止まらない。
「アンジェリーク様が無茶をする度に、ニール様は大層心配されておりましたし。アンジェリーク様もニール様のことは信頼されております。良い夫婦になれるのではないかと」
「みなさん、マジでやめてください。ニール様でなくても、私は誰かと結婚する気はありませんから。ただ、お父様がそうしろとおっしゃるのなら考えますが?」
そう言ってお父様に視線を向ける。お父様は紅茶をすすった後で首を横に振った。
「私はお前に無理強いするつもりはないよ。家のことも気にしなくていい。私はそのためにお前を養子にしたわけではないのだから。たとえヴィンセント家が終わっても、誰かが代わりにカルツィオーネを引き継げばいい。だから、結婚するもしないもお前の好きにしなさい」
お父様の迷いのない言葉で、使用人ズの口がピタリと止まる。まるで鶴の一声。やはり、困った時は娘に激甘のお父様に助けを求めて正解だった。
ふう、と息をついてロゼッタを見る。やはり彼女は興味なさげにガトーショコラをもすもすと食べていた。
直接聞いたことはないけれど、ああ見えて意外に甘い物が好きだから、下手をしたら今の話全部聞いてなかった可能性もある。どうりで一向に助け舟を出してこないはずだ。
ため息をついて紅茶をすする。気付けばラインハルト殿下がニール様を睨んでいた。




