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ささやかな祈りと円満なお別れ

「なんというか、屈辱です」


 私の右腕と掌の傷をハンカチで縛りながら、ロゼッタは面白くなさそうにそう呟いた。


「何が?」


「泣き顔を見られたことです。人前で泣いたことなんてなかったものですから。弱みを握られたみたいで屈辱です」


「そう? 結構可愛かったけど」


 そう言うと、ハンカチをギュッと縛られた。思わず「いたっ」と叫ぶ。


「またこんなに傷を作って。ますます結婚が難しくなりましたね」


「付けた本人がそれ言う? べつにいいわよ、する気なんてないし」


「ですが、レオ様とは駆け落ちする予定だったのでしょう?」


「なんで?」


 私が首を傾げると、ロゼッタは目をぱちくりさせた。


「部屋に荷造りされたカバンが残っておりましたし、家の者の監視の目が緩くなる舞踏会の今日を選ばれていらっしゃったので。計画的なものかと」


「ないない。あれはレオ様が勝手に暴走しただけ。正確には、私は強引に連れ去られたの。知らない土地で二人で暮らさないかって」


「無謀ですね」


「でしょ? だからきちんと諭したわよ。貴族の身分を捨ててはいけませんって。まあでも、あの無茶は若者の特権よねー」


「アンジェリーク様も十分お若いと思いますが」


「うっ」


 しまった。つい昭乃のままで言ってしまった。今の私は十代。変に思われないよう気をつけなければ。


「しかし、駆け落ちする気がなかったのなら、どうして荷造りなんかしたんです? それに、私に対して、今までありがとう、などと意味深な言葉まで残して。正直、いなくなられた時は、やられた、と思いました」


「あー……実はさ、継母とミネットが暗殺者使って私を殺すっていう話を偶然聞いちゃって。あのまま屋敷に残ってたら他の使用人達にも危害が及ぶかなーと思って、あてもないのに逃げようとしたの」


「なるほど」


「んで、最近ロゼッタ冷たかったでしょう? たぶん私が何かして怒らせたんだろうなぁと思ってさ。死ぬ前にちゃんと謝っておきたかったの。本当にロゼッタには感謝してたから」


 ちょっと恥ずかしくて、頬を掻きながら視線を逸らす。でも、気になってチラリとロゼッタを見ると、彼女も恥ずかしそうに視線を逸らしていた。


「ロゼッタでもそんな顔するのね」


「うるさいです」


 ロゼッタが怪我をしている右手をギュッと握る。あまりの痛さに声が出なかった。


「鬼か、あんたは!」


「暗殺者です」


「知っとるわっ」


 うぅ、掌がジンジンする。照れを隠すレベルがハンパないんですけど。


 脇腹の傷は大して深くはないので、スカートの端を手で引き裂いて、それを当てて手で押さえることになった。


「さあ、そろそろ帰りましょうか。また魔物が出てくるかもしれませんし。それに、お二人を捜索している者達が今来たら説明が面倒です」


「やっぱり、問題になってる?」


「ええ、かなり。アンジェリーク様がいなくなったすぐ後に、ランベール公爵家の使いの者が、レオ様を知らないか、とうちに血相変えて飛び込んできましたから。アンジェリーク様がレオ様に連れ去られた、と説明した時は、あまりの衝撃に気を失いかけておりましたよ」


「うわぁ、可哀想」


 うちの家族の反応はどうだったんだろう。お父様はあまり変わらなさそうだけど。継母達は顔を真っ青にしていたかもしれない。暗殺する前に逃げられたって。


 結局、失敗しているんだからいい気味だ。


「そういえば、ロゼッタはどうやってここまで来たの? 追いつくの結構早かったわよね」


「馬で来ました」


「馬っ? あなた馬乗れたの?」


「当たり前です。ドラクロワ家では、どんな場面にも対応できるよう、ありとあらゆることを幼い頃より仕込まれておりますから。できないことは何もない、くらいに思っていただいて結構です」


「すごっ」


 何だ、そのハイスペック。これが彼氏だったら鼻高々ものだな、おい。


「ん……」


 ふいに声がしたので振り返る。見ると、レオ様が目を覚ましたところだった。


「レオ様、大丈夫ですか?」


「アンジェリーク……はっ! そうだ、魔物はっ?」


「えーと……通りすがりの旅人が倒してくださいました。どうやら剣の心得があったようで」


「そう、か」


 ロゼッタが、それでいいのか、と目で訴えかけてくる。私はそれに肩をすくめて応えた。べつにすべてを話す必要はないだろう、と。


 そんな私達二人の様子を見て、レオ様の視線がロゼッタに移る。


「君は確か……」


「侍女のロゼッタです。アンジェリーク様を探しに来ました」


「なるほど。ということは、もうバレているのだな」


「はい。ただ今両家の者達が、あなた様がたを一生懸命探しておられます」


「そうか」


 レオ様の視線が沈んでいく。しかし、私を見てバッと顔を上げた。


「アンジェリーク、その怪我はどうした?」


「え? あ、あー……これは魔物にやられました」


「三箇所もっ?」


「はい。少々厄介な魔物でしたので」


 嫌味を込めて言う。すると、隣のロゼッタが反論するように咳払いをした。厄介だったことは間違いないでしょ。


 レオ様が、怪我をした私の掌にそっと手を当てる。


「すまなかった。俺のせいでこんなことに……」


「いえ、レオ様のせいではありません」


「いや、俺のせいだ。自分のわがままを押し付けて、挙げ句の果てには君に怪我までさせてしまって。君を守ると言っておきながらこの体たらく……まったく、子どもすぎて嫌になる」


「そんなことありません。あなた様は一生懸命私を守ろうとしてくださいました。恥じることなど微塵もありません」


「アンジェリークは優しいな」


 レオ様はフッと笑う。その後で真剣な表情を作った。


「わかっていたんだ、駆け落ちなど無謀だと。正直、働いて君を養っていく自信もなかった。でも、どうしても君を諦めきれなくて。親を説得できない自分の不甲斐なさへの苛立ちもあって、こんな無茶をして君を巻き込んでしまった。本当に申し訳なかった」


 そう謝って、レオ様は頭を下げる。その後で言葉を続けた。


「でも、これだけは信じてほしい。君を愛している」


 真っ直ぐで、迷いのない目。


 アンジェリークがどうしてレオ様を好きになったのか、その理由が少しだけわかった気がする。


 魑魅魍魎渦巻く貴族社会の中で、こんなにも誠実で真っ直ぐな人はなかなかいない。そんなところに惹かれたのだろう。


「私も愛しています。ですが、傷物となった今の私では、あなた様を幸せにすることはできません」


 たとえ親を説得して結婚したとしても、この肩の傷のことで周りからありもしない噂を立てられて、レオ様どころかランベール公爵家に多大な迷惑をかけるだろう。それはお互いにとって幸せではない。


「ですから、私は祈ります。どうか、レオ様が私以外の誰かと幸せになりますように、と」


「アンジェリーク……ありがとう。俺も君の幸せを祈っている」


 そして、どちらからともなくお互いに微笑んだ。円満なお別れだった。


「おい、馬車があったぞ!」


 遠く森の入り口付近から、小さい声が上がった。どうやら、捜索隊が追いついてきたらしい。


「やれやれ、もう追いついてきたのか。叱られる心構えもまだできていないというのに」


「ええ、本当に。余韻にすら浸してくれないのですね」


 そう言ってお互い苦笑する。隣のロゼッタが再び咳払いをした。


「アンジェリーク様、私は一足先に帰らせていただきます」


「君も一緒に帰らないのか?」


「はい。馬を返さなければいけませんし、明日の準備もありますから」


「そうか」


 侍女が私を心配して探しに来た、という説明で一応筋が通るとは思うけど。変に怪しまれたくないのかもしれない。


 いや、もしかしたらロゼッタなりに気を遣ってくれているのかも。そう思ったら、勝手に頬が緩んでいた。


「ロゼッタ、今日はありがとう。また家で会いましょう」


「はい。お待ちしております」


 一度頭を下げた後、その姿が森の闇に消えていく。


 今宵は満月。彼女の通った後を、淡い月の光が照らしていた。


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