あなたに私は殺せない
「おしゃべりはこの辺にしましょう。最後に言い残したことはありませんか?」
「ないわ」
キッパリ断ると、ロゼッタの片眉がピクリと動いた。
「ずいぶん潔いんですね」
「違うわ。その必要がないって言ってるの。だって、あなたに私は殺せないから」
「……は?」
「聞こえなかった? あなたに私は殺せない」
言った直後、私はロゼッタによって仰向けに倒された。そして、馬乗りになったロゼッタが、私の両腕をその両脚で押さえつけて、身動きを取れなくする。
私の首から上は無防備なまま晒された。
「ご立派な虚勢ですが、私を怒らせるのには十分でしたね」
「あらそう? 役に立ったのなら良かったわ」
「安心してください。苦しまないよう、一撃で仕留めて差し上げます!」
直後、私の額に向けてロゼッタが剣を振り下ろした。
やっぱり、賭けに負けたか。
そう思ったが、今回は目をつむらなかった。ロゼッタに殺されるのは、不思議と嫌じゃなかったから。
剣は見事に突き刺さった。私の頭上の地面に。
「どうして……」
そう驚いていたのは、私ではなくロゼッタだった。
「どうして、どうして、どうして、どうして、どうして!」
ロゼッタは何度も剣を突き刺す。しかし、そのどれもが私の顔を掠めていく。気付けば、突き刺した剣の跡で下の地面に私の首から上の輪郭が描かれていた。
「どうして……殺せない……っ」
「ロゼッタ……」
「見ないで!」
ロゼッタが顔を隠すように私から離れた。おかげで身体が自由になる。私は汚れた服もそのままに立ち上がった。
「だから言ったでしょう? あなたに私は殺せないって」
「うるさい、黙れ!」
溢れ出そうな恐怖をなんとか押し殺して、私は精一杯虚勢を張る。
今ここで負けてしまったら、私はロゼッタを取り戻せなくなってしまいそうな気がする。だから、絶対負けてはいけない。
「我がドラクロワ家は、暗殺対象を確実に殺すのが誇り。その誇りを汚すわけにはいかない」
「これが誇り? お金で依頼された相手を殺すのが? ずいぶん安い誇りだこと」
「うるさい……っ」
「そんな誇りなんか捨てて、私のところへ来ない? そうしたら、あなたの欲しいものを何でもあげる」
ハッタリだ。お金なんて無いし、地位や爵位をあげることも私にはできない。それでも押し通すしかない。
「私が欲しいのは、あなたの命です」
「だったら、やってみれば?」
そう挑発すると、顔付近に風が襲ってきた。ロゼッタが剣を横に振ったのだ。だが、私の首は繋がったまま、前髪だけが数髪ハラハラと落ちていく。
ロゼッタの顔が、さらに苦渋に歪んだ。
「あなたは、心のどこかで私を殺したくないと思っている。生きていてほしいと思っている。だから殺せないの。もうわかってるんでしょう?」
ロゼッタは何も答えない。でも、それが答えだった。
「…………から」
「え?」
「あなたが、私に笑いかけるから。ありがとうなんて、感謝するから。優しいだなんて、そんなこと言うから。今まで私にそんなことをしてくれた人は、誰一人としていなかったのに」
「ロゼッタ……」
「もっとあなたのそばにいたい。そう思うようになって……私は殺せなくなってしまった。全部あなたのせいだ……っ」
「だったら、私がその責任を負うわ。私の護衛としてあなたを雇う。その代わり、あなたの欲しいものをあげる」
「欲しいもの……?」
「そう。あなたが望むものは何?」
ロゼッタは押し黙る。考えているというより、言おうかどうか悩んでいるような顔だった。そのうち、ロゼッタが静かに口を開く。
「居場所……」
「え?」
「私に、帰る居場所をください」
「それって……」
「できませんよね。ドラクロワ家は呪われた一家。今まで私を雇った雇い主達も、その忌々しさと周囲の目の圧に負けて私を捨てていった。きっとあなたもそうなる」
ふと、継母が言っていたことを思い出した。"その名を口にするのも汚らわしい"と。
もしかして、ロゼッタはずっと一人で生きてきたのだろうか。周りから嫌われて、誰に頼ることもできなくて。
彼女をそんな風に孤独にしてしまったのは、すべて作者である私の責任だ。
「私はあなたを捨てたりしない。私があなたの居場所になってあげる」
「ウソをつくな!」
ロゼッタの剣先が、私の顔へ向けられる。
「命乞いをする者は、助かりたいがために平気でウソをつく。私はそんな人間を何人も見てきた」
「ウソじゃないわ」
そう言うと、私は向けられている剣を掴んだ。そしてそのまま、自身の首元へ近付ける。
「周りから忌み嫌われる? 上等じゃない。それで助かるのなら安いもんだわ。それに、あなたがそばにいれば、継母も安易に私に手出しできなくなる。継母だけじゃなく、私の夢を邪魔する奴らからあなたが私を守ってくれる」
剣を握る手に、さらに力を込める。血が剣を伝い、雫が地面に落ちた。
「私には叶えたい夢がある。それが叶うまでは死ぬわけにはいかない。そのために、私はあなたを利用する。だから、あなたも私を利用しなさい」
「………………」
「私にはあなたが必要よ、ロゼッタ。だから、ずっと私のそばにいてちょうだい」
まるで暖かい風が吹き抜けたかのように、ロゼッタの冷めた瞳が溶けていくのを感じた。そのまま、彼女は剣を手離して膝から崩れ落ちる。
「……本当に、よろしいのですか?」
「もちろんよ。私は最強の護衛を手に入れる、あなたは帰る居場所を手に入れる。お互いウィンウィンじゃない。女に二言はないわ」
そう言うと、ロゼッタの頬を涙が伝っていった。私はそんな彼女の震える身体を抱きしめる。
「本当に、あなた様は意味不明です……」
「それ、褒めてないわよね」
「はい」
「肯定すんな」
なんだかこのやりとりがくすぐったくて。
私はロゼッタが泣き止むまで、そのまま抱きしめていた。