暗殺者登場
「ギャァァァ!」
私に伸びていた魔物の前足が、突然何かによって切断された。そのまま赤黒い血飛沫が辺りの雑草に飛び散る。
「なに……?」
何が起こったんだろう。混乱する私の目に、一人の人物が映り込む。
月明かりに照らされて現れたのは、剣を持ったロゼッタだった。
「ロゼッタ! どうしてここに?」
私のその質問には答えず、ロゼッタは魔物へと突進していく。そして、鉤爪や尻尾の攻撃を難なくかわすと、片方の翼を勢いよく切り落とした。
そして、耳障りな魔物の悲鳴が上がる中、ロゼッタが右手を掲げる。すると、そこから勢いよく炎が噴き出し、あっという間に魔物を飲み込んでやっつけてしまった。
「すごい……」
レオ様ですら歯が立たなかった魔物を、たった数秒で倒してしまうなんて。
うちの侍女、強すぎる。でも、どうしてこんなに強いんだろう。
いや、それよりも。
「ありがとう、ロゼッタ。もしかして、助けに来てくれたの?」
いつものように事務的に「はい」と答えてくれると思っていた。
しかし、返ってきた返事は、「まさか」だった。
ロゼッタは緩慢な動きで、剣先を私に向ける。
「あなたを殺しに来ました」
「…………え?」
今何て言った?
「私の名前は、ロゼッタ・ドラクロワ。あなたの継母からの依頼により、あなたを暗殺しにやってまいりました」
「暗殺って……ロゼッタ、何を言ってるの?」
「鈍い方ですね」
静かにそう言うと、混乱する私をよそに、瞬く間に距離を詰めて剣を突き出す。
「いたっ」
それは私の真後ろの木にクリーンヒット。その後で右腕に痛みが走る。触ると血が出ていた。
「今のはわざとです。次は外しません。これでおわかりいただけましたか?」
冷めた目が私の心臓を射抜く。そこでやっと、彼女が本気なんだと気付いた。
「ドラクロワって、あの暗殺一家の? 末裔ってあなたのことだったのね」
「そうです。隠していて申し訳ありませんでした。ですが、そうでもしないと警戒されてしまう恐れがあったものですから」
「謝る必要はないわ。だって、それがあなたの仕事なんだもの」
「理解が早くて助かります」
やばい、やばいやばいやばい!
あの魔物をあっという間に倒すほどの実力者を相手に、生き残れるとは到底思えない。
どうする。私の今ある能力は魔法無効化だけ。たぶんロゼッタもさっきのシーンを見てたから、魔法ではなく剣で攻撃してきてるんだと思う。そうなれば、これを利用することもできない。
「どうしました? 逃げないのですか?」
「逃げたって、すぐ捕まっちゃうでしょ」
「今日はやけに諦めがいいんですね。やってみなければわかりませんよ?」
「それ嫌味?」
「はい」
即答しやがった。
「それって、つまり私を逃してくれるっていう解釈でいいのかしら?」
「まさか。すぐさま殺して差し上げます。無邪気なあなたに、この世に不可能なこともあるんだと教えて差し上げなくては」
「あら、優しいのね。でも、そういう優しさの押し売りは結構よ」
言った直後、私はレオ様から離れるように走り出した。
逃げ切れる自信はないが、せめてレオ様を巻き込まないようにしなければ。
見慣れない森の中を闇雲に走る。目の前の枝をよけたその時、背筋に悪寒が走った。本能のままにしゃがみ込むと、頭上をロゼッタの剣が切り裂いていく。
「へえ、よくかわせましたね」
「あんたの殺気がわかりやすいからよ」
「そうですか。まあ、今のはわざと外したんですけど」
「……悪趣味な奴っ」
悪態をついて、再び走り出す。
さっきの魔物と同じだ。完全に遊ばれている。それでも、どうしてだろう、楽しんでいるようには見えない。そういう悪趣味な奴も中にはいるだろうけれど、ロゼッタからはそんな異常性は感じられない。
いけない、今はそれよりも助かる方法を考えなければ。
後ろを振り向く。すると、ロゼッタの姿はなかった。
見逃してくれた……わけではなさそうだ。未だに彼女の殺意をこの肌は感じている。
ガサっという物音がした。思わずそっちへ視線を向ける。しかし、ロゼッタが現れたのはその逆からだった。
気付いた時には遅く、彼女が繰り出した剣が私の右脇腹をかすめていく。そのまま、私は地面に尻もちをついた。
「足は遅いのに、反射神経はよろしいようで」
「……褒めてくれてありがとう。それで逃してくれたらもっと褒めてあげるけど」
「ご冗談を」
右脇腹に触れると、やはり血が出ていた。それでも、痛みはあるが傷口は浅い。きっと、今のもわざと外したんだろう。
「なかなか殺さないのね。あなた、対象をいたぶって弄ぶのが趣味なの?」
「いいえ。そんな趣味はありません。どちらかというと、仕事は早く終わらせたい方です」
「奇遇ね。私もよ」
なんだろう、何か引っかかる。
暗殺が下手、ということはないだろう。彼女の強さは魔物を秒殺したことで実証済み。それなのに、私を殺すのには時間がかかっているなんて。
「どうしました? もう逃げないのですか?」
「……うっさいっ」
バレないよう、何か武器になりそうなモノを探る。すると、ふと手に何かが当たった。手だけでそれが何か考える。触った感触は木の枝っぽい。それでも、使えそうな気がする。
再び走り出し、森の中を彷徨う。すると、なんと倒れたレオ様の姿が見えてきたではないか。まさか、適当に走りすぎてぐるっと一周したのか。私のバカ。
ええい、こうなったら。
落ちていたレオ様の剣を掴み、思い切って反転。私を追ってきているロゼッタへと突進する。
「気でも触れましたか」
剣を振り回してみる。しかし、これがなかなかに重くて、思い通りに動かせない。
「剣の心得が無い者がそれをただ闇雲に使っても、誰にも当たりませんよ」
「そう、かも、ねっ」
そのうち、振り回していた剣が木の幹に刺さる。
「やば……っ」
それを抜こうとしている間に、ロゼッタの剣が私めがけて襲ってきた。反射的に首を横に逸らせて避ける。剣は私同様幹に突き刺さった。
チャンスだ。
咄嗟に掴んだいくつかの葉っぱをロゼッタに投げつけ、彼女の懐まで入り込む。そして、葉っぱに気を取られている隙に、手にしていた先の尖った枝を取り出した。
狙いは、目。それを潰せば、いくらか時間稼ぎはできるはず。
ロゼッタは葉っぱに気を取られている。これはいける。そう思った。
でも、暗殺一家の名は伊達じゃなかった。
ロゼッタは、葉っぱに気を取られているにも関わらず、私が目を狙って繰り出した枝を難なくかわす。そして、伸びた私の腕を掴むと、そのまま地面に投げ飛ばした。
「がっ」
背中に激しい衝撃。肺の中の空気が一瞬で押し出され、呼吸がすぐにはできなくなる。やっと空気が吸えたと思ったら、背中に激痛が走った。
「剣を振り回すことで本当の狙いをカモフラージュしていたんでしょうが。少し迷いがありましたね。それが致命的でした」
「……だって、痛そうだったから」
「その優しさが仇になりましたね。ですが、素人にしてはよく頑張った方だと思います。殺すのが惜しい」
「なら、見逃してくれてもいいけど?」
「ご冗談を」
ロゼッタは難なく剣を幹から抜く。最初からわかっていたことだったけど、力の差は歴然だ。
絶体絶命、か。
剣は木の幹に刺さっている。武器はもう無い。暗殺者の前でこんな無防備な状態を晒すとは。もうまな板の上の鯉状態だ。万事休す。
「……早く殺しなさいよ」
「追いかけっこはもう終わりですか?」
「体力ない」
「嘆かわしいですね。まあ、貴族の令嬢などそんなものでしょうけど」
「わかってて私の体力が尽きるの待ってたんなら、あんたやっぱり悪趣味だわ」
「それは褒め言葉として受け取っておきます」
………………。
なんだろう、さっきからずっと違和感がある。
「今日はやけに饒舌なのね。暗殺者ってみんなこうなのかしら」
わざとらしく言ってみる。すると、ロゼッタは黙ってしまった。
やっぱり。普通、暗殺対象がいたら、何か秘密を吐かすとかそんなことがない限り、すぐに殺してしまうはずなのに。
今のロゼッタはそれをしない。別に逃げる私を見て楽しんでいるわけでもない。
これじゃあまるで、殺すのを引き延ばしているみたいだ。
……こうなったら、一か八か賭けてみるか。
私は、気力を振り絞って立ち上がった。