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駆け落ち未遂

 結局、何も良い対策案が打ち出せないまま、夜がきてしまった。


「それじゃあ、行ってくる」


「いってらっしゃいませ」


 お父様と継母と義妹が、舞踏会へ向け馬車へと乗り込む。その時の、継母と義妹の笑みが忘れられない。


「さて、と」


 夕食は終わった。だから、ロゼッタがこの部屋へ来ることはもうない。


「よいっしょ」


 クローゼットを開けて、荷物の入ったカバンを手に取る。そして、ベッドの下に隠していたシーツを繋ぎ合わせた簡易ロープを取り出した。


 この屋敷にいたら、他の使用人達も巻き込まれるかもしれない。そう思い、日中誰にもバレないように、逃走の準備をしていたのだ。


 窓を開けると、夜特有のひんやりとした風が頬を撫でる。今夜は満月だった。


 正直、逃げるアテはない。逃げおおせる自信もない。それでも、何もしないでただ待っているよりかはマシだ。


 簡易ロープの端をベッドの脚にくくりつける。すると、急に屋敷の中が騒がしくなった。


「なんだろう。……まさかっ」


 もう暗殺者が来てしまったのだろうか。ヤバイ、急がなければ。


 しかし、窓に向かう途中で部屋の扉が勢いよく開いた。そこに、一人の男性が立っている。


 それは、ランベール公爵家子息のレオ様だった。


「レオ様っ?」


 どうしてレオ様がここに? 彼は今、舞踏会に参加しているはずじゃ……。


「あの、どうしてレオ様が……」


「来い」


 短くそう言うと、私の手を掴んで強引に引っ張っていく。相手が公爵家の子息だからか、使用人達も手出しができずオロオロするだけ。そんな間を、レオ様は早足で突っ切っていく。


 なす術もなく、私はレオ様に強引に馬車の中へと入れられた。そして、レオ様も乗ったところでそれは動き出した。


 ちょっと待って。これ、どういうこと?


 あまりにも突然のことに、頭がパニックになる。相手を強引に連れ出して馬車に乗せるなんて、これじゃあまるで誘拐みたいだ。


 そこまでいって、ハッと気付いた。


 まさか、レオ様が暗殺者なのだろうか。


 いやでも、暗殺者はドラクロワ子爵家の末裔。ランベール公爵家のレオ様が暗殺者のわけがない。


 ……いや、待て待て。もしかしたら、レオ様は養子かなんかで本名はドラクロワだった、なーんて私の知らない裏設定があったりして。


 はは、まさかね。そしたらもう絶対絶命じゃん!


「アンジェリーク」


「ひゃいっ」


 恐怖と緊張で変な声が出た。レオ様はそのまま私に近付いてくる。


 逃げ場はなし。助けも呼べない。もうダメだ。そう思い、ギュッと目を瞑る。


 しかし、待っていたのは、レオ様の熱い抱擁だった。


「会いたかった」


「……え?」


「会えない間、胸が苦しくて、息もできなくて、どうにかなってしまいそうだった」


「レオ様……」


 名前を呼ぶと、抱きしめている両腕にさらに力が入った。


 前世で、こんなにも感情のこもった抱擁を、私は受けたことがない。


 相手は十代の子ども。そう思っても、身体が、心が、素直に反応してしまう。


「もう離さない。絶対に」


「し、しかし、婚約は破棄されたのでしょう?」


 かろうじてそう言うと、レオ様は私から離れて、その目を真っ直ぐ向けた。


「このまま逃げよう。そして、俺達のことを知らない土地で、二人で暮らそう」


「そ、れは……」


 それはつまり、駆け落ちするということか。


「貴族ではなくなるが、このままアンジェリークを失うよりかはマシだ。俺が働いて、君を養っていく。その覚悟はある」


 相手の本気が目に宿っている。レオ様は今の生活を捨ててでも、アンジェリークと一緒になりたいようだ。


「アンジェリーク、一緒に来て欲しい。俺と結婚しよう」


「私は……」


 焦がれるような、熱い愛。今の私は昭乃だが、今まで受けたことのない情熱に、思わず吸い込まれてしまいそうになる。


 もし、アンジェリークに対して罪滅ぼしができるのだとしたら、それはこのままレオ様と駆け落ちして、一緒に暮らすことかもしれない。


 そう思い手を伸ばす。しかし、私は途中でそれを止めた。


「私は行けません」


「なっ、どうして!」


「あなた様を不幸にしてしまうから」


 ロゼッタが言っていた。今まで何不自由なく暮らしてきた貴族が、いきなり働いて生計を立てられるわけがない、と。


 私も同感だ。


 私は前世で働いていたから、そこまで抵抗はないけれど。


 しかし、平民の暮らしぶりを知らない、働くとはどういうことかもわかっていない十代の貴族の青年が、平民社会へ飛び込むのには無理がある。きっとどこかで綻びが生まれて、上手くいかなくなる。そしていつか、この日のことを後悔するだろう。


 私には、若気の至りにしか思えない。


「俺は不幸にはならない。君がいれば幸せになれる」


「いいえ、レオ様。貴族という身分をお捨てになってはいけません。いつか後悔してしまいます」


「後悔などしない!」


 迷いのない目。自身の気持ちは変わらないという、不確かな自信。


 こういう時、歳取ったなとふと思う。


 もし私が同じ年だったなら、二人の未来に胸膨らませ、差し出された手を迷うことなく取っていたかもしれない。


 でも、アラサーと呼ばれる年齢になって、色んな現実を見過ぎでしまって。


 だから、こんな風に迷いなく自分を信じられる彼らが、ちょっと羨ましい。


 まあ、見た目だけなら私も同い年なんだけれど。


「ではお聞きしますが、二人で住む家はどうするのですか? 働くあてはあるのですか?」


「それは……向こうに行ってから考える」


「やはり、思いつきだったんですね」


「君は親みたいなことを言うんだな。二人で暮らすと親に言ったら、できるわけがないと笑われた」


「でしょうね。ご両親はそれがどれだけ大変なことか、その経験からわかっておられるのでしょう。もし、本気で一緒になりたいのなら、私は根気強く婚約破棄の撤回をご両親に訴える方が賢明かと思います」


「親など知るか! 私達の意思を無視して無理矢理婚約を破棄させるなど、そんなの親でもなんでもない!」


「なっ」


 カッと血が上り、私は思わずレオ様の左頬を叩いた。


「あなた様が今日まで生きてこられたのは、ご両親がいたからです。公爵という地位を守り、あなた方子ども達に何不自由なく暮らせるよう、それこそ毎日気を配りながら働いていたからです。そんな両親に感謝の意を持てないあなた様が、どうして働いて私を養えるというのでしょう」


 実際に働いてみて、親のすごさが、ありがたみがよくわかった。


 毎日馬車馬のように働いて、私はそれだけでもヘトヘトなのに。その後に家事や育児をし、休みの日には家族サービスまでして。


 そうやって自分を犠牲にしながらも、私達を育ててくれた。そう思うと、深い愛情を感じた。


 彼はまだ十代。それを知るにはまだ早すぎる。それでも、言わずにはいられなかった。


 私はもう、会いたくても会えない。それなのに、生きているのに会えなくなってしまうのは間違っている。


 私はもう、誰も不幸にはしたくない。


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