プロローグ
楽しんでいただけたら幸いです。
「はあ、疲れた……」
夜勤帰り。コンビニで昼食を買った後、私はいつもの道を一人歩いていた。
大学入学と同時に東京へ出て、それからずっと都会暮らし。
就職して、馬車馬のように働いて。毎日があっという間に過ぎていく。まるで何かに追い立てられているようだ。
そんな日々に嫌気が差してきたのは、いつからだろう。
どこを見渡しても人、人、人。森の代わりにビルや建物が並び、空気は深呼吸をためらうほど排気ガスで汚れている。
モノがあふれていて便利ではあるけれど、いつも何かが物足りない。そんな感じ。
「田舎に帰りたい」
子どもの頃生まれ育った場所。周囲は山や川や田んぼや畑に囲まれて、少し歩けば海もある。空気は美味しいし、本当に時間がゆっくり流れている。
夜に空を仰げば、飲み込まれてしまいそうなほど美しい星空。
街灯は無いのに、月明かりだけで浮かび上がる幻想的な世界。
心地良い風の音、鳥の鳴き声、稲穂のそよぐ爽やかな音。
帰省している間、その自然しかない風景に、どれだけ心癒されたことか。
まだアラサーといわれる年齢。今なら実家に帰って、地元で就職も悪くない。とはいっても、今すぐ辞めます、とはいかないもの。明後日も仕事が待っている。
憂鬱な気分。
目の前の信号が赤になり立ち止まる。そのまま、カバンからスマホを取り出した。
憂鬱な私の、唯一の楽しみ。ストレス発散方法。
それは、小説を書くこと。
けして上手くはない。評価も高くない。そりゃそうだ、昔から読書は苦手なのだから。それでも、脳内で物語を紡ぐのは大好き。
絵心は幼少期にドブに捨ててきたので、物語を紡ぐ方法はこれしか思いつかなかった。
「もう少しだ……」
いい歳して恋愛ファンタジーかよ、と自分にツッコんだ時もあったけど。書いている時は楽しくて気にならない。むしろ、今では自分の子どものように愛着が湧いている。
そんな私の、超大作。
あともう少しで、主人公とその相手が結ばれる。ハッピーエンド完結。これだけは絶対完結させたいと、手の進み具合が遅い私が、長年夢見てきた瞬間。
車用の信号が黄色に変わる。私はスマホをカバンにしまった。
大事な場面だ。続きは家で書こう。
そう思った時だった。
「待って!」
サッカーボールが横断歩道を渡っていく。その後で、一人の男の子が私の横を走っていった。
「ウソ……っ」
歩行者用の信号はまだ赤。しかも、一台の車がギリギリ通り抜けようと猛スピードを出している。
男の子が車に気付いて足を止めた。その顔は驚いている。ダメだ、ぶつかる。
本当に、ここからはスローモーションだった。
咄嗟に、私は男の子を突き飛ばした。そして、彼がいたポジションにすっぽり入れ替わる。
激しい衝撃。視界が空に地面にと目まぐるしく回っていく。落ち着いた時には、全身を激しい痛みが襲っていた。
流れ出る血液、周囲の悲鳴、男の子の恐怖に怯えた顔。そして、画面がひび割れたスマホ。
そうだ、小説書かなきゃ。
そう思い手を伸ばそうとするが、全然上手く動かせない。声も出ない、身体も動かない。夏なのに、すごく寒い。
これはまずい。もしかしたら、このまま死ぬんじゃないだろうか。
「い……や……だ……っ」
まだこの小説書ききってないのに。あともう少しで完結するのに。
嫌だ。今書いてる小説が完成するまでは、絶対に死にたくない!
伸ばした手に力が入らなくなり、視界がどんどん暗闇に飲み込まれていく。
朦朧とする意識の中、私はただひたすらに神様に祈っていた。