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奇妙な味の短編集

新宿のメビウス~女雀豪、久遠あおい伝~

この作品は、役満縛りの麻雀実況で四暗刻をいきなりツモった伝説のVtuber「久遠あおい(@Aoi_Qon_v)」をモチーフとしています。(※本人公認です)

 ――新宿歌舞伎町


 人々の欲望が渦巻くその街の一角。とある雀荘にふらりと女が現れた。

 紫煙にまみれる空気を意にも介さず、カウンターへと向かっていく。


「へへっ、ねえちゃんよ。ここは小洒落たシーシャバーなんかじゃねえんだぜ?」


 ところどころ歯が欠けた男が女に声をかけ、下卑た笑い声をあげる。


「まったくだ。お嬢さんが遊ぶようなところじゃない」


 現金を乱雑に突っ込んだ小箱をいじりながら、眼帯の男が言う。


「まあまあ、せっかくの初見さんだ。楽しく卓を囲もうじゃないですか」


 そう続けたのは白いスーツをまとった初老の男だった。

 高価な腕時計をし、金縁の片眼鏡(モノクル)をかけている。


「おっと、ロンだ!」


 男たちはすでに卓を囲んでいた。

 歯の欠けた男が和了(ホーラ)をかけたのは、店員の男である。


「こ、これでトビ寸前っす。ああ……今月の家賃だいじょぶかな……」

心配(しんぺぇ)ねぇよ! 次上がればいいんだ。せっかく天和(テンホー)なんていうありがてえ名前なんだしよ」

「は、はい……」


 店員の男の名は天和(あまかず)といった。

 それを面白がって、常連客の間ではテンホーというあだ名が定着している。

 この雀荘では古参の店員だったが、すっかり負けが込んで赤字続きだ。

 とくにこの3人と卓を囲むと勝った試しがない。


「そこ、代わって」


 落ち込んでいたテンホーに、先ほど訪れた新規客の女が声をかける。


「あ、ダメっすよ。もう南場に入って千点しかないんす……」

「問題ないわ」


 女はテンホーをどけると表情も変えずに席につく。

 見た目は会社帰りのただのOLだ。

 多少目付きが悪いが、美人と言って差し支えがない。


 どう見ても、こんな違法レートの雀荘にふさわしい人間ではなかった。

 ここは半荘(ハンチャン)ごとに十万円からの金額が動く高レート雀荘なのだ。

 当然、通常の営業許可は下りないため、マンションの一室で行われている。


「へへっ、きれいどころが入って盛り上がるぜ」

「お嬢さん、ここのレートはわかってるのか?」

「知ってる」


 女は短く答えると、卓の上に札束を置いた。

 その厚みはおよそ十センチ。

 歯抜けの男と眼帯の男が思わず息を飲んだ。


「初見の卓でレンガ一個とは恐れ入りますな」


 対照的に余裕の笑みを浮かべているのは白スーツの男だった。


「それだけお持ちなら、百回連続ラスを引いても大丈夫だ」

「そんなだらだら()つつもりはない。この半荘でラスト」


 白スーツの男が首をかしげる。


「それはもったいない。こう言っては何ですが、もう南三局で親番もなく、持ち点はたったの千点。四位確定なのですから、もう少し楽しんでいかれてはどうですか?」

「そ、そうだぜ! こんなべっぴんと打てることなんてめったにねえし、ゆっくりしてけよ!」

「麻雀は時間をかけて楽しむものだ」


 せっかくやってきたカモを逃すまいと、男たちは手のひらを返して女を引き留めようとする。


「だらだら打つのは人生の浪費。この一千万、トップ総取り。あなたたちは有り金全部でいい。どう?」


 今度ばかりは白スーツの男も目を剥いた。

 懐には数百万が入っているが、どう考えても釣り合わない勝負だ。

 相手はほぼ間違いなくラス確定。

 実質的に残りの三人で一千万を奪い合う勝負にしかならない。


「負けてからごねても……承知はしませんよ?」


 白スーツの男の片眼鏡(モノクル)が冷たく光った。

 先程までの柔和な表情が消え去り、猛禽(もうきん)のごとき眼光で女を射抜いていた。


「負けるつもりなら、最初からやらない」


 女は雀卓のボタンを押すと、卓上の牌を中へと落とす。

 じゃらじゃらと牌を交ぜ合わせる音を聞きながら、煙草に火を付けた。


「へっ、女のくせにメビウスを吸うのかよ。なかなか渋いじゃねえか」

「勇気と無謀は異なるものだが……まあ、勉強していくといい」


 牌がせり上がり、闘牌が始まる。

 三人の男たちの目は女の捨て牌に向いていた。

 これほど不利な状況で勝負を仕掛けてくるのだ。

 よほどの打ち手だろうと警戒したのである。


 しかし……


「へっ、見え見えの染め手じゃねえか」

「流れの悪いときに無理染めをして決まるものじゃない」

「こらこら、君たち。対局中に相手の手をどうこう言うのはマナーがよくないぞ」


 そう言いながら、白スーツの男もにやにやと笑っている。

 女の(ホー)に並んでいるのは萬子(ワンズ)索子(ソーズ)ばかり。

 男たちの言う通り、見え見えの染め手であった。


 だが……


「ツモ。メンチン一通。八千、四千ね」


 男たちの嘲笑をよそに、女は平然とツモ和了(あが)った。

 これで女の持ち点は一万七千点である。

 トップの白スーツの男が三万九千点であるからその差はまだまだ大きいが、一万二千点(ハネマン)の直撃で順位が入れ替わってしまう。


「これは……油断なりませんな」


 白スーツの男は額に浮いた冷や汗を拭き、二人の男に目配せをする。


「こりゃあ、本気でかからなきゃマジィな」

「ああ、侮っていいお嬢さんではないようだ」


 だらけていた歯抜け男の背筋がしゃんと伸びる。

 眼帯男が腕をまくると、和彫りの竜が姿を見せた。

 そして白スーツの男がジャケットを床に脱ぎ捨てると、どしりと重い音を立てた。


「私のスーツは二百キログラムあります。これを脱ぐということは……私が、あなたを敵と認めたということです」


 白スーツの男の口の端が歪み、凶暴な笑みを見せる。

 雀荘から音が消えた。

 エアコンから聞こえる低いモーター音だけが響いている。

 白スーツの男が発した圧倒的雀気(オーラ)にすべての客が凍りついたのだ。


「次、あなたの親よ」


 絶対零度の空気の中で、女だけはまるで春のそよ風の中にいるようであった。

 一切の感情の揺れを見せず、淡々と白スーツに次局の開始を求める。


「ふっ、いいでしょう。覚悟ができているのなら、私もすべての力を解放しましょう! いいですね、二人とも!」

「へ、へい!」

「承知した」


 そう、白スーツと歯抜け、眼帯の男は元々組んでいたのだ。

 コンビ打ちによって店員のテンホーを嵌め、給料をむしり取っていたのである。


「くく……この配牌。天が私に勝てと言っているようなものではないですか!」


 白スーツの男の配牌は……


 ①①①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑨⑨発(ドラ⑤)


 なんと、純正九蓮宝燈(チューレンポートー)であった!!

 男は発を切り、迷わずダブルリーチをかける。


「まったく、あっけない幕切れでしたね」

「さすが兄貴! ここぞというときの豪運がパねえ!」

「普段、力を抑えているからこそか……」


 摸打(モーター)が進む。河に打牌が並んでいく。

 筒子(ピンズ)ならば何が切られても、何をツモっても和了(あが)れるにも関わらず、六巡目、十二巡目と過ぎてもまったく筒子が現れないのだ。

 異常事態に、白スーツが通し(サイン)を送る。


(お前たち、筒子は一枚もないのですか?)

(すまねえ、兄貴。一枚もねえ……)

(こちらもだ。どうなってるんだ……)


 歯抜けと眼帯が鳴きを入れ、ツモ順をずらしてみても一向に和了牌が出ない。

 そうこうする間に、終局寸前まで進んでしまった。


「くっ、まさかこの手が上がれないとは……ですが、流局でも私の勝利はゆるぎません」


 白スーツが最後の捨て牌を河に叩きつける。

 あまりのパワーに、雀荘全体が一瞬揺れる。


「強打、うるさい」

「ふん、強がりを」


 残すは女の河底(ハイテイ)だけだ。

 女はゆっくりと牌山に手を伸ばし、手元に牌を置いた。

 その牌は八筒(パーピン)

 白スーツのダブル役満の和了牌(あがりはい)である!!


「ロン! 純正九蓮宝燈のダブル役満。まったく、粘ったわりに口ほどにも……」

「……ツモ」

「はぁっ!?」


 女が手配をパラパラと倒していく。

 男たちの目に映った女の手牌はこれであった。


 ②②③③④④⑤⑤⑥⑥⑦⑦⑧ ツモ⑧(ドラ⑤)!!!!


「大車輪……はないんだっけ? ええと、メンチンタンヤオピンフリャンペーコーツモドラドラ……赤とハイテイは余計だけど、数え役満だね。一万六千、八千」

「「「ぐあぁぁぁあああああ!!!!」」」


 女の手牌が輝き、筒子から(ほとばし)った無数の光線が男たちを打ちのめす!

 焼け焦げた男たちは全身から黒煙を上げ、ぐったりと卓にもたれかかった。


「これで仕事完了ね。マスター、精算と報酬よろしく」

「さすがはあおい様、いつもありがとうございます」

「次は、もうちょっと骨のあるやつをお願いね」

「はは、新宿のメビウスの顔も知らない雀ゴロでは暇つぶしにもなりませんか」

「そのあだ名は、嫌い」

「これは失礼を」


 女は店主から封筒を受け取ると、紫煙に満たされた空間から去っていった。

 女はたまたまこの雀荘に現れたのではなく、たちの悪い雀ゴロ退治のために店主から雇われていたのだった。

 その様子を呆然と眺めていたテンホーが、店主に尋ねる。


「あ、あの、さっきの女の人は誰なんすか?」

「ああ、テンホーははじめてだったか。あの御方はな……」


 ――これは、混迷いちじるしい激動の時代、新宿歌舞伎町に突如として現れた女雀豪、久遠あおい、またの名を筒子の迷宮(メビウス)と呼ばれた女の物語である。


(了)

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― 新着の感想 ―
[一言] 全自動卓は基本「先に入れた牌はあまりかき混ぜない」ので 完成した(上がった)手役を先に放り込むと いとも簡単に役満が出たりする。 プロはそのような捨て牌を作ることが全く無いので 混ざらなくて…
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