エピローグ1
一人の女と一人の男がいた。その二人は同じ場所にいるわけではない。女は色とりどりの花が一面に咲いた花畑に座っているし、男は背の高い木がそれなりに立った森の中にいる。
女がいる場所は明るく、何も不自由がないような生活が約束されているようだが、男は何も約束されることのない、暗い場所にいる。日差しをいっぱいに受けている場所と日差しが消えた場所にいる二人。
女は座ったまま、男は歩きながらやるべきことを考えていた。これからしなければならないこと、出会う人物、起こり得る事象。考えることは山積みだった。
女は座ったままだったが、他のことに干渉はできた。男は女のように動かずに何かできるわけではなかった。だから歩く。会うべき人物がいる。直接会って、してあげなければならないことがある。
二人は違う場所だからこそ、差異があった。女がいる場所は一見何も不自由がないようなのだが、「音」がなかった。男は自ら歩いているため、足音という「音」を創り出していた。
そんな違いのある二人は、また空を見上げた。まるで何かを感じ取ったかのように二人して空を見上げた。そしてまた、口が開く。
「満ちて」
「満ちるな」
今度は言葉も違った。しかも、真逆の意味だった。二人の目的が真逆だからこその言葉だった。
二人が見つめる人物は同じ。同じ人物がある道を歩き続けている。それを迎えようとしている女。否定して止めようとしている男。
どちらが正しいのかはわからない。それでも、結果として現れてしまう。その答えがわかるのは、結果が出てみないとわからない。その結果は、二人が何かをすることで変わるかどうかわからない。
自分の想う結果に導くために、女も男も考えて行動する。結果はどんな形でも現れる。それが二人の思い浮かべるものと同じである保証はない。
この世界は二人しかいないわけではないのだ。
終章 少年たちの行為
1
結果だけを見るなら、イギリスの一人勝ちだった。
日本で起こった魔術師の暴走。その件について魔術結社の長たちが集まる会合が設けられた。大小数多くの組織の長が集まり、事件について様々な意見が出た。
ローマ法王はイギリスの女王に向かって、ローマ正教が運営する学校の生徒がイギリスの魔術師によって襲われたことを公表した。このことをほぼ全ての長が女王を批判した。その魔術師が犯罪者であるルーベニックだったということもある。
女王はルーベニックに監獄から脱獄を許してしまったこと、神器を一つ盗まれたこと、日本の学生を傷付けたことを謝罪した。だが、その問題は日本政府から依頼されて送り込んだイギリスのナイトが解決したことを説明した。
日本と現状魔術的に関係を築いているのはイギリスだけだと女王は主張した。イギリスのように日本政府と契約を結んでいないのに、ローマやその他の組織が勝手に魔術的調査及び行動をしているのはおかしいと糾弾した。
魔術を知らない国と関係を持つためには、その国の政府と交渉をした結果、了承を得て初めて交流を許されるという掟が魔術結社同士に存在する。ローマやその他の組織はその掟に反していると女王は言った。
この言葉にどこの組織の魔術師も反論できなかった。事実、独自に行動している組織が多いからだ。
ローマ正教に肩入れしている組織の長が、ルーベニックがローマの魔術師を襲ったことについての責任を追及した。一般人に被害が出てしまったことも問題だが、魔術師たちにとっては組織の異なる魔術師同士の衝突の方が問題なのだ。
一般人を襲ったのは日本人の野良の魔術師であると女王は報告し、ルーベニックも過去の事件で捕まった時点でイギリス国魔術結社から除名し、契約も絶っていると言った。だから組織としては問題ないと言う。
ルーベニックがいつからイギリス国魔術結社と契約を絶っていたのか、それが事実なのか今どの組織も確認することができない。美也が剣によって魔術刻印を消してしまったからだ。
この会合の結果、ルーベニックは監獄に入れ、無期懲役となった。さらに、日本で活動している組織はイギリスを除いて、日本政府から許可を取るまで魔術的調査を禁止された。日本はイギリスと契約している手前、他の組織とも契約してしまったら沽券に関わり、イギリスとの関係に亀裂が入る。
つまり、実質日本を魔術的調査できるようになるのはイギリス国魔術結社に所属する魔術師のみになった。
2
ルーベニックとのいざこざがあった三日後の朝、美也たちは魔術鳩により魔術結社の長たちの会合の結果を聞いた。美也たちはイギリスに全面協力したということでローマと手を組んだことは不問とされた。
家族に被害が出なかったことは良いことだ。魔術結社同士の抗争に発展しなかったことも良かった。無駄に人が死ぬことはなくなる。
それでも、ローマに迷惑をかけすぎた。組織的被害もあるが、人員にも被害が出た。
結局美也たちは、ルーベニックも含め、イギリスの手の内だったのだ。
「オレたちは……弱いな」
(―魔術師としても、人間としてもな)
平日ということで、学校へ行く支度をした。学校に行きたいわけではないが、行かなければ組織に何か言われる。休日も働いたのだから休みが欲しいが、休みなど貰えるはずもない。
朝食をコンビニで買い、河川敷に行くまではいつも通りだった。やはり美也は土手に座り、朝食を食べ始めた。始業まで時間があるので、宗谷も特に注意しなかった。
「なんかさ……。ローマの連中を貶めたみたいで、釈然としねぇんだよな……」
(―それはそうだろ。実際、騙されたって思ってるかもしれない。……ルーベニックが日本に来て、俺たちが日本に送られた時点でこうなるって決まってたのかもしれない)
「決まってただろうな。あのババアはそれぐらいやってのける。オレたちとルーベニックのことを考慮して、利用したに決まってる」
美也たちは事件を起こした魔術師の魔術刻印は毎回消すことを心掛けている。人間はすぐに改心すると信じていないからだ。一度したことは二度、三度繰り返す。そうなる前に魔術という力を奪ってしまえば、同じようには事件を起こせない。
できることなら、この世界から魔術そのものを消し去りたかった。魔術があるせいで起こる争いもある。それに巻き込まれているからこそ、消えてほしいのだ。
「やっぱりルーベニックは魔術を嫌悪していた。……あいつも、被害者だよ。八年前の事件だって、本人の意志じゃねぇかもしれない」
(―俺たちがいくら考えても、答えは出ないけどな)
「……エデンに行きたい連中は、行ってどうするんだ?」
あるかどうかもわからない楽園。人間では辿り着けないとされる、魔術師のためだけの園。幸福を約束された場所。そんなものに価値があるのか、美也にはわからなかったのだ。
「幸せとか、そういうのって場所で決まるものなのか?自分で見付けて、誰かと共有するものだろ?……エデンに行って、そこで暮らすことが本当に幸せなのか?」
(―俺たちはそう思えないから、エデンなんて必要ないって考えるんだろ?)
「この世界で充分見付けられると思うのに……」
見付からないものにそこまで希望を描ける人々が不思議なのだ。見付かった時に想像していたものと違って絶望することを考えないのか、自分の人生の中で見付けることができなくて後悔しないのか。たくさんの人々を犠牲にしてまで手に入れるものなのか。
そもそも、様々な人に迷惑をかけてまで手に入れる幸福は、幸福と感じられるのか。美也たちはエデンを目指す人々が、そこまで考えているのか疑問なのだ。
二人はその考えに至ってしまったからこそ、エデンを求めない。美也たちは幸せを感じられる瞬間がきちんとあり、高望みをしていないのだ。
「あ、夏目君」
土手の上に瑠花が来ていた。時計を確認すると、学校まで歩いていっても余裕で間に合う。それを瑠花もわかっているのか、また美也たちの脇に来た。
「今日もサボろうって考えているんですか?」
「いや、行く。……ただ、ここの景色が好きなだけだ」
イギリスとは異なる景色。目の前を流れる川に、穏やかに吹くそよ風。川辺に咲く花。川に沿って立っている桜の木。日本にいるという実感は、この景色によるものだ。
「綺麗ですよね。わたし、春が一番好きです。冬にお休みしていた皆が、一斉に起きだすから……」
「ぷっ!あははははは!」
「え?な、何ですか?何で急に笑い出して……?」
「お休みしていた、皆が一斉に起きだすって、可愛いこと言うなぁ……!」
言葉のチョイスが可愛くて、思わず吹き出してしまった。まるで子供のような言葉遣いを、高校生の女の子がしていたのが可笑しかったのだ。
「可愛い、ですか?」
「子供みたいだって思って……」
少しの間、美也は笑い続けていた。内側で宗谷も呆れているが、苦笑していた。目の前の瑠花は小動物のように戸惑いながら顔を赤くしていた。
だが、瑠花はすぐにいつもの表情に戻り、小さく笑った。
「初めて夏目君が笑っているのを見ました。そういう夏目君も、笑顔が可愛いですよ?」
「何だ、それ?男の笑顔って可愛いか?」
「夏目君の笑う顔も、子供っぽいですよ?」
言われてみて、美也は思い違いをしていたことに気付いた。子供みたい、と言ってみたが、美也たちも瑠花も歳は変わらない。まだ十代の学生だ。
たとえ十歳の頃から様々な事件を経験して、戦ったり魔術を使ったりしていても、世間から見たら美也たちはまだ子供。瑠花から見ても、同じ子供なのだ。
階級も、大人と同等に渡り合えるのも関係ない。二人は世界に少し失望しているだけの子供なのだと思い知らされた。
「子供が子供みたいって言うのは、背伸びしてる証拠だな」
「夏目君は大人っぽいところもあると思います。でも、わたしと同じです。周りから見たら子供です」
「……それはそうだ。でも、日本人の同年代ってどうしても子供っぽく見えるんだよな。顔立ちのせい?」
「日本人は外国人に比べて若く見えがちらしいですから……」
また遅刻寸前になるのは嫌だったので、美也は立ち上がって瑠花と学校へ向かった。友達というわけでもないのに、瑠花とは二回も一緒に学校に向かっている。家の方角もあるだろうが、誰かと並んでどこかに歩くというのは美也たちにとっては珍しいことだった。
「そうそう。今日廊下に金曜日のテストの結果が出るそうです」
「オレたちに返してないのに、点数と順位貼り出すのか?」
「はい。お姉ちゃんに聞きましたが、いつもそうらしいです。成績上位者はある程度自分の点数と順位を知った上でテストを返却されるそうです」
そんな制度を続けているということは、学校側は採点によほど自信があるのだろう。そうでもないと、返却もしていないテストで点数と順位を記した紙を貼り出すなんてできっこない。
「何人ぐらい貼り出されるんだ?」
「三十人です。特待生の定員が三十人ですから」
「……うちの学校って何人いたっけ?」
「一学年三百二十人ですね」
「その内たった三十人か……。ずいぶん少ねぇな」
一学年の十分の一しか特待生にはなれない。もっとも、学費を免除してもらえる人数としたら多い方なのかもしれない。そういう金銭感覚を美也たちは持っていなかった。
「うちの学校、進学校だから順位を維持するのが大変だってお姉ちゃんがいつも言っていました。でもお姉ちゃん、去年はきちんと成績維持して今年も特待生なんですよ?」
「お姉さん、同じ学校にいるのか?」
「はい。今年で二年生です。わたしみたいにアルバイトしながら、風紀委員もしているんです。憧れのお姉ちゃんです」
風紀委員と聞くと、嫌な思い出が脳裏をよぎった。入学式の時に脱走して美也たちのことを捕まえようとしてきたのが風紀委員だ。それが仕事なのだから彼らに非はない。むしろ、美也たちが悪いことをしたのだ。
「ふふ。お姉ちゃん、夏目君の名前覚えていましたよ?学校で会ったら説教するって言っていましたから」
「会いたくねぇな……。どうせ理由言っても、理解してくれねぇだろうし……」
「気を付けてくださいね?お姉ちゃん怒ったら怖いですから」
「お姉さん、瑠花とオレがクラス一緒なのは知ってるのか?」
「知ってますよ。先生に学生名簿見せてもらったらしいですから。『特待生が入学式に脱走ってどういうこと!』って言いながら憤慨していましたよ」
美也たちは苦笑することしかできなかった。とある学校の女生徒を襲う輩を倒しに行っていました、など口が裂けても言えないのだ。
「あ、夏目君。話変わりますけど昨日の銀行強盗の事件知っていますか?外国人グループが武装して襲撃したって」
「……ああ、知ってるよ。駅の近くの銀行だったからな」
「それ解決したのがうちの学校の生徒らしいです。たまたま居合わせて、犯人たちの隙をついて殴ったらしいです」
「へぇ……」
(―実はそいつ、武器を落とした犯人たち殴っただけなのにな)
昨日飛鳥が解決した事件だ。ローマの魔術師が魔術で犯人たちの武器を落とした後、幻術を見せている間に飛鳥が殴っただけである。
「最近物騒ですから、夏目君も気を付けてくださいね?同じ学校の女生徒ばかり狙う事件もありましたから。その犯人も捕まったそうですけど」
「気を付けるのは女の子の瑠花だろ?襲われそうになったら逃げきれなさそうだし」
「そうですね……。運動が苦手だから、走っても追いつかれてしまうかもしれません」
そうして話している内に学校に着いた。靴を履き替えて階段に向かうと、一階にテストの結果が張り出されているという掲示があった。
「瑠花は見に行くのか?」
「気になりますから。夏目君は?」
「……HRまで時間あるし、見に行く」
教室に早く着いたところでやることなどない。授業をまともに受けるつもりがないからだ。先生には悪いが、全て右から左である。勉強をしに学校に来ているわけではない。
結果の紙の前には何人かの生徒がいたが、高いところに貼ってあったので遠くからでも見ることができた。
一位の名前は飛鳥。新入生総代としての名誉を守ったということだ。こんな勉強よりも、魔術を頑張ってほしかったが、そんなことを本人に言うつもりはなかった。
二位の名前のところに、何故か夏目宗谷と書いてあった。簡単だと思っていたが、名前を貼り出されるとは思っていなかった。こういう一般の勉強を真面目にやったことはなく、魔術の勉強ばかりしていた。一般の勉強に通ずるものもあったが、それも全てではない。
三位も何となく見てみると、白水円の名前。クラスの隣の席の男だ。美也たちと飛鳥がこの学校に入らなければ、一番になっていた人物。何となくだが、申し訳ない気持ちになった。
「夏目君、二位ですか……。凄いですね」
「そういう瑠花は?」
「十二位でした。安心しました」
瑠花も三十番以内に入れたことに安堵していた。美也たちにとって順位は別に気にしていない。成績が悪くても、特待生だからだ。
二人は教室に行き、また扉の前で別れた。そこから退屈な一日がまた始まった。




