学院生活の始まり
「ようお前ら、ビッグニュースだ。今日は新しい学院の仲間を紹介するぜ。入ってこい!」
キース先生に呼ばれ、俺は教室の中に足を踏み入れた。
「え?」
「あいつってまさか……」
「一昨日の編入試験で見た、あの?」
入るなりそんな声がちらほら上がる。試験の最初は見ていた生徒も多かったから、その中の何人かだろう。
「中等部並みが受かったのか?」
「手の平サイズが合格したなんて……」
「小物に限ってまさかそんな……」
ずっこけそうになった。まさか名乗る前から既にあだ名がついているとは……。魔術式が小さいのは事実だけど、そこまでか?
「お前ら静かにしろ。ほら、自己紹介だ」
「……ええと、俺の名前はユートだ」
静かになった頃を見計らって自己紹介を始める。気を取り直そう。名前の次は、将来の夢だったな。俺は軽く息を吸い込んだ。
「将来の夢は、最強の魔法使いになることだ。よろしく!」
大きな声で告げると、忍び笑いが聞こえた。冗談のつもりじゃないんだけどな……。
「はっは、大きく出たな」
「……本気ですよ?」
「ああ、分かってる。俺は好きだぜ? 夢が大きい奴はな。まあなんだ、これからよろしくな。皆も仲良くしろよー」
キース先生の言葉に返事はなく、何人かが小さく頷いただけだった。
「さて、ユートの席は……ああ、そこが空いてるな」
キース先生が指し示したのは、シルファの隣の席だった。たった一人の知り合いが同じ教室の隣の席だとは、不思議な縁だな。
ともあれ、何となく反応の良くない見ず知らずの他の生徒よりかは気楽そうだ。俺はシルファの隣へと移動する。
「また会えたな、シルファ。これからよろしく」
「ええ」
シルファは無表情のまま頷いた。教室がにわかにざわつき出す。
「うお、まじか」
「シルファに話しかけるなんて……」
「大丈夫か?」
なんでそんなに騒がれるんだ? 俺は首をひねりながら着席した。シルファは何も言わずに前を見ている。
「そうか、ユートとシルファは知り合いだったんだな。シルファ、ユートに学院のこと、色々教えてやってくれ」
「はい」
キース先生の言葉に、シルファは素直に答えた。うーん、特に違和感はないよな。どうして騒がれたんだろう?
その後、キース先生からいくつか連絡事項が伝えられ、朝の集会は終わった。
それから授業開始前の鐘が鳴るまで、妙に静かな生徒たちを見渡し、俺は首をかしげた。
「この学院って、編入は当たり前のことなのか?」
放課後、学院内を案内する私に、ユートがふと思い付いたように尋ねてきた。
「いいえ、編入は珍しいわよ。この学院の生徒は、大体が初等部から通ってるから。どうして?」
「いや、歓迎はされてないのかなって思ってさ。仕方ないから受け入れる、みたいな感じがした」
「そうかもね。ここの生徒、プライド高い奴が多いから」
「ぷらいど?」
変な発音でユートが繰り返す。どうやら知らないみたいだ。
「前に言ったわよね? グリマール魔法学院は、国内でも最高の学院の一つなの。ずっとそこに所属している私たちは、多かれ少なかれ自分の実力に自信を持っているし、ここの生徒であることに誇りを持っているわ。そこに突然部外者が入ってきたら、あまりいい気はしないのよ」
「なんでだ?」
本当に理由が分からないようだ。私はどう説明しようかと頭をひねる。
「そうね……。あなたはどうしても譲れない信念ってある? これはこうあるべき、みたいな考えとか」
「ああ、あるな。ご飯を食べる前に頂きますって言うとか」
「なら、もしご飯を食べる前に頂きますって言わない人が居たらどう思う?」
「……いい気はしないかな」
「それと似たようなものかしらね。グリマール魔法学院は選ばれた生徒のみが通える場所なのだから、ここの生徒は相応の実力を持つべき、みたいな考え方を持っているのよ。そうでない人間が自分と同じ立ち位置なのが我慢できないというか。実力以外にも、立ち振る舞いとか、色々あるでしょうけど、とにかく編入生はあまり歓迎されないわね」
「なるほど、そういうことか。なら早く実力をつけないとな」
ユートはそう意気込んだ。その表情に暗い影は見えない。少しは気落ちすると思ったのに、無邪気というかポジティブというか。私は意外に思うのと同時に、少し嬉しくなった。
「それで、魔法の練習はどこでできるんだ?」
「魔法競技場よ。あなたの試験でも使われた場所ね」
丁度次に案内するのが魔法競技場だ。利用の仕方を教えるついでに、魔法の練習をさせてみよう。
魔法競技場では練習中、薄膜を纏うのが規則だと説明しながら歩いているうちに、魔法競技場の入口に辿り着く。
「んぅ? シルファとぉ、えっとぉ、ユート、だったかぁ?」
そこの受付にいたのはジェンヌ先生だった。長い茶髪に茶色を基調にした服と、その色が印象的な先生だけど、それよりも目を引くのは頭の上から生えている、犬のそれを想起させる耳だ。獣人族の証であるその耳は、亜人族を見慣れてない人からすると不気味なものとして映ることもある。
「はい、試験の時はお世話になりました。獣人族の方だったんですね」
けれどユートは自然体で応対していた。キース先生にも普通に接していたし、ユートは亜人族と知り合う機会でもあったのだろうか。単にそういうことを気にしないだけなのかもしれないけれど。
「うむぅ、そうだぞぉ。それでぇ? 今日は――」
「ジェンヌ先生、魔法の練習をさせてください」
不意に私たちの後ろから、高く通りの良い声が上がった。嫌な予感を抱きつつ振り返ると、案の定、よく知る顔がそこにあった。
「シイキ、今私たちが話しているのだけど?」
「長くなりそうだったからさ。僕はすぐに練習がしたいんだ」
私たちと同じ緑の制服、男子生徒が穿く灰色の長ズボン、首に巻いた薄緑色のスカーフ、頭の後ろと髪の先で留めている、腰まである黒髪。そこにいたのは正真正銘、シイキ・ブレイディア本人だった。
「生憎だけど、私たちも練習しに来たの。ジェンヌ先生、障壁魔法石を貸してください」
魔法の練習には障壁魔法を使う。魔法競技場内の空いている場所で半球状の障壁魔法を展開し、外に魔法が飛んでいかないようにして練習するのだ。
「んー、残念だけどあと一個しかないんだぁ」
「そうですか。悪いわね、シイキ」
「待ってよ。確かその、ユート君だっけ? 今日の授業でも見たけれど、魔術式がものすごく小さかったよね?」
「……だったらなに?」
確かに今日の午後、私たちのクラスは魔法の実践授業があった。試合などの見せ場がなかったため、ユートはさらに白い目でクラスメイト達に見られていたけれど、今それについて言及してどうしようというのだろう。
「それなら一緒に練習しない? 四人までなら一緒にできるんだし、僕の練習を見れば魔術式を大きくするコツとか分かるかもしれないよ?」
ね、いいでしょ? とシイキはユートに笑いかけて提案する。確かに、一つの障壁魔法内で四人までは中で練習ができる。
けれどそれは――
「そうなのか? なら一緒に」
「駄目よ」
何も知らないユートに代わって、私が却下した。
「君に聞いたわけじゃないんだけどな」
「シルファ、どうして断るんだ?」
シイキからは不満の、ユートからは疑問の込められた視線を受け、私は小さくため息をついた。
「シイキはあなたと逆なのよ、ユート」
「逆?」
「魔術式がとても大きいけれど、制御ができないの。だから一緒に練習できるような相手じゃないのよ」
魔術式が大きければ大きいほど魔法の規模も大きくなり、制御するのも大変になる。それを考慮してもシイキの制御技術はお粗末で、普通の規模の魔法でもたまに狙いが外れるほどだ。それなのに本人は、多少(私からしてみたら大きく)狙いが外れても魔法の規模が大きければ攻撃は当たるという考え方で、ろくに制御できない大きな魔法を使いたがる。
使用者本人にも制御できない大規模魔法なんて無差別兵器みたいなものだ。そんな魔法を使う相手と同じ空間にいて、まともな練習ができるわけがない。
「そこまでひどくはないよ。普通の魔法ならまず失敗しないし」
「普通の魔法の練習で満足しないでしょ、あなたは」
「それはそうだよ。絶対に失敗しない魔法なら、練習の必要はないでしょ?」
「それでも基礎を鍛えることはできるわ。あなたはそれを疎かにしたまま大技をしようとするからいけないのよ」
「疎かにしているつもりはないよ。少なくとも自分が傷つくようなことはないし」
「自分以外はどうなってもいいってことでしょ」
「揚げ足をとらないでよ。そこまで言うなら君はどうなのさ? また高い理想を押し付けて、潰しちゃうんじゃないの?」
シイキの言葉に、心の傷が疼きだす。
「わ、私は、キース先生に頼まれて案内しているだけよ。同じクラスなんだし、あなたも知ってるでしょ?」
「どうだかね。その割にはわざわざ僕のことを親切に教えたり、えらく気にかけているようだけど。君だってそろそろ、チームを組もうと思っているんじゃないの?」
「……っ! 私は別に――!」
「こらぁ、あんまり騒ぐなぁ」
口論に熱が入ってきたところで、ジェンヌ先生に止められた。ユートも所在なさげにしている。
私とシイキは同時に頭を下げた。
「……すみませんでした」
「……ごめんなさい」
「分かればいいんだぁ。それでぇ、結論は出たのかぁ?」
「……はい。ここはやはり」
「そうだシイキ、試合をしてみないか?」
不意にユートが口を挟んできた。
「試合だって? 僕と?」
「ああ。それなら相手の邪魔になるとか考えなくてもいいだろ?」
「それはいいね!」
シイキは満面の笑みを浮かべる。私は渋面を作る。
「ユート、本気なの? 試合になったらシイキは絶対、自分でも制御できないような魔法を使ってくるわよ」
「ん? 別に問題ないだろ。試合といっても、練習みたいなものなんだし」
「いやあ、ユート君は話が分かるなあ」
うんうんと頷くシイキ。思いっきり魔法をぶつけられる相手ができて、嬉しくてたまらないといった表情だ。
大丈夫だろうか? 魔術式の大きさだけなら、シイキは学年でトップクラスだ。ユートの防御魔法は確かにすごいけど、いくら楕円形魔術式で強度を増しても、シイキの魔法は防ぎきれないだろう。それは試験でも証明されたことだ。そもそも、ユートは相手に攻撃できないのに、一体どうやって勝つつもりなんだろう。
「……ユートがいいなら、それでいいわ」
いや、そのくらい本人も分かってるはずだ。それでもなお試合を提案したのなら、何か考えがあるのだろう。それに万が一のことがあっても、薄膜がユートを守ってくれる。説明も兼ねてしようと思っていた練習試合の相手が、私からシイキに変わるだけだ。私はそう自分を納得させる。
「よし、ならすぐやろうよ。ジェンヌ先生、魔法石を」
「はいよぉ」
スイカを半分にしたような形の障壁魔法石を受け取ったシイキは、軽い足取りで魔法競技場へと入っていく。私とユートはジェンヌ先生に軽く頭を下げてからシイキの後を追った。
魔法競技場の中は、障壁魔法石が作り出した半球状のドームで溢れていた。それぞれの淡い光の中で、数人の生徒が魔法の練習をしている。
そこかしこにドームがあるけれど、閉塞感はない。魔法競技場はそれほどまでに広いのだ。入口から遠いところは殆ど人がいない。シイキはそこまで歩いて魔法石を地面に下ろした。
「試合をしてくれるお礼に、障壁魔法は僕が発現させるね」
「いや、俺も手伝うぞ?」
「駄目だよ。複数人の魔力が混ざりあうと魔術式はうまくできないでしょ? それと同じで、魔法石に魔力を注ぎ込めるのは一度に一人だけなんだ」
「けどそれじゃ、試合の前に魔力を使うことになるじゃないか」
「そうね。だから戦わない私がやるわ」
有無を言わさず、私は半球状の魔法石の元に屈むと、そこに魔力を注ぎ始める。徐々に魔法石が光りだし、やがて魔法石から淡い光が漏れる。漏れた光は魔法石を覆うと、そこから四方へと伸びた。地表を伝った光はある程度進んだところで曲がり、地面に円を描き出す。円が完成すると、その光が持ち上がるようにして障壁が私達を囲み、天辺で閉じた。
「すごいな……」
ユートは感心したように障壁魔法を見上げている。
「このくらい、魔力さえあればあなたでもできるわよ」
私は立ち上がると、試合の邪魔にならないよう、障壁魔法が生み出した半透明の壁の近くに移動する。
「意外だね。まさかシルファが僕に優しくしてくれるなんて」
「別に優しくしたつもりはないわ。試合をするなら、お互い条件は同じほうがいいでしょ?」
「ふうん? まあいいけど」
「それよりシイキ、あなた、ユートの試験は見たの?」
「最初だけね。あの魔術式の大きさで、まさか受かるとは思わなかったし」
「そう」
なら、ユートが勝つかもね。そう出かかった言葉を飲み込んだ。